メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS 70D |
ソフトウェア | Digital Photo Professional |
レンズ | TAMRON SP 150-600mm F/5-6.3 Di VC USD G2 A022 |
焦点距離 | 600mm |
露出制御モード | マニュアル |
シャッタースピード | 1/2048sec. |
絞り値 | F6.4 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 400 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 3000x2001 (4,055KB) |
撮影日時 | 2020-10-24 23:21:02 +0900 |
たかが印刷屋に勤めている
おはようございます。
大砲を付けたカメラと三脚を担いで山を歩き回る鳥屋さんはタフですね。
体力的にも経済的にも敵いません。(;^_^A
鳥屋の事 趣味とは言え思えば大変でしたね・・
鳥の情報で8年前まで数100km夜中に走り行きました。
車に泊まったり、宿を探し右往左往、重い荷物をもって数km歩きました。
金も使い体も使い楽しみました、もう頑張っても出来ない年になりました、涙!
情報を頂いた知人も関係者も鳥屋を卒業したら全く無関係になります。
寂しいですが趣味の関係はこんあ感じです。
若手の野鳥写真家、菅原貴徳さんは、野鳥撮影が一種のブームになっていると仰せです。
https://dc.watch.impress.co.jp/docs/interview/olympusprolens/1285229.html
そう言われてみれば、縮景園でも広島城でも、ふと気づくととなりに長いレンズをつけた人がいる、ということがあります。しかし旧太田川ではそういう経験がありません。穴場だという傍証ですが、同時に超望遠を使うことで誤解されてしまう危険もあるゾーンということです。
ブームに関して、中川右介氏の著作を紹介しましたが、私自身も過去、いくつかのブームに翻弄された経験がありまして、ブームという現象のいくつかの側面を自分なりに認識しています(^^)v
・ブームとは、「え、こんな人も?」という意外なプレーヤーが登場するものである(若い女子が野鳥撮影に参入するなど)
・ブームとは、もともとそれをやっていた人と新規参入者との軋轢が生じるものである(野鳥の会VSコンテスター)
・ブームとは、プレーヤーがその衰退局面を敏感に見つけるものだが、後々振り返ってみるとその衰退局面も十分に隆盛期であることが多い
・ブームとは、そのピークは混乱期であり衰退局面に円熟期(いわゆるレイトヌーン期)がやってくるが、同時にマスコミ等がネガティブな側面をあぶりだすことで影が落ちてくるため、長く続かない
・ブームとは、ブームが終わった後に少数のプレーヤーが残って、パーペチュアルサンセットを楽しむものである
・ブームとは、長く続くパーペチュアルサンセットの後に、一度は退場したプレーヤーが懐古的に復帰してくるため、一時的な盛り上がりを見せるものだが、それは決して夜明けではなく残照にすぎず、当初のピークを超えることはない
野鳥撮影がブームであるかどうかは正確に把握していませんが、カワセミが人気であることだけは間違いないです。私は小鳥はみんな好きですね。
異種の野鳥が出会ってけん制しあっている緊張感も好きです。
琵琶湖付近を走ると大砲をみかけます
一日に何度もないチャンスを待ち構える方が・・・
金と根気がある方多しです
20世紀末のクラシックカメラブーム
http://southerncross.na.coocan.jp/bunkakai/cla-came/cla-came-2.html
このブームに私も乗ったクチですけど、それはあくまでもコレクションとしてですね。メカニカルな
雰囲気が楽しめるということで、実際にはそういうカメラで写真を撮ったことありませんでした。
やがてデジタルが出て、これからはフィルムではなくデジタルの時代だということで、ブーム末期
に全て売り払いましたが。
しかしそれにしても、どうしてこの時期にクラシックカメラブームが起きたんでしょうかね。中川さん
は何と書かれておりましたか? 金貨やメカニカル腕時計と同じく、単にバブリーな時代だったから
のように私は思いますけど。(^^ゞ
野鳥撮影ブームというのは、これは光学式デジタル一眼レフ出現の賜物のように思ってます。
フィルムカメラのようにランニングコストは掛からないですしね。また連写ができるというのもあります。
それでデジイチの時代が終われば、つまりミラーレスカメラになればブームは終わるだろうと考え
てます。ミラーレスやコンデジのEVFでは野鳥撮影は出来ないだろうと考えてますので。
これからもミラーレスでも野鳥撮影をする方はおられるでしょうが、そういう方は本当に野鳥が好きな
方々であって、単にブームに乗った方々はやめると思ってます。
逆に言いますと、野鳥撮影ブームが続く限りは、メーカーもデジイチを出し続けるのではないです
かね。考えてみると、デジイチというのは望遠鏡とカメラが一体になったやつですから。
それよりもデジイチというものによって、もしかすればデジタル写真ブームという、そのものが牽引され
ていたのかもしれません。現在はミラーレスカメラが主流になりつつありますけど、正直言ってミラー
レスでの撮影はあまり面白くないのではないですか?
