メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS M |
ソフトウェア | SILKYPIX(R) Developer Studio Pro 5 5.0.44.0 |
レンズ | EF-M22mm f/2 STM |
焦点距離 | 22mm |
露出制御モード | 絞り優先 |
シャッタースピード | 1/32sec. |
絞り値 | F4.0 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1200x1800 (1,182KB) |
撮影日時 | 2013-09-06 14:36:31 +0900 |
一人暮らしのおじいちゃんです。
一人では退屈だろうからと時々話し相手になっております。
でも、壁には長嶋さんや麻生さんと握手している写真が並んでいたりします@@
いったい何者なんだ。貴方は。
喉頭癌切ったっていうのにタバコはスパスパだし~
雰囲気ありますねー
何者なんでしょ、長嶋さんとツーショットかぁ凄いですね。
どこか大手の会長さんかしら?セコムとか^^
stoneさん こんばんは
半ボランティアのようなものです。
前身は不明ですが、今はいろいろな病気と闘いながら頑張っておられます。
いつまでもお元気でいていただきたいものですね。
自己レスです。
春先の仮設住宅通いなんかもあり
老い、死について最近過敏になっております。
皆さんは恐怖感ってお持ちにならないのでしょうか。
ここは人生相談の場所じゃないって叱られそうですが・・・
こんにちは。
>死についての恐怖・・・
2度死線を彷徨う病気をした経験と今の身体状況(持病)からすると
行くところまで行こう!が心境です。
加齢によって体が不自由になったり痴呆になった時の心配が大きいですね。
自分の寿命を自分が決められるような法律を作ってくれないかと真剣に願っております。
毎日思いますよ
日毎に死に近づいてるって感覚があります。
「寝て起きて」が日常だけれど、いつか寝たまんま になるんですよね。早くそうならないかなと思う自分もおります。
死は怖くはないですが、事故死はいやだな逝くのは馴染みの場所がいい。
それと面倒な後始末を誰かにさせちゃうことだけが気がかりです
50オヤジの戯言にお忙しい時間を割いていただいて恐縮です。
写好さん こんにちは
大病をなさっておられるのですね。
行くところまで行く。病気をなされた経験からの気持ちなのでしょうか。
幸か不幸かこれまで健康に過ごしてきたことが精神的に災いしているのでしょうか。
身体が不自由になる。痴呆になる。これも怖いですTT
知人に糖尿病で両足を切断した方がおります。
見舞いに来る人は「そんなんじゃ死んだ方が良かったんでないの」なんて平気で言うそうです。
だめです。そうゆうのを聞いてもザワっとしてしまいます。
stoneさん こんにちは
>日毎に死に近づいてるって感覚があります。
それです。まさにその感覚です。
私、小学生の時からそのような感覚を持っておりました。
結婚して子育てしていた間は影を潜めておりましたが、
今回の震災でいろいろな方とお会いする機会を持ちまたぞろ頭を持ち上げて来たように思います。
「震災うつ」って奴なのかななんて勝手に思ってしまします。
仮設住宅でアルコールに溺れて、亡くなる50歳以下の方々が相当数おられるそうです。
被災していない自分がこんな状態になるってのは、やっぱり持病のせいなのでしょうかね。
面倒くさいですね。
だいぶ体が捻れている不思議なおじいさんですね。(^^;
酒やタバコ、止めちゃったら人生、楽しみがないでしょう。(笑)
死の恐怖ですか? 日常生活においての恐怖心は持つべき
だと思いますが、さて、死の恐怖というのは抽象的過ぎて正直、
実感がわかないのが普通だとおもいますよ。(^^;
若い時だったら、自分が大病や大怪我なんかすると、後に残さ
れた者を思うと心配で眠れないほどだと思いますけど、もう今と
なっては、自分が死ぬことにさほどの恐れはないですね。
まあ、私もそういう年齢になったということでしょうか。
stoneさんのおっしゃるように、自分の後始末ってことの危惧は
ありますね。寝たきりなんかとか。そういうことには絶対になり
たくはないですね。自分は最後まで健康で寿命を迎えると思って
おりますから。(^^;
一耕人さんが言われる、死の恐怖っていうのは、要するに生の恐怖
の裏返しなんじゃないですか。見栄という自分への生に執着
し過ぎると、その反作用としてそれを失うことへの恐怖心が出て
くるんじゃないでしょうか。
いろいろと持ち過ぎている人が、それを失うことへの恐れとして、
そういうものを自分の心の中で作り出す架空の恐れのように思い
ます。
日本人は本来、利他性の人が多いのて自分の死を恐れない人
が多いようです。恥という精神は簡単に個別の死の恐怖を乗り
越えてしまうんですね。
恥をかかない生き方というのは、ようするに日本人としてカッコイイ
生き方や死に方をしたいということです。
これ、枕詞として頭に、日本人として・・が付くでしょう。
日本人として恥ずかしくない生き方死に方という具合に。
前の戦争でも死を恐れずに戦ったというのはそういうことだろうと
思っています。
もちろん恥を捨てても生き延びるという選択もあるんですが、それは
自分の為ではなく、あくまで家族の為のものですから、これも
日本人としての正当な利他行為なんです。
今、東北の被災した方々は、津波や放射能でひどい目にあって
いるんですが、とくに人災という放射能は理不尽ですよね。しかし
それでも、日本人としてのあるまじき振る舞いだけはしたくないと、
そういう自己を強く律する、恥の美学というものが根本にあるので
はないですか。
私は被災者の方を間接的に見て、そう感じずにはいられないのです。
これ、もの凄いまでに高められた宗教心だろうと思いますよ。
海外の方が日本人を見て真に驚愕するのは、そういう日本人が持つ、
言わば恥の美学という、特別の天才的な宗教心だろうと感じています。
kusanagiさん
いつもありがとうございます。
おじいちゃん。これが料理が上手なんですよ。
若くして奥様を亡くされたそうで男でひとつでお子さん方を育て上げた腕をお持ちとのこと。
私も肴持参でお伺いし飲みながら世間話をしてきます。変な遊びしてますね^^;
先の戦争で亡くなられた何十万人という方々の心情を思うといてもたってもいられません。
きっともっと生きたかったんだろうなと思ってしまいます。
宗教ですか。助けてくれるんでしょうか。
頭がおかしい上に宗教にまで走っては家内に離縁状を突き付けられそうですので、自己解決できるように努めてみます。