1 MYCA 2008/11/16 10:42 中殿ともいいます。平安朝では、天皇の日常の住居として使われていました。内部は、襖や衝立障子や御簾などによって、間仕切りがされています。この衝立障子は北第二間と第三間の間に立てられた衝立障子で「昆明池障子(こんめいちのしょうじ)」といいます。表は「昆明池」が描かれていて、これは裏面の嵯峨野での「小鷹狩の様子」が描かれています。贅沢です。現在の建物は平安時代のものより小さくなっているようです。
中殿ともいいます。平安朝では、天皇の日常の住居として使われていました。内部は、襖や衝立障子や御簾などによって、間仕切りがされています。この衝立障子は北第二間と第三間の間に立てられた衝立障子で「昆明池障子(こんめいちのしょうじ)」といいます。表は「昆明池」が描かれていて、これは裏面の嵯峨野での「小鷹狩の様子」が描かれています。贅沢です。現在の建物は平安時代のものより小さくなっているようです。
2 Hiroshi Nozawa 2008/11/16 10:54 お早う御座います。昔の最高権力者は豪華な住まいにお住まいなのですね。至れり尽くせり、この時代の最高の物なんでしょうね。
お早う御座います。昔の最高権力者は豪華な住まいにお住まいなのですね。至れり尽くせり、この時代の最高の物なんでしょうね。
3 Seichan 2008/11/16 11:19 MYCA 様 おはようございます。これが天皇の日常の住居「清涼殿」ですか。当時の権力者の贅の限りを尽くした建物や生活の一端が伺い知れますね。右端の女御は人形ですか。
MYCA 様 おはようございます。これが天皇の日常の住居「清涼殿」ですか。当時の権力者の贅の限りを尽くした建物や生活の一端が伺い知れますね。右端の女御は人形ですか。
4 gokuu 2008/11/16 12:51 MYCA様 こんにちは〜〜徳川家も同様でしたが、宮家の住いも負けずに豪奢ですね。襖絵といい女官の着物といい、全てお抱えの絵師が一筆づつ描いたものと思われ、現代では考えられない贅を尽くしたもの物ですね。保存も大変だと思います。
MYCA様 こんにちは〜〜徳川家も同様でしたが、宮家の住いも負けずに豪奢ですね。襖絵といい女官の着物といい、全てお抱えの絵師が一筆づつ描いたものと思われ、現代では考えられない贅を尽くしたもの物ですね。保存も大変だと思います。
5 絵駆使流夢 2008/11/16 17:40 MYCA様、 こんばんは〜〜〜、 この写真からだけでも、当時の権力者の生活が偲ばれますね。この時代、自分の先祖は何処で何をしていたのだろうか、などと考えてしまいました。(笑)
MYCA様、 こんばんは〜〜〜、 この写真からだけでも、当時の権力者の生活が偲ばれますね。この時代、自分の先祖は何処で何をしていたのだろうか、などと考えてしまいました。(笑)
戻る