ニコン D800 作例

2012年3月22日発売

D800の仕様

2012年3月22日に発売された、有効約3,630万画素のFXフォーマットのデジタル一眼レフである。ニコンは中判デジタルカメラ並みの画質を目標に掲げ、ネイチャー撮影やスタジオ撮影で高い解像度を求めるハイアマチュアとプロに向けて開発した。専門媒体は解像度の高さを強みに、連写速度を弱みに挙げ、価格.comのレビューでも画質の評価が特に高い。

シリーズ
D
位置付け
中判デジタルに迫る高画素路線を切り拓いたFXフォーマット機
後継
D810
ライバル
EOS 5D Mark III

D800について詳しく読む

投稿写真 874枚

無能

無能

「食うために働くのか、働くために食うのか」 ・・・・これが、ヨーロッパ、西アフリカ、西インド諸島をつなぐ、悪名高い三角貿易であり、この貿易は ヨーロッパに莫大な富をもたらし、後に産業革命の原動力となった。 ・・・・西インド諸島のプランテーションで、黒人奴隷の血と汗で作られた大量の粗糖は、イギリスに 運ばれ、精製されて純白無垢な砂糖に生まれ変わり、ヨーロッパ中の食卓にのほつた。 砂糖はその白さで奴隷労働の悲惨な現状を覆い隠し、甘さで人々を魅了した。ヨーロッパの人達にとっ ては砂糖生産現場はあまりにも遠く、それがどのようにして作られているかまで考える余裕もなく、 工場で働き続けた。 生産地と消費地の距離が離れれば離れるほど、消費者は生産者のことを考えなくなり、生産の現場で 何が行われているかに無頓着になる。その究極の姿が、「食のグローバル化」であり、食糧生産の 「ブラックボックス化」だ。その発端はこの時代にあったのである。 砂糖は、短い休憩時間疲労を回復させる魔法の薬だった。事実、砂糖を摂取すると、疲労感はなくなり 空腹感も収まる。このため産業革命期の工場主たちは、休憩時間になると、労働者に砂糖入り紅茶を 提供するようになった。たっぷりと砂糖を入れさえすれば、労働者たちは疲労から回復し、また長時間 働くようになるからだ。工場主にとっては最小限の出費で労働者を管理できた。 しかもその砂糖が極めて廉価で手に入り、栄養価の高い健康食品(当時はそう言われていた)でもあっ たわけだから尚更である。 そして結果的に、嗜好品である砂糖(糖質)の持つ習慣性・中毒性が、労働者支配の手段として有効に 作用した。 この砂糖を、同じ糖質である米(白米)に置き換えると、明暦の大火からの復興のために全国から集め られた大工や職人の労働の関係に重なってくる。彼らは故郷では1日に2度の食事をしていて、米は ほとんど食べていなかった。しかし江戸には米が溢れていて最も入手しやすい食料だった。村ではめっ たに口に出来なかった米の美味さに驚き、江戸で働くことの幸福を文字通り噛締めていた。 雇用者側は労働者を安い賃金で長時間働かせたいが、労働者側は炭塵労働で高い賃金を手にしたい。 そこに砂糖や米を介在させると労働者側の欲求を上手くすりかえることが出来る。嗜好品である糖質は 労働者に麻薬的に作用し、賃金を得ることと糖質を得ることの境目が曖昧になっていき、どちらが目的 か分からなくなってしまうからだ。 そうなると労働者たちにとって、働くために糖質を欲するのか、糖質が欲しくて働くのかは区別も曖昧 になってくる。これは工場主や幕府にとって最も好ましい情況といえる。米も砂糖も安い商品だからだ。 19世紀のヨーロッパでは砂糖を渇望して労働者が働き、日本では米を食べるために職人たちが働いた。 まさに嗜好品である糖質でしかできない技である。 『炭水化物が人類を滅ぼす』夏井睦著 光文社新書刊より摘出

無知

無知

・・・・などと語った杏里さん。依存していた抗不安薬が抜けている時は、極めて知的で理路整然と話す タイプだった。当時はキャバクラのナイトワーク以外の仕事はしていなかったが、高校在学中に習得した エクセル検定など幾つかの資格もあって、施設退所後は事務職の派遣先でつつがなく契約延長をし、 新たに医療事務の資格習得にも鋭意取り組んでいた。結婚した夫からの2年半にわたる暴力で、メンタル を破壊し尽されるまでは・・・・・。  小銭の散らばる派手な音に振り向くと、ドラッグストアのレジ前で、床に両膝をついて小銭を拾い集め ようとしている杏里さんの丸い背中が見えた。  深夜に行った何度目かの聞き取り取材の終了後、夜間託児に預けた息子を迎えに行く前にその日の 食材を買ってしまいたい、と言う杏里さんと寄ったドラッグストアは早朝にもかかわらず客が多く、杏里さん の背後にも何人か現場仕事らしき男たちがカゴいっぱいのおにぎりやカップラーメンを持って並ぶ。  小銭を集めようとする杏里さんの手は何故か酷く拙く手際が悪く見えて、肩で息をして何やら言葉になら ない呻き声も聞こえる。伏せた顔から鼻水が床に落ちるのを見て、彼女が激しく泣いているのが分かっ た。 だが、後に待つ客や僕が小銭集めを手伝おうと駆け寄る前に、彼女は立ち上がるやいなや、少し 怯えた顔の店員の前に会計には多すぎる札を数枚叩きつけるように置くと、店から飛び出して行って しまった。すれ違いざま、真っ赤になった杏里さんの鼻から、漫画みたいな鼻水が垂れるのが見えた。    会計の終わった商品は、レジ前に置かれたままだ。急ぎ店員に知人であることを告げてお釣りをもら い、手当たり次第に買い物した品を袋に詰め込み、僕も屋上の駐車場に駆け上がった。真夏の早朝の 薄闇の中、杏里さんは僕の車のそばで地べたに座り込み、放心したような顔で、手にした携帯の真っ黒な 画面を見ていた。 ・・・・・・・・・・・・ 正看護師の資格を持ちながらもやはり夫の暴力を主因とする、うつ失職から貧困に陥った女性の言葉 として…「お金の計算も私、できない。買い物に行くとレジに提示された数字を見るじゃないですか。 それを見てお財布からお金を出そうとすると、いくらだったか忘れる。もう一度見ても、お財布を見ると 忘れる。店員さんに数えてもらう。こんな私が、どんな仕事ができるかって…」 (著者は) 2015年脳梗塞を発症し、高次機能障害の診断を受けた僕は、まさしく前出の正看護師の コメント通りの体験をすることとなった。病棟内の売店で僕は店員が口にした、そして目の前のレジスター に表示されているたった3桁の支払額を財布から取り出すことができなかった。 店員が、788円です、と言う。だが手元の小銭入れに目を落とした瞬間、もう788円の数字が頭にない。 液晶表示で確認しても目を離した瞬間、もう788円の数字が頭にない。表示を再確認しても目を離した 瞬間に788は頭から消える。 ならば百円玉7枚から数えよう。小銭入れに集中し、百円玉を手にとっていく。だが今度は数枚数えた 時点で、自分がいま何枚の硬貨を数えたのか分からなくなる。何度もなんども数えては失敗し、振り出し に戻った。 『貧困と脳』鈴木大介著 幻冬社新書 はしがきより

2025年7月5日

2025年7月5日

2025年7月5日のことがネット上でも少し話題に上っています。これは粗方の話では小型の小惑星 (巨大な隕石のこと)が、日本の南方、フィリッピン海上に突入し爆発するというものです。 当然ながら大惨事を引き起こし大津波を発生させます。津波高は日本の太平洋沿岸で60メートル くらい。日本だけでなく落下地点の周囲の陸地を総なめにするわけです。 この噂の出所は、たつき諒さんの「私が見た未来」の著作だろうと思うのですが、東日本大震災を 言い当てたと評判の人物です。 フィリッピン海の巨大爆発としての可能性は、ひとつは巨大な海底火山の爆発、もうひとつは隕石の 落下となるわけですが、可能性としては隕石落下の可能性の度合いが高いです。 占星術で見ますと、2025年7月5日は地震や火山の可能性よりも、ツングースカ大爆発(1908年6月 30日)のような星相をしているので、もし大爆発が発生するとするならば隕石落下でしょう。 たつき諒さんも、氏の著作を当たってみると、海上に何かが落ちたとか、言葉として「災害」ではなく 「災難」と書かれているあたり、地震や火山のような必然的な地球的事象ではなく、偶々の天体の 遭遇による災難、という雰囲気があります。 この予言が当たるとか、その災害の規模がどうの、などのこととは別として、占星術上では確かに 意味のある星相をしているので、きっと何かの災害(戦争も含めた)はあるんだろうと思います。 2025年7月5日の占星術のトランシットは極めてアクティブですね。そして偶然性の度合いが高い。 そういうのは、ツングースカ爆発と似ています。地震だとそういう星相にはならないですから。 少し詳しく記しますと、土星と海王星が牡羊座当初で合。海王星は水難です。また金星と天王星が 牡牛座と双子座の間で合。太陽と木星が蟹座で合。そして土星・海王星と木星・太陽がスクウェア となります。非常に強力で能動的な何かの現象が発生するという感じです。 発生場所は可能性として、中東ロシアとヨーロッパ、日本や東アジアというのが考えられます。 2025年7月となれば、もう後1年と少ししかなく、さてどういう事態になるかは自分の眼で目撃する ことができます。たつき諒さんの著作では、その年は例年になく涼しい夏だそうです。もし来年の晩春 から初夏にかけて、気温の低下が見られるのならば、この予言の信憑性は高まります。 著作では本当の大災害は、2011年3月ではなく、2025年7月だと再三にわたって書かれていることで、 この点はやはり気になるところです。売名行為をしたりとかそういう人物ではさそうなので、純粋に 御自分の予知感覚を出してくれているのならば、そうは無視するわけにはいかないかなと感じます。 特に気になるのは、災害と災難という2つの言葉の出現です。たつき諒さん自身に、そういう言葉の 区別のイメージが浮かんだのだろうと思いますが、そのイメージを意訳せずにそのままストレートに 出してくれているように思います。 例えば、イメージの中でテレビか何かの放送のシーンが浮かび、それをそのまま言ってくれていると すれば、小惑星の追突は本来は避けられるのが普通であり、しかし非常に運悪いことに当たって しまったということですから、これは降りかかった災難のイメージです。 たつき諒さんの予言は、災害と災難をごっちゃ混ぜにするようないい加減なことではないわけです。 その厳密さに、返って恐ろしさを感じますね。 問題はどの程度の大きさの小惑星が落ちてくるのか。大きければ被害は甚大ですが、小さければ どおってことはない訳です。たつき諒さんが言うように東日本大震災の3倍の大きさの津波が来る となると、これはもうどうしようもないというところです。 幸いに落下地点がフィリッピン海の真ん中ですから、日本に到達するまでに時間がかかります。その 間に人々は逃げることが可能です。しかし家屋やインフラは消滅を避けられません。 瀬戸内は、南海トラフ地震のケースでは津波高は3メートルです。隕石爆発ではその3倍、10メートル となるわけで、高松市や丸亀市という主だった市部はやられてしまいます。瀬戸内は干潮差が大きく、 その満干は太陽と月との星相によります。幸いに大潮ではなさそうですが、満潮干潮の時刻までの 詳細は分かりません。おそらく干潮を少し過ぎた辺りかと思われます。ここらはもっと研究が必要。 まず自分の居住地と勤務先の状態が気になりますが、それだけでなく日本の太平洋側を大津波が 襲うということになりますと、その国家的な経済的被害は甚大です。 占星術では天災と人災(戦争など)の区別をしません。それで一番に厳しい星相は第二次世界大戦 のような固定星座での土星天王星の合などのアスペクトです。しかし今回は能動星座での星相なの で、そんなに厳しく大きな被害をもたらすというものてはありません。よく似ているのが朝鮮戦争の 時代ですか。もしくはコロナ禍のような時代で、制御されたものになりそうです。つまりはそういう程度 の世界と時代への影響ではないかと思われるところです。 日本国に、先の大戦のような決定的に大きな被害をもたらすものではないだろうと思うのです。 それで、予言どおり津波はあるとして、ある程度の津波は来るかも知れませんが、そこそこの被害を 与える程度であって、甚大な被害をもたらすものではないだろうと私は考えています。 土星と冥王星の合が新型コロナ禍をもたらし、土星と天王星のスクウェアがウクライナ戦争と、ハマス ・イスラエルの戦争を招きました。そして次は土星と海王星の合。それが何と出るか。時代を転換し、 歴史を作る土星の運行は今後も目が離せません。 ところで経済や文化をつかさどる木星が、現在は牡牛座で天王星と合しています。正確な合は先月で した。これは一言で言うと、AIブームと半導体安全保障ですね。ところで木星が牡牛座にいる時は 経済が大きく膨らみます。そして日本経済の復活が見えてきて定着したかなという感じです。 現在の木星の運行は速くて、6月には双子座に移ります。そこは中国の星座なので中国に利益を もたらすと思います。そして木星が去った牡牛座のロシアはジリ貧となる。それが多分、2025年の夏の、 土星と海王星の合に結びつき、ウクライナに有利な結末(終戦)となるのではないですか。 なお、木星双子座は米国ではトランプに恵みをもたらしそうです。 写真に普通に関心がある人にとっては、こういう話にはついていけないでしょうけど、それで少しは 写真の話をすると… 週間プレイボーイ誌の4月⑱号で、小峯弘四郎氏による、無名のウクライナ従軍カメラマン(日本人)の 紹介記事が載っていました。サフラン詩風という名の38歳の写真家です。 https://www.instagram.com/koshirokomine/p/C52lsr3PZQJ/ カラー4ページ記事なのでプレイボーイ誌としては奢っていますね。当然ですが、サフラン詩風カメラマン の撮る写真はカラー写真です。黒白写真ではありません。どうやらソニーアルファが愛用のカメラのよう です。 被写体となった兵士にも戦死された方が多く掲載されています。つまりサフラン氏自身もその命を全う できるかどうかは保証の限りにあらず、というわけですね。最前線で活躍する戦場カメラマンとはそういう ものでして、自分の命をかけて写真に向き合っているわけです。使っているカメラは、私や皆さんが 使われているカメラと同じです。 写真とは、表現で且つ記録するものですが、その最高峰の位置にいるのが、いわゆる戦場カメラマン です。私は彼らのことを忘れないでいこうと昔から思っています。 私が、あまり皆さんに、仲間内同士として容易く迎合しないのは、世の中には写真に命をかけている 写真家の存在があるからですね。このことは常に頭の片隅にあって、一度も忘れたことはありません。 私の場合、そういうジャーリステックな写真の方向から、つまりは、なぜ戦争が起きるのか。戦争は なくならないのか。そして、戦士は戦場の戦いに於いて自分の生き様を確認するのか。そういうことを 考えるようになって、最終的には占星術に行きました。 ですから私の占星術の原点はあくまで写真です。写真はリアリステックです。占星術もリアルそのもの です。ただし、写真が画像としてリアルならば占星術は数学的リアルさ、ですか。

