ニコン D5200 作例

一眼レフ

2012年12月15日発売

D5200の仕様

ニコンD5200は、2012年12月15日に国内発売された、バリアングル液晶を備えるDXフォーマットの入門一眼レフである。D5100の横開き液晶を継承しながら、有効2410万画素の撮像素子、D7000と同じ39点AF、2016画素RGBセンサーによるシーン認識を取り込んだ。小型の入門機へ上位機の撮影機能を移す一方、操作ダイヤルやレンズのAF対応は上位機と異なる構成を保っている。

シリーズ
D5000
位置付け
バリアングル液晶を備えたDXフォーマットのエントリー一眼レフ
先代
D5100
後継
D5300
ライバル
EOS Kiss X6i

D5200について詳しく読む

投稿写真 665枚

無題

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写真は長く継続することがよいことなのだという話をしましたが、最近はちょっと考え方が変ってきて、 それは連続的にではなく、むしろ断続的にするほうが良いのではないかと思えて来ています。 連続的に・・・は慣性力を使ってしまうので、つまり惰性でやってしまう可能性があるということです。 それで断続的・・・だとそのつど起動しなければならず、瞬発力のエネルギーが必要でその為に強い 意思を必要とするからです。その意思こそが重要で、自分にとって何のための写真なのか、ということ を考える切っ掛けを得ることができるからです。 断続的に、そして写真行為を長くやることが有効な結果を得られるのではないかと。これはデジタル 時代の写真術として、得てして惰性に流されやすく、しかも大量に撮影しすぎる弊害から逃れる手法 なのではないかなって思ったわけです。 この私にしても、デジタル写真をやり始めてから幾度も写真の休止をということをやってきていることを 思い出しています。最長の休止期間は半年だったかな。3ヶ月、1か月の停止期間はざらでしたね。 考えてみますとフィルム写真時代はその程度の休止はざらであって、そもそも撮影は1ヶ月に一度だけ というくらいのペースだったかと思っています。ともあれデジタル写真は撮り過ぎるという弊害が大きい よなあっていう気がしてます。 最近、この掲示板の表示が変わってきました。一覧で、カメラを選択して、どのカメラでもいいんですが 選んでクリックしますと、以前ならば最新の投稿写真から順に表示されていたのが、今は当初の古い 投稿順に並べられるようになってます。これは管理人さんが変更されたわけなんですが、過去の古い 写真こそに大きな意味があるというか、過去投稿の歴史こそが重要であって、むしろ最近の投稿には 意味が薄くなってきているという考えを表しているのかもしれません。 この掲示板が他の写真投稿サイトと決定的に違うのは、過去20年のデジタル写真の歴史を網羅して いてそれが容易に見ることができるということです。この歴史の背負いとしての重要性に管理人さんは 眼を向けているのかも知れませんね。 なお個別の板の写真一覧には従来どおりの最近投稿順に並んでいます。 写真趣味は末長く継続することは今もって大切だと考えていますが、もう少し緩やかに継続していくの がこのデジタル時代では重要性を持っているような気がしてきました。過去のフィルム時代では撮り過 ぎる撮影は財布を直撃しましたが、デジタルでは極度にランニングコストが低くなり、ともすれば撮り過ぎ るという弊害が多々出てきたように思います。 その弊害は既に述べたようにカメラの漏洩電磁波、PC作業のVDT症候群に代表されるものなのですが、 これらをしてカメラマンの寿命が短くなっているという現象が出てきていますね。つまり疲弊的な消耗戦に なってしまっているということです。 それを避けるにはやはり断続的な写真の休止が必要であるという考え方に到るようになっています。 そんなわけで私もしばらくは撮影を休止していこうかと思ってます。まあ今はちょっと撮影の時間が取れ ない状態なのでちょうといいかなって。そしてしばらく休んで再度復活すればまた新鮮さも違ってくるの ではないかと考えています。 そうはいっても掲示板の閲覧と投稿は休まずにやっていくつもりです。これを止めちゃうと本当に写真へ の意欲が減退してしまって、自分の撮影を再起動するには大変なエネルギーを要します。 ここら辺のテクニックは必要で、皆さんも覚えておくほうがよろしいかと思います。 それにしてもこの掲示板の過去の膨大な写真群。これは見る価値があるということで、これこそが管理人 さんが大事にされているものでして、確かにデジタル写真黎明期からの20年間の歴史が詰まっていま す。 しかしながら、やはり自分は今の現在に生きているのであって、過去の写真がいくら素晴らしかったところ で、やっぱり今の自分とは無関係ですね。写真とはやはり今であって永遠に今であり続けるものでしょう。

