メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS 70D |
ソフトウェア | Digital Photo Professional |
レンズ | TAMRON SP 70-200mm F/2.8 Di VC USD G2 A025 |
焦点距離 | 200mm |
露出制御モード | マニュアル |
シャッタースピード | 1/49sec. |
絞り値 | F2.8 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 3000x2000 (2,695KB) |
撮影日時 | 2019-12-05 05:05:47 +0900 |
さて、写真に関する信仰ですが、ええもちろん、私は「玉ボケ教」の信者です、きっぱり。(他には「プレートガーターI桁教」も信じていますが)
それ以外に、特にこれといった信仰を持たない私ですが、過去にキリスト教徒と、次のような会話をしたことがあります。
相手「日本の神道は、紙や木でこしらえた偶像に水や灯りを供えて崇拝している、これはおかしい。キリスト教徒にはありえない」
私「あなた方もロザリオやマリア像、パンや葡萄酒を使うではありませんか」
相手「それは礼拝用具であって崇拝する対象ではありません」
私「あなたが言われる、紙や木でこしらえた神棚や御札、水や灯りも同じです。そもそも他の信仰を否定するような信仰が、正しい信仰と言えるのでしょうか?」
相手「正しい信仰の対象となる、本当の神様はただお一人です」
私「神の姿の見え方、その声の聞こえ方が宗教によって違うだけなのではないですか」
この後、日本人が神社仏閣を観光施設として巡ることがあるように、キリスト教徒も史跡的な教会を同じように扱うことがあるのかと尋ねると、その人物は少し残念そうに「ほとんどの人がそうである」と答えました。
この議論は、ユースホステルの夕食後ミーティングで、外国のお客様をまじえての会話中に発生したもので、できるかぎり英語で話しはしましたが、ホステルのオーナーと、日本人客のうち一人は英語が堪能で、大半は通訳してもらいました。
この議論で、相手と私の距離が縮まることはありませんでしたが、ここで自ら結論を出しているわけでして、他の信仰を否定するような信仰では、正しい信仰とは言えないですね。したがって、写真信仰も、他の宗派をとやかく言うのは美しくない。まあ、信仰というのは人間の心の拠り所なので、正しいも美しいも何もない、のかもしれませんが。
しかしながら私もそんなに善人ではないので、無理はしないことにします。好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。ただ自分の嫌いなものにもそれを好む人はいる、ということを理解しておけば、それで十分でしょう。現実の宗教も、神が人を作ったといいながら、その教義は人の手によって構築されたものです。ただし、人の内部に、何らかのスピリチュアルな部分があって、それに沿った宗教が廃れずに現存しているものと理解していますが。
日ユ同祖論のように、文化や民族のルーツに係る仮説では、その是非を巡って激しい議論がかわされることがしばしばあります。
有名な、ヘイエルダールの「南米からポリネシアへの移民仮説と筏コンティキ号による航海」のように、仮説に基づく航海実験は成功したが、遺伝学や言語学の解析から仮説に対して否定的な見解が優勢とされている例もあります。
コンティキ号の実験も、筏では乗り越えることが難しいと思われるフンボルト海流を、軍艦による曳航で乗り越えていることから、その実証性に欠陥があるとの指摘もされているのですが、仮説を実証的に確かめようとするヘイエルダールの姿勢と冒険は、仮説自体に対する反対者からさえ高く評価されているそうです。
トール・ヘイエルダール業績と評価
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%98%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%AB
風景写真とスナップ写真が二律背反、不倶戴天的な関係にあるわけでもなし、まあ、たまにはお互い踏み込んでみるのも楽しい写真ライフ。