雑

雑

写真撮影をする前に調べるか。それとも撮った後で調べるか。 正解は、まず撮る前に調べて、撮った後は、さらに深く調べるということではないですか。 知る、そして理解するということは写真にとっては極めて大切なことでして、これをせずに写真を するのは、普通の人がするような、観光地での記念写真のようなものです。 ピンボケ写真は良いのです。何故ならばそれが写真だからです。 水平線が傾いているのもいいんです。何故ならばそれが写真だからですね。 露出がダークだったり白く飛んでいたりするのも良いものです。何故ならば写真はそういうもの だからです。 便利なネットやスマホで人々が劣化しているように、写真にも劣化の進展度合いがあるようです。 カメラ技術の進展から察するに、写真が劣化の道を進んだのは… ①自動露出、②オートフォーカス、③モータードライブです。現代のデジカメはこれらの基礎の上に 成り立っているカメラです。これに、別格④としてカラー写真を入れてもいいでしょう。 これらの技術を使えばつかうほど、多分、写真というものは劣化をしていきます。 オールドレンズをデジイチ(キヤノンデジイチ)で使うとき、ピントのMFだけでなく露出も手動でやら なければならないことに気づきます。どうやらカメラの仕組上そうなってしまうようです。(ソニー等の ミラーレスカメラはそうではありません。正確な露出が得られます) とにかく4つのうち、2つからは自由になれるということで、写真の劣化を防ぐことができる可能性が 高まりますね。ですからオールドレンズを使うということは、自分の写真の復権をするということ でもあるようです。私も黒白写真の直前はオールドレンズに眼が向いていましたから。 これはシッポ座さんの影響です。 現在のオールドレンズのブームはソニーのようなミラーレスカメラでのことです。これは画像優先の 考え方であり、確かに綺麗な画像は得られますが、写真行為の本質にまで迫るものではありません。 とにかく写真撮影から、ピントと露出を撮影者が取り戻したとき、半分は写真復権が進んだことに なります。 しかし、まだ半分ともいえます。 モータードライブとは迅速な撮影ができるというたけでなく、幾らでも撮影が出来るということを意味 していて、それはデジカメの本質みたいなものです。モータードライブを捨てるということは、デジカメ を捨ててフイルムカメラに戻るということで、さすがに敷居が高すぎますか。 そこで出てきたのが黒白カメラです。デジタルモノクロ写真です。ここまで行くと4つのうち3つを制覇 したということで、ほぼ写真を取り戻したということになるのではないでしょうか。 自分の写真を取り戻すということは、翻っては自分自身を取り戻すということかもしれません。

無題

無題

ウクライナ戦争に関して、トップニュースが舞い込んで来ました。 26日、パリで開催されたウクライナ支援国際会議。マクロン大統領の発言の骨子として・・・・ ウクライナに向けてミサイルや弾薬を共同供与。ウクライナへの派兵を選択肢の一つとして 議論する。その可能性を排除せず。 サイバー攻撃対策・ウクライナでの軍備生産・モルドバやベラルーシ国境の防衛・地雷除去。 対ロシア制裁の抜け穴で第三国や企業への制裁強化。 そして・・・我々の未来を米国の有権者に預けない。(笑) ヨーロッパがやっと本気になったかなって感じです。かつてモンゴルが欧州に攻めてきた時、 欧州各国は一致団結して戦い、蒙古を排除した歴史があります。(そしてモスクワはモンゴル に屈して蒙古の子分になったんですね) 今回の会議は、すっかり蒙古顔になった某大統領にとっては、かなりのショックだったろうと 思いますが、歴史を知らない彼はそれを理解できない可能性があります。 ウクライナは昨年の6月からの反転攻勢に失敗したと見られています。それは今も続いていて、 今、ウクライナは最高に苦しい時期だろうと思います。占星術では23年6月から24年の5月の 1年間は、木星が牡牛座を運行し、これは占星地政学的にロシアに有利なんです。しかし今年 の6月から木星は牡牛座を脱して双子座に行きます。( これはチャイナに有利です) もっと先を見ると、25年の7月には土星と海王星が牡羊座で合し、ヨーロッパやウクライナが 苦難の末にイニシアチブを取ると出てます。 ※写真は通称、讃岐富士の飯の山。422メートル。

雑

雑

久しぶりの投稿ですが、実は写真の撮影もあまりできていません。しかし写真について考えること が大だったわけで、そういうこともあって、少しは整理して書く気分が出てきました。 とあるネットのサイトでのやり取りは、私にとってはかなりのカルチャーショックだったと思ってます。 ああ、こういう人が居るんだということで、それは驚きであり、かつ非常に考えさせられましたね。 大まかでは、大前研一氏の低欲望社会の現象であるわけです。 この20年余ほど、日本は経済的に随分と苦しみました。米国が中国に大きく肩入れすることで、逆に 日本はパッシングされたというか、本来日本にあるべき技術や富が中国に流れてしまったのです。 その結果が日本の小子化ですし、若い世代の方は自らの欲望を抑えて生きざるを得なかったわけ です。就職氷河期とかは記憶に新しいわけですね。そして数十万人といわれる無職の、就職ができ ない人達も生み出しました。 写真とは何か。人それぞれに答えがあるわけですが、私の場合は、写真をすることで、野外に出歩き、 アクティブになったということがまず言えます。最初の頃は、3種のズームレンズを抱えて、イベントや 祭りの撮影に明け暮れました。そのころに知り合いになったカメラマンは多かったです。 さすがに、これは写真を撮り過ぎだということで考え方を改めて、風景撮影に振ったのですが、今度は 車で県外に出かけるというスタイルになりました。九州、山陰、紀伊、北陸、そして東北へと、撮影の 為に走り込みました。現在は地元香川と四国の撮影になっていますが、やはりカメラを持てば出歩く という形になるのが普通だと思ってます。 写真趣味以前は、パソコンと読書という閉じこもった生活をしていましたので、写真とは何とアクティブ なんだなって思うわけです。それが次第に研ぎ澄まされたというか、最終的には、山野の里山や溜池 の撮影に収斂していったような具合になってます。 しかし写真趣味というのは、やはり消尽的な部分が大きいとと思ってます。いわゆる道楽ですね。(笑) 出費が多くて得られるものは少ないです。これが読書やパソコンの時は、これも金は掛かりましたが 得られるものも大きかったです。パソコンは徹底的にやったので、その時に得た知識や技能というのは 今もって役に立ってます。 しかし写真はそうではないです。私が写真趣味で得たものと言えば、山歩きで体力を維持し、健康を 得るということだけだったと思ってます。それ以外はもう泡と消えてしまったという感じでした。(笑) それはそうですよね。写真趣味って、積極的に何かを考えることじゃないですし、ただ感じて悦にいる だけのようなものですから。だから道楽であり消尽であるということなのでしょう。 余談ですが、それが引っくり返ってしまったのが、黒白写真なんですね。カメラ機材の道楽が一変して 萎んでしまいましたから。 写真がカラーを捨て黒白になったからと言って、写真のもつアクティブさが影響を受けることはありませ ん。カラー写真も黒白写真も撮影は何ら変わらないですから。ただ画像が違うだけです。 最近は忙しくて読書をする暇もないのですが、「半導体戦争・クリスミラー著」「情報Ⅰ・中山心太著」を 時間をかけて読み進めています。もう一度、自分はコンピューターの趣味に戻ろうという予兆かも知れま せんね。しかし写真趣味を捨てることはありません。カラー写真はしないかも知れませんが、黒白写真は 始ったばっかり。これからが本当の黒白写真をやっていくということだと考えています。 そして冒頭に触れたカルチャーショックなんですが、これは写真を画像として究極にまで推し進めること がどういうことなのか、ということを深く知る大きな切っ掛けになりました。 画像に埋もれ込むとでも言いますか、それは結局はモニタースクリーンに自分を埋没させるということ ではあるんですね。 モニタースクリーンの罠とでも言いますがすか。古くはテレビやビデオ趣味。それから始ってテレビゲーム やゲーム機、DVD、そしてインターネット、スマホにSNSなんかに変わってますが、よくよく考えてみれば 写真趣味というのも、そういうものの立派な仲間だったということなんです。 こういうモニタースクリーン文化というのは本物ではないですね。実物ではないという意味です。そして 写真は確かに本物を自分で撮るわけですが、それをスクリーンに映し出した瞬間から、リアルではなく バーチャルに変貌してしまうというわけです。写真にはそういう罠が潜んでいるというわけです。 そしてモニタースクリーン文化というのは飽くまで受動的だということです。写真は本来、能動的である わけですが、写真がカラーになり、そしてデジタル化して行くうちに次第に受動的な文化になっていって しまったんではないですかね。 これをもう一度取り戻していかないと写真はダメになっちゃうという気がしています。 リアルを最小限にして、バーチャルを最大限にするという、そういう写真もあるんだということで、私は 大きなカルチャーショックを受けたわけですが、そういう写真にはやはり未来はないと思ってます。 そうではなくて、リアルを最大限にして、バーチャル(スクリーンモニター)を最小にするしか、そうして写真 をやっていくしかないと私は考えてます。 これは飽くまで私の考え方です。それと真逆の考え方感じ方をする人がいても不思議ではありません。 世界には星の数ほど様々な行き方があり、そういう生き方の表現をすることができるようになってます。 ですから否定はしませんが、それは私の行き方とは違うというだけです。 ※写真は狛犬というか、ほぼ狛猫ですか。(笑) 寺院に付属した神社での撮影。

戦艦 佐賀

戦艦 佐賀

そうですか。・・・しかしイジメや虐待が原因というのは、世間話的で、そして自分的史な物語です よね。それらは私の言うところの普遍性のある物理学ではないです。(^^ゞ でもね、それで良いん ですよ。それが普通ですから。 お寺を継ぐ話はもし可能ならば受けましょうや。しかし坊さんになるというのならば、その手の学校に いかなければならないんじゃないですか。学資は?そして集団生活や勉学ができますか。何よりも 将来住職としてやっていく覚悟がありますか。 しかし決めた以上はもう後戻りは出来ずで、本気でやらないといけません。途中で投げ出すことは できませんよ。 645に限らず、私の使うカメラはどれも2キロくらいはあります。それは普通かと思います。この645D にペンタ67のレンズを着けると良い描写をしますね。ファインダーが素晴らしいのでピントが良く合い ます。 遠望の撮影地は標高1千メール近くです。でもこれは車で行ったんですよ。半日しか時間が取れな かったんで急ぎ足です。しかし山頂から今度は数キロ歩いて下って、再び戻りました。山の中腹に 平安時代の山寺の遺跡があるんです。それを見に行ったんですね。中寺と言い、延暦寺や高野山と 時代的には同じです。今は完全に原生林に取り込まれ、数年前に発掘調査がされました。 山に登ると遠くが見えます。そして視野も広くなります。瀬戸内は残念ながら湿度か高くて、あまり 遠望が利きません。この撮影日はまだましな方ですね。 つぶあんさんは雪国お住まいのようですから春にならないとなかなか山には登れないでしょう。 こちら香川は実質、冬がありません。年中活動できるというのが嬉しいですね。

