黒白写真
Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 EOS-1Ds Mark III
ソフトウェア Capture One 7 Windows
レンズ
焦点距離 28mm
露出制御モード
シャッタースピード 1/800sec.
絞り値 F4.5
露出補正値 -1.0
測光モード
ISO感度 200
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 1071x1522 (734KB)
撮影日時 2016-09-27 15:41:58 +0900

1   kusanagi   2016/9/27 22:20

黒白写真というのは、簡単に言えば情報量がとても少ないんです。
だいたいカラー写真の1/3だと思えばよいでしょう。2000万画素のカメラだと700万画素です。
そうですね、初期の頃の600万800万画素のカメラとおんなじなんですよ。
その少ない情報量で写真を作るのですが、これは如何に鑑賞者の目を引くか、想像力を働かせるか。
そういう勝負になるんです。ですから、被写体の意外性を狙うのは常套手段です。
意外性を狙って読者に考えさせるんです。また、そういうように読者を誘導して行きます。
それから黒白写真には山岳写真なんかを除いて、人間がというか、人の気配を埋め込むのも
重要なテクニックのひとつです。なぜならば人の気配というのは、誰でも容易に想像力が働き、
かつ身近に感じられる写真となるからです。
それから黒白写真では標準レンズを多用します。このレンズは人間が見て、普通と感じられる
親しみのある画角を得られるからですね。

それでちょっと無許可ながら裏街道さんのスナップ写真を黒白写真風にしてみました。(^^ゞ
トリミングで元の大きさの半分以下になってます。広角レンズの歪は人の目には違和感が
ありますからその部分はカットです。トリミングをしたことで標準レンズに近づいたと思います。
脱いだ靴は民家の玄関のイメージを誘うようにしました。しかしこれはバスなのでタイヤは必須
です。でも半分も写っていれば上等です。そう、バスにも玄関があるんですよ。(^^
玄関があれば奥の部屋もある。その奥の部分は暗がらず明るからずにしましたが、成功している
かどうかは分かりません。
この写真のキーポイントは、もちろん脱いだ靴です。誰が履いていたんだろ?なぜ脱ぐんだろう?
と想像力を発揮してくれると嬉しいです。靴とタイヤ、タイヤの留め具、アスファルト、そして
それらに射す光陰のライン。
靴に当たった光が靴の周囲の鉄板に僅かながらスポットライトを当てたような感じになってます。
この部分はこだわるべきもので、プリントをするときには注意深くやらなければなりません。
また陰が全体にややキツかったので画像的にはマイルドにしてます。ハイライトは抑えてます。
文字があります。出口、運(運転台)とか。これらもバスであることを示しています。

こういうような多種の要素を写真に埋め込んで、それで鑑賞者がこの写真をどのように読んでくれる
のか。そのようにやっていくのが黒白写真でしょう。
黒白写真って、要はそういうことなんですね。黒白写真って自己満足で終わる写真などではないと
いうこと。これは黒白写真に於いてとても重要です。
この写真を人様が見て、どのように考えてくれるのか。どんな想像力を働かせてくれるのか。
そういう期待感であり、また、場合によっては巧妙に、撮影者の意図に読者を誘導するわけです。
ですから、黒白写真には本質的に、自己満足という、アマチュアのカラー写真で言われるところの
自己限定というものがありません。必ず、読者がいての写真なんです。
コメントとかの外部の強制的な言葉ではなく、写真の中に他者とのコミニケーションを埋め込むん
です。
写真が自然と語りかけてくる。写真が笑っている。写真が泣いている。写真が怒っている。等とう、
写真そものものが生きていて、見るものを引きずりこまなければならないんです。
そして撮影者と同じ気持になってくれれば、いやそれ以上の想像力を働かせてくれれば大成功です。

カラー写真というのは既に商業主義だと言いましたが、これは写真屋さんも含めてメーカーは
ユーザー(コンシューマー=消費者)に快楽をプレゼントする立場にあるんですね。
それは一方的であって、かつ一方通行であって、受ける側はこの麻薬的で刹那的な快楽を得る立場
であり、その代償として金銭をメーカー側に支払うのです。
麻薬と言いましたが、麻薬というのは完全な自己満足、自己中心の喜びで快楽なんです。
だから、依存症(中毒)というのですよ。
カラー写真やデジタルカメラは、極めて依存症になりやすいものなんです。