フェルメールが描いた少女もまっつぁおの超絶美少女さん。快く承諾をいただきましたが、今になって足がガクガク震えるような・・・
例によって、美肌最重点露出設定。DPP作業時に+0.17補正、ホワイトバランスは太陽光、ピクチャースタイルは「スナップポートレート」。オートライティングオプティマイザーは強め設定。
ところがぎっちょん、そういうことが問題ではなくて、耳につけておられる飾りは、イルミが映りこんで光っているのではなく、自発光タイプです。ということは、瞳ピントで撮らせていただけば、耳飾りが七色の玉ボケになったかも、という妄想。今気づいても後の祭り。
とはいえ、このタイプの発光は非常に淡いので、実際にどのように写るのかは未知数です。ただただ、美しい方に出会えたことに感謝するのみ・・・広島ドリミネーション2019にて。
「風景」というのは英語訳すれば色々とあるようで、調べると・・(コピペです)
viewは、ビルの屋上からの景色、展望台からの景色、
ホテルの窓からの景色など、特定の場所から見える景色を
表す時に使います。
sceneryは、山や森等の特定の場所の自然の景色を
表す時に使います。
landscapeは、丘や川、木、森等の一目で見渡せる 陸地の
景色を表す時に使われます。
こんな感じで、女性を絡めて風景を切り取る・・という場合の風景はランドスケープじゃない
ですね。ビューだと思われます。
写真をやっている人は、風景写真ということで「風景」は馴染みがある言葉なんですが、
日本の風景写真には独特が概念が含まれていて多分外国人には、その風景用語なるもの
は通じないだろうと思われます。
アーティステックな意味合いを多く取り込んでいて、無理やり上の言葉で言えばシーンリィに
なるんのですかね。アーティステックシーンリィ。しかし所謂風景写真は、日本画的なセンス、
さらには日本庭園や盆景などの芸術分野をも彷彿とされていて一筋縄では言い表せません。
観光客に一発で通じる言葉としてはやはり無難にビューですかね。アラウンドビュー。
ということはどうでもいいんですが(^^ゞ、この写真は上手いですね。表現力もよいのですが、
時代を写しとる本物の記録写真にもなってます。敢えて不満を言えば上の白い玉ボケが
キツすぎるのですけど、これはそこにあるのだから仕方がありません。(画像処理で押さえる
ことができるのは別のスキルテクニック)
女性の真剣な横顔な眼差し、そして画面に写っている彼女の得たいとする理想像。このふたつ
の顔のやり取りが絶妙です。よくぞこれだけの瞬間を見つけて捉えられたものです。
好きこそものの上手なれとはいいますが、S9000さんの、写真を撮るのが好きですきで面白く
てたまらない、という歓喜の声がこちらにも聞こえてきそうなストリートポートレート群ですね。
ところで・・お仕事のお昼休みにも縮景園に行かれて写真を撮ってらっしゃるんですか?
大丈夫かなあって気がしますね。あんまり写真に夢中になりすぎると出世にも響きますよ。と
書きたいところですが(^^ゞ、まあっそこそこにしておかないとまずいだろうという気はしてます。
既に退職されて悠々自適の方は写真三昧でもよいわけですが、仕事現役の人は皆さんかなり
セーブして写真をやっておられますね。
写真趣味には多くの利益があるわけですが、行き過ぎるとマイナス面も出てきます。ぼとよい
湯加減というのが大事ですね。(^^ゞ
kusanagiさん(本物のようですな)こんばんは。コメントありがとうございます(*^^*)
外国のお客様に撮影を申し込むときは
Let me take your picture with scenary,OK?
ぐらいにしゃべってます。たぶん少し硬い表現。
海や湖の眺めにlandscapeは使っちゃいけんらしい。landだからだそうですよ。
撮影結果を見せてのご意見では、外国の方は意思表示がはっきりしてます。No goodやDeleteといった言葉はポンポン出てくるし、よければgoodともgreatとも言ってくださる。一度、断られかかったことがありましたが、ではデリートしますと申し上げたら、待て、もう一度見せろとおっしゃるので見せたら、そこで大きくオーケィと言われたことも。(了解という意味でのオーケイは実にはっきりしていた)
とはいえ、この写真の被写体はれっきとした日本人女性で、日本語で会話してますが。そもそもどこから風景にかかる英単語の話になったんだ、おい?