橋を渡る

橋を渡る

The COOLEST Vintage Fisheye Lens || PENTAX TAKUMAR 17mm Fisheye F4 https://www.youtube.com/watch?v=LAKdwmNoVv8&t=105s これですかね。実にユニークなレンズだったようです。 雨の写真は、たぶんモノクロだったらからこそ綺麗に雨の軌跡が出たんだと思います。カラー画像 だと難しいんではないですか。 https://photoxp.jp/pictures/224866/gallery ちなみにこれは雨上がり後の撮影です。少女がスマホを見ながら歩いています。 唐突ですが、私は風水(西洋占星術)をやります。写真をやめた後はそれをやっていたんですね。(笑) あまり人様に言うほどのものではないんですが、人の運勢というものを工学、エンジニアリングして いたわけです。 アストロージーでは人が生まれた瞬間の天球図が、その人の一生を形作るというテーゼで成り立って いるのです。 そしてそのプログラミングを垣間見ることができるという仮説でやっていくわけですが、私はそれだけ で終わらずに、人としての個人が自らの意思で運勢を回転出来ないものか、ということも同時に研究 をしてきたつもりです。 それで一番簡単な手法は(同時に基本的なものです)、地磁気の電磁気力を利用するというものです。 つまり、就寝時に頭部を東方向(地磁気の)に向けるのが運勢好転の最大効果発揮であり、北とか南 とかは、その効果を充分に発揮できないというわけです。 ただ例外があって、家屋の鉄材などの妨げがある場合はそれにあらず、となります。最近は鉄骨家屋 が多くなりましたのでそこらは要注意。 そしてこの手法は数年単位で効果の良否が出てくるので、即効果というものではありません。そこは あしからず。 簡単に書きましたが、もしすれば、つぶあんさんは、現在北枕か南枕の状態だろうかと推察します。 それもかなり長い間そうされていたのかもしれませんね。これだと運勢は良くなりません。 こういう話をすると普通の人は何も理解できずに終わってしまいます。これは顕教ではなく密教の類 なので普通人には理解不能なんですね。(学校では絶対に教えてくれませんから) しかし非常に 直観力が優れた人が偶にいて、そういう方は多少は頷くところがあるようです。私もそのような人には 数人しか出会ったことがありません。 これは東枕法として私が理論化しているものですが、他にも、食事、快適性、運動と、運勢好転には 計4つの柱があります。食事や快適性は多少お金がかかりますが、この東枕法と運動(歩きのこと)は 無料でできます。 私が自分の写真趣味とは歩くことだとしているのは、このことと深い関わりがあるからです。 即効化を期待するのならば、一番は歩きです。一日中くたばるまで歩くと何かが見えるようになります。 準即効化は食事です。高蛋白高ビタミンの食事。安上がりなのは納豆。遅効果は快適性(身体や 家屋を暖かく、柔らかく包むこと。そして休息も)や、効果が見えてくるには数年は掛かると言う東枕法 です。 こちらには四国巡礼というものがあります。1ヶ月かかって四国を歩いて回るという宗教行為ですが、 長い歴史と伝統があり、今もって歩き巡礼をされる方が絶えません。最近は海外の方が多くなりまし た。こういうのは四国巡礼に限らず、全国各地にありますね。 まず、歩く。歩いて歩いてくたくたになって、そうすると何かが少しは見えてくるようになります。 まあ、へんな話を書きましたが、与太話の類として聞き流してください。(笑) ※この橋は車では簡単に、しかも瞬時に渡れますが、側道の歩道を歩きたいと思って、その入り口を 随分と探してまわりました。橋の上からの写真を撮ろうと思えば歩かないといけませんからね。

モノクロ時代

モノクロ時代

https://photoxp.jp/pictures/223250 https://photoxp.jp/pictures/223265 これは私がペンタックスモノクローム機を買う直前の投稿写真です。RAWデータからモノクロにして います。これを見て黒白写真というのも結構いいんじゃないかって思ったんですよ。 使ったレンズはレンズ沼の代表格であるコシナ製単焦点レンズです。 すでにMN板からの情報で、ペンタから黒白専用機が出るのなら、私も1台持っていてもいいかなっ ていう具合で手に入れたわけです。ほぼ勢いだったのであまりよくは考えていませんでした。 しかし結局は、ずぶりとモノクローム沼に嵌ってしまったんです。レンズ沼があればモノクロ沼もある という具合ですかね。それが正直な感想です。(笑) レンズ沼から足を抜け出すのは大変なんですが、同じくモノクロ沼もずっぽりと嵌ると抜け出せない のではないかと感じています。ただお陰で機材オタク&レンズ沼からは抜け出せたので良しとする べきです。ある意味で大収穫ですか。ペンタ機以降に購入した機材は、ペンタに使うシグマの広角 ズームのみ。 黒白写真、モノクロ写真に関しては、未だに私には良く分からないというのが素直な実感です。 とにかく分からないけど自分は嵌ってしまった。もう黒白写真からは抜け出せそうにないな。そんな ところです。結局は、自分は(黒白写真に)なるべき時になっただけのことなんじゃないかって感じて います。理由なんてなくて単に、なるべくしてなっただけ。そういうことなのかもしれませんね。 ただ黒白写真はフイルムで若い頃にやっていましたので、それが大いに役立っているというか、その リバイバル版という気はしてます。もう還暦も過ぎると新しいことはしたくない、という気分に次第に なってきます。そういうことでは、たとえデジタルを使っていても黒白写真というのは身の丈にあって いるという気がしますね。 つまりは歳をとると昔に戻るっていうことかな。またそれが自然なことのように思えます。 つぶあんさんは若いので私のようなことではなく、積極的にモノクロ写真を捉えていると思います。 ネットで、こういうのがありました。 【ゴジラ マイナスワン・マイナスカラー】ゴジラー1.0/Cが遂に公開公開!これはただのモノクロ映画 ではない! https://www.youtube.com/watch?v=PbrGyseAM2M これはモノクロ映画なんですね。それが映画ファンには人気だそうです。こういうことを知ると、時代は 変わりつつあるという気がしてきます。そして今の若い人もモノクロ画像が良いという。 私のように消極的ではなく積極的にモノクロ映像を捉えていますね。 雑誌をみると、ライカモノクロームやペンタモノクロームの発売に影響されてか、カラー機ですが、その モノクロ版を良くしようという試みが、パナソニック、フジフイルム、二コンから製品として出ています。 具体的には、ルミックスG9プロⅡ、フジX-S20、二コンZfですか。(なぜか、キヤノンがないです。もしか るとイオスRのモノクロ専用機がでるのかも・・・) こういうのを見ると、時代は再び黒白写真を見直そうという気概が出てきているのかもしれません。 ※投稿写真は彩色した地蔵さんです。たまにこういうのがあります。古くなっているので色は大分退色 しています。地蔵は本来モノクロですがカラー版もあるのだと。(笑)

モノクロの眼 モノクロ思考

モノクロの眼 モノクロ思考

グラフックデザイナーの方の話は興味深く読みました。デザイナーは常日頃から、視覚効果とか 色や形が人の脳に及ぼす威力を、常に実践的に考えておられると思うので、傾聴に値すると思って ます。強すぎる刺激は視覚神経や思考能力を疲労疲弊させるのかもしれませんね。 それで、モノクロは刺激の強いカラー画像に比べて、それを人々は象徴的に言って、モノクロの眼・ モノクロの感性・モノクロ思考、というものとして語られるのでしょうかね。 たしかにそう考えると、カラーとモノクロの境界線というものは厳密にはないわけですが、しかし 実践的に言えば、やはり過剰すぎたカラーの過剰な刺激情況から自由になるには、思い切って カラーを捨てて、モノクロのみに深く突入することが求められるのかもしれません。 RAWカラーというのは極めて魅力的で、多くの写真人がそれに虜になっています。この抜きさり難い 魅惑性により、人々はレンズ沼に浸かり機材オタクになってしまうのではないですか。勿論この私 もそういう類の人間の一人でした。 ペンタモノクロームというのは、カラー情報がないというだけで、機材としての能力や魅力は並外れ ています。色イロ感はないけれど、キラキラ感は凄い。そういうカメラです。それで機材沼に浸かった 人間をも揺り動かす力があるのでしょう。 魅力的なカラーを捨ててモノクロに行くというのは、よっぽどの力が働かないとできません。 そしてこのカメラを一旦使うと、私も含めてユーザーは、モノクロの目というものに目覚めてしまうよう なところがあるのかも知れません。一旦、モノクロの眼やモノクロの思考回路に火が点いてしまうと、 長らく眠っていたモノクロの目が起動して、脳全体がモノクロの思考というものによって変換され、 それまでの長期に渡って疲弊していた脳が自然治癒で回復される。 そういうようなところがあるんではないですかね。・・・どうもうまく表現はできませんが。 つぶあんさんの場合、最初からRAWカラー病に罹患していないようなので、この話が通じるかどうか は分かりませんが、私のようにどっぷりとRAWカラーに浸かっていた人間からすれば、モノクロの目 というものに自分が変わったことは晴天霹靂の事態であったわけです。 そういう自分に戸惑い、且つ情況が掴めずにいて、様々に分析をしてこの掲示板にも連ねました。 間違ったことも沢山書いていると思います。 ところで「モノクロの目」と並んで、「モノクロは写真の原点である」、ということも良く語られます。 それは歴史的にカラー写真よりもモノクロ写真が最初に出来た、ということに留まらず、写真画像の 基本はモノクロで充分に習得できるからでしょう。むしろ過剰な情報であるカラー情報がない方が、 より良く写真の本質を理解できるということでもあると思ってます。 モノクロが基本であり、カラーは応用に過ぎません。何の技能習得にも言えることですが、基本を 確り身に着けて、それから応用に取り掛かるというのが正しい道筋です。基本を知らず最初から 応用のテクニックばかりに目が向きますと、物事は上手くいきませんね。 そういう意味では、私が若い時に黒白フイルム写真をやっていたという経験は貴重でした。 もしこれがなければ、私は永遠にモノクロの目を持てなかったかもしれませんね。 しかしそういう私もデジタル時代の写真では、最初からRAWカラーです。白黒写真は考えたことが ありませんでした。このカラーの眼や脳へ癒着は強力であって、それでカラー機でモノクロに行く ことは、ついぞ出来ませんでした。 ペンタモノクロームという強力な専用機でもってしてしか、RAWカラーの脳への癒着を引き剥がす ことは出来なかったというわけです。 多くの写真人は、デジタル写真はRAWカラーに決まっているだろう、と信じて疑っていないでしょう。 そういう私も、他人のことは言えずで半年前まではそうでしたから。 しかしそれは写真として一元の理はあっても、全体的には正しくはなかったということです。 ところで、私はモノクロの眼、モノクロ思考というものを本当に獲得できたのでしょうか。(笑)  まだまだ不安はあります。つぶあんさんの様に深くは理解できていないと思っています。 そういうことでは、ペンタモノクローム機は私の守り神のような位置にいて大変貴重であり、定期的 に持ち出して撮影しています。このカメラを使う時はこれ一台だけで行き、カラー機(モノクロモード) との併用はしていません。 カラー機のJPEGモノクロモード撮影は、同時記録でRAW記録もやってますので(そのデータを見る ことはないとは言え)、それはやはりカラーカメラですね。 つぶあんさんのように、最初からモノクロJPEGでのみ撮影するのならば、それは確かにモノクロカメラ と言えるのですが。 私はこの写真の基本とも言えるモノクロの眼を失いたくありません。今後も決して忘れないで行こうと 考えてます。 ※投稿写真は、設定を間違ってJPEGモノクロではなく、カラーSサイズで撮ってしまったものです。 気づいた後はモノクロ設定に戻しました。JPEGカラーなのでキラキラ感は乏しくフラットで柔らかい 描写となります。