しかし、デジイチを持たず、ミラーレスだけで写真をやっておられる方がいますが、非常にインテリジェ
ンスの高い方です。単に写真好きカメラ好きというだけでなく、他の分野の才能や知識がないと、
ミラーレスだけでは写真趣味を続けられないように感じてます。
それほどに光学式ファインダーというのは魅力的な存在なんだと感じてますね。
S9000さんから、だんだんとインスピレーションを得たというか、少しづづわかってきましたよ。(^^
私のコレクションとしては、以前のクラカメに関しては使わなかったわけで純粋なコレクションでしたね。
今ではそれが三脚となってますが、ほぼ使いません。使うと傷がつくしで。(笑)
しかしカメラに関しては、多分百台くらいあると想像するんですが、これらは使ってますね。しかも
かなり手荒に。購入したはいいもののまだ使っていないカメラも多々ありますけど、とにかく、カメラ
やレンズは、私にとっては道具そのものですね。神聖でもなんでもありません。
おそらく私の場合は、カメラという道具でもって広く野外で撮影することが、それこそが趣味なんだ
ろうと思います。それで写真そのものは副産物だと思ってます。正確に言えば写真という画像が
それにあたります。そして私の写真というものは、あくまでも撮影に注力することこそが写真の主体
であって、持ち返った獲物、つまり画像には関心がないということではないですかね。
そう考えると、写真には、写真を撮るという行為の写真世界と、画像をこね回す画像趣味の世界と、
大きく分けてこの2つがあるんではないですかね。
普通の人はその2つを塩梅良くバランスをとってやっていると思いますが、私の最近の考えは、もう
撮影一本になってますね。撮った写真をごてごてと見ることはほぼないです。そんなの時間の無駄
だし、何よりも画像中毒になるのがイヤですしね。
そういうわけで私の写真は記録写真というカテゴリーになるんではないですか。しかし撮影量は多い
ですよ。たぶん誰よりも多く写真は撮ってると思います。とにかく、S9000さんは写真=芸術とか、作品
とか、そういう思い込みから自由になっていないと思いますね。やはり写真を神聖視してます。多分
カメラに対してもそんな感じですか。写真が上手いとか下手だとかを言うのは、囚われの身だから
でしょう。
私が多くの中古カメラを保持するのは、写真が撮影だけだからだろうと思いますよ。1台だと直ぐに
飽きてくるじゃないですか。それで飽きない程度に数を揃えたという気がしてます。
最近「鬼滅の刃」を見て想像力か湧いたのですが、鬼というのは陽の光に弱いらしいですね。(笑)
しかし夜には強いんです。私の場合は、まさにその陽の光を相手にしていて写真をしています。
そして夜の人工光線というか、画像というのは避けようと考えてます。つまり画像というのは鬼の世界
に属するんじゃないかっていう気がしてきたんですよ。パソコンの前に座ってえっちらこっちらやるのは
これこそ鬼の世界ですかね。
それでハッと気がついたのですが、写真を撮っても後で見ることがなければ、写真というものは非常
に楽ちんなんですよ。つまり画像処理というものは大きな精神的肉体的な負担になっていたということ
なんでしょうね。
カメラには光学式ファインダーのカメラと、ミラーレスカメラの2つがありますね。私はその2つを使って
ます。私の場合は、電磁波を避ける為に光学式カメラは半場、ノーファインダーで撮ってます。ミラーレ
スカメラは背面液晶を見ての撮影です。そのどちらもファインダーを凝視するということはありません。
私が常によく見ているのは、あくまでも裸眼での被写体なんです。
こういう場合、望遠系は苦手ですね。でもまあ広角での撮影がほとんどですから問題はないです。
そうそう、ミラーレスカメラというのはコンピューターにレンズが付いたようなものですか。デジイチでも
ライブビュー撮影をすればミラーレスカメラとおなじになります。
写真と画像を明確に分けて考えよう。今はそういうところにまで行きました。そして私の場合は、写真