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youzakiさん、コメントありがとうございます。 イオス70Dを買い求められたんですね。このカメラはS9000さんもお使いで、優れたカメラです。 私が高評価する機材は何よりも健康を阻害しないカメラなんです。カメラのミラー・シッャターユニット を動作する際にチャージ用DCモーターが電磁波を出すのですが、その対策が優れているカメラが オリンパス・パナソニック一眼シリーズや、このイオス70Dなのです。イオス1DXもそうなんですね。 普通キヤノンは高性能が故に漏洩電磁波は多いほうなんですが、モデルによっては電磁の少ない 優れたカメラが稀に出るんです。ちなみにイオス7Dはそれなりに出でいますね。 そんなわけで70Dは優れたカメラだと私は認識しています。 ミラーレスカメラはメカニカルシャッターではなく、電子シャッター方式を選びますと電磁波はでません。 しかしながら光学式ファインダーが無く、EVF電子ビューファインダーを使わざるを得ず(特に野鳥撮影 では)、それで眼の疲れが著しいということになります。私などは頭痛もしてきますんでEVFは使いま せん。 もちろんカメラ背面の液晶スクリーンで撮影すれば問題はなくなるんですが、老眼で視度調整が必須 な場合、どうしてもEVFに頼らざるを得ず苦しい結末となってしまいます。それに背面液晶撮影では 望遠レンズの場合、カメラ保持が難しいですね。 そんなわけで、健康を阻害しないような優れたカメラに出会うことはなかなかないんですね。(^^ゞ  なお、オリンパスM-1は私も使っていますが、私の場合は広角レンズでの風景撮影なので背面モニター で撮影しています。もともと近眼ですので眼鏡をずらして裸眼で見れば、手元のカメラ画面が良く見える というのは実に有難いです。 もう私の写真撮影は歩くための健康維持という考え方でして、写真そのものを良くしようという気持ち はなくなっています。(笑) よく歩けてカメラを持って散歩ができればそれで十分という気持ちです。 自分の好きな被写体を探して見学でき、さらに撮影ができればそれこそが至高の喜びとなります。 言わば高齢者の写真術とでもいいますか、むしろ写真の原点に立ち返るような気がしていますね。 鳥は恐竜の末裔とよく言われます。恐竜そのものは6千万年前に滅びてしまいましたが鳥と姿を変えて 今に行き続けています。生息数も種類も多くて成功した生物群ですね。我々人類は哺乳類のひとつ ですが、哺乳類も恐竜・鳥類も、その歴史の長さはよく似ています。 高度に発達しすぎた人類はいつかは滅びると思いますが、その後も鳥類や哺乳類は生き延びて行く でしょう。それにしてもあの巨大な体躯で地球を席巻した恐竜が小さな鳥になるとは驚きですね。そう しなければ生き延びられなかったからそうなったわけですが、やがては人類の末裔もそのようになっ ていくのかも知れません。これは興味深いです。 石は千年万年億年を生き続けるものです。「さざれ石の巌となりて」といわれるがごとく、今眼に見える 石は、石の一生からすれば一瞬でしかありません。 金比羅山の森にはヤマガラ、ハシブトガラ、シジュウカラ、アオバツグミ、オオルリ、ムササビなどがいる とか。 「日本野鳥の会香川県支部 琴平山探鳥会」 https://www.shikoku-np.co.jp/feature/kotohira/story/58.html

『雑感①』

『雑感①』

『雑感①』 なんだか最近の投稿は狛犬ばかりになってます。(^^ゞ 狛犬は神社撮影でついでに撮っているだけなの ですが、youzakiさんが狛犬とおっしゃるので私も調子に乗ってしまいました。 鳥撮影の人は鳥を撮る。これは当たり前かもしれませんが、ある特定の事物やモノを写真として撮ると いうのも、これはこれで悪くないような気がしています。里山とか溜池の撮影の場合だと、広いですから モノとしての被写体というのではないんですね。なんとなく雰囲気で溜池も神社も撮っていたわけです。 そこに、特定の狛犬という被写体を与えられると、最近は狛犬ばかり目に付いてきています。(^^ゞ  良く考えてみると、漠然と写真の被写体やテーマを広く網羅して写真として纏めるっていうのは、それは 写真をしているのであって、本当に自分の好きな被写体を見ることからは外れるんではないかということ です。写真としてソツなくまとめる。食事に於いて満遍なくおかずを食うというのと同じで、作法としての 写真になるんではと思います。 写真は自分が気に入ったのがあれば、とことんそれを追求すれば良いのであってバランスとか配慮なん てのは無用かなって思います。それで今、狛犬とかが気になっ入ればそればかりの偏食でよいという 気がしてきました。 私は残念ながら野鳥は撮りません。あまり興味もないしそういうレンズも持っていませんしね。それに デジイチだと電磁波が気になるし、EVファインダーは使いたくないしで野鳥はパスってことなんですが、 人様が野鳥を撮っているのを見るのは好きです。この掲示板も鳥撮影が多くなってきて、これは良い傾向 かなって思ってます。 鳥は撮らないけど代わりに狛犬である。ということかも知れずで、ある特定のモノを撮影するっていうのは 新鮮な気がしています。本気で狛犬を撮影しようと思えば、長脚の三脚と脚立が必要だとつくづく思って います。そういう三脚も所持しているのでやろうと思えば出来ますが、もうひとつあれば良いのがシフト レンズです。これは所持していなくて買えば高価です。 しかしともかくそんなに本気で狛犬を撮っているわけではなくて、なんとなく可愛いので狛犬を撮影して いるに過ぎません。それで今回は特定のモノを特別に撮影をするというやり方をやっているんですね。 考えてみれば多くのカメラマンがそういうような撮影をされています。学ぶべきことはあると思いますね。                       *****************