よく見て撮影すること

よく見て撮影すること

こういう近接撮影は、私は滅多にしないのですが(上部を少しトリミングしています)、たまには撮り ます。私の撮影は眼の高さで普通に遠景を撮る写真ばかりですから。 このような写真には説明が必要でして、これは墓地の隅に捨ててあった切花です。地蔵さんに供えて あったもののようです。地蔵さん撮影時にもおばさんがちょうど新しい花を持ってきて供えていました からね。 まだまだ綺麗な花でして、捨てられた花ではあっても美しいと思いました。 カラーだともっと綺麗なのかもしれませんが、黒白だとこんな感じになります。画像は少しマゼンダ色 を乗せてます。陽が差し込んでいてコントラストの高い絵となっています。 写真画像と文はセットで考えるのが普通なかって考えてます。だいたい写真のタイトルというものが そもそも言葉ですからね。さらに説明文やコメントをつける場合もあります。写真集だと連続して写真 を配置すると説明文は省かれる場合が多いですが、本の巻頭や末尾には長文があります。 写真が黒白の時代だった頃は特に説明文が必要でした。今でも新聞や本には写真への説明文は だいたい着いているはずです。 写真がカラーになり高精細になるにつれ、見れば分かるだろうということで言葉や文は省かれる傾向 にあるんですかね。良く知りませんが。 私はあまりモノを見つめるという近接撮影をしない性質なのですが、これからはもっと事物を見つめる ということをしたいなと思いました。 づふあんさんの写真はよくよく見て考えられた写真を投稿していますね。翻ると私は本当に何も見ず 考えずに写真をショットしていたことが分かります。 フイルム時代は私も良く考えて撮影をしていました。何せフイルムは36枚で1本なので貴重であった わけです。ところがデジタルになって湯水の如く写真を浪費していることに気づくわけです。(笑) それではいかんなって思います。撮影の足を急ぐあまり、なおざりになっていた、良く見て撮る、という ことを再び思い出していかなければならないと思ってます。

感想

感想

下のAlexandria 41は、中々いいですね。 まずモデルがいいとか、撮影がよいとかいう以前に、機材選びが的を得ているようです。 黒白写真の場合、本気でやろうと思えばこの機材選びが大切だと私は思ってます。 黒白専用機は別として、一般カラー用カメラを黒白で使う場合に、まずフルサイズは必須。 そして高画素高画質のカメラでなければ、モノクロ専用機には勝てません。 私の場合、APSリコーモノクロームに何とか伍していけるかと思ったのはイオス5DSだけ です。 このカメラ5000万画素ですから、リコーモノクロ専用機並みの解像感とシャープさで対抗し ようと考えれば、1/4画素として考えないといけません。すると1250万画素です。 5Dマーク3だと2000万画素なので500万画素になるんですね。流石に500画素では写真と して今どき成り立たないというか。絵が狭くなってしまってね。 5Dマーク3のモノクロも中々にいいんですよ。何せ1画素当たりの電荷が高いので、なるほど 表現力は高いのですが、しかし全体としての画素数が低くなるので、モノクロ写真としては 絵として成り立たないという気がしています。 そう考えればR7は3000万画素なので750万画素となって、ぎりぎり行けるかなっていうところ。 モノクロはカラーのように補完した状態の絵では、ごまかしというのが直ぐにバレて専用機 には絶対に勝てないというか、まず絵が違ってきて勝負にならないんです。 モノクロ写真ではカラーでの画素数補完の水増しは通用しないと考えてます。ストレートで いけるのはシグマのフォビオンセンサーのみです。 もっとも投稿写真の場合はピクセル数ダウンをしてアップロードしますので他人の眼は誤魔化 せますが、内側を知ってる自分の眼は誤魔化せません。 そしてとにかく怜悧なレンズが必要です。シグマのレンズはモノクロに向くと考えています。 キヤノンではやはりLレンズ以上ですかね。無論ズームよりも単レンズがいいのは当然。 私の場合ではコシナオータスが最高です。これ以上の解像感と豊かな諧調(グラデーション としての)を出してくれるものはありません。 色で誤魔化すことができないモノクロは、解像感とシャープさ、コントラストとヌケ、諧調しか ないので、機材ポテンシャルの全力を振り絞らなければモノクロ専用機には勝てないんです。 フルサイズの数千万画素のカメラで最高のレンズをつけて、それでもAPSの専用機になんとか 伍すことができるかな?という程度なんであって、やはりカラーフィルターを持たない専用機の メリットというのは、もの凄いものがあると思ってます。 ただ、カラー機をモノクロにする手法は、モノクロ専用機と違って自前搭載のカラーフイルター での画像操作が可能です。このメリットは専用機にはないのでアドバンテージのあるところ。 まあ、こういうシビアな話は普通はしないんですけど、今回出してくれた写真にKazさんの 本気度を感じたので書いてみました。 思うに現代では黒白写真は一般の人には理解できないものだとして私は考えていて、私が 投稿している写真は全てJPEG撮影ですましています。 アンセルアダムスの昔からデジタル時代の現在においても、最高の写真は黒白写真であると 私は考えています。もし今現在、デジタルでの最高の黒白写真をやっていこうかと考えるならば、 フジの中判1億画素カメラでやるのがベストだと考えています。2500万画素のモノクローム写真 ができるからです。ライカモノクロームを買うよりいいでしょう。

つぶあんさん、はじめまして

つぶあんさん、はじめまして

つぶあんさん、はじめまして。このペンタックス板は投後者が少なくなり、もう一人いたトトキョさんも 最近は投稿がなくなって、近頃は、つぶあんさんだけの投稿になっているようです。 ちょっと調べてみると・・・ 「おはよう」https://photoxp.jp/pictures/223470 これが最初の投稿でしょうか。23年5月です。カメラは赤いK-50ですね。 この掲示板は投稿を一覧にしてみることができます。 ペンタックスデジカメ写真掲示板 / 写真一覧 その① https://photoxp.jp/pentax/pictures ペンタックスデジカメ写真掲示板 / 写真一覧 その② https://photoxp.jp/pentax/pictures?page=2 ペンタックスデジカメ写真掲示板 / 写真一覧 その③ https://photoxp.jp/pentax/pictures?page=3 ペンタックスデジカメ写真掲示板 / 写真一覧 その④ https://photoxp.jp/pentax/pictures?page=4 こんな具合ですね。 つぶあんさんは自然の身近なものを、親近感をもって且つ暖かい眼で見つめるという、他の投後者 にはない独特な写真の眼を持たれていますね。 モノトーン、ボケ、ハレーションなどを駆使して表現されていて、レベルは高いと私は評価しています。 こういう感性を持たれている方には女性が多いので、もしかすればつぶあんさんは若い女性写真家 なのかもしれません。 ペンタックスというカメラは他のメーカーとは違って、何故やさしい雰囲気をもつメーカーです。そして 男性ユーザーであっても不思議に優しく善意の人が多いという気がしています。そして女性ユーザー が特に多いという印象を持っていますね。 このフォトXP写真投稿掲示板は数多くの板が存在し・・・ https://photoxp.jp/boards これが掲示板一覧ですね。新しく投稿があったものが上位に繰り出すという仕組です。新規写真投稿 順とコメント投稿順を選ぶことができます。私は新規写真順にしていますが。 このように多くの写真板があり、他のユーザーの投稿も見ることができますね。 現在は、いわゆる掲示板的なユーザー間どうしの投稿のコメントやりとりが行われているのはMkerNote 研究所板とキヤノン板だけとなっているようです。大体の掲示板は誰かが写真を投稿しても直接には コメント反応は得られずに無反応状態のようですが、それでも長く続けていると視聴者の反応は次第に 分かってくるかなという感じですかね。(^^ゞ  この掲示板が始まった当初の、デジタルカメラが興隆した当時は大変に賑やかな雰囲気でしたが、 もはや時代は変わって、デジタル写真の情況はすっかりと落ち着いてきているという雰囲気です。 どうでしょうか、つぶあんさんもペンタックス板だけに留まらずに、他の板への投稿をされるという選択肢 もありますよね。もちろんペンタ板はホームポジションとしてた大事にしておくべきですが。 写真にはありとあらゆる分野を制覇したいという考え方の方もおられますし、それとは違って自分だけの マイナーな世界を表現し続けて行きたいとという考えの方もおられて、人様それぞれのやり方考え方が ありますね。 メジャーかマイナーかという具合ですが、最終的には全てのユーザーはマイナーなところに落ち着くようで す。写真をするにはやはり多くの意欲体力を要するものですがらメジャーであり続けることはできません。 現在はほそぼそと運得を続けているフォトXP掲示板ですが、まだまた利用できるわけでしてこの掲示板 に参加ずる意義は多いにあると思っています。 この写真掲示板が普通の写真投稿サイトと違うのは、管理人様個人の善意によって運営されていると いうところです。商業ベースではないんですね。そしてもうひとつ、過去の膨大なストック写真を見ることも できるのです。過去20年間の投稿写真を垣間見ることができるサイトは他にはないのではないですか。 デジタル写真の歴史がそのまま分かるものとなっています。 ※投稿写真は二コンで撮ったものですが投稿数が極度に減った現在では今更そんなことを言っても始り ません。 メーカー一覧 https://photoxp.jp/makers から、個別のカメラへのアクセスも可能です。 ペンタックス K-50 作例 https://photoxp.jp/cameras/pentax-k-50 こんな具合ですね。 こういう個別の選択機能は良く出来ていて、この掲示板の優れたところです。

②

②

② 年末仕事終わりの午後から登った鷲の山。300メートルちょいの小さな里山ですが、讃岐平野では異形 の姿をしていることで有名です。写真は南面からの撮影ですが、東側には採石場があり古墳時代からの古代から採石かが行われていた由緒ある山です。柔らかい柱状の安山岩が採れ加工しやすく、この石 で彫った狛犬は最高です。 この南面ルートは直行登山でして、後から調べるとあまり登った人はいないようですが、それでも登山路 には踏み後がありましたので利用はされているようです。いつもは手に持つカメラを肩に掛け両手も使っ て小枝や笹根を掴みながら登る羽目になりました。帰りは尻をつけズリ落ちながらの下山。(笑) 翌日は時間をかけて西側から入山し、この山は実は東西ではなく南北に長い山です、アップダウンの多 い南北縦走をこころみました。起伏と変化に富んだ素晴らしい山でしたね。植生がまばらで見晴らしが 良いのもいいです。 写真は麓の溜池からの鷲の山ですが、左右の手前に伸びた小山は山体崩壊の跡です。この池はその 崩壊地の間の空間に作られた池ですね。崩れ去った鷲の山の崩壊痕の尾根筋が見えますね。抉れて いる部分が崩壊した部分です。香川にはそういう崩壊痕跡が多くて、これは歩いてみれば直ぐに分かる ほどです。崩壊して堆積したところは平らなんです。そして山になると一気に急傾斜になるんです。 日本アルプスなどの高山では崩壊すればそのまま谷に落ちて、それはすぐに土砂となり川から海へ流れ 落ちますが、川もない雨も降らない香川では、山体崩壊の跡がそのまま残るという現象をみることが できるのです。 この鷲の山は、もともとは台形の台地状の山だったんですが、山体崩壊を繰り返しながら現在のような 尖ったギザギサの山容になったんですね。鷲が羽を広げた様ということで名づけられた山です。 この山の、加工しやすい輝石角閃石安山岩は風化すると白い土になるようです。写真では溜池の水際 が白いのでも分かります。 この輝石角閃石安山岩は柔らかく風化しやすい岩石のようで、しかも縦に柱状節理が走っていてさらに 風化の度合いが高いようです。台地状の山はメサと呼ばれていて、屋島とか大麻山がそうですが、上部 に載っている安山岩は硬くて崩れ難いのです。しかし鷲の山はそうではなかったので風化と崩壊を起こし 現在のようなギザギザの山になってしまったようです。 植生としてはウバメカシ、クヌギ、山桜など。赤松も昔は多かったはずですが、現在は枯れて絶滅状態。 今の香川の里山はすべからくそうです。イノシシとは2匹遭遇しました。夕暮れは彼らの縄張りですから。 細々とした石材採取くらいで何の役にもたたない山ですが、昔はこういう里山から落ち葉採取(肥料や 燃料として)や、木々(松ノ木や樫)を伐採して利用されていたわけですけど、今はただそこにあるだけ の山になってしまいました。麓にはかつて耕やした畑の痕跡が多々見受けられました。 頂上には中世の山城跡があったそうですが、こういうのは本当の山城ではなくて、俺が一応は制覇して いるんだぜ、というくらいのプレゼンのようなものです。山頂は平らですがそんなに広くありません。 こういうことを色いろと考察しながら山に登り、写真を撮っていくというのが私のスタイルになっています。 香川にはこういう里山と溜池がごまんとあり、一生かかって撮影しても、そのほんの一部しか見ることが できません。しかし皆すべて個性的であり同じものはひとつとしてありません。

