雑
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D800
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 70mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/100sec.
絞り値 F2.8
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 220
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 1367x2048 (1.49MB)
撮影日時 2015-12-03 21:22:16 +0900

1   kusanagi   2024/2/12 21:37

久しぶりの投稿ですが、実は写真の撮影もあまりできていません。しかし写真について考えること
が大だったわけで、そういうこともあって、少しは整理して書く気分が出てきました。
とあるネットのサイトでのやり取りは、私にとってはかなりのカルチャーショックだったと思ってます。
ああ、こういう人が居るんだということで、それは驚きであり、かつ非常に考えさせられましたね。
大まかでは、大前研一氏の低欲望社会の現象であるわけです。
この20年余ほど、日本は経済的に随分と苦しみました。米国が中国に大きく肩入れすることで、逆に
日本はパッシングされたというか、本来日本にあるべき技術や富が中国に流れてしまったのです。
その結果が日本の小子化ですし、若い世代の方は自らの欲望を抑えて生きざるを得なかったわけ
です。就職氷河期とかは記憶に新しいわけですね。そして数十万人といわれる無職の、就職ができ
ない人達も生み出しました。

写真とは何か。人それぞれに答えがあるわけですが、私の場合は、写真をすることで、野外に出歩き、
アクティブになったということがまず言えます。最初の頃は、3種のズームレンズを抱えて、イベントや
祭りの撮影に明け暮れました。そのころに知り合いになったカメラマンは多かったです。
さすがに、これは写真を撮り過ぎだということで考え方を改めて、風景撮影に振ったのですが、今度は
車で県外に出かけるというスタイルになりました。九州、山陰、紀伊、北陸、そして東北へと、撮影の
為に走り込みました。現在は地元香川と四国の撮影になっていますが、やはりカメラを持てば出歩く
という形になるのが普通だと思ってます。

写真趣味以前は、パソコンと読書という閉じこもった生活をしていましたので、写真とは何とアクティブ
なんだなって思うわけです。それが次第に研ぎ澄まされたというか、最終的には、山野の里山や溜池
の撮影に収斂していったような具合になってます。
しかし写真趣味というのは、やはり消尽的な部分が大きいとと思ってます。いわゆる道楽ですね。(笑)
出費が多くて得られるものは少ないです。これが読書やパソコンの時は、これも金は掛かりましたが
得られるものも大きかったです。パソコンは徹底的にやったので、その時に得た知識や技能というのは
今もって役に立ってます。
しかし写真はそうではないです。私が写真趣味で得たものと言えば、山歩きで体力を維持し、健康を
得るということだけだったと思ってます。それ以外はもう泡と消えてしまったという感じでした。(笑)

それはそうですよね。写真趣味って、積極的に何かを考えることじゃないですし、ただ感じて悦にいる
だけのようなものですから。だから道楽であり消尽であるということなのでしょう。
余談ですが、それが引っくり返ってしまったのが、黒白写真なんですね。カメラ機材の道楽が一変して
萎んでしまいましたから。
写真がカラーを捨て黒白になったからと言って、写真のもつアクティブさが影響を受けることはありませ
ん。カラー写真も黒白写真も撮影は何ら変わらないですから。ただ画像が違うだけです。

最近は忙しくて読書をする暇もないのですが、「半導体戦争・クリスミラー著」「情報Ⅰ・中山心太著」を
時間をかけて読み進めています。もう一度、自分はコンピューターの趣味に戻ろうという予兆かも知れま
せんね。しかし写真趣味を捨てることはありません。カラー写真はしないかも知れませんが、黒白写真は
始ったばっかり。これからが本当の黒白写真をやっていくということだと考えています。

そして冒頭に触れたカルチャーショックなんですが、これは写真を画像として究極にまで推し進めること
がどういうことなのか、ということを深く知る大きな切っ掛けになりました。
画像に埋もれ込むとでも言いますか、それは結局はモニタースクリーンに自分を埋没させるということ
ではあるんですね。
モニタースクリーンの罠とでも言いますがすか。古くはテレビやビデオ趣味。それから始ってテレビゲーム
やゲーム機、DVD、そしてインターネット、スマホにSNSなんかに変わってますが、よくよく考えてみれば
写真趣味というのも、そういうものの立派な仲間だったということなんです。
こういうモニタースクリーン文化というのは本物ではないですね。実物ではないという意味です。そして
写真は確かに本物を自分で撮るわけですが、それをスクリーンに映し出した瞬間から、リアルではなく
バーチャルに変貌してしまうというわけです。写真にはそういう罠が潜んでいるというわけです。

そしてモニタースクリーン文化というのは飽くまで受動的だということです。写真は本来、能動的である
わけですが、写真がカラーになり、そしてデジタル化して行くうちに次第に受動的な文化になっていって
しまったんではないですかね。
これをもう一度取り戻していかないと写真はダメになっちゃうという気がしています。
リアルを最小限にして、バーチャルを最大限にするという、そういう写真もあるんだということで、私は
大きなカルチャーショックを受けたわけですが、そういう写真にはやはり未来はないと思ってます。
そうではなくて、リアルを最大限にして、バーチャル(スクリーンモニター)を最小にするしか、そうして写真
をやっていくしかないと私は考えてます。
これは飽くまで私の考え方です。それと真逆の考え方感じ方をする人がいても不思議ではありません。
世界には星の数ほど様々な行き方があり、そういう生き方の表現をすることができるようになってます。
ですから否定はしませんが、それは私の行き方とは違うというだけです。

※写真は狛犬というか、ほぼ狛猫ですか。(笑) 寺院に付属した神社での撮影。

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