モノクロの眼 モノクロ思考
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D800
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 35mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/500sec.
絞り値 F11
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 800
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 1367x2048 (2.04MB)
撮影日時 2015-12-29 22:49:36 +0900

1   kusanagi   2024/1/21 21:44

グラフックデザイナーの方の話は興味深く読みました。デザイナーは常日頃から、視覚効果とか
色や形が人の脳に及ぼす威力を、常に実践的に考えておられると思うので、傾聴に値すると思って
ます。強すぎる刺激は視覚神経や思考能力を疲労疲弊させるのかもしれませんね。

それで、モノクロは刺激の強いカラー画像に比べて、それを人々は象徴的に言って、モノクロの眼・
モノクロの感性・モノクロ思考、というものとして語られるのでしょうかね。
たしかにそう考えると、カラーとモノクロの境界線というものは厳密にはないわけですが、しかし
実践的に言えば、やはり過剰すぎたカラーの過剰な刺激情況から自由になるには、思い切って
カラーを捨てて、モノクロのみに深く突入することが求められるのかもしれません。

RAWカラーというのは極めて魅力的で、多くの写真人がそれに虜になっています。この抜きさり難い
魅惑性により、人々はレンズ沼に浸かり機材オタクになってしまうのではないですか。勿論この私
もそういう類の人間の一人でした。
ペンタモノクロームというのは、カラー情報がないというだけで、機材としての能力や魅力は並外れ
ています。色イロ感はないけれど、キラキラ感は凄い。そういうカメラです。それで機材沼に浸かった
人間をも揺り動かす力があるのでしょう。
魅力的なカラーを捨ててモノクロに行くというのは、よっぽどの力が働かないとできません。

そしてこのカメラを一旦使うと、私も含めてユーザーは、モノクロの目というものに目覚めてしまうよう
なところがあるのかも知れません。一旦、モノクロの眼やモノクロの思考回路に火が点いてしまうと、
長らく眠っていたモノクロの目が起動して、脳全体がモノクロの思考というものによって変換され、
それまでの長期に渡って疲弊していた脳が自然治癒で回復される。
そういうようなところがあるんではないですかね。・・・どうもうまく表現はできませんが。

つぶあんさんの場合、最初からRAWカラー病に罹患していないようなので、この話が通じるかどうか
は分かりませんが、私のようにどっぷりとRAWカラーに浸かっていた人間からすれば、モノクロの目
というものに自分が変わったことは晴天霹靂の事態であったわけです。
そういう自分に戸惑い、且つ情況が掴めずにいて、様々に分析をしてこの掲示板にも連ねました。
間違ったことも沢山書いていると思います。

ところで「モノクロの目」と並んで、「モノクロは写真の原点である」、ということも良く語られます。
それは歴史的にカラー写真よりもモノクロ写真が最初に出来た、ということに留まらず、写真画像の
基本はモノクロで充分に習得できるからでしょう。むしろ過剰な情報であるカラー情報がない方が、
より良く写真の本質を理解できるということでもあると思ってます。
モノクロが基本であり、カラーは応用に過ぎません。何の技能習得にも言えることですが、基本を
確り身に着けて、それから応用に取り掛かるというのが正しい道筋です。基本を知らず最初から
応用のテクニックばかりに目が向きますと、物事は上手くいきませんね。

そういう意味では、私が若い時に黒白フイルム写真をやっていたという経験は貴重でした。
もしこれがなければ、私は永遠にモノクロの目を持てなかったかもしれませんね。
しかしそういう私もデジタル時代の写真では、最初からRAWカラーです。白黒写真は考えたことが
ありませんでした。このカラーの眼や脳へ癒着は強力であって、それでカラー機でモノクロに行く
ことは、ついぞ出来ませんでした。
ペンタモノクロームという強力な専用機でもってしてしか、RAWカラーの脳への癒着を引き剥がす
ことは出来なかったというわけです。

多くの写真人は、デジタル写真はRAWカラーに決まっているだろう、と信じて疑っていないでしょう。
そういう私も、他人のことは言えずで半年前まではそうでしたから。
しかしそれは写真として一元の理はあっても、全体的には正しくはなかったということです。
ところで、私はモノクロの眼、モノクロ思考というものを本当に獲得できたのでしょうか。(笑) 
まだまだ不安はあります。つぶあんさんの様に深くは理解できていないと思っています。

そういうことでは、ペンタモノクローム機は私の守り神のような位置にいて大変貴重であり、定期的
に持ち出して撮影しています。このカメラを使う時はこれ一台だけで行き、カラー機(モノクロモード)
との併用はしていません。
カラー機のJPEGモノクロモード撮影は、同時記録でRAW記録もやってますので(そのデータを見る
ことはないとは言え)、それはやはりカラーカメラですね。
つぶあんさんのように、最初からモノクロJPEGでのみ撮影するのならば、それは確かにモノクロカメラ
と言えるのですが。

私はこの写真の基本とも言えるモノクロの眼を失いたくありません。今後も決して忘れないで行こうと
考えてます。
※投稿写真は、設定を間違ってJPEGモノクロではなく、カラーSサイズで撮ってしまったものです。
気づいた後はモノクロ設定に戻しました。JPEGカラーなのでキラキラ感は乏しくフラットで柔らかい
描写となります。

2   つぶあん   2024/1/22 04:37

こちらへも、こんにちは。
ふと思ったのですが、若い人ほどモノクロでものを見ているのかもしれません。
と言いますのは、若い人は漫画を読んで成長してきたからです。
漫画というのは基本的に白黒で、それなのにそこに色があるのです。
「このキャラクターはこの色だよね」という色。
それがアニメ化されると本当に色がついて、「ああ、やっぱり」や「そんな色だったんだ!」だったり。
そう考えますと、モノクロには受け手のなかで自由に発想する余地があるということになります。
カラーだと自分の意図した色を出せなければ伝わらないこともありますから。
「カワセミはもっといい色なんだ」「この花はこんな色じゃないんだ」
私も以前はRAWデータを一枚一枚焼いていたので、その沼の深さはある程度知っているつもりなのです。
デジタルが苦手な色や、フィルムと比べてしまう自分。
ただ、私は写真を始めたころにインターネットの師匠から言われた金言があったのです。
「自分の写真に行き詰まったらモノクロを撮りなさい」
だから写真の基本はモノクロにあると、私も思います。
受け手に任せる写真。考える余地のある写真。
でなければカラーがこれほどあふれる現代においてモノクロ写真をわざわざやる人はいないはずですから。
ともすれば説明しすぎる自分の写真から様々な飾りを切り落としてくれるのがモノクロなのかもしれません。

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