コピペ記録

コピペ記録

★キヤノン板 『老人写真事情~写真とは遠い日の花火ではない~ 』 コピペ記録 https://photoxp.jp/pictures/226050  老人主体の写真展を鑑賞してきました。若者写真事情を考えると同時に、老人写真事情と いうのも考えてみましょう。ちなみに両者は断絶したものではなく、ある程度は連続体を構成 しています。 --------------------------------------------------------------- ・老人写真趣味としての『サロン型写真趣味』(厳密な芸術写真という意味ではなく)の存在。 ・撮影(個人あるいは撮影会)→大判プリント・額装(額装まで主宰者が一括作業することも  ある)→展示会場設営→会場をサロンとして各種茶話(思い出話、自慢話、情報交換等)を  楽しむ・・・という一連のサイクルを毎年楽しむ。 ・少しずつ衰退している。 ・衰退理由は、コロナ禍で開催が中断し再開が困難、参加者の高齢化など担い手の不足。 ・これほど高齢者が増えているのに、高齢者主体の写真教室、写真クラブの会員は減少  している。 ・2000年代のデジカメブーム、団塊世代の大量退職者の趣味サロンデビューといった、  ボリューム層が徐々に消えていっている? ・そろそろバブル層が「高齢者デビュー」に達しつつあるが、この世代から下は、団塊世代  から上のように無趣味を誇るような企業戦士気風が薄く、退職前から余暇・趣味活動に余念  がないため、退職後の余暇を考える傾向にないかもしれない。(かといってスパッと線引き  できる境界線もないと思う) ・バブル世代以下がサロン(茶論)的活動を嫌うものではなくて、サロン的写真活動は、  オタク文化の行動形態と大いに被る。(額装写真を前に語らうのも機材を並べて語らうのも、 いずれ劣らぬオタク趣味。) ・サロン的写真趣味とは異なる「放し飼い型写真展」にも出くわす。 ・サロンスペースを想定しない、常駐当番のいない、放牧型の展示がそれで、彼らは承認  欲求ではなく表現欲求のみに従っているのかもしれない。(それを偽装した、実は承認欲  求まみれの展示も一方では存在する。ただし承認欲求のない撮影者はこの世に一人も  存在しない) ・写真表現や撮影技術はそれぞれであるが、どちらの展示でも心引かれるものは散見する  ため、あくまで分類上の違いであり、写真そのものに明確な違いはない。 ------------------------------------------------------------ ・・・・サロン写真、という表現は「芸術志向の強い写真」という文脈で使われることがあるよう ですが、ここでは「額装した写真を前に茶飲み話を楽しむような写真スタイル」を指しています。  40代以下の人々がそれをしないわけでもないです。また、20代も実は「額装なんてコスパも タイパも悪い」なんて言いません。重点の置き方はわかりませんが、10代の人々の額装写真 展もよく見かけます。  アナログ→デジタル→アナログの反動振り子現象の一環で、物質感と手触りのある写真と しての額装写真が若者にブームとなる時期も来ると考えています。  余談ですが、20代に聞いてみると、「タイパ」は彼らが言い出したものじゃないのだそうで、 「うだうだと無駄な時間が流れる会議や上司の自慢話を聞かされる飲み会を嫌って断った 結果、その上司層が若い人々はタイムパフォーマンスを重視するから仕方ない、と言い訳に 使ったのであろう」との見解がありました。  その上司層は、かつて「新人類」と言われた世代であろうが、そのワードもまたその上司層 が造り出したものであります。  そもそも「時は金なり」「光陰矢の如し」とか、昔からタイパに類したことわざは存在するし、 人類の進歩は時間を克服する戦いでもあったのです。医療=長寿命、家電・即席食品・代行 サービス・宅配=消費可能な時間の拡大、高速交通機関=生存時間のうちに移動できる 範囲の拡大、デジタルカメラ=写真アウトプットの即時消費・・・というように。  SF上の概念でしかありませんが、何らかのテクノロジーにより、人間のクロックを高速化す ることで、有限の時間から無限の時間を取り出すというものがあるそうです。移動時間中に 仕事や趣味を楽しむ環境づくりというのもこれに近い考え方で、ラップトップパソコンやウォー クマンなどもこのカテゴリーに入ってきます。  老人と若者では時間の流れる感覚が違うのでしょうが、セイコーが発表している時間白書 では、若者は将来に対する不安を持っていて、これは単なる社会不安というよりも、自分が 若さを喪失していくことに対しての不安があるようです。若いうちの時間を無駄に過ごしたくな いという焦りが、本当の意味での「タイパ」なのかもしれませんな。 https://www.seiko.co.jp/timewhitepaper/2023/  この時間白書では、年齢に対するステレオタイプ的な考え方に対する反発の意見も見られ ます。要するに老人写真も「遠い日の花火ではない」ということで、別に老人ポートレートも、 老人ポートレート写真家もじゃんじゃん出てきてほしいものであります。  老人は、現在と同時に今に至る過去からの時間を楽しむ観点で写真に向き合うのですが、 そうした老人写真家は被写体としてもとても魅力的であり、彼らの背中には重厚長大な物語 を感じるところです。 ★キヤノン板。『爽やか美人百景 ~若者写真事情~ 』 コピペ記録 https://photoxp.jp/pictures/226046 とある忘年会で、20代の男女に、どのような写真を撮っているか、またどのように保存して いるか尋ねてみました。 ------------------------------------------------------------------- ・会話に参加した20代は男子1名、女子3名。 ・保有している撮影機材は全員スマートフォンのみで、デジカメ、フィルムカメラ(使い捨て  カメラを含 む)、チェキの使用者はいなかった。 ・撮影は配偶者や彼氏彼女との記念写真、旅先の風景、趣味の作品の撮影など。 ・保存はスマートフォン内部で済ませているが、ごくまれにプリントすることもある。 ・プリントはコンビニ等を利用。 ・・・・これらの傾向はスマホ撮影者のプリント動向調査とおおむね似通っている様子。  https://mmdlabo.jp/investigation/detail_1939.html ・チェキ写真は全員が認識しており、うち女子2名が「かわいいので好き」との感想。 ・チェキ機材がなくともコンビニでスマホ撮影の写真をチェキ風にプリントするサービスがある  とのこと。 ・スマホ撮影写真と、大口径レンズ+デジタル一眼レフで撮影した写真とを見せたところ、  後者について、1名の20代女子から「写真がキレイ」との感想あり。具体的にどうキレイと  感じるのか尋ねたところ、「写真館で撮影した写真のようだから」との感想あり。 ・この20代女子は、「キレイな写真」として「写真館で撮影する写真」をイメージしているが、  彼女はいわゆる『インスタ女子』であり、写真趣味で言うところの「ボケフォト」や「ポートレート  写真」には親和性を感じるとのこと。(ただしそうした用語を使っているわけではない) ・また、彼女は、節目節目で写真館(スタジオ撮影とは限らない)で撮影してもらってきた経歴  があること。またかなりの美貌の持ち主で、写真を撮られることに抵抗がなく、また自らの  美意識の表現としてセルフポートレート撮影にも関心が高い様子。 ・少しだけ、彼女のインスタを見せてもらったが、なかなかに魅力的だった。 ・フォトブックを注文した経験は全員なし。女子3名のうち2名は新婚だが、ウエディングフォト  のサービスとしてもフォトブックを利用しなかった様子。 ・20代男子も趣味は多様で、料理から「オリジナルの皮靴作り」まで、その記録のためスマホ  撮影する機会は多いとのこと。 ・この20代男女4名のうち、趣味レベルで写真に関心があるのはインスタ女子の1名と思わ  れるが、残りの3名もスマホ撮影機会は多い。 ・インスタ女子以外の女子1名が、地域フォトコンの部門賞に入賞した経験があるとのこと。  それは撮影者としてでなく被写体として。だが、地域振興のフォトコンはそのへんが寛大で  あり「未発表で応募者本人が撮影した写真であること」という制約はないが、それ以前に、  ある意味、20代女子が「写真は撮影者ではなく被写体人物のモノ」という考えを持っている  こととも思えた。 ・・・・「チェキ写真がかわいい」というのは、やはり20代女子である私の娘も、自分ちのリビン グに家族写真をチェキ風にプリントしてたくさんディスプレイしているので、理解できます。 余白にメモやメッセージが書き込めるのもよさげです。なお、私の娘もチェキ機材は保有して おらず、スマホ撮影を「チェキ風にプリント」しているもので、専用アプリでプリント注文し、 最寄りの店舗で受け取るとのこと。 ・・・・フォトブックは、コロナにより市場拡大が失速した傾向が見られ、例えばキヤノンは 今年、いったん撤退しています。キヤノンは2024年中を目処に新サービス開始との意向では ありますが、「努めてまいります」との表現であり、再開を保証するものではありません。同社 の主力商品「フォトジュエルS」は私も利用していますが、写真印刷のクォリティに文句はない ものの、飾り文字やレイアウト、背景などが20世紀的で、このあたりが競争力の低下につな がったのかもしれません。 https://cweb.canon.jp/photojewel-s/ ・・・・私は残念ながら今年は「キレイな女子」写真をあまり撮れませんでしたが、春先までの 名所・写真映えスポットで観察している限り、インスタ的撮影は一段落し、TiKTok系の撮影を 見かけることが多く感じました。しかし、女性の「キレイに撮りたい、撮ってほしい」という願望 が衰えるはずもなく、「被写体であり撮影者でもありたい」「ワタシが撮るキレイなワタシ」とい うセルフポートレートジャンルは確固たるもののようです。 ・・・・デジタルネイティブ世代もぼちぼち結婚して子供を持つ年齢となってきており、彼ら彼女 らは家族の写真共有サービス「みてね」を大いに活用しています。 このサービスはMixi社のメガヒット商品であるが、自らの子育て期の記憶が薄れつつある 親世代(つまり私あたり)と、子供の写真を共有することで子育て情報、助言(あるいは小言、 説教かもな)も共有できています。  新規子育て世代は、月齢なりの発達発育に不安を持ちがちだが、「みてね」で共有されて いる現在の子供写真は、その子たちが大人になって子育てする側になるとき、貴重な記録 資料となるかもしれません。  我が家の場合、子供の撮影は、20世紀末に生まれた娘は幼稚園まではフィルム・デジタル 混成で、21世紀になって生まれた息子は、デジタルのみで写真を残してますが、とても月齢 ごとの記録をカバーできるほどの写真は残っていません。もちろん、「みてね」が物理的にも 商業的にも、これから先20年、現在のフォト共有サービスを継続できるかどうかは未知数で ありますが。 ・・・・それにしても、写真関係の統計を検索すると、しばしば「デジタルほどクリアには撮影 できないフィルム写真が、なぜか人気復活」という趣旨の記述によく出くわします。  2005年頃の記憶では「フィルムほどクリアーには撮影できないデジタルだが、利便性から 人気沸騰」というような表現が目立っていたと思います。  2000年代は、写真館で七五三撮影をお願いしても、デジカメは構図確認のための補助手 段であり、供給される写真にネガフィルムが添えられていたものです。老舗の子供写真館 スタジオアリスは、2006年まではフィルムであったとの情報もあります。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14186112664    上記は個人の顧客による推測ですが、スタジオアリスがフィルムからデジタルに移行する にあたっては壮大な中央制御システムを構築したようで、子供写真と顧客情報が高度な 個人情報であることに鑑みて、セキュリティも確保できる独自システムを2005年度から順次 導入した、との報道も残っており、上記の個人顧客の情報と時系列はほぼ一致します。 https://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0509/09/news061.html  なお、スタジオアリスは出自がフジフィルムグループ企業との合弁であり、その後、フジ フィルムとの事業提携も行って現在に至っているため、撮影機材にFinePix S3Proあるいは S5Proが使用されていたとの情報があります。    デジタルの普及とそれに伴うアナログの衰退、そして反動のようにアナログが復活してくる 傾向は、音楽メディアでも同様ですが、デジタル消費が時短と省スペースをもたらすことで 生じた時間と空間をアナログ消費にあてる。つまり時代に応じた余暇消費の最適化というも ので、最近言われる「モノ消費→コト消費→トキ消費」も新規のものではなく、人類はずっと それを繰り返してきたものだと思います。  たとえば最初期の写真は、相当な時間が掛かるし描写にも限界はあっただろうけれども、 絵画よりは格段に早く、精密で忠実な表現(再現)を可能にしたと思われます。かつて絵画 は、今日の記念写真の機能を果たしていたと思うのですが、写真にその立場を争奪されるこ とで、絵画は抽象画や超常画、戯画などの別方向に進み、かえって表現として多角化したよう に思えます。  写真のフィルムに対して、音楽のレコードはスクラッチなどのDJ用途で新しい表現に活用 されていますが、一方で「使用していると音質が劣化する」というレコード特有の要素も「時間 を楽しむメディア」と、むしろポジティブにとらえられる可能性があります。 フィルム写真は現像焼き付けに時間はかかるし、時間とともに品質は劣化していくものです が、それもまた「時間を楽しむ」ことでもあるのです。 ・・・・忘年会で4名と話をしただけで「若者の写真事情」を断定することはできませんが、大が かりな意識調査結果ではどうでしょうか。 https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000346.000044800.html  20代以下の「カメラ単体の保有率」は50%を切っていますが、スマホもかなり高性能なカメラ だと考えると、現在の20代はほぼ100%カメラを保有していると言えるでしょう。この調査にお いて一人の10代男性がカメラを保有している理由を「彼女を綺麗に撮りたいから」としている のが印象的です。  そもそもカメラはその歴史の大部分、「世帯普及率」が普及の指標であったわけですが、 1980年代に飽和状態に達したカメラの世帯普及率の数値に、2020年代のスマホは達してい るわけで、スマホをカメラに含めるなら、2020年代のカメラ世帯普及率は100%に近づいてい ると考えられます。 https://tokaigakuin-u.repo.nii.ac.jp/records/2495  上記「写真コミュニケーションの社会史」は論文ではありますが、写真趣味の人間にとって は楽しい読み物です。 「若い女性にとって写真撮影や写真そのもののハンドリングは日常的な行動パターンの一つ となり、写真は人との関係の中で消費するもの」 「高齢男性にとっての写真は道具立てにも注意を払うことが必要な特別な行為であり、写真 は消費するものではなく精魂込めて作り上げ鑑賞するもの」といった解析は、多分にステレ オタイプ的ではあるものの、若い女性にとって写真は、より日常のものとなり、高齢者が各種 オタク化していくことを予測した点では、概ね当を得たものと言えそうです。  カメラ単体での世帯普及率は低下しても、写真撮影機材としての世帯普及率は飽和に達 し、個人の撮影枚数も、1980年代とは比較にならない数字となっていると思われます。  ちょっと乱暴な言い方をすれば、1980年代の標準的なアマチュアカメラマンよりも、2020年 代のスマホ女子のほうが、総合的な写真技能は優れている可能性もありえます。感じ方も 考え方も人それぞれですが、写真をコミュニケーションのツールとして自由自在に活用する 若い人たちは、まぶしく、うらやましくも思えるものです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 以上、2点ほど、S9000氏は良く分析されていると思い、コキペにて記録させていただきました。 一部文脈などをオリジナルから変更しているところがありますが、これは私自身が見やすく、より 良く理解できる為に行った操作です。 私自身は、もう世間一般の写真事情には関心が薄れてしまい、既に関心は遠くなってしまったわけ ですが、昨今の老若男女達がどのようにして写真たるものを楽しんで居られるのかが分かり、大変に 有意義な分析だと思っています。 このフォトXP写真掲示板は、参加者のほとんどが高齢者であり、そういう意味では写真を楽しむ高齢 者達のサロン的役割を果たしているものと思われます。言わば現代のデジタルサロンですかね。

