無題
Exif情報
メーカー名 RICOH IMAGING COMPANY, LTD.
機種名 PENTAX K-3 Mark III Monochrome
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 20mm
露出制御モード 絞り優先
シャッタースピード 1/50sec.
絞り値 F3.5
露出補正値 +0.0
測光モード 分割測光
ISO感度 1250
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2432x3648 (6.14MB)
撮影日時 2023-04-03 01:19:49 +0900

1   kusanagi   2024/4/21 23:14

もう二ヶ月以上、写真撮影ができていないのですが、できるだけ時間を作って撮影に行く、つまり
歩きの撮影をしなければならないな、と強く感じています。健康への秘訣の重要な要素が歩きなん
だということで、やはり撮影は、体力の維持、健康増進の為には絶対に欠かせませんね。
とは言え、まだ当分は撮影の時間が取れそうにありません。

写真を趣味としている人は、無意識に野外に出かけて歩くことになるのですが、おそらくその意味
を深く意識して考えている人は少ないでしょう。写真と言えば画像であり、その画像の価値を高める
こととか、より多くの画像をゲットすることとかは考えているでしょうが、画像ではなく撮影の意味を
理解して考察している人は少ないはずです。
しかし撮影、とりわけカメラ機材を持って自分で歩いていくという効果は画像生成以上に重要であって、
きわめて大切なものですね。

黒白写真は、その本当の意味は、ローコストで写真ができるということに尽きると思ってます。
黒白フイルム時代では、カラー写真に比べてフイルムやプリントが安くつく、これが主な理由でしたが、
デジタル時代のモノクロ写真においても、安さの法則は変わらないと思っています。
デジタルではカメラやレンズという投下資材が最小で済みます。優れたカメラやレンズが欲しくなる
のは写真に色があるからです。この色というものをなくしてしまえば、カメラやレンズを物色する気持ち
もなくなります。そういうことでデジタル時代に於いても、黒白写真はローコストであるということになり
ますか。

そして、私の場合は物欲意外はあまり感じなかったのですが、カラー写真では各方向の依存症が
発生すると考えられます。私の場合は物欲一辺倒でしたが、人によっては、撮影中毒(休み毎に写真
を撮りに出かけたくなる)や、画像処理中毒などが出るのじゃないかと感じます。
そういうものも、黒白写真だけにすれば解消するのではないですかね。つまりそもそも「色」という
ものは本質から外れた過剰なものであって、その過剰な無駄こそが実は人には魅力的であり、その人
をして中毒症状や依存性、はたまた逃避性向にさせるのではないでしょうか。

白黒写真のローコストとは必要にして充分であるということです。そしてそれが写真の原点であり、
写真の本質のように思いますね。
フイルム時代は技術の歴史上、黒白写真が先にあって、その時代が長く続き、それから技術が進んで、
カラー写真が訪れましたが、これはユーザーの写真技術の習得や心や精神性の獲得の上で、理に
かなったものでした。
黒白写真という写真の本質を先に知り、充分に熟すまで人々は基本を磨くことができたからです。
ところがデジタル写真では、先にカラー写真がありました。黒白写真はそのカラー写真の、いちモード
として付随していたに過ぎません。これがデジタル写真がともすれば過剰になり消尽するような写真
趣味になってしまった根本的な原因だと思われます。

現在、デジタルに於いてもモノクロ専用機がリリースされていますが、ごく数機種にすぎません。しかし
このモノクロ専用機がもっと広く安価で出るようになれば、デジタル写真事情も変わってくるかもしれま
せん。
この掲示板に於いても最近は黒白写真の投稿が多くなったように感じられますが、それらはカラーの
カメラで撮った写真を後で黒白化したものです。
残念ながらそれは本当の黒白写真とは言えず、画像処理でモノトーンとして黒白写真的にしたものです。
また最初から黒白モードで撮影したにしても、シビアに言えばカメラ技術的にはそれはモノクロ写真とは
言えません。カラー写真の変形でしかないものなんですね。
そうは言っても現実的にデジタルで黒白写真をするには、事実上このモノクロモードでの撮影手法しか
ありません。充分に時間をかければ、カラーカメラでもモノクロ撮影に専念することで、往年の黒白写真
の精神性を獲得することは可能だと私は思っています。

デジタル写真は最初からカラーが出たために、黒白写真を体験する絶好のチャンスを逃してしまった
わけです。ここにデジタル写真の不運というもがあるように思います。
最初から色香に惑わされた写真しか知らないユーザーが多いのです。それでフイルム時代と比べれば、デジタル写真の精神的なレベルは低いままに留まっていますね。撮影者のレベルは低くて、素人さん
とあまり変わらないのが実情です。そしてその御自分の低さにも気が付いていない不幸があります。
フイルム黒白時代に於いては、写真には高い文化性があったのですが、現在ではそんなものは影も
形もなくなってしまった感があります。

この掲示板もデジタルが出現した当初は多くの投稿がありましたが、今では投稿数は少なくなり、多分
写真そのものをやめてしまった人も多いと思われます。それだけデジタル写真が詰まらなくなってしまって
いる、いや、そういう本当の現実の姿を知ってしまった人が多くなったからなのでしょう。
この現状の復権は極めて難しいと思われます。
巷に言われるように、スマホに食われたから写真投稿が少なくなったのではなく、デジタル写真の本来の
持つ姿が見えるようになったからこそ、多くのユーザーは離れてしまったのだと私は考えています。