『雑感②』

『雑感②』

『雑感②』 ある特定の被写体を追いかけるというのが普通にみられる撮影術だとすれば、じゃあ、私が普段に やっているような里山とか溜池の撮影というのは何だろうかって思います。 おそらくそれは地理的な感覚とか歴史的な感性で、被写体たるべきものを演繹しているような気が しています。ですから特定の被写体というものは実はないんですね。もちろん押さえるべきモノは押え て撮影はしてます。溜池だと吐水口や取水設備(ユル)ですね。しかしそれ以外はなんとなくで撮影 しているんです。 そういうなんとなくの感覚でカメラを向けていますのでレンズとしては広角レンズひとつあれば十分 です。つまり写真一枚で見せるっていうのではなくて、連続した撮影の連なりで私は写真をしている ということでしょう。溜池の里山も河川も写真一枚で表すには大きすぎるじゃないですか。そんなの とうてい無理ですから。 溜池や里山の撮影では地理的地形的な思考は絶対に必要でして、常にそれを考えながら撮影をして います。撮影前や撮影後にPCでグーグルマップを必ず見ていますし。実は神社もそういう地理地形 と深く関わりがありますので地図片手に撮影をしてます。神社や寺院だと歴史とも深く関わりが出て きますね。農地や井戸なんかも農業生産の歴史でもあります。古い街道の町並みもそうです。 地理地形歴史というのは絶対に外せない事柄なんです。面白いのはマップは2次元ですが現地では 3次元となります。この違いはとてつもなく大きいです。 とにかくそういうようにして配慮をしながら撮影をしている人っているのかな?っていう気はしますが、 ともあれ私はそうやっているんです。 青年空海が修行で歩いた海岸沿いの道での撮影でも、地形や天候を感じながら自分が空海になった つもりで歩きました。(ほとんど車でしたが笑) 太平洋側の津波避難タワーの撮影でも、もし津波が くればどうなるのか、ということで撮影をしましたね。 ということは私の場合は、常に広域の眼で持って物事を見ているんじゃないかっていうことです。 それで特定の事物やモノを見るために撮影はしていなかったというわけでしょうね。 そうは言っても、むかし祭りの撮影をしていた頃はそうじゃなかったです。踊り連の人達を撮影していま したからね。明らかに事物やモノや人を撮影していたのです。それがいつの間にやら変化してしまった ようなんです。 おそらくその切っ掛けは、カメラの電磁波を防ぐ為に風景写真にシフトしたときからだろうと思います。 そのときから広角レンズでもって、簡易ノーファインダーやライブビュー撮影などに向かいましたから。 風景しか撮れないとなると、そりゃあ考えますからね。いかにして風景というか光景に意味を持たせる かとなるわけですから。 おそらくそこら辺りから、私の撮影や写真と、多くの皆さんとの写真の感覚や考え方がズレて来たかと 思ってます。そして風景を撮るからと言ってもイワユル風景美学の写真はしませんからね。観光写真 や芸術写真でもない、ほんとに風景というか光景写真ですから。 一般的な風景写真というのは風景をモノ化するんですね。芸術という視点から撮影時から脳内加工を して光景をモノ化するというわけです。ですから構図でガチガチに固めます。しかし私の風景写真はモノ 化することを拒絶してます。それでなんでもない光景をストレートに画像にしたものて、写真芸術に慣れた 人から見れば、これはなんじゃいな?となるんでしょうね。(笑) 撮影をした本人には分かっても、その 写真一枚を見るだけの人には意味が分かんないってなるわけでしょ、多分。 カメラの出す電磁波だけでなく、同時にPCモニターでの画像処理の時間切り詰めましたから、私の写真 は、ほんとに撮影時の画像のまんま。動画撮影の1コマを切り取っただけのような写真になっちゃったん ですね。電磁波障害とVDT症候群を避けるというのは私にとっては絶対命令なものでしたから、それで 写真がどうなろうと結果は問わなかったわけです。 そして結末として、私の写真と文を非難した人達は投稿をしなくなり、多分写真もやめているでしょう。 生き残ったのは私のほうです。 もう何度も書いているのですが、いちばん厳しかったのは電磁波(これは主に身体に出る)ではなく、 VDT症候群です。こちらのほうは心理的精神的に強く出るようで大変な失敗をする寸前にまでいきまし た。それで気がついて、以降VDTが強く出るシグマのカメラは中止しました。シグマはビューにすら時間 が掛かりすぎ、VDT症候群が強く出るカメラなんです。 こういう経緯で電磁波問題とVDT症候群を避けるために、自分の写真を徐々に変えて行ったというのが 私の写真史であってそれをこの掲示板に反映させています。 まあ余談はさておいて、私の写真は皆さん方とは、随分とその本質において違ってきているということを 言いたかったわけです。この掲示板でも高画素高画質のカメラを使っている方はほぼ居なくなりましたし、 電磁波漏洩が強いカメラを使っている方も投稿が少なくなっています。問題のある機材は自然と淘汰さ れていくわけです。その機材とセットになって投後者も去っていきましたね。 今掲示板では野鳥撮影が人気ですが、野鳥というのは大きく撮れません。大きくトリミングしますね。 このトリミングは既に脳内でも行われていて、また鳥にピントを合わせれば背景は大きくボケます。 それで高画素のカメラを使っても低画素カメラで撮るのもおなじように弊害は出にくいのです。そして 野鳥を撮影しているカメラは低電磁波のカメラをお使いの人が多いです。 こんな具合で現在の写真術は様々な弊害との戦いであるわけで、それを意識的に知っておくというのが 大切かなと思っています。偶々幸運に弊害の少ないカメラをお使いの方は有利ですが、それは偶然で あるということを知っておくべきです。今のカメラを買い換えるとすれば今後はミラーレスカメラになるわけ ですが、このカメラは電子シャッター方式ですから電磁波ということでは極めて有利ですがVDTという点 ではマイナスが大きいです。 ちなみに書いておくと、ミラーレスカメラは機械式シャッターも付属しているわけですが、そのシッャター では電磁波防御がほぼなされていませんので必ず電子シャッターで使うのをお奨めします。最近のカメラ ではシグマとかニコンZ9などは機械式シャッターすら廃止しています。 ミラーレスカメラで最大の問題となるのはファインダーが液晶ですのでそれを極近接で見るというVDT症 候群が撮影時にすら発生することです。 それで背面液晶での撮影がよいのですが、これで野鳥を撮影するのは難しいかもしれませんね。しかし 工夫をすればできないことはないでしょう。液晶フードの装備、さらにルーペをつけるとかで何とかなりそ うですし、加えて問題は手振れしやすいということ。これはボディを大きくすることで保持を高めるという ことが求められるでしょう。持ちやすいカメラにしなければなりません。                    ******************