ミサゴ

ミサゴ

まず枝葉末節から。以前から気になっていたのですが、ディパッグ、バッグパックとは何ぞや? リュックサックとはどう違うのか?ということで。 ネットで調べてみると、背負うカバンということでデイパックッグもリュック同じものらしいです。英語と ドイツ語の違いくらいですか。デイパッグとバッグパックに関しては語源に忠実なバッグパックが先に あり、デイが付くと日常に使えるものとして後から出来たものでしょう。 このバッグパック、本来はアウトドア派のものですね。それを日常でもファッションとして使える様にした のがデイパックというものみたいです。 こういうアウトドアやネイチャー、自然派のブームが日常や都会にまで押し寄せたものに、自動車のSUV があります。スポーツユーティリティビークル。米国西海岸のアウトドア派の若者が、サーフィンやキャンプ などに便利だからと、車のタイヤを大きくし車高を上げ、さらに4輪駆動であればもっと便利ということで、 人気になったのがSUVなんですね。 あくまでもファッションですから、バックパックもSUVも都会の日常では能力を持て余しているわけですが、 そこは商売。都会向けに手軽なデイパックに、タイヤは大きいけど上に載ってるのはセダンという、ファッ ションライクな車が大流行です。 スポーツタイプの自転車も、バックパック、SUV同様に米国からの流行です。荷台がないのでデイパック との組み合わせは必需。今や世界中の人々アメリカンファッションを楽しんでいるということです。 そういえば写真ジャンルとしてネイチャーフォトというのもアウトドア派のアメリカンです。 そもそも写真やカメラ自体がアメリカから来たものですね。コダックです。ライカです。二コン・キヤノンで す。これら全てアメリカ人が認めたからこそ全世界に広まっているわけてでして。 渡良瀬遊水地 と言えば、栃木県群馬県埼玉県千葉県が一所に交差するところにある利根川水系の、 そして歴史的にも名の知られた(足尾鉱毒事件)、知る人ぞ知る広大な遊水調整地です。ネイチャー派 にも有名であるんでしょう。野鳥なんかで。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%89%AF%E7%80%AC%E9%81%8A%E6%B0%B4%E5%9C%B0 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2d/Watarase_Retarding_Basin%2C_GSI_2021.jpg この掲示板でもかつて二コン板で、お名前はもう忘れましたが、この渡良瀬遊水地の撮影を長期間に 渡って撮影をされていた方がおられました。栃木県の方だったかと記憶します。その写真群で私は始め て渡良瀬遊水地を知った次第で、関東に行くならば此処は絶対に欠かせないと今でも思っています。 https://photoxp.jp/cameras/nikon-d800 https://photoxp.jp/cameras/nikon-d90 4つの県に隅っこどうしが接するところにあるので、あれは我が県ではない、と思っている県民が多そう ですが、県民縄張り意識に囚われなければ、渡良瀬遊水地は北関東の中心地にあるわけなので、 4県民こぞって憩いの場としてほしいものです。地図でみれば池はハート型をしています。なんて可愛い。 とはいえ、渡良瀬遊水地とさらに広面積の無人地帯は栃木県にあるようです。消滅した谷中村もそう。 そして渡良瀬川の上流にある足尾鉱山そのものが栃木県なのですね。 写真には自分が眼についた私的日常をそのまま綴るというのがあります。スラムさんが典型だろうと 思います。そしてもうひとつ、作家的眼を持って意識的にひとつ処をテーマ性を持って追い続けるという のもありますね。前出の渡良瀬遊水地を地道に撮影された方がそうです。 前者が私小説的な随筆とすれば後者は長編小説という具合になりますか。やはり閲覧者の記憶に残る のは長編作家ですね。 この渡良瀬遊水地の投稿写真がこの1枚で終わるのかどうか。それとも続編があるのかどうか。ちょっと 気になるところです。(^^ゞ そうだ、タムロン500があるはず。 投稿されたお写真。ドンピシャのピント写真で、いつもと違い多少は絞って撮影されたのが分かります。 黒白写真は色がないのでやはりピントとシャープさは大事のようです。黒白写真では所謂レンズの味わ いというものが出ませんので、正直、勝負はコントラストと抜け具合と解像感だけになりますね。 もちろん良いレンズは発色やボケ味だけでなく解像力等にも優れていますから黒白写真はレンズを選ば ないというのではありません。高級レンズはやはり黒白を撮らせても優れています。 いや、黒白写真だからこそ本当のところは良いレンズが必要との思いが次第にして来ています。カラー の発色情報の分量を黒白でカバーしようと思えば、究極には細部にわたる破綻のない描写が求められ るからです。しかしオールドレンズでも最適絞りのスローシャッター(三脚)撮影をすれば驚くほどの高精細 な写真が撮れるはずです。こういう場合、レンズ中心部分であればレンズ価格の差はありません。 そうは言っても、今の人はカラーに慣れていて黒白写真の読み方を知りません。イメージの黒白写真で あるのならば普通レンズとJPEG撮影で十分ですかね。

雑文

雑文

「わびさび」、グーグルでちょっと検索してみました。(^^ゞ  ・・・そもそも「侘び寂び」とは? 日本特有の美意識である「侘び寂び」。 「侘び」とはつつましく、質素な ものにこそ趣があると感じる心のこと。 一方、「寂び」とは時間の経過によって表れる美しさを指します。 侘しい・・・心を慰めるものが無く心細い。 静かで物寂しい。 みすぼらしい。 寂しい・・・「寂しい」の意味 「寂しい」の「寂」という文字は「ひっそりとして静かなさま」を表すことから、 「物寂しい」情景や状況を表す際に使われます。 例えば、全く人の気配のしない路地裏や荒廃した野原 など、誰がみても「寂しい」状態であることがポイントです。 ・・・「寂しい」は、人の気配のない場所や物静かな状況。「淋しい」は誰かを失った孤独な心情に使われ ます。今回は、混同しがちな「寂しい」と「淋しい」の意味や違い、使い方、類語、英語表現などを解説しま す。・・・ 等々。こんな感じですかね。(^^ゞ  なお、 西行法師は全国津々浦々歩いているようで、こちら香川県の善通寺の里山山中にも西行庵があります。 えっー、こんな質素な庵に一時住まれていたのかと驚くほどです。 https://www.kukainavi.com/spot/watch/entry-34.html https://www.fureai-cloud.jp/_view/tie/doc/view/4426/ 私が言うところの風水、西洋占星術では、わびさびとは蟹座であり月です。つまりは母親であり、無償の 愛を示します。自らは腹をすかせボロを纏っても子どもには恥ずかしくない格好をさせる。それが何よりも 喜びでありまた強さでもあるのです。 それを美意識に転化させたのが、所謂わびさびではないのでしょうかね。本来は美とは何の関係もない ものなのですが、日本人のもうひとつの特徴である華美でエネルギッシュな獅子座的な美学がそうさせる のでしょう。蟹座的な母に大事に育てられた、獅子座的な子どもの、その眼で母を賛美しているような。 しかして、わびさびとは日本人特有の、母親のような生き方を美意識化させたものだといえそうです。 海外で話題の映画、ゴジラ・マイナスワンを見てきました。マイナスというのは戦争でゼロになった日本に さらに追い討ちをかけるように、ゴジラが上陸し破壊をして、ゼロからマイナスになっちゃった・・ということ から名づけられたようです。 映画では敗戦直後の東京が映し出されます。東京は瓦礫の山で人々はボロを纏っています。わびさび そのものの時代ですか。しかし海外の反応では、この映画は美しいといいます。映像も美しいのですが、 やはりそのストーリーが美しいと感じさせるのでしょうかね。 この映画、なんと年明けからは黒白映像で再上映されるそうです。今度は黒白でゴジラを再度観ようか と思っています。

雑欲

雑欲

私の黒白写真とは何か。それが次第に分かりつつあるように思います。黒白撮影に嵌ってしまった わけですが、そのスタイルとしては、よくよく考えてみれば・・・ 例えば、F344さんの三脚を使った写真。氏は三脚撮影以外の撮影はほとんど見られません。 そして、シッポ座さんの、オールドレンズでのマニュアル撮影。これもそれ以外の撮影はないのでは。 こんな感じで、本来オールマイティに撮影できるデジタル写真を、敢えてその撮影スタイルや撮影手法 を狭めることで自身の写真をやられているわけですが、そういうのと同じように、私も黒白撮影をやって いるだけじゃないかと考えれば、至極納得のいくことであるのです。 撮影手法やスタイルを狭めれば、これは撮影枚数は自然と落ちます。その累計総情報量は少なくなる というわけです。三脚での撮影は極めて撮影枚数は少ないはず。MFと露出マニュアルも自然と撮影数 は少なくなります。 それからスラムさんの、これは投稿のスタイルですが、低ピクセルでの投稿ですので当然に情報量は 少ないです。そして私の黒白撮影も同様であって、撮影枚数は多いのですが(手持ちだしAF撮影で)、 しかし黒白にすることで情報量はカラーに比して1/3になるのです。JPEGスモール撮影なので、さらに。 こういう具合に、身に余ったデジタル写真の過剰情報量を自ら減らしていくというスタイル。その手法。 これがデジタル写真時代に於いて、自らを失わない手法でスタイルなのではないかと思い立ったわけ です。 そう考えると、私の黒白写真なんぞは決して新しい手法ではなくて、F344さんやシッポ座さん、スラム さんの後追いをしていただけだと理解できます。そしてこういう撮影者自身の独自なスタイルは、自身 以外には通じることはなかろうということも理解できるわけです。 三脚撮影は分かってはいてもそれを常用する人は少ないですし、マニュアル撮影にしてもそうです。 良さそう、面白そうだと表面的には理解できたとしても、それを自分の撮影・写真スタイルとする人は ほとんどいないでしょう。 しかし三脚撮影も、マニュアル撮影も、嵌ればはまるんではないですか。私も当然にそれらを少しずつ やったことはあるんですが、それに強く親しむことはありませんでした。そして私が嵌ったのは黒白写真。 方向が違うだけで、そういう特定の写真術に敢えて自分をはめ込むことで得られる充足感というのは 確かにあるんです。自分はもうこれ以外のスタイルには行かないという決意のようなもの。 しかしこれはよっぽどでないと、その境地には行けません。私にしても黒白写真を知らなかったわけで はなくて、黒白写真しか撮れないカメラを手にすることで初めて、それを突破できたのですから、如何に その関門が高いのかがわかります。 こういう独自スタイルを獲得すると、写真とか機材とかに目移りすることがなくなります。色んな写真を 撮りたいとか、種々の機材を使ってみたいという雑欲がなくなるんですね。つまり目移りをしなくなる。 ストレートに自分の写真に向き合うことができるようになるのでしょう。 機材欲がいっぱいだった私が、黒白写真以降に購入した機材は、ペンタモノクローム用にと購入した たったのレンズ1本だけ。今まで自分からすれば驚くべき変貌です。 結局は雑欲の排除というものが本筋としてあるんではないですか。そしてそれは写真としての情報量 を低減することではじめて得られるもの。この情報量逓減の法則というものがあるということ。これを 知ることが極めて大事だろうということです。 ※投稿写真は石仏ですが、実は彩色している石仏なんです。それは黒白写真ては分かりません。 良い具合に彩色が薄れてきてイメージーなんですが、それを(記憶として)知っているのは撮影者である 私だけ。しかしその楽しみを他者に伝えようという気は起きません。写真や撮影の自分だけの楽しみ を全て伝えるというのは本当はできないものですし、またそうすべきだとも思いません。そういうのも 雑欲のように思えてます。