から画像というものを捨てました。写真は陽の光での撮影行為だけで良いのだということ。
こうなってくるとですね、撮影は良い運動になります。カメラは程よい重さのアレイのようなものになり、
歩き運動にプラスして全身的な運動になるというわけです。S9000さんの奥様の考え方と同じだと言え
るでしょう。望遠レンズを持ち歩くのは健康にいいから、ということでしたよね。
考えてみると、デジタル写真が画像処理という重荷を背負ったことから写真というものが詰まらなくなっ
たとも言えますね。そしてこの画像というものは最期には鬼をも産み出すというか、そういうのはこの
掲示板で暴れまくっている御仁を見れば一目瞭然なんであって、かつては人だったのに今は鬼となっ
てしまった、という残念な物語です。
「鬼滅の刃」ではこういうことも言ってます。一旦鬼になったものは人に戻ることはない。それは多分、
精神が壊れてしまうからだろうと思います。
鬼のアカザが剣士の煉獄杏寿郎に向かって、「鬼になれ、杏寿郎」と問いかけますが、杏寿郎は俺と
お前とでは価値基準が違うと遠ざけます。これは私の立場と同じです。
https://www.youtube.com/watch?v=ViafxZAgfDo
「鬼滅の刃」では日本刀というものが大きな役割を果たしてますね。色んな刀が出てきます。この刀
は我々にとってはカメラ・レンズであるというわけですよ。この刀で鬼を切りますと、鬼は蒸発するん
ですね。綺麗さっぱり消し飛んでしまって副産物すら残しません。これは何とも潔いではない
ですか。(^^ゞ 写真から画像という足かせを綺麗さっぱり取り去ってしまう。こんな簡単なことに始めて
気がついたのは、デジタル時代ではこの私が最初の人間だとおもいます。(笑)
おはようございます。皆様コメントありがとうございます(^^)v
>裏街道さん
「鳥屋」というと私もそういうイメージですが、自然写真家の小林義明さんが「ネイチャースナップ」を提唱されています。三脚+大砲では決まりきった写真しか撮れない、通勤や散歩の途中でも自然は撮影できる、というもの。愛読書「デジタル一眼レフ表現テクニックガイド」より。
私もそれを実践してます(^^)v
>youzakiさん
そのようなご経験をされた方とごいっしょできることが私の無上の喜びです。私はいつか、日本海の孤島で、渡りの途上にあるジョウビタキ他の渡り鳥を撮影してみたいと思っています。仕事を退いたら車中泊でそういう旅行に出たいものです。
今現在、この春に遭遇した「襲撃痕を持つジョウビタキ(オス)」にもう一度出会うことを目指してルートを捻じ曲げて通勤しています。最近、その場所で二度、オス個体に遭遇していますが、撮影には至っていませんが・・・
>F.344さん
うふふふ、私は金はないのでせめて根気を発揮したいですが、そこもなかなか(爆)
先ほど小林義明さんのお名前を出しましたが、この方はこのXP掲示板にも関わっておわれたのですね。びっくりです。私がタムロンA022を選んだのも、小林さんが「最短撮影距離が短いので便利」とコメントされていたところが大きいですね。その後のNature板はいろいろ変遷しているようですが、そのころのログも残っているようなので、ゆっくり拝見したいところです。
>kusanagiさん
クラシックカメラブームの背景・要因については、中山右介さんは「バブル期特有のレトロブームの一環」「便利になりすぎたオートフォーカスカメラに対するアンチテーゼ」などをあげておられます。
中山氏の著書「ブームはどう始まりどう終わるのか」はクラシックカメラブームを題材としていますが、中山氏は写真もカメラも趣味としない、あくまで雑誌編集者であるため、クラシックカメラ収集の当事者からすると、痛い内容が含まれると思います。
例えば「写真界ではカメラをたくさん集めている人ほど写真が下手だというのが定説」というくだり(^^)v それはそうだと思うのですが、中山氏は「カメラで写真を撮ることではなく、カメラを買うこと自体が趣味という人々がいることに着目し、雑誌の方針を変えた」と述懐しており、これは当事者ではない立場でないとえられない着目点でもあります。