『雑感③』

『雑感③』

『雑感③』 鳥撮影の身体への有益度としてはやっぱり重量級のレンズを使うことですかね。鳥を撮らない私として は想像しているだけですが、レンズだけで2キロ3キロという目方を振り回す醍醐味があるだろうと思って います。これは確実に上腕筋の鍛錬になりますから。加えて山野を歩き回らないといけないので下半身 も鍛えられる。一挙両得でスマホでは絶対にできない芸当です。 鳥撮影は超望遠でなければならなく、これはデジイチの真骨頂でして(最近はミラーレスカメラでもできる ようですが)、スマホに侵食される写真術としては、鳥撮影は最後の砦か、言うなれば聖域となりました。 それ故にか、この掲示板でも野鳥撮影が大きな割合を占めるようになりましたね。 そういうことになりますと、鳥以外の写真はスマホ写真かインスタ写真(インスタント写真ではなくインスタ グラム)であって、あまり魅力のない分野になりつつありますね。そうそう、星景写真とか長秒写真とかも スマホでは無理です。 まあそれにしてもこんな風にアマチュア写真が変ってしまうとは思いもしませんで、時代の流れを思い 知ることになりました。結局最後は長いレンズか三脚(長い)ということになってしまいましたか。 長もの写真以外は次第に駆逐されていくのではないでしょうかね。 こういう野鳥撮影の実際において、面白い現象なのは、やはり写真は機材というものに大きく釣られて いるということです。機材には関心がないと言うカメラマンでも野鳥を撮っているというだけで本当は機材 に関心があったのだとなるわけです。ほんとに機材に無関心であればスマホで撮影するんじゃないです か。野鳥など撮影しないでしょう。 むしろ私のようにスマホで十分なような写真しか撮らない人間のほうが逆説的ですが機材的な思考をして いないのかもしれません。私はスマホは持っていませんし、持とうとも今は感じていません。それで スマホの脅威というものを身近に感じることができずですが、でも私と違い殆どの投後者はスマホを使っ ていて、それでスマホが如何にアマチュア写真を脅かしているかを知っているでしょう。 そういうことを感じているからこそ、スマホの手が届かない鳥撮影という領域に向かうのではないでしょう か。もちろん昔から鳥を撮っている人は別です。 写真は被写体が命であると言いながら本当は機材的発想をしていて、つまりアンチスマホをやっている たけだというわけです。流行と言いながら真実は底の浅い発想です。 本当に自分の好きな被写体ならば時代が流行がどうであろうと関係のないことなのですが、中々そうは いかないのが世の中ですね。 ともあれ、写真というものを離れて、自分に関心のある被写体というものに接近するのは難しいのだろう と思ってます。私のテーマとして被写体探しをずっとしているのてすが本当の被写体を探し出せずにその 周辺をぐるぐる回っているだけという気がしていますね。被写体探しは自分発見の旅というところがあって そう簡単に見つけ出せるものではないのかも知れません。                    ******************

無題

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カメラには、非常に優れたカメラを使う喜びと、もうひとつ、さほどのカメラではないんだけど自分で工夫を してそれなりに使えるようになったカメラを使う楽しみと、二つあるのかもしれません。 文句なく優れたカメラというものはあるもので、そういうカメラは高級機材となります。 私は高級機材ばかりを使うことには昔から違和感を感じています。何十万円とするカメラと同じく高級な レンズを使えば、そりゃあ誰でも満足がいくでしょう。しかしそういう満足感というのは一時のものでして、 与えられた満足感とでも言いますかね。 それよりも性能の落ちるカメラや廉価機を自分で工夫をして、上手く使えるようになった満足感や達成感 のほうがより貴重な体験のように思います。 こういうのは使うカメラが一台では、多分感じることも体験することもできないよう思います。もちろん機材 には何の関心もないから今あるカメラひとつで十分だ、というのも分からないことはないです。しかしその カメラは偶々偶然の好運で手に入れただけのことなので、もし運が悪ければ写真が出来ていなかった 可能性もあるわけです。 写真にもカメラにも失敗の経験が必要です。写真だけでなく全ての事柄において失敗体験は無くてはなら ないものだと考えています。 機材にあまり関心がない人は、被写体というものに大きな関心を寄せるでしょう。写真をやらなければ 関心もなかったような事柄に、カメラを持って撮影に行くがゆえに関心が芽生えてきたというようなことが 多々あります。 この自分が世間や世界への物事や現象に関心を持つと言うことは当たり前と言えばそうなのですが、 そこにやはり道具と言うか武器というようなものがあれば真実に到る確度のようなものが高くなります。 写真を撮るということは実際にモノや獲物を持って帰ることではなくて情報をゲットすることですかね。 もしカメラがなければ、何処そこへ行って何々を見ても殆ど記憶には残らないだろうと思います。記録と 記憶ということでは、写真や映像はやはり強力です。 写真行為の原点はこの記憶の補強と記録にあるといえます。 もっと掘り下げていくと、自分がどこそこにいってあらゆるものを見て、そしてその見方のノウハウという ものを写真をすることで磨き上げていくことかもしれません。たとえば半日なりを費やして撮影をすると します。そうした場合に良い写真が撮れる時があることに気がつきます。良い被写体が巡って来るのは 行幸なのですけど、写真をすることでそういう時や一瞬を逃さないような訓練ができるような気がするん ですね。 そういうわけですから写真から遠ざかっても、そんな訓練というか反射神経というものがあれば写真を せずとも、ものごとをきちんと見ていくことができるような気がしているんです。まあ難しいかも知れませ んが。 これは物事の本質を捉える術のようなものかも知れませんし、もっと言えば本能が高められてくるという ことかもしれません。それはモノを見る力です。 そしてモノの本質を見る能力において、写真として邪魔になるのが美学なんですね。写真をキレイにして 見栄えをよくしようとする心です。写真は芸術だと考えている人はモノを見る力が妨げられます。 もちろん美学は自己申告なのでして、他人が見て美しいなあって思っていても当人は写真を芸術だとは 思っていないかもしれません。 そしてもうひとつあると思ってます。キレイに撮れる機材です。高級カメラや高級レンズは、ものを見る力 としては妨げになるだろうと考えています。 機材の性能というのは、そもそも相対的なものです。数万円のカメラと数十万円のカメラの違いは絶対 的なものてはなく比較してそうだといえるだけのものです。そして高級機を手にされた方は相対的に自分 の撮る写真がキレイで美しいじゃないかと思い込んでしまうんですね。 そしてこの思い込みが写真をして真実の眼で見ることに大きな妨げとなるのです。つまり見かけに騙され てしまうということ。 写真は下手で良いとか、カメラは廉価機で十分だとか、画像処理できれいに見せようとするのはいけない ねえっていうのは、すべては撮影者の慢心を防ぐためのものなんです。 最近は自分も高齢者の仲間ということで、次第に高齢期における写真術というものを考えるようになって います。若い時期の写真と高齢者となってからの写真とはやはり違う部分が多いと思いますね。 最近、自分の体重を数キロほど落としたのですが、やっぱりちょっと山に登っても違いが出てきました。 年末恒例の金比羅山詣りも、本社から上の奥社の間は撮影もせずノンストップで登りました。そういうの はここ数年なかったことなので、6キロほど体重を落とした現在が正常値という気がしてきました。 これに気がついたのはコロナ禍で身体の免疫を考えての結果だったので、私にとっはコロナは利益となり ました。 こんな具合で高齢期における健康術とか写真に関する事柄もこれから積極的に考えていこうとおもって ます。