でね、この写真にコメントがつくとは思わなかった。この掲示板で、もっとも見過ごされるタイプの写真だと思っておりましたので。
この写真の被写体はたいへんな美人です。そこは間違いないですが、私は「美しいものを眺めているときの女性の表情がこの世で一番美しい」と思っていて、この場合は、自撮りの出来にこの女性が満足しているので、その表情が出ている、の図。そこが全て。テクニックも何もなく、そこに私がカメラを持って出くわしました、ということであります、幸運\(^o^)/
失礼、私が「女性と風景をいっしょに撮るのが好き」という話をしたから、風景の話になっていたわけですな。
ところで scenaryはsceneryのつづりまちがいでした。でもこれ、シーンリィとはたぶん発音しませんぜ、シーナリィだと思うけどな・・・
ご指摘、感謝です。シーナリィですね。
https://www.youtube.com/watch?v=eb2HFPqgOJ4
ところで風景のランドスケープの出どころは、これ。
https://photoxp.jp/pictures/205045
でもこんなのはどうでもよくて、本当は風景とか風景写真の現代語意味を話題にしたかったんですね。
写真におけるところの風景写真とはどのようなものなのか。いままであまり考えたことがなかったので
すが、人によっては随分と捉え方が違うみたいです。
ほんとうに大自然をなかに入ってランドスケープを撮る人もいれば、観光地の高級庭園で風景写真を
しているという人もいるわけです。このふたつを同じように風景写真とするのはちょっと無理があるの
ではないかと。本当の荒々しい自然風景と、制御され大人しくなった花鳥風月的風景。とにかく女性に
似合う風景は後者であるわけですよね。
しかし思うんだけど、風景写真とスナップポートレートはそもそもジャンルが違うと考えられているので
無理があるような気がしてきますね。花鳥風月風景写真を是とする人からは邪道であるというつぶや
きが出てきそうな気がしてます。これは古い体質のアマチュア写真界でのお話です。
ところが商業写真や商業印刷では平気で花鳥風月的風景と、若い女性が絡んで観光写真のチラシや
ポスターや雑誌にバンバンと撮られています。結婚式の前写し写真でもそんなぐあい。考えればスマ
ホで自撮りする若い女性の写真でもそうじゃないかということで、今や風景写真と女性写真の融合は
既成事実になっているんですね。いやむしろこれが最近のトレンドではないかと。
そうですか。上司はカンダム世代のようで、大変にご理解があるとのこと。これは安心しましたね。
そうそうご出世、ご昇給おめでとうございます。
ちょっと古い世代だと、写真趣味というのは穀潰しで写真中毒患者であって、いったんこれに罹って
しまうと使い物にならなくなるという悪評判でしたからね。
私も田舎で写真を撮っていると、オバサンやオバアチャンからはよく愛情のこもったお叱りを受けたり
します。おめえ、そんな高いもん買って嫁や子を泣かすんじゃないぞな、と。都会と違って田舎のバア
チャンはスバリ本音を言ってくれるんでいいんですよ。そうそう、都会の人は、写真趣味ですか、
それは良いご趣味をお持ちですね。オホホホホと言ってくれるんですが、でも眼が笑っていない顔で
語ってますけどね。(笑)
そんなもんなんで、私としては写真道楽をやっているのは周囲には隠しているんですが、それでも漏れ
るわけで出来る限り写真の話題は周囲とはしてません。撮影中でも見知らぬ人から、写真趣味ですか
と問われるのですが、ちゃいまっせー。おいら只の観光客でーす。とあらん限り力説してます。
そうーですか。これでやっと念願のフルサイズカメラが買えそうですね。おめでとうございます。(^^ゞ
でも私としてはEOS5Dマーク3の方が画質的に好きなんですけどね。もう新品では売られていないので
中古探ししかありませんが。キヤノンの現行機は全てデュアルピクセルモデルになりましたね。(1DXと
