メーカー名 | SONY |
機種名 | α7R |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 35mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/80sec. |
絞り値 | F4.5 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1367 (1.66MB) |
撮影日時 | 2013-01-04 04:31:33 +0900 |
物としてのカメラというのは素っ気ないものです。高級腕時計のように投機対象になることもないし、
賄賂や恩賞として贈答されることもありません。また車のように親父から譲り受けた車を再生すると
いうような、愛情のある想い出の対象になることもないです。(米国では思い出のある旧車のオーバー
ホールが流行っているそうな)
どうやらカメラは欲得の対象物とはならないようですし、そして愛着のそれにもならないのです。親父が
残していったカメラやレンズは、父が死ねばすぐさま売られて換金されるだけです。売れば金になるかも、
という程度のものでしかないのですね。(^^ゞ といいますか、ユーザー自身が歳をとればカメラは用なし
ということで売ってしまう程度のものです。
このレンズは一生モノだ、という人がいても、そう語るのは一時のことで興味がなくなれば躊躇いもなく
手放してしまいます。とにかくカメラやレンズや三脚などの写真機財は実にそっけないもので例外は
あるかも知れませんが、大体おいて投資にしても愛情においても、そういう資格を持ち合わせいない
ようです。
なぜなのでしょう。おそらく写真機財は徹底して機能を求めているからだろうと考えられます。
ユーザーが求めるのは写真というものを撮るための道具としてです。それ以上の価値を機材には求め
ていないからなんでしょうね。時計のようにダイヤモンドが散りばめられたカメラはありませんし、車の
ように美しく塗装されたカメラもないです。
カメラというものは極めて個人的なものであって、それは写真がもつ属性と同一です。思い出としての
カメラというものがあるとすれば、それは家族でよく使ったバカチョンカメラこそが相応しいものであって、
父が子どもたちを良く撮ってくれた思い出の傷だらけの小さなカメラは、そっと引き出しにしまって置きた
くなるでしょう。でも小難しい顔をした親父が持っていた高級カメラなんぞは嫌な思い出しかないかも。
時計などはこれはある意味、権威の象徴ともなり、恩師から賜った時計なんぞは疎かにはできませんし
親父から入学祝にもらった時計も大切なものですね。車や時計は個人を越えたところに価値があるよう
です。
ところがカメラはそうではありません。あくまでも個人主義。
それで家族にとって、親父が趣味で残したカメラなんぞはリセールバリュー以上の価値はありません。