メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D800 |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 24mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/125sec. |
絞り値 | F5.6 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 800 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1367x2048 (2.12MB) |
撮影日時 | 2015-12-11 01:32:00 +0900 |
私の黒白写真とは何か。それが次第に分かりつつあるように思います。黒白撮影に嵌ってしまった
わけですが、そのスタイルとしては、よくよく考えてみれば・・・
例えば、F344さんの三脚を使った写真。氏は三脚撮影以外の撮影はほとんど見られません。
そして、シッポ座さんの、オールドレンズでのマニュアル撮影。これもそれ以外の撮影はないのでは。
こんな感じで、本来オールマイティに撮影できるデジタル写真を、敢えてその撮影スタイルや撮影手法
を狭めることで自身の写真をやられているわけですが、そういうのと同じように、私も黒白撮影をやって
いるだけじゃないかと考えれば、至極納得のいくことであるのです。
撮影手法やスタイルを狭めれば、これは撮影枚数は自然と落ちます。その累計総情報量は少なくなる
というわけです。三脚での撮影は極めて撮影枚数は少ないはず。MFと露出マニュアルも自然と撮影数
は少なくなります。
それからスラムさんの、これは投稿のスタイルですが、低ピクセルでの投稿ですので当然に情報量は
少ないです。そして私の黒白撮影も同様であって、撮影枚数は多いのですが(手持ちだしAF撮影で)、
しかし黒白にすることで情報量はカラーに比して1/3になるのです。JPEGスモール撮影なので、さらに。
こういう具合に、身に余ったデジタル写真の過剰情報量を自ら減らしていくというスタイル。その手法。
これがデジタル写真時代に於いて、自らを失わない手法でスタイルなのではないかと思い立ったわけ
です。
そう考えると、私の黒白写真なんぞは決して新しい手法ではなくて、F344さんやシッポ座さん、スラム
さんの後追いをしていただけだと理解できます。そしてこういう撮影者自身の独自なスタイルは、自身
以外には通じることはなかろうということも理解できるわけです。
三脚撮影は分かってはいてもそれを常用する人は少ないですし、マニュアル撮影にしてもそうです。
良さそう、面白そうだと表面的には理解できたとしても、それを自分の撮影・写真スタイルとする人は
ほとんどいないでしょう。
しかし三脚撮影も、マニュアル撮影も、嵌ればはまるんではないですか。私も当然にそれらを少しずつ
やったことはあるんですが、それに強く親しむことはありませんでした。そして私が嵌ったのは黒白写真。
方向が違うだけで、そういう特定の写真術に敢えて自分をはめ込むことで得られる充足感というのは
確かにあるんです。自分はもうこれ以外のスタイルには行かないという決意のようなもの。
しかしこれはよっぽどでないと、その境地には行けません。私にしても黒白写真を知らなかったわけで
はなくて、黒白写真しか撮れないカメラを手にすることで初めて、それを突破できたのですから、如何に
その関門が高いのかがわかります。
こういう独自スタイルを獲得すると、写真とか機材とかに目移りすることがなくなります。色んな写真を
撮りたいとか、種々の機材を使ってみたいという雑欲がなくなるんですね。つまり目移りをしなくなる。
ストレートに自分の写真に向き合うことができるようになるのでしょう。
機材欲がいっぱいだった私が、黒白写真以降に購入した機材は、ペンタモノクローム用にと購入した
たったのレンズ1本だけ。今まで自分からすれば驚くべき変貌です。
結局は雑欲の排除というものが本筋としてあるんではないですか。そしてそれは写真としての情報量
を低減することではじめて得られるもの。この情報量逓減の法則というものがあるということ。これを
知ることが極めて大事だろうということです。
※投稿写真は石仏ですが、実は彩色している石仏なんです。それは黒白写真ては分かりません。
良い具合に彩色が薄れてきてイメージーなんですが、それを(記憶として)知っているのは撮影者である
私だけ。しかしその楽しみを他者に伝えようという気は起きません。写真や撮影の自分だけの楽しみ
を全て伝えるというのは本当はできないものですし、またそうすべきだとも思いません。そういうのも
雑欲のように思えてます。