雑文

雑文

鎌倉七切通(かまくらななきりどおし)、というものがあるようですが、この「けわいざか」もそのひとつ のようです。風情があって自分でも歩いてみたいと思わせる歴史道ですね。 https://www.trip-kamakura.com/article/10252.html アマチュア写真人の間で、歴史と写真趣味が結びつくことは滅多にないのですが、歴史好きの人が その記録として写真を撮るということはごく普通にあります。 また、写真趣味人ではない里山好きの人も、道しるべとして多くの写真を撮りネットに投稿されてい ます。この写真に対する、写真人と一般人の考え方のギャップの差はけっこう大きいんですね。 よくカメラを持って歩いていると、一般の方から、「写真趣味とは、良いご趣味をお持ちですね」と、 言われることが多々あります。しかし私としてはそのお世辞には違和感があるんですよね。こっちと しては普通の方と同じようにして、ごく普通の記録写真を撮っているつもりなんですが、そうとは見ら れていないことに不満足感がつのるのです。私は、普通の歴史好き、神社仏閣好き、里山好きの 人間として見られたいと切に願っているのですから。 持参しているカメラの大きいことが理由だろうというのは分かっていますが、自分の中では心苦しさを 感じています。 そうは言っても、アマチュア人として見られて有利なところもあります。地元の人が、この撮影をしている 人物は監督官庁の役所の人間なのか、それとも業界のプロが?と疑いの目で見られそうになった時、 写真が趣味でーす。と言えば彼らの疑いの眼は晴れるからです。アマチュア写真人は人畜無害として 一般には見られているからですね。特に大きなカメラを使うヤツはバカだと。(笑) 冗談はともかくとして、けっこう一般人はアマチュア写真人を観察しているところがあります。 私としては未然のトラブルを避ける意味でも大きめのカメラを態と使っているところがあります。堂々と バカさをアピールするというか。 最近などは黒白JPEGで撮影しているから、もしも、撮った写真を見せて下さい。と言われて見せても、 なんだ、黒白写真か。こいつは本格的なバカだったのか。と思われるだけです。

雑文

雑文

⑳+⑤ 先日の新聞記事。フジフイルムのチェキが売れているそうです。売上高1500億円に。15年3月期に 比して今年は3倍。4期連続して過去最高の更新が続く。 写真をプリントする不便さがスマホ世代に新鮮。専用フイルムの生産供給が追いつかない状態。 チェキにスマホに接続すればスマホ内に撮り溜めた写真もプリントできる。世界のチェキは数千万台。 年間10億枚が撮影される。スマホでは年間数兆枚撮影されるという。これもチェキは取り込みたい ということらしい。 富士フイルムHDの24年3月期の連結営業利益のうち、最大のものはヘルスケア部門で1120億円 だが、カメラなどのイメージング部門は、前年比21%増の880億円。全体の3割。そのイメージング 部門の営業利益のうち数百億円をチェキ事業占めて、営業利益率は20%と全部門で最も高い。 欧米が最大市場、ついで日本や中国などのアジア市場。 販売が伸びている背景には、アナログ感やレトロな味わいがスマホ世代に支持されているという。 チェキはフイルムが出てきて数分間かけて徐々に写真が浮かびあがる。そのアナログ感や粗い質感 がエモいという。タイパなど効率を優先するデジタル社会に息苦しさを感じる若者は少なくない。社会 分析として、効率的な社会が進めば進むほど、非効率だが自分だけの体験が楽しめるアナログへの 反動が背景にあるという。 ※エモいとはエモーション、エモーショナルの意味か。感情・感動的? ※タイパはタイムパフォーマンスらしい。コストパフォーマンスがコスパなのでもじったのでしょう。 とまあ、こんな感じの記事でした。 そしてすぐさま思ったのは、私自身の黒白回帰もこのチェキ現象と変わらないのだということでした。 チェキのじんわりと絵が出てくるというのは、黒白フイルム時代の暗室での現像を思い起こしますし、 粗い画質というのも情報量の低下ということで黒白写真と共通しています。 つまり人間、あまりにも高効率で過剰情報量という状態には耐えられないというか、そんなものは長続 きしないということでしょうね。それは極めて非人間的であり、そもそも人間の脳はその仕組みから して、そのような状態には馴染めないということでしょう。 さらに思ったのはタイパ世代ではない比較的時間の余裕のある高齢者は高画素で高画質なカラー 写真でよいけれど、タイパ世代の若いスマホ世代では逆転していて、低画質の情報量の少ないアナ ログ感を感じさせる写真がよいのだということですね。現代の写真趣味世代は、もう高齢者ばかりで あるというのも、そういうことが背景にあるような気がしてなりません。 チェキも黒白写真も、自分だけの密やかな楽しみであるということでも共通しているのが特徴です。 しかしそれは極めて重要であるわけですね。この自分だけの楽しみというのは一見して、非社会性の ように思われるかもしれませんが、そのような現象が広く行われていれば、それは結果として社会現象 になるわけです。 デジタル写真はここに来て第3世代に突入したという感想を持ちます。 第1世代は写真がフイルムからデジタルに移行した時代。 第2世代はデジタルカメラが高画質化し、他方でスマホというモバイルカメラが登場したこと。 そして第3世代とはその反動で、いつでもどこでも写真+高画素高画質な写真から、もう一度写真を 見直してみようかという新たな時代でしょうか。 こうして考えてみると、私が黒白写真にすんなりと慣れてしまったというのが良く理解できるように なったと言いますか、それもひとつの社会現象であったということで納得ができるようになりましたね。

雑文

雑文

⑳+⑥ 新聞記事で、エヌビディアの論説がありました。このAI企業は台湾系アメリカ人のジェンスン・フアン が共同設立し以来CEOを勤めています。記者会見や講演では黒い革のジャンパーを着ることが多く、 これの写真を見たことは多いでしょう。かっこよくて中華系に見えない風貌です。 99年に最初のGPU(グラフィックボード)をリリースし、以来パソコンのパーツとしてはビックネームです。 特にゲーム機では絶対的に地位を占めています。このGPUチップの半導体を実際に製造しているの が台湾のTSMCですね。 そして記事では現在の生成AIブームは、このエヌビディアのGPUの存在なくしては成り立たなかった と書かれています。生成AIはニューラルネットワークの技術に基づいていますが、現実には膨大な 計算量が発生し、それを逐次こなしていく強力な並列的な計算能力がものをいいます。 GPUはゲーム機などのモニター画像の生成能力に進化した半導体ですが、これが生成AIに向くと いうことらしいです。ファン氏がAI市場に自社のGPUが能力に気づいたのが2012年。4年後AI向けの スパコンをオープンAIに納入。以来そのスパコンが生成AIの開発に使われています。 つまりゲーム機とAIは計算力がモノを言う世界であり、ゲームとAIは近似にあるということではない でしょうか。 ゲーム機の画像をリアルに表現しようと思えば光の陰影をつけることですが、そうすれば立体的に 見えますからね。その処理は膨大となりますし当然に動画ですからスピードを求められます。そういう ゲーム機で鍛えられたエヌビディアのGPU半導体。これが事実上、現在の生成AIブームを引き起こし ているということです。 ここまで書いてきて、なんだ、生成AIとはゲーム機の副産物というか、もしすれば生成AIとはゲーム 機そのものではないのかと私は思いました。しかしだからこそブームになるんですね。ゲーム機は 世界中で人々を虜にし売れまくっています。(世界中のゲーム機はどれほどあるのでしょう、任天堂 からプレイステーションそしてインターネット参戦ゲームまで) ゲーム機が市場して成り立つように 生成AIも世界を席巻する。その基本はゲーム性でしょう。そしてその内幕は単純で膨大な計算世界。 別の見方をすればAIなんて言っているけどそれはゲームAIだったというわけです。 しかし記事はゲームだからといって侮ってはいけないとも書かれています。あのゲームの世界が、 もし現実化すると思えばそれは震撼すべきことではないですか。世界の人々はゲームの中の無数 のキャラクターと同じようになるということで、それを生成AIがこれからモニターの中の世界ではなく、 この現実の世界で作り上げていくということに他ならないのですから。 とはいえ、私はそんなに大げさなことは起きないと思います。バーチャル世界とリアルな現実世界とは 全く異なるからです。それでも我々の意識が、これから生成AIに迎合して、人間自体がゲーム化、バー チャル化するのは避けられないことだと考えています。 例えば既にデジタルがもたらす写真世界に於いて、我々はそのモニター画像が本物のように錯覚を しています。それを与えてくれたのはエヌビディアのGPUですね。そしてGPUという半導体は写真画像 やゲーム画像だけでなく、これからは人間の思考にまでその影響力を及ぼしていくというわけです。 画像生成だけでなく、所謂ものを見るという視覚情報は人間の思考の中枢と深く結びついています。 上手く画像を作れるようになれば、それがそのまま思考をも制御するというのは容易に想像がつくこと ですね。画像生成GPUはそのまま思考の生成AIになるというの当然のことだったかもしれません。 そして以前からデジタル写真はゲーム脳に通じるのではないかと考えていましたが、これはハズレで はなかったようです。 私も黒白写真に慣れつつあるのですが、半年経過してみて、これまでの自分のカラー写真は現実とは 異なる作り物(生成画像)だったということが少しずつ分かりかけています。それはゲーム脳に近かった ということかもしれません。

雑文

雑文

⑳+⑦ 「ジオガイトが1400 万年前のカルデラ跡発見!」 「三豊コールドロン」 https://taikai.geopark.jp/2023/wp-content/uploads/sites/6/2023/10/%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%EF%BC%88%E5%89%8D%E5%B7%9D%EF%BC%89%E3%80%802023.0922%E6%9C%80%E7%B5%82%E7%89%88.pdf 「髙松コールドロン(クレーター)五座 一筆書き縦走」 http://shimanamitai.sakura.ne.jp/r3-2gcrater5.html こういうのがあるんですが、いづれも1400年前の巨大カルデラ火山の名残です。コールドロンといいます が、それにしてもあまりにも古い地質学的な年代ですね。 しかし、面白いことに、現在の地名で、三豊コールドロンの場合は、火上山があり、高松クレーターの場合 には日山(麓の自治会館には火山と・・)と、日妻山があるんです。ひかみやま・ひやま・ひつまやま・・・ こういう「火」のつく山は香川には他にはないと思います。 このような古い年代のコールドロンは日本各地にあります。別に珍しいことではないんですけど、現地名 との関連が面白いんですね。昔の人々はその山が古の火山の名残と無意識の内に気づいていたので しょうか。 香川の山の多くが、約1400万~1100万年前に起きた瀬戸内火山活動の名残です。そこで膨大な量の 溶岩や火山岩火山灰が溢れ出て、それが長い間に浸食されて残った部分が、今の三角山や台地状の 山となって残っているのです。当然にカルデラ火山レベルの巨大火山があってしかるべきだと言うことに なるのですが、それがやっと見つかりつつあるということで面白いかなって感じます。 火のつく山は香川には上記のものしかないと書きましたが、実はもうひとつあるんですね。高松市国分寺 町と綾川町にまたがる、火の山、及び火の山北峰です。 http://natsumomohana.lovesick.jp/hinoyama290225.html 高松クレーターに近いのでここも何らかの関連があるのかも。 こんな感じで、地質とか歴史とかの興味が私にはあるんでして、その関連で写真を撮っております。こう いうのは写真愛好家には少ないでしょうけど、一般の山歩き趣味の人や歴史好きの人とは通じるようで す。 写真愛好家の方々の興味の対象は、極めて限られていて、イワユル何々ジャンルという以外のものは 撮れないようです。その点は一般の方達の自分の興味のあるものを素直に撮影するのであって、写真家 よりも一般人が優れていると思うところです。 写真趣味の方々はどうしても美学というものが邪魔をするんですかね。それとも写真やカメラの事ばかり 考えていて、自分の好きな被写体とは何ぞや、ということに気が回らないのかもしれません。

