1 鎌倉M 2025/9/1 21:50 流鏑馬について以下の話があります。1187年、一ノ谷の合戦等で活躍した熊谷次郎直実が鶴ケ岡八幡宮の流鏑馬で、射手ではなく的立役を命じられたので「御家人は皆、同列に扱うべきなのに差別がある」と拒否。頼朝は「的立役は賎しい約ではなく適材適所を考えている」となだめたが、従わなかったので、所領の一部を没収した。
流鏑馬について以下の話があります。1187年、一ノ谷の合戦等で活躍した熊谷次郎直実が鶴ケ岡八幡宮の流鏑馬で、射手ではなく的立役を命じられたので「御家人は皆、同列に扱うべきなのに差別がある」と拒否。頼朝は「的立役は賎しい約ではなく適材適所を考えている」となだめたが、従わなかったので、所領の一部を没収した。
2 kusanagi 2025/9/3 21:35 前回は白馬の女性騎手でしたが、こんどのは男性でしかも馬も大型みたいです。私は馬には乗ったことがないのですが、子供のころから牛とかヤギとかと一緒に育ちましたので大型の動物は好きなんです。それで犬にはよく吼えられるんですけどね。(笑)頼朝のいうことは尤もなことで、増上慢な子供っぽい配下はいつの時代でもいて、棟梁は苦労が絶えません。
前回は白馬の女性騎手でしたが、こんどのは男性でしかも馬も大型みたいです。私は馬には乗ったことがないのですが、子供のころから牛とかヤギとかと一緒に育ちましたので大型の動物は好きなんです。それで犬にはよく吼えられるんですけどね。(笑)頼朝のいうことは尤もなことで、増上慢な子供っぽい配下はいつの時代でもいて、棟梁は苦労が絶えません。
3 鎌倉M 2025/9/4 21:46 中二の時、鶴居村の丘陵地で農耕馬に乗ったことがあります。手綱等も無く、周りに15頭位居ましたが、突然群れが小走りで坂を下り始めたのであわててタテガミにしがみついたものの馬の背は走ると上下に動き、前傾姿勢だと馬の背骨と自分の恥骨の間に玉がはさまり、つぶされる痛みに耐えました。
中二の時、鶴居村の丘陵地で農耕馬に乗ったことがあります。手綱等も無く、周りに15頭位居ましたが、突然群れが小走りで坂を下り始めたのであわててタテガミにしがみついたものの馬の背は走ると上下に動き、前傾姿勢だと馬の背骨と自分の恥骨の間に玉がはさまり、つぶされる痛みに耐えました。
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