無題

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最近とくに思うのは、もはや写真のことだけを考えていたのでは写真撮影は出来ないようになっているの ではなかと言うことです。時代が変わってきたと言うしかなくて、とにかく御自分の常日頃の関心事を追及 して、その為の道具として写真が存在するという具合になったような気がしてます。 写真自体は道具としてでしか意味を成さなくなったような感じですね。現在は非常にビジュアルな時代で して、誰もが簡単に写真を撮れますし理由できる時代です。そして写真よりも高濃度な動画も一般的に なってきていますので、昔のように写真をやっているというだけで威張れなくなったわけですね。(^^ゞ  この掲示板では野鳥撮影の投稿比率が高くなってきました。これはレンズ交換式高級カメラでしか撮れな い最後の聖域ということで、それでアマチュアカメラマンの最後の砦としての野鳥撮影が残されていたと いうことかもしれません。 もはや普通の写真では一般人のスマホと変らない時代なんでして、アマチュア写真人の肩身は随分と 狭くなってしまったようです。芸術風な写真も写真加工で簡単にできる時代です。そうなってしまうと昔から の写真愛好家は、もはや自分の出番がなくなってしまったと感じてしまうのではないでしょうかね。 つまり写真の時代は終わってしまったということです。正しく言うとハイアマチュアが活動できる場がなく なってしまったということ。この世の中がデジタルなフォトビジュアル全盛になってしまったからこそ、もと もとニッチな存在であったアマチュア写真家は存続できなくなってしまったという感じがします。 写真掲示板衰退の根本的な理由はそこら辺にあるだろうと考えています。そうなってくると写真愛好家 の方向は、カメラ機材に回帰するのか、それとももっと別な方向に行くのか、とにかく何かを見つけ出さな ければ写真を続行できないような時代となっているようですね。 カメラ機材の回帰はこの私にもあって、なんでもない普通の写真を撮るのにやたら大げさな機材を持ち出 して自己満足しているのですが、こういうのは普通のスマホ人から見ればバカ丸出しかもしれません。し かし当人は到ってそれで満足しているわけですからこれは趣味人の領域です。(^^ゞ  ただこれだけは言えると思っているのですが、一般スマホ人が写真が分かっていると思っているのは 虚妄の世界であるということです。彼らが住んでいる世界はバーチャルなビジュアル世界であって、それ と現実のリアルな世界とは違います。そこに彼らは気がついていないという実態がありますね。 私の写真への方向というものがあるとすば、それは機材の許す限りのリアルな撮影を今後もして行きた いと言うことです。フォーサーズならばそれなりのリアルさがあるわけでそれを追求していけばよいだけ です。またフルサイズカメラならばそれ様のリアルさを求めればよいということ。 スマホに関してはこれはカメラ、写真機ではないから使いませんしね。もし使うとしてもこれもまたそれ様 の写真があるだけのことです。それぞれの機材という制約の中で可能な限りリアルさを追い求めて行きた いと言うこと。要するにそれだけなんではないかと思うのです。 前提として、ある機材があってそれを使って写真をやっていくということ。ですから機材を越えた抽象的な 写真というものがあるとは思えないのです。百のカメラがあれば百の写真術がある。それで写真の面白さ とは機材の面白さであって、それ以上ではないのではないかということですね。 そんなわけでカメラを持つ以上は、機材への関心はなくならないのですし、それから写真のリアルさという ものを追求していけば当然ながら、本命の自分の関心事に対してもリアルさの追及は緩めないと言うこと ですね。そこに嘘とか虚飾とかいうものは不要なのですから。 ただ目前に目の前にあるリアルを、写真をやろうがやるまいが、カメラを持とうが持つまいが、リアル路線 には気を抜かないと言うこと。そういう写真的な生き方をこれからもして行きたいと思ってます。 投稿者の中には一台の機材を集中して使う人と、多種の機材を折り混ぜて使う人とがいますが、これは あまり写真の本質とは関係ないようです。それぞれのやり方という以上のものではなさそうです。それに カメラ1台、レンズ1本で行くという人はいません。カメラが1台の人でもレンズも多数所持されているわけで すから。 ただ複数台のカメラを持てばカメラボディに関しての知識が増えるというのはありそうです。写真はレンズだけで決まるのではなく、ボディやセンサーやエンジンでも大きく異なるからです。 写真の撮影意欲、投稿が滞るのは、おそらくは撮影時に於ける「歩き」に深く関係があるものと私は考え ています。撮影時に一定量の歩きがなければ、次に撮影しようかという意欲が減退するというのがありま す。これは私の経験から言えるものでして、大きく外れていないものと思っています。 車や電車で移動はするものの、カメラを持っての歩きの移動が少なければ、写真における本質的な意欲 というものが減退するのです。また手に持っているカメラがスマホのように小さくなるのも同様な現象が みられると思います。それでコンデジばかりで撮影するのには限界があります。スマホやコンデジは小さ すぎるというわけです。 それで写真撮影では、「歩き」と「手に持つ」ということが極めて大事で、これがスポイルされると長く写真 をすることができません。意欲が減退してしまうのです。これは原始狩猟時代に於いて、ハンターが手に 槍や弓矢を持ち長い距離を歩くということに通じているのであって、写真の原点がそこら辺にあるというこ とでもあるでしょう。 それから写真を加工したり、そこまでいかなくても強い画像処理をする人も長続きしませんね。写真は飽く までもリアルが基本ですから、それをスポイルする処理は写真の属性そのものに反しているからです。 最近はカメラ自体が画像処理するように出来ていますのでこれは要注意ですね。 カメラ内の画像処理か強くなりますと写真はフラットになり自然なリアル感を損ないます。それで撮った 写真をみても面白くないとなり、撮影の意欲を失うのです。ソニーのセンサーのカメラはこれが強くて、 なるほど、一見して写真はキレイかもしれませんが面白くない写真となります。それで私はフォーサーズ はパナのセンサーが好きですし、ニコンでもソー製以外のセンサーを搭載したカメラを評価しています。 それでカメラの設定は可能な限り、ニュートラルにしていて、余計な設定(カメラの自動処理)はカットしてい ます。 少し誤解を防ぐ為に付け加えておきますと、センサーに、ソニーやキヤノンのようなメジャーなセンサーは 万能のセンサーなんですね。条件の悪い場合にでも、できるだけ良い画像にするように出来ています。 そしてマイナーやセンサー、シグマが代表的ですが、パナとかコダックや東芝などは悪条件下では画質 が大きく落ちます。しかし光の多い晴れた日中ならばマイナーセンサーが素晴らしくリアルな画質を出し てくれるんです。 そういう違いがあると思うので、メジャーのセンサー、マイナーなセンサーの本質的な相違を知っておい ての話になるんです。ですからカメラ一台で全ての写真をやるのであればメジャーセンサーでなければ いけないでしょう。しかし多くのカメラを抱えていて時と場合を選べるのであればマイナーセンサーは面白 いというだけのことです。 そしてカメラの画像や画質を追求していくと、マイナーなセンサーが面白いという話になるんです。それは 平均的な優等生よりも、ちょっと変ってるけど天才的な人間が面白いじゃないかというのと同じです。 写真の画像処理が好きな人はけっこういるので画像処理がいけないと言うのは気が引けるところであり ますが、ひとつだけ言いますと画像処理に邁進することは写真の持つ本来のリアルからは遠ざかること になり、それが人間の現実の認識にも影響を及ぼし、結果として不運を招く結果となりかねません。 これはデジタル時代だけではなく大昔から写真では言われていることです。 そんなわけで写真はあくまでも可能な限り、リアルを通して行くというのが肝心です。ネットではリアルか、 バーチャルかがよく言われますが、そもそもネットは全てバーチャルで虚妄な世界ですからねえ。しかし 我々がする写真はリアルでなければ行う意味がありません。またリアルでなければ長続きもしません。 世の中がビジュアル時代全盛となって、それでアマチュア写真は肩身の狭い思いをしてわけですが、こう いうリアルの世界とは何ぞや、という視点からみれば長く続いたアマチュア写真の文化も捨てたモノでは ないというわけです。 写真はカメラで撮ったまま、自分の眼で見たまんまが全てだと思っています。それ以上のことを考えるこ とから写真における不具合が発生するのではないでしょうか。 その点は、野鳥撮影などは撮るのに精一杯で余計なことをやる余裕がありません。そういうことで鳥の 撮影はシンプルでよいものです。 本来、写真とはカメラが出す画像なのであって極めてシンプルなものなのですが、人はそこに何らかの 期待なり意味合いを付け加えたくなるようです。自分の撮る写真を少しでも美しく見栄えの良いものにし たいという欲です。それは若い女性が自分を少しでも着飾りたい良く見せたいと願うことと似ていますね。 その結果としてテレビで見る韓国人女性のような、つるっとした皆おなじ顔になっちゃうというか。

