メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D800 |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 42mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/400sec. |
絞り値 | F10 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 800 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1141 (1.9MB) |
撮影日時 | 2015-12-29 23:06:01 +0900 |
こういう近接撮影は、私は滅多にしないのですが(上部を少しトリミングしています)、たまには撮り
ます。私の撮影は眼の高さで普通に遠景を撮る写真ばかりですから。
このような写真には説明が必要でして、これは墓地の隅に捨ててあった切花です。地蔵さんに供えて
あったもののようです。地蔵さん撮影時にもおばさんがちょうど新しい花を持ってきて供えていました
からね。
まだまだ綺麗な花でして、捨てられた花ではあっても美しいと思いました。
カラーだともっと綺麗なのかもしれませんが、黒白だとこんな感じになります。画像は少しマゼンダ色
を乗せてます。陽が差し込んでいてコントラストの高い絵となっています。
写真画像と文はセットで考えるのが普通なかって考えてます。だいたい写真のタイトルというものが
そもそも言葉ですからね。さらに説明文やコメントをつける場合もあります。写真集だと連続して写真
を配置すると説明文は省かれる場合が多いですが、本の巻頭や末尾には長文があります。
写真が黒白の時代だった頃は特に説明文が必要でした。今でも新聞や本には写真への説明文は
だいたい着いているはずです。
写真がカラーになり高精細になるにつれ、見れば分かるだろうということで言葉や文は省かれる傾向
にあるんですかね。良く知りませんが。
私はあまりモノを見つめるという近接撮影をしない性質なのですが、これからはもっと事物を見つめる
ということをしたいなと思いました。
づふあんさんの写真はよくよく見て考えられた写真を投稿していますね。翻ると私は本当に何も見ず
考えずに写真をショットしていたことが分かります。
フイルム時代は私も良く考えて撮影をしていました。何せフイルムは36枚で1本なので貴重であった
わけです。ところがデジタルになって湯水の如く写真を浪費していることに気づくわけです。(笑)
それではいかんなって思います。撮影の足を急ぐあまり、なおざりになっていた、良く見て撮る、という
ことを再び思い出していかなければならないと思ってます。
こんにちは。
いまから20年まえ、私が写真を始めたころにプロとして駆け出し始めたカメラマンの方がインターネット上で書いていました。
「写真が上手くなりたかったら土門拳の『拳魂』を読め」
私はさっそく図書館に行ってかりてきて、それでも飽き足らずに本屋さんで注文して、いまでも『拳魂』は本棚に収められています。
その『拳魂』に書かれていたこと、それはまさしく「観察して撮りなさい」というものでした。
当時私は24枚撮りのフィルムで写真を撮っていて、この24枚を1回の撮影で使い切るというスタンスでいました。
そうなると、なるべく無駄(失礼)なカットはなくしたいのです。
でも、フィルムの最初の方は被写体への遠慮があって、あまりいい写真になりません。
でも、リズムがついてくると、被写体とのほどよい距離を保つことが出来るようになります。
このリズムこそが「観察して撮る」ということなのかなと私は思った次第なのです。
相手の良さを引き出す写真。
土門拳のポートレートの場合は相手の内面を「えぐり出す」そうで、私とは全く違うのでしょうけど。
それでも私は相手の良さ、素材の味を引き出したいと思っています。
心の師をあおぐ土門氏とは別の道を歩んでしまいましたが。
でも(でもが多いなぁ)、一番の大切なことはやはり「観察して撮る」ことなのだと、それはいまでも思うのでした。