雑文
Exif情報
メーカー名 SONY
機種名 α7S
ソフトウェア Capture One 8 Windows
レンズ
焦点距離 35mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/100sec.
絞り値 F8.0
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2048x1368 (2.48MB)
撮影日時 2014-03-11 00:17:10 +0900

1   kusanagi   2023/9/3 21:01

日航機事故に関する青山透子氏の一連の著作をほぼ読み終えました。
ノンフィクション作家であるわけですが、その調査力のさることながら文章が文学的にも名文です。
氏の著作を読まれた方は多いだろうと思いますが、その内容が凄くて、おそらく95%の方は理解する
ことができないだろうと感じました。
私の実直な感想としては、これは戦争の形態であるということ。また戦争や軍隊というものはこういう
ものであるということです。今で言うところの情報戦であり超限戦のようなものが過去の日本にもあった
ということでしょう。過去の歴史を振り返って見てもこういうのはざらにあるわけです。
しかしそれと歴史の真実の追及とは異なります。隠蔽された真実を明らかにするのが歴史の使命とも
言えます。いつかはきっと真実が明らかにされるだろうと信じます。

日航機事故だけでなく、多くの方々は全てに於いて本当の真実というものを知ることができません。
人々が信じているのは単に他者から意図的に集団的に教え込まれたことだけです。自分の力で獲得した
もの、つまり自意識とも言えるべきものは殆どないというのが現実です。
人工知能の発達の根本は、半導体の高度化と深く結びついています。おそらく物としての半導体技術
の発展と共に、半ば自動的に人工知能は形成されていくのだという気がしています。やがては半導体は
自意識すら獲得していくだろうとも思います。
しかし意識の下に無意識があるように意識の上にも無意識の海があります。そういう意味では意識とは
可視光線のバンド域のようなものなのかも知れません。見えている帯域は狭くて、それが見えても見え
なくてもさほどの違いはないのではないかということです。
人々の95%の人達が自己意識ではなく集合的な無意識に生きていたとしても、それが本来の自然の
姿であるのだということになりそうです。

ここからは敢えての奇妙な文脈の連想になりますが、我々が行っている写真とはその可視光線を利用
しています。赤外線や紫外線やエックス線、電子線の写真もありますが特殊なものです。私としては
その可視光線の写真をいうものを、自らの意識の発現であると思いたいのですが、果たしてそうなって
いるのかどうか、怪しいところがあります。
改めて自分自身の意識とは。可視光線たる写真の意味とは。と、問いかけてみたくなります。こごては、
つまり、意識≒可視光線≒写真だとしているわけですが、これは新たな小さな問いかけに過ぎません。

95%の人達が日航機事故を理解できないだろうというのは彼我の半導体の性能がそこまで達していな
いからとするのはいささか早計かも知れませんがやはり理解しやすいことです。
それはカメラの性能にも言えて、とにかく高画素高感度高画質の高情報高機能の高性能なカメラを追い
求めてきたのは、その基本に写真画像の意識化への、自動的進化というものがあるような気がしてい
ます。カメラのセンサーというのもこれもまた半導体のひとつなのですから。

ところでスラムさんが面白い投稿を続けておられます。投稿画像は一律640x480 (206KB)ですね。
これはごく初期のコンデジのレベルです。この写真を見るには大変な想像力と蓄えた知識が必要です。
この小さな画像を見るには手順があって、まず画像をダウンロードしてから、ピクセル等倍以上に拡大を
して、画像を大きくモニターに表示して鑑賞することです。ジャギーが目立つ写真となりますが、これで
十分に写真となるかと思います。
そうして見ると美しい栃木の田舎風景が眼前に広がることになります。そこから個人の想像力と知識で
もって意識内写真として鑑賞することになります。
現時点の技術でもって可能かどうかは分かりませんが、AIでピクセル水増しのAI補完処理ができれば
よりリアルな写真となることでしょう。しかしそれを人間の意識でやることに意義があります。
とにかくスラムさんの写真は多くの人達が陥りがちな模倣と装いの写真ではないようです。

写真は見せる技術でもありますが、それと同時に意識的に見ようとする技術でもあります。見ようとする
能力が乏しければ写真は上手くいきません。認知力認識力は写真の始まりというわけです。
カメラの高性能化は見せる技術だけでなく、本当は見る技術にも向かわなければならないわけですが、
案外にそれが疎かになっているように思えます。というよりも、もう人間の視力を軽く超えてしまっていて
数千万画素のカメラ写真画像を見るのが辛くなっています。年齢のせい、というのも大きくありますね。

青山透子氏の検証の中で、私にはどうしても腑に落ちない部分があります。
それは日航機の機長の判断です。操縦が利かなくなってそれでも飛び続けて、その途中に横田基地に
着陸するという選択がありました。実際に横田方面に方向を一時的に向いている軌跡があります。
しかしなぜか方向転換をして北方(山岳地帯)へ向いて飛んでいったわけです。北へ向えば山に激突
するしか選択はありませんね。これが私には理解ができません。
追従しているファントム機に撃墜するぞと脅されたから?というようなことを匂わせる部分がありました。
しかし本当に自衛隊機が民間機を撃墜できるはずがありません。ロシアじゃあるまいし。
撃てるなら撃ってみろ、と考えるのが普通です。もちろんミサイルを撃たれたら100%全員死亡ですが、
そんなことができるはずがないとして横田へ強制着陸をするのが、500名もの人命を預かっている機長
の正しい判断であるわけです。
もしも本当に脅しに屈服して山岳に激突して自滅する道を選んだのなら、その機長の責任は極めて
重大です。しかし横田へ降りようとしても全く操縦が利かなかったのなら、それは機長の責任ではあり
ません。垂直尾翼の7割を失えばどこへ飛んでいくのかわからない、というのが本当だろうと思います。

