慰霊塔2
Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 EOS 5Ds R
ソフトウェア SILKYPIX Developer Studio Pro 8
レンズ EF35mm f/1.4L II USM
焦点距離 35mm
露出制御モード 絞り優先
シャッタースピード 1/790sec.
絞り値 F8.0
露出補正値 -0.7
測光モード 部分測光
ISO感度 100
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 3333x5000 (13,919KB)
撮影日時 2017-09-16 12:20:53 +0900

1   GG   2017/9/23 21:00

文化大革命で先尖部分が破壊され、のちに復元された
日露戦争が終わった1905年に建て始め、1913年に完成。
慰霊塔高さ10.3mとありますが落書きが多いですね
夜間に命綱でも付け、ケガキ工具などでキズをつけたのでしょうか
関係諸国の文字も見えますが、さまざまな怨念の含んだ塔である
ことに違いありませんね。

2   taketyh1040   2017/9/23 21:45

こんばんは。
建てた本人達の意向はどうであれ、何万人も殺し合った戦争の象徴ですから
怨念が渦巻いているのも仕方ないでしょうね。
まして砲弾の形をしているのが余計に感情を刺激するのでしょう。
慰霊塔らしい形状に出来なかったのも軍人なるが故でしょうか。

3   GG   2017/9/23 22:21

taketyh1040さん、こんばんは。
爾霊山(ニレイサン)という三文字は乃木希典の筆跡と言われ
中国語ではあなたの魂の眠る山、宿る山と地元の
人々に言い伝えているらしいです。この203高地には
両軍合わせて10万人もの兵が投入されたと言われてますから
その薬莢の数は、おびただしいものであったに違いありませんね
自分の想像でも、その薬莢を集めて・・・ということになるのでしょう。


4   GEM   2017/9/24 00:32

こんばんは。
当時に建立されたという事なので、この形は致し方ないでしょうか。
日本人の縁者の方でさえも慰霊でこの地を訪れた時、これを見てどう思われたでしょうね。
そう云えば正露丸(元は征露丸らしかったのですが)のトレードマークがラッパだった
というのも当時の時代背景だったのかも知れませんね。

5   GG   2017/9/24 16:46

GEMさん、こんばんは。
正露丸は海外旅行で、何度かお供に持っていきました
昔は征露という文字が使われていたそうですね
なるほどロシアを征伐するという意味だと、国内で人気が
あったのも伺われますね。それで文字変更とトレードマークの
ラッパは残したという歴史も興味深いです。
現地ガイドの説明ではここを訪れるロシア人は滅多に
居なく、日本人観光客が圧倒的に多いというのもうなずけます。
お国のために尊い命を落としたご遺族、万感の思いだったに
違いありません。

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