5DSを除く) まあ動画では有利なんでしょうけど、静止画しか撮らない場合は古いタイプのイオスが
よかったような感じです。
こんばんは。あらまた長いコメントだから、ご本人ですな(笑)
えっと、sceneryとlandscapeですが、昼間はlandscape、夜はsceneryを出すように思います。正しいかどうかでなくて、なんとなくです。広々とした見晴らしをlandscepe、今ここの見える周辺、というのがsceneryのような。ほんとかな。
そこが問題ぢやなくて、風景写真の現代語的定義ですか。うんうん。
風景写真、という雑誌がありますが、読んでみると、けっこう生態写真というか、昆虫の脱皮などの写真が掲載されてたりします。生態写真なら人間の女性のポートレートもそうだろう、とつっこみたくなりますが、はは。
邪道という言葉は私もたぶんどこかで使っているとは思いますが、リアル世界の写友たちから、私に対して「あなたの写真は邪道だよ」「変わっているね」「奇をてらっているよ」という言葉はポンポン飛んできます。そして、そういう人はみーんな、スナップの人物撮影は苦手です。そして記念撮影すらも。いわゆる風景写真で、大きなコンテストで一席をとっているような人が、スナップで記念撮影するとガタガタ手が震えだして人に代わってもらう、ということすら目撃しています。もしかして、生理的に、できないのかもしれない。
その逆に、スナップ人物撮影の名手が、風景写真におびえるということは見たことがないです。だからスナップ>風景、なんて言いたいわけじゃないですよ。単に適性や志向だと思います。人物は、きれいに撮られれば喜んでくれるけど、風景は何の反応もないので、もっとストイックなものかもしれませんよ。
ただし、私は、人物を風景に入れたくないので景勝施設に時間外に入るとか、人が途切れるのを待つ、といった流法について、理解できないのです。風景というのは人を笑顔にしてナンボと、思いますがね。
趣味も同じで、やっている人が笑顔で楽しめめてナンボ。ところでマーク3やマーク4は、今、いくらで買えるのかな。我が家は夫婦でそろえないといけないので、当分、現状維持ですな、ふふふ。
今、一番興味のある機種はやっぱり90Dですね。あと何年かして90Dに移行して、そこから何年かして、そこでフルサイズですかね。その頃には、少なくとも今の仕事を退いて、撮影時間も増えていることでしょう。
S9000さんのレポート、今回はかなりのインスピレーションを受けています。やっぱり西日本の人は
率直にズバリ書いてくれるので嬉しいですね。
いわゆる風景写真というのは日本芸術でもあるんですが、それだけでなくもしかしたら、神道という
宗教心と深く結びついているような気がしているんですよ。ええ、仏教ではないんです。
神道というのは多神教で古い原始的な宗教のように思われていますが、最近の研究では古代の
イスラエルと深く結びついているフシがあるんですね。当然に一神教です。それでユダヤ教と、後の
イスラム教、そして日本の神道には共通した現象があるんです。それは偶像崇拝の禁止です。
仏教の仏像とかキリスト教のイエス像なんかはイスラム教にはありません。神を偶像化することを
タブーとしたんですね。つまり人型をつくらない。
風景写真に於いて、人物を入れないのは不思議だとおっしゃってましたが、日本芸術には風景に人物
を入れるのは普通です。中国の水墨画でもそう。もちろん人物画も日本画にはあります。それなのに
なぜ?風景写真の芸術観では人物を入れないのか。これは実に不思議ですね。
ここをS9000さんは鋭くついてきた。しかしながら私は以前から風景写真芸術論には何らかの宗教や
信仰心が絡まっているという気がしていたんです。ただの芸術論だけではないだろうと。
それでS9000さんのお陰で、それは神道であるだろうという結末に達したんです。
ところで人間というのは歳を取ると宗教に関心を持ってきます。若い時は宗教なんてジジ臭いなんて
