あのとき
Exif情報
メーカー名 OLYMPUS IMAGING CORP.
機種名 E-M1
ソフトウェア OLYMPUS Viewer 3 2.0.1W
レンズ
焦点距離 15mm
露出制御モード 絞り優先
シャッタースピード 1/2500sec.
絞り値 F5.0
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 200
ホワイトバランス オート
フラッシュ なし
サイズ 3200x2133 (1,110KB)
撮影日時 2016-03-12 14:21:43 +0900

1   Ekio   2016/3/18 00:01

ちょっと暗い話題で申し訳ありません。
2011年3月11日、「あのとき」、この橋の上にいました。
左手が偕楽園、そして常磐線と国道をまたぎ、仙波湖(右手)に通じる橋です。
水戸の震度は6弱でしたが、橋の上ということもあって、完全に自分の感覚の降り幅をぶっちぎって麻痺していたように思います。
揺れがちょっと弱まった時に四つん這いで階段を降りて、正面の電波塔が水戸駅の方ではないかと見当をつけて向かいました。
結局のところライフラインは全て断たれて家に帰るにも帰れず、避難所に2泊することになりました。
あれから5年、いまだに震災の影響を受けている方もいると思うと心苦しいです。
「あのころ」、「神戸在住(阪神淡路大震災のころの設定)」の主題歌のタイトルより取りました。
https://www.youtube.com/watch?v=zAaHN39pP3o
◎Panasonic LEICA DG SUMMILUX 15mm/F1.7 ASPH.
アートフィルター「ドラマチックトーン」

2   Ekio   2016/3/18 07:17

すみません。「仙波湖」は、「千波湖」の誤りでした。

3   ペン太   2016/3/18 20:13

正にちょどその時・・・

 水戸に居られたんですね。
橋の上で震度6の揺れに成すすべもなく・・・・
如何ほどの恐怖だったのか、想像する術がありません。

 結果、サバイバルの後 今 またこうして
お写真を通じて交流させて頂いている事に よかったな~っと思うばかりです。

 生きている内に遭遇するかどうかは分かりませんが、 名古屋東部を拠点とする私も 東海・南海大地震に巻き込まれたら 或る日突然・・・・・
と思うと やはり生きている内に 綺麗な自然を沢山見て 撮って・・と色々考えさせられますね。

 ドラマチックトーンでの処理が、何気無い景色に・何気無い景色だから・・・ 恐怖感を与えています。

4   Booth-K   2016/3/18 23:25

あのとき、私はお休みで、しかも家族全員家にいたんですよ。帰宅難民にはならずにすみましたが、それでも記憶にはしっかりと刻まれてます。皆さん、それぞれの、「あのとき」があるんでしょうね。

5   Ekio   2016/3/19 05:42

ペン太さん、Booth-Kさん、ありがとうございます。
まさか出かけた先でのタイミングで、このような体験をするとは思ってもみませんでした。
避難所では、たまたま水戸の大学の受験するために前泊していた高校生がいたりして不思議な境遇での出会いもありました。
4年生の大学であれば今年の卒業、きちんと大学受験に向きあえて卒業できたことを祈るばかりです。

6   masa   2016/3/19 08:14

Ekioさん
あの時、この橋の上にいらしたんですか!

私はお堀端近くのホテルで会議をやってました。直ちに中止して、歩いて築地近くの会社まで戻りました。
エレベーターが止まっていて11回の自室までゼイゼイいって上がったら、壁の書棚が全部開いて書類が床に散乱していました。執務していたら肝を潰したことでしょう。
女房は電車に閉じ込められたそうで、携帯メールで無事が確認できたのは夕方近く。私は会社に泊まって翌日午後やっと動いた電車で家に戻りました。

11日には国立劇場での震災五周年追悼式に参列し、天皇陛下のお言葉と、被災三県の遺族代表の言葉を聞きました。頑張って生きて行こうという勇気に溢れた言葉でした。
総理大臣や国会議長、最高裁長官の挨拶は全く印象に残らない型通りのものでした。

7   ポゥ   2016/3/19 21:28

私はあの日、松本市の職場にいて、「随分大きな地震だな」
と感じ、テレビをつけてみたところ、まさに橋が砕けて沈み、
そこを通ってきた車が海に飲み込まれる、というシーンを
目撃しました。
凄まじい光景に言葉も出ませんでした。
それからしばらく、ACがひたすら流すCMは不気味でありました。
報道は、疑心暗鬼に満ちていて、権威というものが語る言葉が、
ことごとく胡散臭いもののように見えました。
恐ろしい一ヶ月でした。

8   Ekio   2016/3/20 08:42

masaさん、ポゥさん、ありがとうございます。
場所や境遇は違えどご苦労をなさったようですね。
私事ではありますが、震災のあった5月には父親が病気で亡くなると言うこともありまして、ボロボロの状態でした。
水戸を訪れる際には、日常のあり方をいろいろと考え直す機会になってくれそうです。

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