快楽を与えてくれないカメラにユーザーは怒りだす。撮影地で邪魔な人がいれば、そこ、どかんか!
と怒鳴り出す。ネット掲示板で自慢気に自己中を押し通す。
そういうのは昔の黒白写真時代では考えられないことで、私もデジタルになって写真を再開した
時には、ほんとに驚いたものです。いつのまにそんな時代になったんだろう?って。
黒白写真はあえて言えば静かな写真です。今の時代では消え入りそうな写真です。
でも大切にしたいですね。

2   伊勢原市の裏街道   2016/9/28 13:35

なるほど、こちらの方が力強くかんじますね。
余計な物をなるべく排除して観る側の想像力に任せる・・・。
想像を掻き立てる事でより強いインパクトを与えられる・・・ですね。
この場面では運転席後ろ一番の席にご老人が座っておられたので
遠慮する意味もあってやや後ろから撮影したのですが
もう少し左からご老人の足まで入れた方が良かったかも知れませんね。
マイナスの美学を磨かなければ・・・。(^^ゞ

3   kusanagi   2016/9/28 23:27

黒白写真の老練なテクニックも面白いのですが、デジタル時代の主流はあくまでもストレートな
超高画質のカラー写真でしょうか。
裏街道さんやzzrさんの撮るストレート風景フォトはとても見応えがあります。
こういう写真は撮っただけで満足、自己満足が充足されると言いますか、そもそもデジタル写真と
いうのは本来そういうものかも知れませんね。
カラーフィルム写真では中判や大判写真に当たるわけで、ああいう写真はわざわざ他人に見せ
なくとも十分一人で満足感のいく写真であったわけなので、というよりそもそも他者とは安易に
共有不可能なものでした。
ネット時代になっても超高画質の写真は皆さんと本質的に共有できません。テフ画像はアップ
できかねますし、データ量は膨大になります。それよりもPC環境が他人とは違うのでデータだけ
投稿してもまったく無駄なのです。

そういう意味では本格的なデジタル写真は自己満足で充足しなければならないものです。
しかしそれではやや寂しいので、その劣化版をこういう掲示板にアップするくらいが関の山なん
ですね。
ネット言葉では「自己満足写真」と安易に使われますが、本当に自己充足する写真って大変に
難しいんですね。
この板でも高画質の投稿がたまにありますが、本来の写真はあのような圧縮画像ではないので、
ただ単に参考にする程度のことでしかありません。
これからさらに超高画素超画質のカメラがどんどんと登場していきます。しかとその世界を皆で
共有することは残念ながら叶わないというのが正しい理解です。

デジタル写真というのはその本領を発揮すればするほど孤独な写真となるように思います。
ですから自分一人で十分に満足できるような態勢に持っていくというのは大事です。
デジタル写真はその安易さが受けて写真の裾野が広がったのは事実です。今やモバイルにも
カメラが付いているように。
しかしそのデジタル技術を高性能方向に振ればとてつもない写真になるのもまた事実です。
史上最強の高画質カメラはデジタルカメラです。それも群を抜いて。

もちろん写真は画質が全てではありません。しかしデジタル写真はその高低差が激しく上を見れば
キリがないほどです。皆さんで共有できるのはその中くらいの写真であるわけで、その向こうは
ただ想像するしかなく、その想像力を保つためにも自分で満足できるだけの心構えを整えておく
必要があります。
とにかく現在のデジタル写真の本質的な満足感というのは画質にあるんだと思っています。
撮影テクニックとか絵心とかも大事ですが、やはりその本質は画質ですね。
デジタル写真に於いて画質は正義で、これがなければどんなに写真テクニックがあり上手な
写真でも満足感が十分には得られません。
とんでもない時代になったとは思いますが、しかし写真は画質だけではいけないというのも確か
ですね。こういう技術革新が急激に加速している時代に於いても、画質一辺倒の写真では
いけません。

例えば10年後に振り返ってみた時、画質だけの写真は意味のない写真に成り果てている
からです。それは自分の撮った写真の10年前を振り返ってみればわかります。
画質は現在進行形の写真技術ですが、それを超えた写真は時代を超越しているのですから。

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