雑
Exif情報
メーカー名 RICOH IMAGING COMPANY, LTD.
機種名 PENTAX K-3 Mark III Monochrome
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 18mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/160sec.
絞り値 F4.5
露出補正値 -0.7
測光モード 中央重点測光
ISO感度 200
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 1365x2048 (1.98MB)
撮影日時 2023-07-14 23:50:26 +0900

1   kusanagi   2024/3/3 22:07

中平卓馬回顧展 
https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/28422
ウイキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B9%B3%E5%8D%93%E9%A6%AC
生年月日は1938年7月6日とあり、そして、1977年9月11日未明、酔いつぶれて昏睡状態に陥る。
意識は回復したものの、言語能力と記憶に障害が残る。・・・とあります。
私はこういう写真家をあまり評価しないですね。

「アレ、ブレ、ボケ(荒い画面、手ブレや被写体ブレ、ピント外れの意)」
この意味を中平は理解していなかったように思います。今にして思えば、アレ・ブレ・ボケこそは、
当時の時代の、画像溺愛、画像に浸りすぎることを諌めていた写真手法であったのだろうと思うの
ですが、つまり、それで本来の写真行為に立ち帰ろうとする運動のようなものだったろうと考える
わけですが、中平にはそこまでの思考がなかったのだろうということです。
もしかすれば彼は全てが、模倣の人ではなかったでしょうか。

そして、デジタル時代におけるモノクロ写真とは、あの時代のアレ・ブレ・ボケのようなものかも
知れないなという気がしています。
https://www.1101.com/n/s/kotaro_iizawa/2021-04-10.html
  当時というのは60年代後半、闘争の時代。
  そうですね、70年代はじめくらいまでの、
  政治や社会が揺れ動いていた時代です。
  そこへ「アレ・ブレ・ボケ」が、出てきた。
・・・とあって、時代背景は必ずしも良い時代ではなかったわけです。

その時代に登場したのが森山大道ですね。
  何を撮るかを決めず、
  カメラだけを手に持って町に出かけて、
  目の前に現れたものを捕まえていく。
  何人か、そのスタイルの先行者がいて、
  独自の方法論として
  確立していったのが森山さんだった。
・・・森山は、写真を画像ではなくて、もっと広い写真行為として捉えていたように思います。そこに
森山と中平の決定的な違いがあるように思えます。

森山大道
https://www.1101.com/daido-moriyama/index.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E5%B1%B1%E5%A4%A7%E9%81%93
しかし森山が世界的評価を受けるようになったのは、森山が50歳代になった90年代以降なんですね。
https://www.youtube.com/watch?v=xLsEpQV_DqA
https://lp.p.pia.jp/shared/cnt-s/cnt-s-11-02_2_aad3c16c-fdf4-4687-a06e-76519fbf768a.html

森山は1938年10月10日生まれですので、中平とは同年代です。しかし人生後半の様相はまるで
違っていました。その違いは何かというと森山は撮影が主体であり徹底的に東京を歩いたということ
ではなかったですか。しかし中平はそうではなかったようです。
中平は終生、写真を画像論としてでしか捉えられなかったのに対し、森山は撮影における歩きを
重要視しました。その違いが人生後半において決定的な相違となって表れたとしか思えません。

とにかく、アレブレボケもデジタル時代のモノクロ写真も、共通するのは画像に比重を置きすぎること
への考え直しや再考察のように私には思えます。その本質は、写真とは画像だけで考えるものでは
ないということなのですが、しかし写真=画像=作品というモノだと信じて疑わない人からは、それ
らは新しい画像の表現の様式としてしか思われていない点です。
そこに大きな齟齬があるのではないでしょうか。その食い違いの主な原因として、写真を受け取る側
はモノとしての写真でしか作家・撮影者と接することができないからでしょうね。
アレブレボケもデジタル時代のモノクロも、その時代の写真の画像力を弱めたものです。情報が
不足し、美的魅力も減退しています。しかしそこを狙っているのですから当然です。

ですから私は写真を画像の視点からではなく、どのように撮影をしたのか、どういう考えて撮影をする
のか、という観点でやっていかなければならないと思ってます。写真よさようなら、ではなく、本当は、
画像よさようなら、ですかね。
しかしこの考え方は永遠に人々には理解されないことだろうと思います。森山がリバイバルできたのは
黒白写真というカラー時代での新鮮さからでしょう。都市化という時代にもマッチしていたでしょうし。
一般的には理解できなくとも、実際に写真をコツコツと撮っている人間からは、森山の真髄は理解
できるのではないでしょうか。また写真に初めて接する優秀な若い人からも理解可能かもしれません。


アレブレボケ写真は、ほんの数年しか続きませんでした。一時の流行だったわけですね。もっとも
森山などは生涯、その写真手法で続けたわけですから、時代と個人とは違います。
アレブレボケ写真に違和感を感じた写真人は多くて、嫌われた写真だったろうと思いますね。期しくも
私はその時代に写真を始めたということもあって、当然に若くて、アレブレボケ写真に新鮮さを感じた
ひとりです。
同様なことはデジタル時代のモノクロ写真にも言えるだろうと思ってます。流行として(実際は流行にも
なってないけど)は数年で終わるはずです。しかしここでも時代の流行と個人の考え方とは違います。
デジタルモノクロームをずっと続ける写真人もいる筈ですね。

そしてカラー写真は魅力的です。高級機材を使ったカラー写真には多くの人が虜になっているわけ
です。こういう私もそのうちの一人であるわけですが、その魅力には抗し難いものがあるわけです。
しかし森山は生涯、その写真の持つ画像の魅力というものに囚われることはありませんてした。森山
が世界的評価を受けているのは、真にはその理由に拠るはずです。
しかし森山がアレブレボケ写真を長く続けられた本当の理由については、語られることはありません。

https://www.youtube.com/watch?v=y9ZNw19idcI
https://www.youtube.com/watch?v=Kjb58Gtx9Iw
森山の撮影光景が見えますが、想像以上に歩いている。走っている場合もあるんですね。私の予想
は当たったなって感じです。80歳になってもこういう撮影がてきるってのは本当に驚きでした。
余談を書くと、占星術では森山は土星がとても強いです。なるほどっていうところです。

戻る