言っていた人がお四国参りに精を出したしますから。歳をとれば体力精神力とも落ちるので心細く
なるんですね。それで宗教や信仰に縋りたくなるんです。大体は皆さん他力宗教の仏教に救いを
見出すのですが、なかには特に自己自信力の高い人は一神教の要素を多分に残している神道に行く
んじゃないかなっていうことです。だからと言って神社参りをするんではなくて、純粋に神道の精神を
自己具現化するだけですけどね。
イスラム教と言えば原理主義ですか。非常に先鋭で妥協をゆるしませんね。異教徒とは徹底的に
戦います。なぜならばそれは自分の浮沈に関わるほどの大問題だからです。S9000さんも曰く、
それは深刻な問題であるというわけです。
写真をする人は見栄っ張りが多いです。自分をより強く見せる人も。こういうのは一神教的でしかも
非キリスト教者のそれです。自分に過剰の自信があり、光を求めて描くといいますか、多分に撮影
そのものが神道の宗教儀式に則った雰囲気をお持ちの方が多いようです。
写真は芸術ではなく記録でしか過ぎないと言うと大変なバッシングが来るわけですが、それは彼らの
写真そのものが芸術以上の信仰の対象になっているからですね。話がこと信仰の問題となると人は
必死で戦います。特に歳をとって宗教に頼るようになると尚更です。
風景写真の方は良いカメラやレンズを求めます。それは機材とは神器であるからですね。高級機で
あり新品でなければなりません。中級機や中古やサードパーティ製では神器に相応しくありません。
スナップが撮れないと言われましたがスナップ写真が撮れる人でも、こと写真芸術や風景写真になっ
て来ますと、そのセオリーをきちんと守るようです。とにかく日本の風景写真芸術には独特のルール
というか隠れた仕組みというのがあるようですね。
S9000さんは周囲から邪道と言われるそうですが、言葉を変えて言えば邪教の徒、異教徒であるという
わけでしょうか。しかし私の眼から見ればS9000さんもまた写真神道主義者の一人であるように見え
ます。しかし写真信仰が悪いとかいうのではありませんよ。信仰は皆さん自由にやっていいわけです
から。
ただここに来て、その信仰が先鋭化しているというか、原理主義的に過激化しているというのは言え
そうです。これには理由があって、それはカメラの画素数が人間の能力を超えてしまったからですね。
AIで言うところのシンギュラリティ(技術的特異点)に達したからだと私は認識しています。
本当に深刻な問題はこのシンギュラリティであって、写真芸術でも写真信仰でもないわけですが、
現実にはそれらが足かせになって、ユーザーはシンギュラリティを越えることができないでいるという
実情があるんじゃないでしょうか。
http://www.net-chuko.com/buy/list.do?keyword=EOS+5D+Mark+III+%ef%be%8e%ef%be%9e%ef%be%83%ef%be%9e%ef%bd%a8%e3%80%902230%e4%b8%87%e7%94%bb%e7%b4%a0%e3%80%91
これはイオス5D3のキタムラ中古です。キタムラは信用がおけてハズレがありません。そしてキヤノン
の製品も頑丈です。もっと古くてよければ5D2もあります、これは格安ですね。
http://www.net-chuko.com/buy/list.do?keyword=EOS+5D+Mark+IV+%e3%83%9c%e3%83%87%e3%82%a3%e3%80%903040%e4%b8%87%e7%94%bb%e7%b4%a0%e3%80%91
これはイオス5D4ですか。3とは大分値段が違います。
あとイオスでは6D、6Dマーク2というのがあります。こちらが女性には軽くて良いかも。
しかしフルサイズカメラには大きな欠点かあって漏洩電磁波が大きいのです。被爆度が高くなります。
