雑
Exif情報
メーカー名 RICOH IMAGING COMPANY, LTD.
機種名 PENTAX K-3 Mark III Monochrome
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 17mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/400sec.
絞り値 F10
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 200
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 3554x2369 (4.54MB)
撮影日時 2023-04-02 22:45:09 +0900

1   kusanagi   2024/2/29 22:17

写真とは何か、ではなくて、写真をするということは何なのか。と自問すれば、それは見聞なの
ではないかと思うようになりました。自らの見聞を広めて、しかも確度を高めるということ。机上論
ではなくて、実地での思考をするということではないでしょうか。
こういうことはあまり考えたことはないのですが、改めて自分の写真とは何だったのかと問うと、
自分の思考の広さと強さ、そして正確度なのではないかと思うようになりました。

多くの人達の思考というか考え方は大体は人様からの見聞であって、他人から聞いたことを
そのまま覚え込んでいるに過ぎないと思います。そこに自分の思考というものが少ないですね。
誰それが、先生やテレビが言っていたことを、そのまま真実と思い込んで自分の考え方とする。
それは違うと私は思うのですが、大概の人達はそのようにしていると思います。
自分独自の思考を持っている人などは本当に少ないと思いますね。

写真という行為は、もしかすれば反社会的な行為かも知れないと思うときがあります。少なくとも
今のロシアとか中国とかでは本当の写真はできないと想像できます。ああいう権威主義的(専制
主義)国家では自分の考え方を持つことが許されないからです。
写真を美学そのものたと思っている人は、ロシアやチャイナでも写真ができるでしょう。国家が
定めた美学の方向に何の疑いもなく模倣するだけでよいのですから。

北井一夫氏の「村へ」という写真集に感銘を受けた自分なのですが、考えてみれば北井氏は東京
の下町ま生まれでしょう。そういう彼が成田空港建設の反対運動を撮影することがきっかけとなり、
つまりは村へ行き、これまでは見知らぬ世界だったことへの見聞を広めることになったわけです。
そういう意味での見聞であり、写真行為だということです。
そして良く知る為にはカメラや写真が必要であったということ。そこに机上論の空想過激思想は
ありません。そこが桐島聡とは決定的に違っていたということ。

多くの一般の常識人とか社会人というのは、都合のよい人達です。そういう人達ばかりだと為政
するのは楽ですね。しかしそうではない人達が一定数います。多分、写真をしたいという人達は
そういう、世間から見ると、まつろわぬ人達の中に入るのではないかと考えられます。
それから写真をする人間は自然人だと思います。それは常識人とか社会人とかとは反対の側に
いる人達かもしれませんね。でもそういう自然な人達がいるからこそ、この社会が危うくなった時、
その方向性を正してくれるようにも思えます。

私は思うに、写真をすることはとても自然なことであって、息をするように飯を食うように写真を撮る
ことだと思うのです。ですから写真に妙な美学や芸術というものを挟み込むのは根本的に間違って
いると思っています。そして自然な写真行為を続けることの結果として、見聞が広まっていくという
ことではないですかね。この見聞を定見の確立と言い直してもよいですし、要するに自ら考えること
への習慣付けのようなものです。
それで長く写真を続けていくと、その積み重なった見聞は深い地層となり、個人を強く大きくしていく
のではないですか。こういうのは物知り博士やAI人工知能には絶対に出来ないことだと思います。

写真人は、その思考の裏づけに、自ら見た撮った動いたという背景があるのであって、これは写真を
しない人間には得られない、たぶん想像もできない利点だろうと考えます。百聞は一見にしかず、
とはよく言うことですが、
百聞は一見にしかず(何度も聞くより一度見た方がいい)
百見は一考にしかず(何度も見るより一度考えた方がいい)
百考は一行にしかず(何度も考えるより一度行動した方がいい)
百行は一果にしかず(何度も行動するより一度成果を出した方がいい)
こういうのもあるのです。それで写真行為とは、上の3番目までは自動的にやっていることになるよう
です。もちろんそれは正しく写真をすれば、という意味です。そういうことが自然に身についてくると
いうことで、けっこう自信を持っても良いのではないかと思ってます。


写真には落とし穴がありますね。
これに嵌ってしまうとなかなか抜け出せないですし、全てを無駄にしてしまうところがあります。
それは画像です。写真ではなく画像に入れ込んでしまうと、正しく写真をすることができなくなります。
綺麗なものばかり撮っていてはいけませんね。

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