雑

雑

⑳+④ 最近はもう、自分の眼と脳が黒白対応になっているかのようで、最初に見るモノクロ写真と、その同じ RAWデータからカラーを起こしても、後のカラー写真は不満足なんですね。なんか違うって感じてます。 自分が記憶している自然なカラーとは違って作り物の感じがするんですね。 人間は最初に見たものに強く拘るところがあって、その最初に見たものとは私の場合は黒白画像なん です。それで同じ写真をカラーで見ても違和感がでるんだろうなって思ってます。 これほどまでに自分が黒白写真、モノクロームに入れ込むとは思ってもみませんでした。想定外という のは、ほんとにあるんだということです。 私は写真は記録写真でよいとして、撮りっぱなしが多かったわけです。それで写真そのものに対する 思い入れは限りなく無くなっていたと思っていたんですが、そうではなったということでしょう。 カラーよりも黒白写真に拘泥するということは、まだ写真に思い入れが残っていたということですから。 面白いことに黒白になってから、撮った写真をけっこう見ているんですね。これもまた驚きです。 RAW+JPEGカラーで撮影している人は多いと思います。これのメリットはPC上で動作の速いJPEGで 確認をして、それがらこれぞと思う写真をRAWから改めて現像するほうがスピーディだからです。 それと同じ感覚で+モノクロJPEGで行くとPC作業の負担が軽減されます。肝は、PC保存時に、RAW とJPEGを別フォルダにして保存することです。 私の場合はモノクロしか見ないという前提でやってますんで、この別フォルダ保存は絶対条件ですね。 殆どはRAW保存のデータを見ることはありません。特例を除き、ほぼ完全にモノクロJPEGのSサイズで 完結します。 モノクロ写真はカラー写真に比べて情報量は1/3です。これはPC上データではなくて脳内の情報量の ことを言っています。この1/3というのは次元が違うというレベルです。したがって画像を見ても眼と脳 の疲労が異次元レベルで少なくなります。それで私は以前のように撮りっぱなしではなく、撮った写真 を大方に見ることができるんですね。 このモノクロで思い出すのが、かつてGEMさんが思い切ってライカモノクロームを買ってみようかと、 呟いたことです。もし彼がモノクロ機を使っていれば、もしかすれば、私のようにカラーを捨てることが 出来たかもしれません。 モノクロは情報量として1/3と書きましたが、JPEGのSサイズであればPC上でも軽快なデータ量である わけですから、PC操作の負担も劇的に軽くなります。カラーを捨て更にRAWを捨てれば、こんなにも 写真が楽になるのかというわけで、とにかく劇的な労力低減であるわけです。 何事も考え方次第。今回はそれを深く学んだという気がします。 写真に対する思い入れが自分にはまだ残っていたという発見は嬉しい気がします。もうカラーで撮影の 最後には、写真は自分の歩きという健康維持の為の方便に過ぎないとすら考えていましたからね。 カメラを手に持てば自然と歩くというわけで、その歩きこそが私の写真であると思ってましたから。 それが黒白写真を獲得して徐々に変わりつつあるということでしょう。そういうことでは私の写真の復活 をしてくれたのがモノクロ写真であるというわけ。なんか面白いものですね。 このように現在のデジタル写真を捉えている人は世界中で、もしかすれば私一人かも知れませんが、 いやどうしてとうして、世界というのは広くて、多分間違いなく私と同じ結論に達している人は、この日本 にも多く居られると思ってます。私の考えていることは誰でも意識があれば到達することなので同様の 結論を得ている人は多いでしょう。 ライカがモノクロームカメラを出した。そしてペンタックスも出してくれた。もうその時点で時代はモノクロ 写真への意識変革が始っていたというべきです。ペンタックスのリリースには、多くのユーザーがモノクロ カメラを願望していたという事実があります。 モノクロ専用機はカラー機と違い、絶対的にカラー写真は撮れません。カラー機をモノクロモードで撮影 したり、カラーRAWをモノクロ出力するのとは次元が違うからです。 モノクロ機をペンタックスに念願したアンケート提出のユーザーは、そういう覚悟を半ばは持っていたと 思われます。 しかし大部分のモノクロ機願望の人は、おそらく専用機であれば本格的な白黒写真が撮れるから、 それでモノクロ専用機が欲しいと思っていたでしょう。そういうこの私もそうでした。 しかし実際にモノクロ機を使ってみると、まあ確かに画質としてはカラー機のモノクロとは違うよねって 分かりましたが、私の場合はそれだけに収まりませんでした。 ペンタモノクロームを買われたユーザーの9割8分は、カラー写真がメインであって、たまにモノクロ機で 遊んでみるか、という優雅な使い方をされているはずです。 私の場合はやっぱり、大昔に黒白フイルム写真を10年くらいやっていたという実績があったからこそ、 100人中の98人とは違っていたのだろうと思ってます。 黒白フィルムの長巻を買ってきてそれをパトローネに詰めることから始まり、撮影したフイルムは現像 タンクで現像定着水洗をし、乾かしてカットして、そして暗室(自作の暗室の場合も)で、引き伸ばし機で 露光し、印画紙をフイルムと同じように、しかし今度は大規模に現像定着水洗をする。そして乾燥。 この手順のどれをとっても手抜きをすれば良い写真はできません。 こういうことをやったことがない人間に黒白写真の良さが分かるはずがありません。 写真趣味は簡単ですね。カメラを買ってパソコンでやるだけ。少し前はカメラとフイルムを買って写真屋 に任せるだけ。そういうのは自分で写真をやっているのではなく、やらされているだけなんです。 経済学的なコンシューマーとしての役割を果たしているだけ。間違ってもクリエイターじゃないです。 最近のバカ丁寧な二重敬語の、「写真をやらさせていただいています。」、そのものです。 カメラやレンズを買わさせていただいてます。 写真を撮らさせていただいています。 パソコンを使わさせていただいています。 ソフトウェアをつかわさせていただいています。 インターネットや掲示板を使わさせていただいています。 みなさん、写真を見てくれてありがとう、と言わさせていただきます。 つまりは人任せにすると自分は何も得られないということでしょうね。 黒白フイルム写真の経験がなければ本格的に黒白写真はできないのか。 そんなことはありません。デジタル時代でも黒白写真に邁進することはできます。ただし条件があります。 カラー写真を捨てることからしか始りません。 「写真をやらさせていただいています。」から抜け出すことでしかできません。 カラー写真をやめることができれば誰でも黒白写真をすることができます。これは二者択一ですから。 そうすると始めて「私は写真をやっている」と言えることができます。 というのは、もちろん大嘘です。(笑) 写真は楽しければ良いのであって、それにはカラー写真は欠かす ことができません。黒白写真なんかに嵌る人間はどこか偏っているわけです。老後を写真趣味として過ご すことには意味があることですね。現代はビジュアルの時代です。その時代に遅れないためには、自ら 写真を撮影しPCやタブレットを操作しネットに参加することは有意義なことですね。 また写真をすれば色んな観光地にでかけ、人と交わることもできます。 ※投稿写真はJPEG1/4サイズ撮影をし、少しPCソフトでシャープネスを落としてます。二コンはキヤノン に比べて最初からメリハリがあります。レンズは24-70ズーム。

Camera Profile

D800について

発売当時の発表資料、専門媒体のレビュー、利用者の声から、この機種の位置付けと評判をまとめました。

登場した時代

D800とD800Eは2012年2月7日に発表され、D800は3月22日に、D800Eは4月12日に発売された。価格はオープンプライスである。1プレス ニコンデジタル一眼レフカメラ「ニコン D800 / D800E」を発売発表時の店頭予想価格は、D800のボディのみが30万円前後、D800Eが35万円前後、D800のレンズキットが40万円前後だった。有効約3,630万画素という画素数は、発表時に「世界最高」とうたわれた。2プレス デジカメWatchニコン、有効3,630万画素のフルサイズデジタル一眼レフ「D800」

発売の3日前、ニコンは予想以上の予約が入ったため、当面は納品に時間がかかる場合があると告知した。3プレス ITmediaニコン「D800」、予想以上の予約で当面は品薄にキヤノンも3月2日にフルサイズ機EOS 5D Mark IIIを発表し、D800と同じ3月22日に発売した。両社の新型フルサイズ機が同じ日に発売されたことになる。4プレス デジカメWatchキヤノン、「EOS 5D Mark III」を3月22日に発売

ラインナップ上の位置付け

ニコンはD800を、さらなる高画素・高画質化や小型・軽量化といった数々の要望を反映した製品と説明し、ハイアマチュアだけでなくプロにも対応できることを目指した。対象は、ネイチャー撮影やスタジオ撮影で高解像度を必要とし、中判デジタルカメラ並みの高画質を求める層である。1プレス ニコンデジタル一眼レフカメラ「ニコン D800 / D800E」を発売開発者インタビューでは、プロダクトマネージャーの松島茂夫氏が、D3Xを超える画素数として現状の中判デジタルカメラやデジタルバックを目標にしたと述べた。電気系システム開発担当の原信也氏も、画質面では中判デジタルカメラもライバルに含まれると考えていると語っている。5インタビュー デジカメWatchインタビュー:ニコンに訊く「D800」「D800E」の実力

D700との関係には諸説ある。当時の報道は、D800をD700の後継機と紹介した。デジカメWatchの発表記事は、D4と共通する機能が目立つ機種とも位置付けている。2プレス デジカメWatchニコン、有効3,630万画素のフルサイズデジタル一眼レフ「D800」一方、開発者インタビューで松島氏は後継機ではないと否定し、メカ開発担当の村上洋氏も「D700の上位モデルですが、どちらかと言えばD4に近い」と述べて、メカの機構はD4とほぼ同じだと説明している。5インタビュー デジカメWatchインタビュー:ニコンに訊く「D800」「D800E」の実力

後継機はD810である。2014年の新製品レビューで、デジカメWatchはD810をD800/D800Eの後継モデルと位置付けた。6レビュー デジカメWatch新製品レビュー:ニコンD810(機能編) 内部機構を一新、新機能も。人気のD800/D800E後継モデル

先代からの進化

D700との関係には諸説あるが、ここではD700との違いを見る。有効画素数はD700の1,200万画素から3,630万画素へ大幅に増えた。ファインダー視野率は95%から100%に広がり、記録メディアはCFカードの1スロットから、CFカードとSD/SDHC/SDXCカードのダブルスロットに変わった。AFには、クロスタイプ15点、F8対応11点を含むD4譲りの51点AFシステムを新たに採用している。7レビュー デジカメWatch新製品レビュー:ニコンD800

ボディはD4より軽く、大きさはD700に近いとされる。背面液晶は3型から3.2型に大きくなり、HDRモードと微速度撮影機能を新たに備えた。動画は最大1,920×1,080/30pのフルHD記録に対応する。ライブビューを背面の専用ボタンで素早く起動できるなど、操作系は下位機のD7000に近いものに改められた。8レビュー ITmedia有効3630万画素のフルサイズ機――ニコン「D800」インプレッション

ライバル機種との比較

dpreviewは、D800の競合機種としてキヤノンEOS 5D Mark III、ニコンD4、D700を挙げている。専門媒体の比較は総じて、D800の強みを解像度に、弱みを連写速度に見ている。D800の連写速度はFXフォーマット時で最高約4コマ/秒で、上位機D4の毎秒11コマに及ばない。9レビュー Digital Photography ReviewNikon D800 ReviewEOS 5D Mark IIIのレビューでも、D800は高い解像度を備える一方、連写速度ではEOS 5D Mark IIIに及ばないと評された。10レビュー Amateur PhotographerCanon EOS 5D Mark III review - full-frame bargain DSLR

センサー評価のDXOMARKは、D800に95点、EOS 5D Mark IIIに81点のセンサースコアを付けた。両社の設計思想の違いについては、原則としてキヤノンは感度に、ニコンは解像度に強みを持つと評している。11レビュー DXOMARKNikon D800 - DXOMARK

開発の背景

ニコンは、D3Xを上回る高画素・高画質化と、小型・軽量化の両立を開発目標に掲げた。1プレス ニコンデジタル一眼レフカメラ「ニコン D800 / D800E」を発売画素数について松島氏は、高感度画質なども含めてトータルで考慮した結果、3,630万画素に落ち着いたと説明している。5インタビュー デジカメWatchインタビュー:ニコンに訊く「D800」「D800E」の実力

同時に発表したD800Eについては、画像処理担当の武下哲也氏が、ローパスフィルターがない状態と同等の写りになると説明した。高周波成分がぼけていない分、コントラストのある先鋭感の高い画像を実現したという。5インタビュー デジカメWatchインタビュー:ニコンに訊く「D800」「D800E」の実力

利用者の評判

価格.comのレビューは352件で、総合満足度は4.80、星5つの評価が85%を占める。項目別では画質が4.85と最も高く、機能性4.71、ホワイトバランス4.68、操作性4.66が続く。最も低いのは携帯性の4.00で、それ以外の項目はいずれも4.4点を超えている。12レビュー 価格.comニコン D800 ボディ レビュー評価・評判

画質の高さは、利用者と専門媒体に共通する評価である。価格.comの項目別評価で画質が最も高いことに加え、発売時の新製品レビューも、圧倒的な解像感を「センセーショナル」と評した。7レビュー デジカメWatch新製品レビュー:ニコンD800

評判の出典

9件

内容の確認日: 2026年9月28日

D800で撮った写真の話題

この機種で撮影された写真に寄せられたコメントです。写真について質問したり、撮影設定を相談したりできます。

D800で撮った写真を投稿する