メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS 5Ds R |
ソフトウェア | SILKYPIX Developer Studio Pro 8 |
レンズ | EF35mm f/1.4L II USM |
焦点距離 | 35mm |
露出制御モード | 絞り優先 |
シャッタースピード | 1/197sec. |
絞り値 | F13 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 部分測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 3333x5000 (7,929KB) |
撮影日時 | 2017-09-16 12:32:28 +0900 |
この山はもともと206mだったのが日露激戦で、203mとなったと
現地ガイドの説明です。この頂上にある説明板によると
203高地は1904年日露戦争の主要戦場の一つである
日露両軍はこの高地を争奪するため激しい強い
争いをし、ロシア軍側の死傷者は5000名余り、日本軍側では
10000名余りに達した。戦後日本第三軍司令官である乃木希典は
戦争で命をなくした兵士たちを記念するため、砲弾の残片で高さ
10.3mの砲弾状の慰霊塔を建て、爾霊山という三文字を揮毫した
今はこの爾霊山はすでに日本軍国主義による対外侵略の
罪の証拠と恥の柱となった と、記されていました。
当時は、荒涼としたはげ山であったそうですが登ってくる途中結構勾配も
きつくこんなところを何トンもある大砲をどうやって上げたのか
いろいろと思いは駆け巡りますね。
こんばんは。
203高地ですか〜。
小さい頃は、意味も分からず映画を見ていましたが、
年を追うごとに、ただただ撃たれるために突撃を繰り返す、
無能とも言える戦い方に、言葉にならない想いで歯ぎしりが止まらないものがありました。
まだ、明治のと言うより、侍を引きずっていた気持ちや戦法が残っていたのでしょうね。
大ロシア(白人)を相手に小さな島国(有色人種)が挑んだこと自体、歴史上初めての戦いだったのでしょうね。
この慰霊塔には、どれほどの想いが込められているのか・・・まさに歴史そのものですね。
こんばんは。
三船敏郎さんの出演されている映画を見ました、単に戦争礼賛になっていない所に救われました。
先日もNHKの番組で「インパール作戦」に就いての検証が行われていましたね。
何千(味方の兵隊が)殺れば取れるという、当時の上層部の生の声が記録されていて唖然としました。
この戦いからも、日本人はたくさん学ぶところはあった筈ですが。
taketyh1040さん、こんばんは。
自分も仰るように映画や小説程度くらいしか
戦争ものは良く知りませんが、最近では
2009年から3年間に亘ってNHKスペシャルドラマ
司馬遼太郎の歴史小説「坂の上の雲」が
とても見ごたえのあるドラマ仕立てで印象に残ってますね
乃木希典役は柄本明、児玉源太郎役に高橋英樹。
旅順攻略に失敗に失敗を重ね多数の死者を出しながらの
やり取りがとてもリアルに描かれてました。
この砲弾のような形の慰霊塔は203高地で拾い集められた
砲弾の薬莢を集めて日本製のライフル弾の形に鋳直したそうです。
GEMさん、こんばんは。
映画、ビルマの竪琴では水島上等兵が荒野に屍をさらす日本兵の死体を見て、そのまま放って置くことは
できなかった。水島上等兵は使命というか運命のようなものを感じて埴生の宿を歌う仲間に竪琴で演奏し
蛍の光を奏でて別れてゆくシーンは印象的でしたね。1956年版市川崑監督、水島上等兵に安井昌二
1985年版には市川崑監督、水島上等兵に中井貴一でした
餓死・戦病死した日本兵の死屍累々が並んだ道が「白骨街道」と呼ばれるほど凄惨な戦いの実態
さらに、新たに見つかった一次資料や作戦を指揮した将官の肉声テープなどから「陸軍史上最悪」
とされる作戦の全貌が浮かび上がり、 数々のスクープ映像と新資料、証言からなる「インパール作戦」の
全記録は、決して忘却してはならない悲劇の記憶、と記されてます。
また「ガタルカナル島」兵士たちの証言記録など、とにかく毎年のように戦争に関して
生存者の証言の元、次々と新事実が明らかになって特番を組んでいますが
そこから学ぶことはたくさんあります。上層部の生の声、それは軍の方針だったとか
言い逃れが多いですね。
自分の親戚の中には満州国の奉天侵略に成功した時の写真を
今でも覚えてますが、銃器を翳し50人位がバンザイをしているところでした
その叔父様はとても誇らしげに、家族のみんなにも見せていたのを
幼いころでしたが、鮮明に覚えてます。写真力とは、永久不滅ですね。
長くなりました。
GGさん こんばんは。
「坂の上の雲」は良かったですね〜。
あのドラマを見てからも、何度も横須賀へ戦艦三笠を訪れましたが、
甲板に、当時の乗組員が戦闘で穴だらけになった船体で作った灯篭を東郷平八郎宅へ記念に贈ったものが飾られていました。
この慰霊塔を見て、三笠と、その灯篭を思い出しましたよ。
また、三笠を訪ねて見たくなりました。
taketyh1040さん、こんばんは。
以前、三笠を撮られた重厚なお写真拝見してますね
自分もこの機会に、訪れて見たいものですが
こちら東郷元帥の肖像画も立派に描かれてますが、現地では
モノクロ写真でしたが堂々たる風格の雰囲気が漂っていましたよ。