無題
Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 EOS-1Ds Mark III
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離
露出制御モード マニュアル
シャッタースピード 1/5312sec.
絞り値 F0.0
露出補正値 +0.0
測光モード 部分測光
ISO感度 50
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 1500x1000 (1.08MB)
撮影日時 2024-03-17 20:16:49 +0900

1   kusanagi   2024/3/17 21:17

シッポ座さんの「早咲きの桜」は、ポートレート板の「夏日」と同じような微妙な雰囲気を出されていて
それが魅力となっていますね。極めて印象的で、全体的に霞み掛かかり、絵画の印象派のような
画質が気を引くのです。
夏日は意識してのピントズレだろうと思いますし、早咲きは開放値撮影による収差の発生が魅力です。
森山大道のようなアレブレボケに通じるレトリックがあって、それが返ってリアリティを出してくれるという、
言うなれば写真を見る側の想像力を強く刺激してくれるんですね。

夏日も早咲きも、絞りこんでピントがシャープであれば、非常に多くの情報量を提示してくれるわけ
ですが、それを敢えて見る側の想像力に任せたところが、写真としての新たな発見という気がします。
明るいレンズの開放値で撮影するというと、一般的にはボケを多く取った花等の近接撮影をします。
しかしそれは在り来たりであって何ら新鮮味はありません。
本来は全ピントでシャープな解像力を出すべき写真を、敢えてそうしなかったというところに、これらの
写真の大切な意味があると私は考えています。

私としては写真は遠景を含む一般風景が好きです。そこには多くのモノが写っていて、我々が裸眼
で見る光景そのものなんですね。その光景を高画素機でレンズを絞り込んで撮影すれば、本当に
普通の記録撮影となります。私が撮る写真はほとんどがそうです。
そしてそこに新たな表現として、記録撮影のようでいながら実はそうではない美意識の写真を創る
ことができる。これは眼から鱗であって、あくまでも日常の風景でありながら、それを超えた写真だと
いうところが魅力なのです。

こういう写真は最新の絞り開放でも何処かにピシッとピントが合うレンズでは撮れません。マニュアル
なオールドレンズが織り成す技です。
全ての写真は記録写真である。森山はそう言っていますが、同時に表現でもあるんだといえます。
最近のカメラは裸眼能力を超えた情報量の画像記録を残すことができます。それが当たり前だと皆
思っているのですが、それをもう一度疑ってみようや、それで本当にいいのかい?という問いかけを
するというのはとても新鮮だと思います。

夏日・早咲きの写真は構図的に奇をてらっていないところが良いのです。水平ラインは取れていて
標準のレンズでの立ち位置での撮影。ほんとうに普通です。いや過去には普通だったものが最近で
は貴重な画角となっていますが。そして写っているものもごく普通の光景です。
そういう具合に伝統的で正統派的な構図の写真がベースとなっていることが重要です。
しかしその写真は、ふんわりとして表現されている。それはどういうことかというと、我々が見ている
光景は誰もが当たり前だと思っているのですが、それを再度疑うべきだということかも知れない自問
や自己啓発に繋がることだということです。
そういう問いかけをしてくれている写真なんだということです。

少し考えると、近眼の人は遠景ではピントが合っていません。白内障の人はぼんやりとしか見えて
いませんし眩しかったりします。それが現実なんですね。とにかく当たり前の現実だと思っていたもの
が、実際にも当たり前ではなかったりするのです。それが現実です。
そういう真実の問いかけをしてくれる写真にもなっていると思っています。そういうのは、実際の光景
だけでなく、全ての世の中にも通じるのでしょう。思い込み、バイアスが掛かるというのですが、普通の
人の見方というのはそんなものです。

f1.2というレンズは、普通は夜間撮影に使ったりとか、近接の撮影なんかに使うのです。それを敢えて
シッポ座さんは普通の日中の遠景撮影に使っています。これが面白いのです。
ただ面白い画像になるのを楽しんでいるだけかも知れませんが、私はこういう手法の撮影には深い
意味があるべきだと考えています。その意味を多くの人達も気づいてくれれば、それは自ずと社会性
を帯びたプロ作家写真になると思いますね。
写るべくして写る。ではなくて、写るべくして写らない。という問い掛けです。

そして、こういうふんわりとした写真は時代を超える可能性があります。とても古い過去の写真の
ように見えるし、もしかすれば遠い未来の写真のようにも感じられる。つまり時代性を超越する可能性
があるのです。観る側の人はそれにも気が付いてくれればいいですね。
今は古い時代の写真をスキャンして、それをAIでカラー化したりする時代になっていますが、そういう
写真は時代を超越してます。古いけれど新しい。そういうトレンドに乗れる可能性のある写真です。
やはり世の中に認められる写真とは、時代の流行にも合わないといけません。