それと画質が上がりますね、そうすると目疲れが出てきます。VDT症候群です。こんなわけで良い所
ばかりではないんですよ。
kusanagiさん、長文ですな。ということで、本人認証完了。コメントありがとうございます。
ぢゃ、漫画話いきましょうか(爆)
日本の神道がユダヤ教と関係性がある・・・という説が持ち上がったのは、「最近」の話し、でしたかね?この話、ずっと前に目にしたことあるぞ・・・と思い出しましたのが、今から30年前に、既に漫画の基軸プロットになっていました。
漫画「赤い鳩」(小池一夫原作、池上遼一作画、ビッグコミックスピリッツ連載)がそれ。私も読んでおり、例えば劇中で、日ユ同祖論を聞かされた山内容堂が、「帝の臣として、そのような考えは受け入れられない!」と激怒するシーンが印象に残っています。
(実際に、連載された雑誌の出版社にも批判の電話が殺到したという)
漫画の中では、神道や皇室との関係性、日本語へのヘブライ語の流入などが語られています。
日ユ同祖論は、今のところ表象面から導かれた仮説であり、実証されたものではないと理解しています。ただ、宗教も文化も国や大陸を超えて、伝播するものであって、関係性を頭から否定することは、科学的な立場ではないとも思います。
この漫画の原作者、小池一夫さんは「子連れ狼」が代表作かな、多くの漫画家とタッグを組んで、けっこう深いテーマの劇画を生み出した他、作詞家としても活躍しており、「子連れ狼」の主題歌も彼が作詞。有名な「しとしとぴっちゃん・・・」ですね。
惜しいことに、今年の4月、82歳で逝去されました。合掌。
劇画「赤い鳩」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E3%81%84%E9%B3%A9
日ユ同祖論(代表的論者の中に小池一夫氏もあがっている)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E3%83%A6%E5%90%8C%E7%A5%96%E8%AB%96#%E7%9A%87%E5%AE%A4%E7%A5%9E%E7%A5%87
風景のランドスケープから派生して、湖風景がレークスケープ、
海がシースケープ、夜はナイトスケープで通じますよ。
Kazさんこんばんは。ありがとうございます(*^^*)
なるほどそれは便利ですね。今度使ってみようかな・・・
景観保護活動団体が、その場合の保護したい景観についてsceneryを使っているのが印象的でした。
この間、カワセミのことで会話する中で、趣味が共通するのであれば、わりと通じるものだなと実感したところです。ただ、今のところ「そのカメラ、レンズのよい点を教えてください」などと問われた場合に英語で説明するのは困難ですが・・・
Kazさんもいらした縮景園には、英語ガイドのボランティアもいて、繁忙期には活躍してます。けっこう歳の方が多いですが、もしかすると英語教師OB/OGだったりするのかも。
今回も大変にありがたくもS9000さんから貴重なインスピレーションを得ました。
まず、・・
所謂日ユ同祖論は明治の頃からあります。日本にユダヤ教が知られてからだと思います。それで
新しい話ではないんですね。日本の考古学・歴史学は古い体質でして欧米で既に行われている
各種専門家を交えての総合的な学問とはなっていませんので発展が止まったままです。
参考までに・・
「ピラミッドはこうして造られた 1/5」
https://www.youtube.com/watch?v=8tO4Q8cyyDI
このアイデアを出されたのは考古学者ではなくて建築家です。やはり餅は餅屋なのであって歴史
学者は謙虚に専門家の意見を聞くべきでしょうね。
池上遼一は好きなのですが「赤い鳩」は読んでないですね。いや読んだことがあるかも知れないけど
もう忘れているだけかも。(^^ゞ
プレートガーターI桁というのは一番基本的で簡素な橋という意味ですか?
