御母衣ダム全景
Exif情報
メーカー名 RICOH IMAGING COMPANY, LTD.
機種名 PENTAX K-3 Mark III
ソフトウェア Photoshop Lightroom 5.7 (Windows)
レンズ 12.0-24.0 mm f/4.0
焦点距離 16mm
露出制御モード 絞り優先
シャッタースピード 1/500sec.
絞り値 F8.0
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 400
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 4000x2667 (9.09MB)
撮影日時 2025-06-02 20:07:26 +0900

1   ペン太   2025/6/4 05:45

御母衣ダム 白川郷側に下りて
 全景も撮りました。

高さ131メートル 長さ405メートル、壮観です。
20世紀のピラミッドと称されたのも納得です。

2   Ekio   2025/6/4 06:08

>20世紀のピラミッドと称されたのも納得です。
この壮大なダムは、人類が滅びた後にも遺跡として残りそうですね。

3   エゾメバル   2025/6/4 14:22

山の中のこんな巨大な建造物が現れたら驚きですね。
発電や治水で重要な役割があるのでしょうね。

4   ペン太   2025/6/4 16:09

Ekioさん
エゾメバルさん

 コメントありがとうございます。

ピラミッドと例えられる様 間近で見ると
圧倒的な迫力です。

 このダムは発電目的だけで作られた様ですが
治水にもなんらかの役割は果たしているのでは?と思います。

5   masa   2025/6/4 17:55

御母衣ダムの治水機能:
設計上、出水期に備えてひと月前から大きく水位を下げておくような運用は行えませんが、大雨が予測される場合に数日前から発電放流を増やして若干の水位を下げる運用はしています。

6   ペン太   2025/6/4 19:49

masaさん

 コメントありがとうございます。

そうですね、設計が水力発電用。。。と言う事で
造られたダムなので 治水機能は持たないけど
役割は 治水安全度向上において重要な位置を占めている
と言う事ですね。

7   Booth-K   2025/6/4 21:09

しっかりと谷を塞き止めているのが分かりますね。
巨大な人工物でも、自然に馴染んでいるのが、どこか親しみを持てたりします。
でかいですねぇ・・。

8   ペン太   2025/6/5 05:32

Booth-Kさん

 コメントありがとうございます。

巨大な城壁にも見えますね。
 コンクリでは無く、石を積んだ姿が自然に溶け込んでいるのだと思います。

9   masa   2025/6/5 07:50

(私の会社のダムなので再コメしちゃいます)
>巨大な人工物、城壁・・・
ロックフィル式のダムです。関西電力のクロヨンダム(アーチ式)や当社の佐久間ダム(重力式)などはコンクリート製です。
コンクリートダムはしっかりした岩盤が堤体を支えます。特にクロヨンのようなアーチ式は川底だけでなく左右の岩盤もしっかりしてる場合、薄くてもアーチ構造で両岸の岩盤で巨大な水圧を支えることが出来るのでコンクリート量が少なくて済みます。
川が狭まって堰き止め易い地形でも強固な岩盤がない時は、御母衣のように土と岩をなだらかに盛ってその自重で安定させます。盛り立ての真ん中は粘土質の土です。これを遮水壁として、最終表面を岩石で押さえます。これがロックフィルダム。土だけだとアースフィルダムといいますが、アースだけで出来るのは小規模な溜池の堤です。

御母衣ではこのダムで出来た巨大な貯水池によって水没する二百数十世帯1200人の方が移住を余儀なくされました。生活再建可能な水没移転補償がなされたとはいえ、故郷を失うことになる人々は当初「御母衣ダム絶対反対期成同盟死守会」を結成して抵抗しました。数年に及ぶ補償協議の末、最後は戦後復興に必要な電力のためだと協力して下さいました。当時の会社副総裁が書いた「幸福のための手紙」が人々の心に届いたと言われます。「当社は移転される方々が今以上に幸福な暮らしが出来るようにすることをお約束します」としたためたそうです。
すっかり有名になった湖畔の荘川桜は、当時の高碕達之助総裁が故郷を失う人々の心のよすがにと、樹齢数百年の巨木移植を桜の専門家を口説いて実現させたものだそうです。
そんな歴史もあって、この御母衣ダムは土木技術の面でも、地域共生思想の面でも、私たちの会社の社員に電力づくりの使命を脈々と伝えるものとなっています。
(つい長くなってしまいました。ご容赦を)

10   masa   2025/6/5 22:14

ちゃんと調べ直しました。
当時の藤井副総裁が住民の方々に示した約束は「幸福の覚書」というものでした。
幸福の覚書:
「御母衣ダムの建設によって、立ち退きの余儀ない状況にあいなった時は、貴殿が現在以上に幸福と考えられる方策を我社は責任をもって樹立し、これを実行することを約束する。」

11   ペン太   2025/6/5 22:24

私も当時の歴史 全部読みました。
先祖から受け継いだ土地家屋 簡単には
諦められなかったと思います。
 莊かわ

12   ペン太   2025/6/5 22:26

私も当時の歴史 全部読みました。
先祖から受け継いだ土地家屋 簡単には
諦められなかったと思います。
 でも莊川桜は今でも生きています。


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