雑感
Exif情報
メーカー名 SONY
機種名 α7R
ソフトウェア Capture One 8 Windows
レンズ
焦点距離 40mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/500sec.
絞り値 F1.4
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 1600
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2048x1367 (1.82MB)
撮影日時 2013-02-06 04:06:37 +0900

1   kusanagi   2022/12/26 22:34

人は何故に新興宗教に嵌るのでしょうか。ふつふつと考えるに、それはその人が生きる自信を得る為に
そうするのではないですかね。人が生きるのには他者よりも自分は優れている、いや劣ってはいないと
いう自信が必要です。
新興宗教に良く似たものに共産主義思想というのもあります。無産階級の貧乏な人か自分の惨めさを
克服し、恵まれた者に負けないような考え方ができる一種の宗教だろうと考えています。

負けず嫌いの勝気な人が新興宗教に向かうという気がします。世の中には自分より優れた才能のある人
が大勢いますよね。そういう人に負けたくないという気持ちが、自分は特別な才能もないのだけれども
宗教だけはそれを信じることだけを要求されて、それならば自分もできるということで、宗教への信仰に
向かうのではないでしょうか。
考えてみれば安易な道ではありますが、とにかく何よりも得たいと思っている自信を宗教と信仰は与えて
くれるのです。人は自信があれば明るく強く生きることができます。

新興宗教はかならず多額のお布施を要求されますね。これには多分例外がないと思います。経済的には
苦しくなるんですが、自信を得た対価として考えればそれも仕方がないと考えるのでしょう。ただ信じる
だけでは済まないのが新興宗教の経済学です。
新興宗教の宗教論理は模倣ばかりでめちゃくちゃなんですけど、そういう常識と論理性を超えたところに
信仰性の飛び級的ないうステップアップがあるんであって、普通の人たちにはできなくても自分はそれが
出切る。その自信というのがひとつのエリート意識を生むように思います。生きる自信というのは翻れば、
自分は普通の人間より優れているというエリート意識に深く結びついているように思います。

人間は、何の根拠もなくても生きる為に自信というのは必要です。例えば自分のような劣った人間でも
世の中の誰かはきっと自分を必要としてくれるいう仄かな気づきは自信を自分に与えてくれますが、
自分は一般人よりも優れているのだというエリート意識は必要ではないんではないですかね。それは行き
過ぎた逆転の発想なんであって、それが他の誰かを傷つける萌芽になるでしょう。
ちなみに共産主義というものはそのメカニズムによって自壊するものです。
本来の宗教にはエリート意識はないはずなのですが、ともすれば陥りやすい罠ではありますね。

新興宗教に嵌りやすい人は子ども時代に親から過剰な期待をかけられた人かもしれません。○○ちゃん
は優れていて他の子どもとは違うんだという誤ったエールを受け続けた場合、その子どもが普通でも
優秀であっても、強迫観念的なエリート意識の囚われになるんではないですかね。
普通の親のようにわが子は元気で幸せに育ってくれればそれでいい、というような親を持てば子供は
間違ったエリート意識を持つこともなく新興宗教に身を寄せることもないでしょう。
宗教2世の問題にスポットが当てられていますが、それたけでなく宗教1世こそがその親からの被害者で
あったろうというような結論になりそうです。

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