無題

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私の場合は、いかに長く写真趣味を続行できるのかが課題と言えばそういうことです。短期的に集中 して写真をやられる方は多いです。太く短くですね。しかし私は細々でいいから長くやっていけたらな あって昔から考えてます。 それで大前提として、まず心身の健康の維持が大切だということ。幸い写真趣味は歩きを伴うので 健康維持には有利です。そして撮影と並んで画像処理の点では、これは可能な限りセーブすることを 考えています。眼と脳を保護するためです。とにかく眼を疲れさせないこと。それでカメラのEVFは当初 から使っていません。光学ファインダーにしても長く見続けると眼が疲れますのでノーファインター的な 手法を大いに利用しています。 この半ばのノーファインダー手法はもカメラボディから顔面を若干離してレリーズするわけなので、デジ イチが発する漏洩電磁波を低減することにもなり両得のノウハウとなります。 漏洩電磁波問題では、なんといってもライブビュー撮影が有利ですね。カメラと顔面を完全に離せるこ とが可能ですから。さらに言えば電子シャッター式カメラであれば、カメラを持つ手の被爆も防ぐことが できます。 デジイチでもオリンパスのように機械式シャッターを使用しても漏洩電磁波が低いカメラもあり、また 防御ができていない高いカメラもあります。それそれに応じた対処法が求められますね。それで電磁波 測定器は現代では必須のアイテムです。 この漏洩電磁波と、EVFやPCモニターというスクリーンを可能な限り回避することで、脳や眼を疲れさ せないことが出来るわけで、それが長く写真趣味を続行できる基本的なノウハウになると思います。。 そしてこのノウハウは写真趣味だけでなく、現代人における日常の生活や仕事でも大いに生きるノウ ハウなのであって、むしろこのノウハウを獲得するためにこそ、写真趣味という遊びが実利として役に 立つということが言えるのだと思ってます。 そしてスクリーン全盛の現代では、PCにしろスマホにしろ、その使い方に於いて眼と脳を疲れさせない 為の高度なノウハウを自分で構築して積んでいくことが求められますね。これをやらなければ現代では 健康的に生きていくことができません。 島津亜矢 J-POPで一番難しい曲♪白日 https://www.youtube.com/watch?v=dN9Ob2I78-8 King Gnu - 白日 https://www.youtube.com/watch?v=ony539T074w 【絶対女王・新妻聖子「白日」歌唱動画】 https://www.youtube.com/watch?v=Oiwv5HgWFxw このリンクはKing Gnuというシンガーの「白日」という歌ですが、現代における多くの諸問題を示唆して いるようです。本来こういう歌は歌曲的に有り得ないのですが、それをやらざるを得ないような状況が 今の世の中にあるわけですね。ほとんど拷問のような叫びのような歌です。これを作り歌うシンガーは 天才的だと思ってます。 このような歌が今の人達に受けている。歌は世につれ世は歌につれですので、現代という時代の凄さ がそこに現われているというわけです。このような歌は特に東京などの電磁波スモッグの都市部に住 む若い人達に受けるのでしょう。眼と脳を心身を疲れさせる現代の究極の姿がこの歌に現われている と私は感じました。まあ田舎ではそこまでも行ってませんね。獅子舞に意欲を見出す青年が地方には いますから。 ところで、最近この左利きの本が出てきて話題になっていますね。私も今読んでいる途中ですが、分か りやすい本です。しかし多分右利きの人にはもしかすれば難しい本かもしれません。 左利き、つまり右脳の人間は脳に蓄積された膨大なデータベースから直感的に解決を導くことが可能 です。右利きの人間はどうしても言葉に縛られていますのでそれが苦手です。 言葉というか世間での決められたルールといいますか、そういう縛りというものから逃れられないようで す。例えば上の白日はそういう縛りの状態の具現化なんですね。歌詞を読めばそれがよく分かります。 歌詞ををみれば現代人は病気であるというのがよくわかります。 写真趣味もそうなんでして、多くの9割くらいの人達はそういう縛りから抜け出せてはいませんね。それ で限界が早々に訪れるというわけです。写真はもっと自由にやればいいはずなんですがそれができな いのです。 そもそも写真というのは画像なんですね。カメラマンは画像的思考が得意なはずなのですが、それでも 言葉に拘りすぎている現実があります。そして多くの写真愛好家達はその画像自体にも負けてしまうの ですね。それは現在のデジタル写真があまりにも高度になりすぎてしまったからでしょう。 私がフォーサーズ機という2000万画素もいかないカメラに落ち着いたのは、高画素高画質がカメラで 写真であるという言葉の縛りに陥っていないからです。フルサイズで数千万画素というスペックでなけれ れば現在の写真ではない、という何処の誰が言ったのか分からないような、いい加減な言葉に惑わされ ないからです。 そして言葉ではなくて、実際に自分でやってみればフォーサーズ機の使いやすさや優しさというものが よくわかるようになります。フォーサーズ機は余裕で写真趣味ができます。なによりも自分の実体験が 大事ですね。信じてよいのは他人の言葉ではなく自分の実体験ですから。 ところでフォーサーズ機というのはフォーマットのアスペクト比率が4:3です。もちろんライカ判135カメラは 3:2です。 以前からなんとなく気になったいたのですが、4:3の写真に慣れると3:2は横長すぎるという気がしてい ます。私がフォーサーズ機に落ち着いたというのは、もしかすれば、この比率も大いに関係があるのかも しれないと感じていです。 4:3だとフレーミングがしやすいのですし、結果としての写真画像も安定しているように感じます。 3:2のフォーマットが万能だという思い込みがずったあったわけですが、もしかして写真としての使いよさ は3:2ではなくて4:3なのじゃないのかなって思うようになってます。(^^ゞ  そしてフォーサーズ機はオリンパスとパナソニックの合体機ですが、これが良くできているということです。 デジイチ機は極めて低電磁波ですしね。そしてパナのイメージセンサーも良いです。