ユースホステルの外人さんは、だいだいキリスト教信者かどうかも怪しい感じですね。(^^ゞ
しかしニコニコ笑って無難にやり過ごす日本人的なやり方ではなくて、きちんと対話をして差し上げた
のはよいことだと思いますね。
日本人はほぼ仏教と神道の2つが融合した宗教になっているというかその両方の信者ですね。
宗教というのは基本的に救済を語らなければなりません。そして来世観も示さなければ宗教とはいえ
ませんね。ですから儒教は宗教ではないとよく指摘されるのです。それをいうと神道は宗教には不完
全なところが多々あるのですが、その部分を仏教が強く補っています。
神道は原初的な、ますらおぶりな生き方を表現しているところがあります。死に方は語らないが俺の
生き様を見よ、というわけでしょうか。写真趣味をやっている人のかなりな人が、この日本神道的な
イズムというものを自分なりに持っているように思えます。
神道が生き方のみを語り死に方を語らないのは、戦争の負け方を知らなかった戦前の国家神道と通じ
るものがあります。やはり宗教の実力としては仏教やキリスト教にかなうものはありません。歴史も長
いですしね。
私は写真に仏教、例えば禅宗などを取り入れれば有意義じゃないかなって考えるようになりました。
禅宗はとりわけ武士道の精神の母体になったものです。漫画でも武士道というのはいろいろとあるん
じゃないですか。
ところで女子高生のナマ足教というのがないように、玉ボケ教というのはありません。○々教というの
はむろん宗教の話ではないわけですが、S9000さんが玉ボケに惚れ込み癒やしを感じているのは、
言葉の上では理解できても私には実感が伴いません。
しかしながら想像するに、ボケが好きな投稿者の方がいて、その方は大変に女性にモテるそうなんで
す。けっこうな歳なんだけどもてちゃう。じゃあ玉ボケだったらもっとモテるんじゃないですかね。
ボケはそもそも女性を表していてその象徴であるとすれば、玉ボケちゃんは女性の乳房ではないです
か? オイラは女性の丸い乳房が大好きである。そうはっきりと明言できない事情がいっぱいあるから
その代用として玉ボケ教なんであーる。とそのように考えればかなり私も納得がいきます。
そこから類推して、S9000さんの玉ボケ好きを一番よく知っているのは奥様ですね。うんうんそうそう。
それで玉ボケをこの人から無理やり取り上げると何が起きるかもわからないぞ。だったら玉ボケを与え
つつ、かつ常にこの私が監視しておけば間違いを起こすことはないだろう。
ということではないですか。
私の方は女性の乳房は大仙古墳ていどの盛り上がりで十分と感じており、あまり大きすぎるとキモイ
じゃないかというところがあり、そんなわけで自分の写真にはボケも玉ボケもございません。可能なら
ば全景全ピント主義でいきたいところですが今の技術のカメラではまだ実現できません。(実は、しつ
つある)
ところで今回のコメント群の最初に英文の話を差し込んだのは、英語も日本語もあまり得意ではない
タイプの人が読むのをちょっと弾きたかったというところがあり、あまり他意はないのです。
しかしKazさんが出てきてくれて本当の英語レッスンになり良かったです。
シンギュラリティという言葉があるのですが、本物の人工知能がもたらすシンギュラリティの前哨戦と
して、カメラの画素数や画質の総情報量が人間の脳に及ぼすだろうというミニシンギュラリティがある
のだろうという気がしています。私が本当に問題にしたかったのはこれなんですが、やはり実際に
超高画素高画質のカメラを使ってみないことには話は通じないのです。
人間はもうカメラの力に勝てなくなってますね。これはもう本当にほんとうに感じますね。この掲示板
からはメリル・クワトロもニコン4500万画素もアルファ4200万画素も消え去ってしまいました。
こんばんは。
このスレッドはちょっと長くなりすぎました。有意な要素もあるので、一度閉じて、他の写真スレッドで継続しましょう。