大本家(おおほんけ)
Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 EOS R5
ソフトウェア Windows Photo Editor 6.3.9600.17418
レンズ EF24-70mm f/2.8L II USM
焦点距離 24mm
露出制御モード 絞り優先
シャッタースピード 1/6317sec.
絞り値 F7.0
露出補正値 +0.0
測光モード 中央重点測光
ISO感度 1000
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 7838x4802 (5.78MB)
撮影日時 2022-09-24 21:21:33 +0900

1   masa   2022/10/9 13:07

F.344さんの蕎麦畑の写真を見て思い出しました。
蕎麦どころ信州のわが故郷です。伊那谷の駒ケ根といいます。
秋の彼岸にオヤジの墓参りに行ってきました。右手に見える林の中に墓があります。
(以下、私的な話で恐縮ですが、若干の解説です)
これは我が家の大本家です。そこから分かれたのが我が家の本家。さらにそこから分かれた分家に養子に行ったのが私のオヤジ。
私はそこの5代目に当たるそうですが、オヤジの代で駒ケ根を離れ、分家の家屋敷は全部人に譲ってしまったので、駒ケ根には今はこの大本家と本家しかありません。
右手に見える林の中にある墓は、大本家を始めとする一族が纏まっていて、墓石は30以上あります。
大本家は江戸時代からの庄屋だったそうですが、我が家が本家から分家したのは江戸時代末、3代目が明治後期に横浜へ出て生糸貿易で財をなそうとして失敗して没落。4代目のオヤジは小学生の頃、本家からその分家へ養子に出されて随分苦労したそうです。
私は駒ケ根で生まれましたが、小学校からは東京です。
5代目の私たち夫婦まではこの墓に入るつもりですが、息子たちは「お参りには来てやるが、自分たちの墓は東京に作る」と言っています。

2   youzaki   2022/10/12 09:21

青い空と樹木に囲まれた豪邸の素晴らしいシーンですね・・
昔に実家近くで見たような風景です。
屋根が緑色でミドリ御殿と呼んでいました。
思い出にと写真を撮りたいと思い行ってみましたが周囲が開発されまったく風景にならず止めました。

3   F.344   2022/10/13 20:29

伊那の庄屋さん
大きなお屋敷ですね
蔵にはお宝が眠っていそう・・・
貧乏人はどうしてもそっちに行ってしまう



4   S9000   2022/10/14 07:41

 おはようございます。
 大きなお屋敷ですねー。私の育った備前地方には、ここまでのものはほとんどないです。
 200町歩を所有していた大地主というのは備前地方に存在していて、土地関係の仕事をしているとよく遭遇する「代々受け継いだ大事な土地」というセリフも、実は戦後の農地改革で取得したにすぎない、そのまえは大地主の所有地だった・・・というオチがあることも。
 私が携わった仕事で一番大きな面積を扱ったのが40町歩くらいなので、その5倍の200町歩(およそ200ヘクタール)は、小規模な町村の耕作地すべてに相当する面積であり、昔は大地主というものがいたのだなあと思います。しかし200町歩所有は全国レベルではそれほど大きなものでもなさそう。
 年貢が地租に変わったのを嫌って手放された土地を集約した、という歴史が一般的ですが、古い土地台帳を見ると、地租を回避するための庶民農民のいろいろな工夫(いわゆる縄のび、用悪水路や堤塘として非課税扱いにするなど)がうかがわれて、興味深いです。

5   masa   2022/10/15 13:20

youzakiさん
何度かおじゃましているせいか豪邸という感じはしません。やたらに庭が広い静かな家という記憶です。

F.344さん
大本家の蔵はこの写真の奥の方にありますが、中に入ったことはありません。本家の蔵には子供の頃入ってよく遊びました。
鎧兜と刀があったのが一番記憶に残っています。その刀でチャンバラをして遊んだら伯父様に叱られました。

S9000さん
子供の頃、本家の伯母様がよく「農地解放で小作に田んぼを取られてしまって・・・」と言っていたのを覚えています。
ウチの本家は小作人を搾取したアコギな庄屋だったのかと心配しましたが、伯父も祖父も殆どの小作さんから慕われていたと別の親戚から聞いてちょっとホッとしたことがあります。
戦後は長く民生委員をやり、戦災孤児を預かって中学まで出すというようなことをやっていました。
小学生の頃、夏休みには一ケ月本家で過ごしましたが、従兄弟姉妹のほかにいつも一人よその子がいて一緒に遊びましたが、不思議に思ったものです。


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