メーカー名 | PENTAX |
機種名 | K-5 II s |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 40mm |
露出制御モード | 絞り優先 |
シャッタースピード | 1/1250sec. |
絞り値 | F4.0 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 4096x2713 (4.62MB) |
撮影日時 | 2012-03-19 22:33:46 +0900 |
ペンタックス板の続きです。
普通、写真機を持てば、それを持ってどこかへ出かけたくなるものです。それはどういうことかというと、
カメラというものは、自分の世界の拡張を自然に促すということでしょう。そもそも写真機は人間の、
見るという行為の強力な拡張力を持つからです。
ただ、その世界の拡張というものは、その人がどれだけの身体力や機動力を持っているかで違って
くるわけです。自分の脚だけだとせいぜい数キロの範囲しか広げられません。
そしてもうひとつあります。カメラ自体の性能です。単焦点レンズとズームレンズでは拡張力が違い
ます。一般的にはズームレンズが範囲が広い。そういう要素は、絞り、AFの有無、連写力、そういう
ものでも違ってきます。
例えばカメラが不順でレンズを絞り開放でしか撮れないというのは、カメラの拡張性能に制限がかかっ
ているということです。
さらに一番大事なことは、人は何に向けて写真を撮るか、撮影の対象物は何?ということです。
どんなにカメラの性能が上がっても、何を撮るのかというのは、人の自由な選択に任せられています。
何を撮るのか、また別の言い方をすれば、何は撮らないのか。
撮らないもの、カメラを向けないものが多くなると、写真には制限が多くなります。
ペンタックスな人は物凄く多くの制限を自らにかけています。それはストイックなほどて、カメラは1台、
レンズは1本、カメラ不調で絞り開放でしか使えない。そしてそれを修繕もしない。撮影はRAWではなく
JPEGのみ。
撮影場所は歩ける範囲内か、しかも早朝の短い、人が無人の時間帯のみ。田園地帯の住まいならば
自然と撮影できるものは決まってきます。
さらに、カメラを向ける方向にも制限を掛けています。足元か頭上か。距離的には数メートル範囲内
で。近接撮影のみです。
どうしてこんなに制限だらけのことをするのだろうか、それを自らに課すのだろうと疑問に思うわけで
すが、そもそも本来カメラや写真というものは、自然な拡張力を持っているものなのに、態と強力な
制限、縛りをかけてしまっていることに、普通の人ならば絶対に疑問に思うわけでしょう。
そんなことをしてまで写真をやっても仕方がないだろうと、普通は思ってしまいます。
しかしペンタックスな人は、そうは思っていないわけですね。
使っているレンズは良いレンズで43ミリF値が明るくボケがよくでます。開放値でしか撮れないのでさらに。
撮影する対象は近接撮影ばかりなのでこれもボケがでます。
そういうことなんです。ペンタックスな人はボケの写真が欲しいわけですね。ボケさえ出ていれば対象は
多分なんだってよいわけです。ピントが合って全シャープな写真ではなく、ボケばかりの画像が欲しい
わけで。
多くの制限をかけて不思議だなってことではなくて、ボケの写真を得ることだけに邁進していたという
ことのようです。それで霧が掛かっていれば遠景の撮影ができたわけですね。霧中のボケですから。
ボケの美意識とは多分、物事を詳細に見ないことです。また、リアルな事実を遠ざけることです。ボケ
表現は、本来裸眼の現実にはありえないものであって極めて抽象的です。
ペンタックス板では、昆虫や花や鳥を撮る高齢者の先輩も投稿していますが、けっしてボケではありま
せん。可能な限り、リアルにシャープに撮ろうとしています。ペンタックスな人と同じ近接撮影であるわけ
ですが、ボケは排除しています。しかしそれが普通の感覚ですよね。
ボケとはアウトフォーカスのことです。スマホやコンデジは撮像素子が小さいのでボケ、アウトフォーカス
の写真が撮れないので、スマホのユーザーはデジイチなどの大きなカメラが欲しいと言います。
それは遠近感がボケでもって表わせるからですね。遠近感とはリアルなのでそれは良く理解できます。
しかし徹底的にボケの写真ばかり撮るというのは、これは普通の感覚ではないです。
それと良く似た感覚では、空とか海とか、さらに徹底して引き算の構図でもって、写真としてのリアルさ
を排除した絵画風の写真が、不思議に不良コメント投稿者には人気だということがあります。つまり
写っているものが少ない、非リアルさ、がいいということでしょうか。
つまり無地の面積が多いほどよいという。そういう感覚はボケ写真にも通じますね。
そういうことを考えると、ボケ写真とは一種の抽象力、想像的イメージのことではないのかなって思え
てきました。写真という道具を使った絵画というものです。
そう言えばチルトレンズを使って故意にボケを作る写真があります。そもそもチルトは狭いピント面を
広くするために使うレンズなのですが、それを逆用してワザとボケを大きくするというのは普通の感覚
ではなく、空想力を大いに発揮されているのだろうということです。
このようにボケの多用、構図の無地部の拡大をするようになると、リアルさが本命の写真の範囲を
超えた絵画的抽象性の世界、つまり絵画のジャンルなのだろうということですね。コンピューター・
グラフィックと同列に並ぶ、非写真だろうと思います。
そういうわけで、私としては所謂ボケ写真は写真ではないと思うようになったのですが、もし、ボケ写真
を無理やり写真とするならば、それはけっこう危ういことなんではないかと考えてます。
ボケはボケに通じるということで、一旦ボケ写真に嵌ってしまうと、もしかすれば二度と抜け出せない
のかも知れないなと思う時があります。
※私ごく偶にはボケ写真を撮ります。準望遠側で近接物を撮れば自然にボケ写真となるがらです。
そして殆どの撮影は広角側での全ピント写真となっています。私にとってのボケ写真とはその程度
のものです。