雑感
Exif情報
メーカー名 SONY
機種名 α7R
ソフトウェア Capture One 8 Windows
レンズ
焦点距離 40mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/60sec.
絞り値 F4.0
露出補正値 -0.7
測光モード 分割測光
ISO感度 1000
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2048x1367 (1.84MB)
撮影日時 2013-02-06 04:10:55 +0900

1   kusanagi   2022/12/26 22:36

こないだのこと。車で走っておりますと寒い霙のなか、電線にカラスがポツンと止まっておりました。
何のことはないごくありふれた光景なのです。それでふと思ったのが、野鳥を撮影される方はどのような
気持ちで鳥を撮っているのだろうかと。
私がそのとき感じたのは、野生動物、野鳥と言いますのは、着たっきりスズメと言う様に、その身ひとつ
で他に何もない、何も持っていないということです。鍋釜持たずといいますか、寒空でも暖かい住居も暖房
も、それどころか衣服ひとつもありません。そして食うものと言えば虫などの生ものばかり。それを直に咥
えて食うばかりで。

なんとも可哀想といいますか、「かわうそ」な生活をしているわけです。われわれ人間はどうでしょう。有り
余る物質に囲まれて過剰なまでの恵まれた生活をしていますよね。
この話をある人にすると、昔はガスもなくて煮炊きは炭火でやっていたとか、洗濯は手でやっていたって
いう話に目ざとく転換されました。(^^ゞ 
いや、そういう次元の話ではないんですよね。文明の有り無しの話なんですから。人類は文明を持ち、
道具に機械にと、有り余る技術の恩恵に浴しています。カラスの親戚の鶏を捕まえてきて飼育し、卵も
肉も食い放題。人類も当初は槍とか弓矢で野生動物を捕まえて食らう程度でしたが、今や飼育も工業化
されています。
カラスは1万年経ってもカラスであり、持ち物というか財産といえば子育て時の巣くらい。あとは何もあり
ません。そもそも野生動物には老体というものは存在せず、その寿命は短いです。ペットくらいでしょう。
老体を晒すのは。

カラスは野鳥の中では頭のいい部類ですね。仲間が傷つけば心配をして護ったりもしますし。あの小さな
体の小さな脳で、人間並みの感情や智恵を持っているのかなって感じるほどです。しかしカラスは手が
なく道具を使うことも発明することもできませんでした。言葉もうまく喋れません。
人間には手足があり、手は特に器用です。喉が発達して自由な発音ができますし、眼も良いです。
しかしカラスは空を飛ぶという選択したため、手が翼になり指も退化しました。それどころか歯もないん
ですね。白鷺が大きな魚を噛み切れずに眼を白黒させながら飲み込む姿を見たことがありますが、空を
飛ぶ為に歯すら無くしてしまったのかと哀れみの気持ちが湧いてきました。

空を飛ぶ以上、体は大きく出来ません。白鳥程度が最大です。手もない、歯もない。ないないづくしでは
ありませんか。私は野鳥を見るだびに、彼らは可哀想な存在であるという気持ちがでてきます。
その可哀想なやつを写真に撮って喜んでいるのが人間というやからです。(笑) 
改めて問うと野鳥撮影が好きな人間は、どういう気持ちで写真を撮っているのでしょうか。
野鳥は貧乏でその日暮らしですし、唯一優れているのは空を飛べるということ。それもやがては人が乗れ
るドローンで挽回できるのが人間です。すべては文明の力によって。

鳥は恐竜の子孫であり、我々哺乳類と同様な長い進化の歴史があります。哺乳類に比して進化史的に
決して劣っているというわけではないんですね。鳥の先祖である恐竜時代、我々の先祖はネズミ程度の
大きさで、日々食われないようにしておどおどと生きてきました。
巨大な恐竜は一世を風靡し世界を支配してきました。しかしそれが限界に来た時、恐竜は滅んで姿を
変えました。鳥になり、まるで180度転換したような生き方を選んだようです。

鍋釜のない、着たっきりの可哀想な鳥なのか。それとも敢えてそういう生き方を選んだのが鳥という崇高
な存在なのか。そのどちらも正しいようでいてとにかく複雑な気分で私は鳥を見ています。
道具という機械文明を選んだ我々はいづれは限界に達することでしょう。それが地球環境の破壊である
というのは容易に想像がつきます。それはかつて恐竜がしでかしたことですからね。われわれもきっと
その道を歩んでいるはずです。

ハッカチョウというのでしょうか。私がたまに行くレストランに居ついているようで、平気で店内にもぐり込み
私の隣の席に陣取ります。鳥の体温は高くてその熱線を感じることができます。幼児期に鶏と一緒に育っ
た私を仲間内としてみているのでしょうか。よく分かりませんが。(^^ゞ 
鳥掲示板のMTさんの野鳥を見ていると何故か、ひしひしと哀愁が湧いてきます。しかし他の人が撮った
鳥写真ではそのような気分はあまりでません。なぜでしょうか。不思議です。おそらく余裕のある構図が
そうさせるのかも知れません。余白のある余裕のある写真というのは観る者に想像力を与えてくれるの
かもしれません。

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