今の時代、画像処理を多用した写真が溢れています。HDRなどは最たるもの。そしてシャープで
収差を取り去り色濃くコントラストの高い写真も普通に一般的です。そういうように真実とは程遠い
写真ばかりでしょう。
しかしもう皆、そういう写真には飽きていると思ってます。
シッポ座さんの写真はフォトシップで弄くっても基本的には出せない写真ですね。やはり画質のよい
カメラで且つ古いレンズでなければ出ないでしょう。そういう意味でアナログな写真ですね。
そういうデジタル加工していない写真は長く見続けることができます。一方でデジタル加工をし過ぎた
写真は一瞥で終わりです。長く見続けることに苦痛で耐えられないと言うか。
長く見続けることのできる写真は、見る側に強い印象力を持ちながら、長期記憶となって脳内に長く
留まることが出来ます。
https://photoxp.jp/pictures/225631
この写真の女性を私は未だに忘れないでいますから。(^^ゞ 

オールドレンズは魅力です。私も確か、ミノルタMD、キヤノンFD、二コンの標準F1.2があったかなと
思うのですが、FD以外はイオスで使えます。もちろん開放収差出しF1.4でもOKなので、そういう
レンズは取り揃えて置くと今後も何かと役に立ちます。
オールドレンズ写真を、いかにも古いレンズで撮ってますよ、っていうのではなく、さりげなく普通に
撮って、結果として時代を超えた写真となすのが正解だろうと考えてます。

私は昨年、レンズでは最高と言われるコシナツァイスのオータス55と28ミリを使いました。やはり
良い写りをしますね。しかしそんなに面白くなかったわけです。考えてみれば、どんなに頑張って
みても、それは現実描写の(裸眼の)印象力を超えるものではないからです。画像はそこに人間の
想像力というものが加わらないと、写真として面白くないのだということでしょう。そしてそのレンズは
黒白写真にすると生き生きとしてくるんですね。そういう逆説めいたものがあるようです。

それにしても何故、オールドレンズや黒白写真(私の場合)なのでしょうか。
高度に発達し過ぎた情報化社会(最近は生成AIだ)への一時的反作用として捉えることもできますが、
それよりも高度化しすぎて、本来の自然から離れてしまったことへの反省があるのではないかと
考えています。
それは生きものとしての人類としての反省ですね。
その良い例が韓国の出生率です。韓国国民の半数がソウルに住むと言われていて、その結果が
世界最悪の出生率となっています。日本でも東京などの都会に人が集りすぎていますね。
日本では天変地異がありますからやがては首都圏震災で反省が生まれるでしょうが、そういう痛み
を伴わないと人はなかなか自分を変えることができません。東南海震災でもそうです。
韓国の場合は第2次朝鮮戦争が勃発しないと反省は生まれないかも知れませんが、数少なくない
人達が都市化の弊害に気づいているようです。

しかし薄っすらと人々は予感をしているはずですね。こんな時代、そう長く続くものではないと。
そういう正常な予感力を持った人達が一定数はいるということです。そういう人達がこれまでとは
違うものを求めているということではないですかね。私はそう考えることにしています。
ですから写真にしても、やたら写り過ぎるものは、そういう潜在的予感力を持った人には求められ
ていないということでしょう。
シッポ座さんの写真を見て思うのは、このベールが掛かっているような画像こそが真にリアルな写真
画像であって、本来、人間はこれ以上の写真画質を求めるものではないということです。

しかしそういう理論とは別に、柔らかくふんわりとした写真は魅力ですね。それが一番ですし。
いろいろと勝手なことを書き連ねましたが、私としてはこれは新しい写風の登場ではないかと考えて
います。オールドレンズを使った写真は多いかもしれませんが、こういうスタンダード撮影で開放F値
撮影を見たのは初めてなように思います。
そういえば私の記憶に残る作家で北井一夫がいます。彼は徹底してスタンダード撮影に拘り、広角
撮影が多かったと思うのですが、人物撮影ですらその姿勢を崩しませんでした。奇をてらわない横
位置の引きの構図。画質は黒白増感現像でした。第一回木村 伊兵衛賞を受けた作家です。

※アップ画像は失礼ながらシッポ座さんの写真を黒白化してみました。黒白にするとシャープネスを
強くしてもそう違和感はなくなります。黒白画像は色がない分、解像感、シャープネスに強いんですね。
情報量として、色彩を取るか、解像力を取るかの選択になります。
こごが人間の眼の不思議なところです。眼の仕組みというよりも脳のそれだろうと思います。

私もデジタルカラー写真が1千万画素余くらいまではカラー画像を楽しめたのですが、2千万画素
以上の時代になると違和感がでてきました。私だけでなく、その時代からこの掲示板でも多くの
投後者が去ったと記憶しています。私にしても撮影だけして撮りっぱなしが多くなりましたし。

私が記憶に残っている投後者では、Gさんという方が、(色々と機材遍歴をしたけど)、思い切って
ライカモノクロームに行くか…と言っておられたこと。その記憶が私に強く残っていたので、それで
ペンタッククスモノクロームが出たときに買い求めました。もし彼のあの発言がなければ、私は黒白
写真に行けなかったかもしれません。
それとMさんという山岳写真をしておられた方が、最終的には写真はスマホで良いんだという発言
をされていました。それを最後に掲示板を去ったのですが、これも印象に残っていますね。
こういう慧眼をされた方がおられたわけで、この掲示板のレベルの高さがうかがえます。

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