関東平野は広大です。もし瀬戸内の海が干上がれば関東平野に匹敵する平野が生まれますが、感覚
として群馬や栃木から東京都心までは、香川から大阪市までの距離がありそうですね。
関東平野は元々は海だったのですが、周辺の山岳からの土壌流失でもって平野が生まれました。
ちょうどお椀のような縁のある形の海だったので土砂が太平洋に流れ出されずに済み、関東平野が
生まれたそうです。

東京、江戸を造ったのは徳川幕府です。河川を付け替えてまでの大工事で江戸を日本の中心地とした
わけですが、その遺産でもって今も将来も東京は日本の首都であり続けるでしょう。
しかし関東南部は定期的に地震が発生するという弱点を持っています。100年前の関東大震災では
10万人の死者がでましたが、当時の木造家屋の大火災が起きたからですね。木造家屋が密集すれば
放火ですら大火災が起きる場合があります。
しかし現在はそれは克服されています。同程度の震災が起きたとしても被害は少ないでしょう。
問題は核爆発が都心で起きた場合がどうなるのか、ということです。地下シェルターは?と言うこと。
だふん何も考えていないでしょう。

東京に核爆発が起きた場合、その後背地である群馬栃木茨城の重要性が増します。膨大な避難民が
発生します。負傷者も。それを収容する責務に追われるでしょう。最近の核ミサイルは多弾頭ですから、
東京川崎横浜千葉埼玉などは一瞬にして壊滅すると考えるべきです。
東京の繁栄は考えてみればひと時のものではないですか。と同時に日本は何度も焼け野原らなりなが
も復活した歴史をもっています。きっと次回も大丈夫だろうという考えが日本人の中にあるのだろうと
思います。死を恐れない国民性ですかね。
そういうことでは東京は不死鳥のようなものかもしれません。

航空機事故はネットで多数のケースを見ることができます。解決できていない事故も多数存在します。
日航機事故のそのひとつです。都心の羽田から大阪の伊丹まで。高度に人工的に集積された都会
から都会への航空便でした。都心都会の繁栄というものは人為的でひと時のものです。死を恐れない
人達がつくりあげた繁栄のひとコマという気がするのは私だけでしょうか。
旅客航空機というのは成層圏を飛行します。エベレスト山よりも高い高度です。その気圧は?気温は?
そして人間の感覚を超えた亜音速での飛行。
自分としてはそんな航空機に乗りたいとはちっとも思いません。都心都会に住みたいとも思いません。
田舎で住んで一生を終えるのが最高です。落ちてきた飛行機があれば上野村の人達のように全力で
対処してあげますが、違和感はどうしても付きまといます。

日航機墜落事故。読んで見てどうしてもぬぐえないのが、この違和感の感覚です。自分とは別の世界
のように思えるんですね。たしかに作者の言っていることは真実だろうと思ってます。ほぼ間違いの
ない事実に迫っていると考えてます。
東日本大震災の悲劇、例えば大川小学校などには関心を寄せ、どうしても現地に行きたくなって震災
の随分後ですが実際に行って参りました。しかし日航機の墜落した現地に行きたいか?、写真を撮って
みたいかとなると、どうもそういう気は私には起きそうにありません。

要するに田舎と都会とは大きな乖離があるように思えます。だいたい都会には緑がない。自然が消滅
している。そういうところにカメラを向ける気が起きません。すべては人為的な約束事で出来上がって
いる。自然の法則下にはない。私にはそういうものが心底は信じられないのです。
これは私の身体的な感覚ですから変えることができないものです。地方の田舎に生まれ育った人間
というのはそういうものではないですかね。野良猫がどうしても人間に対して気を許さないのと同じ
です。飼い猫だとそうではないのですが。変な例えだけどこれが一番しっくりとくるかな。(笑)

占星術は人為的なものだと思う人が多いかも知れませんが、実は大自然の法則です。太陽系宇宙の
法則なんですね。この占星術が私の頭の中の中心に常に存在しています。
日航123便墜落事故
1985年8月12日18時00分発予定 羽田発
実際は12分遅れての出発でした。西の空に獅子座火星が沈むその時刻でした。
参考までに書くと
全日空58便 雫石自衛隊機衝突事故は
1971年7月30日12時45分発予定 千歳発
実際は45分遅れでしたが、出発予定時刻には天底に水瓶座火星が。

太陽とか火星が、獅子座や水瓶座の時、加えて出発予定時刻のASC/DSC/MC/ICに火星が位置する
とその航空便は危険なんです。苛烈な偶然が作用する可能性が高いのです。
航空便は予めその出発時刻がわかっています。危ういな、と思えば乗らないことです。
こういう航空機事故の研究をしていて、青山透子氏の著作に出会ったわけです。

2   スラム   2023/9/4 19:05

こんばんわ。スラムでございます。
私の写真をお褒めいただき、ありがとうございます。
少しでも街を離れると田畑や川などの豊かな緑が多いところが
地元の特徴(私の地元あるある)でありますが、
こういった景色を見ると心が落ち着きますし、
大好きな景色となってしまったわけです。

戻る