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youzakiさん、狛犬撮影を見てくださってありがとうございます。(^^ゞ まあ狛犬さんは手軽に撮影できる 被写体でして、神社を見つければ必ずと言ってよいぼと狛犬は鎮座しています。大きな神社だと複数体 ありますね。誰でも何時でも撮影できる対象物でして、そういうことでは草花や樹木と変わりありません。 しかし狛犬だけが神社ではありませんので、神社を撮影する時のついでに狛犬も撮ろうか、というところ です。 その神社も神社撮影だけが目当てではなくて、その周囲の農村や街などの中の有り様として神社が造ら れているのであって、そういう周囲の環境をも考慮に入れて観察していくのが楽しいですね。 この神社は平野部に神社にあるのですが、東西に走る参道の中に鉄道路線が走っているんですよ。 参道を横切る道路は珍しくないのですがJR線が横切るのはあまりないです。(笑) 神社は大体は背景を山にして造られるのが多いです。鎮守の杜が形成されやすいのが主な理由ですか ね。しかし完全な平野部ではそうもいかず境内と杜と参道の一式が平野部にあるという、考えてみれば 贅沢な造りになる場合があります。その分は農地が削られるわけですからね。 そういえばこの森には大きな樫の木がありました。いままで見たこともないような大木でして葉も大きかっ です。雑木ともいえる樫ですが鎮守の森の中の木となるとそう簡単には切り倒せませんね。 神社の中に生えている樹木を観察するのも神社撮影の楽しいところです。森があれば野鳥や小動物も やってきます。人々にとっての憩いの場ともなり、これらも神社の役割のひとつかと考えています。 神社は何人も拒まないというのが気に入っています。村の神社でも私のようなよそ者が立ち入ることが でき、撮影も自由です。もともと神道というのは人ではなく大自然を祭っているわけですから、その自然が 人を選り分けることはできないわけでして、そういうところが私は好きですね。 考えてみますと野に咲く草花とか樹木でも虫でも鳥でも、それらは自然のものでして人のモノではありま せん。人が所有することができないものですから、特定個人のものでもなく、もちろん皆のものでもないし そもそも人間のものではないわけですよね。神社も宗教的にはそういうものだと思っています。 写真に於いては、ある特定のもの、つまり決められた被写体物というものを撮るのが写真である。という ような思考法があったんではないかなって考えています。おそらくそれはカラー写真が一般的になって、 多くのカメラマンが出現した80年代前後からの思考法だろうと思うんですね。 ところが現代のデジタル写真になってからは次第にそういう観念が薄れていって、モノそのものではなく モノをも含むおざっぱな環境的なもの、そういうものへと変化していったのではないかと考えています。 例を挙げますと鉄道写真では形式写真的な鉄道車両そのものを大写しに撮るというのが昔の鉄道写真 でした。しかし現代では鉄道や列車を含みこそすれ、大きく周囲の環境を取り込んだ新しい鉄道写真の 手法に変ってきていますね。逆に部分だけアップで撮るというのも。 そういうのは虫でも鳥でもそうなんではないかなって感じますね。つまりモノから環境へと人々の関心の 変化というものが土台にあるんじゃないかって感じてます。 これはどういういうことかと言いますと、デジタルになってフィルムとは段違いに写真のコストが安くなり、 数多くのショットを撮れるようになったからだと思っています。それで風景写真的なというか、私は光景の 写真と言っているのですが、周囲の環境に配慮した方向の写真に流行が変っていったと思ってます。 そういえば風景写真のジャンルも、昔はがぢがちに構図を決めていたのが今では緩やかなフレーミング になってますね。 私の場合は写真を始めたのが黒白写真でしたのでカラーに比べればランニングコストが安かったです。 それで今風な写真を昔から撮っていたというところがあります。 風景写真が苦手だ、という方もおられるようですが、それはモノから光景に写真の軸が変っていている ということを思えば、そこは写真としての見方を切り替えればよいのではないかなって感じますね。 モノよりもコトというか、つまり環境であり総合的な考え方に写真自体が変ってきたんでしょう。 デジタル写真は自分の眼で見たまんまの光景を多く撮ることができます。もちろんカメラならではの望遠 撮影とかマクロ撮影も可能です。とにかくいくらでも撮れるから、昔のように写真はこうこうだ、ということ を言わなくなってきていますね。