写真趣味の復権とは、ひとつは撮影の意味。撮影における身体的に関連づけられた仔細なノウハウ。
その自分に見合ったやり方の獲得です。(私はこれを自分なりに高めたと思ってます)
そして画像論としては、デジタル写真に、フイルム時代にあったような、文化的で精神性の高い、あの
「黒白写真時代」を再び取り戻すこと。
そこから再度始めないと、デジタル写真は復権しないと思います。

しかし時代はそのように向いてはいません。さらに過剰に複雑に邁進していく一方です。静止画よりも
動画であり、素人さんに迎合したAI的な写真であり、また新鮮なところではドローン撮影なんかもありま
すか。とにかく撮影と画像の能力の向上は凄いのですが、肝心のユーザー自身が捨て置かれている
ような状態が今後も加速していくという感じですね。
そして最終的には写真は人間から離れて、AIやロボットが撮影し、さらに人間に鑑賞指示するような
ものになって行くように思われます。そして人間が出来ることは、「ぐへっ」「ぼこっ」「ぐふっ」というような、
呻き声ような呟きだけかも知れません。

余談ですが、ドローン撮影は有効な撮影に化ける可能性があると思っています。現在では私の目指す
歩き撮影には向かないところもあるのですが、ドローンがさらに小型化してもっと撮影が容易になり、
普通の手持ちカメラと変わらない感覚で撮影できるようになれば面白いことになるのではないでしょうか。

こういうようなデジタル写真の社会状況というものがあり、人々は抗う素手もなく取り込まれてしまってい
ます。
私の場合、とにかく全てはペンタックスモノクロームから始りました。
黒白写真はローコストである。という観点からは、モノクロ専用機はある程度の安さでなければ意味を
なしません。ライカが最初にモノクロ専用機をリリースしましたが、あのバカ高い価格ではローコストと
いうには程遠く、やはり最初のモノクロ専用機はペンタックスモノクロームしかありません。
そういうことではモノクロ専用機は、現在ペンタックスの1機種しかありません。それも本来は計測器か
何かに使っていたセンサーを写真カメラ用に利用したものです。

このカメラの私に対する衝撃はとてつもないものだったと言えます。以来、私のデジタル写真に対して
の考え方はガラリと変わってしまったからです。写真だけでなく全ての方向に対して修正を余儀なく
されたほどです。
黒白カメラですから衝撃は派手なもではなくて、じわじわとしかし確実に効いて来るものでした。
デジタル写真以前の、パソコン趣味からの自分史すら書き換えてしまうほどのものでした。なぜIT関連
のものは過剰でエスカレートするのか、消尽と依存症を併発するのか。その全てが一挙に解けたと
いう感じで多重な波動攻撃を受けたような気がしましたね。
このようなことは既にこの掲示板で書き連ねましたが、とにかく黒白専用機、実はこれも半導体の一種
に過ぎないのですが、そのもたらした私への影響力は甚大だったといえます。

30数年以上もの間、私は騙されていたわです。それに気づかされたのが黒白専用機というカメラで、
モノクロセンサーの半導体です。
デジタルカメラはカメラではありますが、同時に半導体機器でもあるんですね。つまりコンピューター
であり、パソコンやスマホと同じものです。同じようなスクリーンも備えていますしね。
ペンタックスモノクロームという半導体製品は、稀に見る正義の半導体だったということでしょう。そう
いう言い方をすれば。
こんなに長い間、私は騙されていたということ。それを知ったときはショックというか、大きすぎて長すぎ
て笑ってしまうほどのものでした。しかしとにかく私は知ったわけです。知ってしまった以上は、もう元
には戻れません。それでもう、私は二度とカラー写真には戻れなくなったというわけです。

デジタル写真に依存症があるということは以前から気が付いていました。何故ならば私の若い時の
フイルム黒白写真時代とは機器への欲望が違っていたからです。当時はカメラやレンズといえば、
ほんの数台数本で済んでいたものがデジタルでは桁が違っていた。それはなぜだ?というわけです。
今にして思えば当時は黒白写真であって、今はカラー写真だったからです。たったその違いだけ。
つまりは、全ては色欲だったというわけ。(笑)

色即是空空即是色。言ってしまえばそれだけのことですが、要は無駄が多かったわけです。
もっとスマートにローコストでできる写真があるわけです。必要にして充分事足りる。そういうものが黒白
だったということに気づいただけですね。しかしそれが本質で物事の根本だったというわけです。
本質で根本、それが真実。無駄が多くなると真実からは遠ざかる。きっと黒白写真とはそういうところの
要に位置しているのではないですか。

黒白写真で強く思うのは、それは自分で撮って自分で鑑賞して楽しむ写真であるということです。
一人称完結の写真です。他者に見せて云々という写真ではないわけですね。カラー写真のように見て
もらって楽しんでもらうという写真ではないということです。それを言えば動画はもっと他者の眼を意識
しています。ですから黒白写真はサービス精神のある写真ではありません。パッと見てすぐに分かる
写真ではないということ。
逆に言えば、そこが黒白写真の本質ともなっています。見るのではなく意識して読まなければならない。
能動性が求められるんです。
そういうわけで、趣味として写真をやっていくハイアマチュアに向いている写真です。言わば自己完結型
の写真行為だと思うんですね。だからこそ、今の時代、貴重なのかもしれません。

私のコメントは、無論コメント欄の枠内に直接書いたものではなく、ワードパットに書いてから、コピーして
貼り付けたものです。良い文章とは言えませんが、やはりある程度は自分で考え、練って書くという技術
を持つことは有益なことだと思っています。
これからはこういうコメントは生成AIを通していくようになると思いますが、そのようなことをすれば人間の
思考力を機械に奪われます。
そういえば文章というのは黒白の世界です。黒白写真と親和性のあるものですね。

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