Camera Profile

D5200について

発売当時の発表資料、専門媒体のレビュー、利用者の声から、この機種の位置付けと評判をまとめました。

登場した時代

2012年11月6日に発表され、国内発売日は12月15日である。発売時の店頭予想価格はボディ9万円前後、18-55 VRキット10万円前後、ダブルズームキット13万5000円前後だった。1公式 ニコンDigital SLR camera D52002プレス デジカメWatchニコン、2,410万画素になったフリーアングル機「D5200」

ラインナップ上の位置付け

メーカーは、写真愛好家の本格的な撮影にも応えるエントリーモデルと位置付けた。2013年5月の専門媒体の整理ではD3200とD7100の間にあり、上位機のように操作ダイヤルを二つ備える構成ではない。撮像系やAFを強化しつつ、操作部は入門機としてまとめた位置付けである。1公式 ニコンDigital SLR camera D52003レビュー DPReviewNikon D5200 In-Depth Review

ブラック、レッド、ブロンズの三色を用意したが、ボディ単体で販売したのはブラックのみだった。また、AF駆動モーターを内蔵せず、純正レンズでAFを使えるのはAF-SとAF-Iに限られる。交換レンズを選ぶ際には、ボディの測距点数とは別にレンズ側の対応も確認する必要がある。2プレス デジカメWatchニコン、2,410万画素になったフリーアングル機「D5200」

先代からの進化

D5100の有効1620万画素から2410万画素のDX CMOSへ変更し、画像処理もEXPEED 2からEXPEED 3へ更新した。画素数の増加だけでなく、処理系も新しい世代に切り替えた構成である。2プレス デジカメWatchニコン、2,410万画素になったフリーアングル機「D5200」

AFにはD7000と同じマルチCAM4800DXを採用し、測距点を11点から39点へ増やした。中央の9点はクロスセンサーとなる。さらに測光とシーン認識に2016画素RGBセンサーを使い、その認識結果をAF、露出、フラッシュ、ホワイトバランスへ反映する。ピントを合わせる点の数と、撮影前に場面を認識する情報の両方を強化していた。2プレス デジカメWatchニコン、2,410万画素になったフリーアングル機「D5200」1公式 ニコンDigital SLR camera D5200

連写最高速度は4コマ/秒から5コマ/秒に上がった。公称5コマ/秒は、マニュアルフォーカス、露出モードSまたはM、シャッター速度1/250秒以上、その他を初期設定とする条件である。AFやシーン認識の更新と連写の最大値は、測定条件を分けて読む必要がある。2プレス デジカメWatchニコン、2,410万画素になったフリーアングル機「D5200」4レビュー デジカメWatch新製品レビュー:ニコンD5200

横開きの3型約92万ドット液晶は引き継いだ。画面を動かして撮るというD5000系の使い方を残し、その内側の撮像系とAFを更新した形である。液晶は可動式だが、タッチ操作には対応しない。3レビュー DPReviewNikon D5200 In-Depth Review

動画では、内蔵マイクをモノラルからステレオに変更した。フルHDの60i/50iも選べるようになったが、この設定ではセンサー中央部を切り出し、30p/25p/24pではセンサー全幅を使う。動画モードを変えるときには、フレームの扱いだけでなく撮影画角の違いも生じる構成だった。3レビュー DPReviewNikon D5200 In-Depth Review

ライバル機種との比較

当時の比較対象であるキヤノンEOS 650D、国内名EOS Kiss X6iはタッチ液晶を備えていた。D5200は同じく画面を動かせる入門一眼レフでも、画面を直接触って操作する方式ではない。可動液晶を持つという共通点と、その操作方法の違いを分けて選ぶ関係であった。3レビュー DPReviewNikon D5200 In-Depth Review

開発の背景

ニコンは、上位FX機と同等のEXPEED 3と39点AFを、小型軽量のエントリー機へ組み合わせることを訴求した。バリアングルという外形上の特徴を維持しながら、画像処理と被写体を捉える機能を強化する方向である。1公式 ニコンDigital SLR camera D5200

連携機能は、本体への無線LAN内蔵ではなく、別売のWU-1aを使う構成とした。これによりスマートフォンへの画像転送と、ライブビューを確認する遠隔撮影が可能になる。また、WR-R10とWR-T10を同時発表し、赤外線より広い角度や障害物越しでの遠隔操作を訴求した。撮影位置を変える手段は可動液晶だけでなく、別売機器にも広げられていた。1公式 ニコンDigital SLR camera D5200

利用者の評判

発売期の複数の専門媒体では、高画素化したセンサーの解像力と高感度画質が共通して評価された。画素数の増加と感度を上げた撮影の両方が、実写レビューの長所として取り上げられている。4レビュー デジカメWatch新製品レビュー:ニコンD5200

2026年10月1日に閲覧された価格.comのボディ集計は31件、満足度4.23だった。項目別では画質と液晶がともに4.55、携帯性4.42に対し、バッテリーは3.53である。発売時点だけの集計ではないが、画質と画面に対する評価の高さが見られる。5レビュー 価格.comD5200 ボディ レビュー評価・評判

評判の出典

3件

内容の確認日: 2026年10月1日

D5200で撮った写真の話題

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