なるほどー、レトロブームですか。そう言えば当時、車もそういう、レトチックなものが出てましたね。
じゃあ、なぜその時にレトロブームが起きたのか。それを説明するのは難しいですね。(笑)
しかし後付け考えはできるでしょう。クラシックカメラブームは、フィルムカメラ最期のあだ花であっ
たからです。なぜならば、その直後にデジタル一眼レフが出てしまったからですね。これでフィルム
カメラは息の根を止められてしまいました。
クラカメブームの当時でさえ、コンデジは既に出ていました。当時のデジタルカメラはしょぼいもの
でしたので、そのデジカメが高級フィルムカメラを根絶やしにするとは誰も思わなかったてでしょうね。
カメラ好きの人間は写真が下手というのではなくて、カメラなどの機材を狭めてしまうと写真が上手く
なるしかない。というのが本当です。ですからカメラ1台、それも廉価機で写真をやれば写真は必ず
上手くなります。しかし写真など上手になっても仕方ないじゃん?っていう人間は複数のカメラや特に
高級機を買ったりするんです。
これは写真というものを、ひとつは写真作品の行き方としてあって、もうひとつは広く写真のスタイル
というものを知りたいのだ、という2つの方向性が写真論の大本にあるからですね。
私や裏街道さんは金もないのに中古で高級機を買いたがります。(笑) それで写真は自他共認める
写真ベタですね。正しくは写真を作品化する気がないということです。そういう主義なんでしょう。
そして写真イコール作品で芸術なんであるという考えの方は、あえて機材を狭めることで精神力を
高めて作品化芸術化に邁進するわけです。そういう狭められた世界で自分は輝きたい、そういう勝気
な精神がそうさせるのだと思います。つまりルールを作ってその中で勝ち抜いていくという具合。これ
は間違いなくゲームの世界です。
しかし写真スタイルを標榜する人間は、そういう人が作ったルールという、狭められた世界には留め
おくことができないタイプなんでしょうね。安々とはゲームに乗らない人間であるわけです。
こういう、考えつくだけでも2つのタイプがいるのが写真趣味の世界でしょうね。
高級カメラというのは、中古になれば格安です。それで貧乏人でも確かめることができるんですが、
そのファインダーは素晴らしいです。そのシャッター音はまさにサウンドです。ボディの頑強なこと、岩
の如しです。何をとっても廉価機とは次元が違います。
人というのは、どうしても物に取り憑かれてしまい、自分の精神すらその物に閉じ込められてしまうので
すが、どうせ取り込まれてしまうのであれば、高級機の方がその締め付けが緩やかなんですね。
そして機材の台数が多くなればなるほど、人は物から縛られることなく自由になれるというところがある
かもしれません。
ある新聞に掲載されていた記事ですが、東京の人かな、定年退職をして趣味として野鳥撮影を選んだ
そうです。レンズは定番の600ミリf4、カメラは当然に1DX系でしょう。そしてそのファインダーから見る
野鳥の羽毛の美しいこと!それに取り憑かれたって書かれていました。
そのファインダーというのは、絶対にミラーレスカメラでは実現できませんね。光学式一眼レフ、それも
フルサイズの高級機でしか得られないものです。そしてレンズも百万円クラスでないと駄目なんです。
野鳥撮影の世界の定番はこれしかないと、というような具合で皆さんやっているんでしょうかね。
私は野鳥撮影には関心がないのでこんな話は理解できませんが、まあ、ブームに乗るっていうことは
そういうことなのかもしれません。
こんばんは。コメントありがとうございます(^^)v
レトロブームの発生については中川右介氏(中山氏は誤記でした)は、次の理由をあげています。
・工業製品の水準が上がり人々に行き渡ったが同時に没個性化した
・豊かになった人々は「誰もが持っているモノ」から離れて「誰も持っていないモノ」を志向するようになった
これらは中川氏オリジナルの論法ではなく、レトロブームを説明する一般論であるようで、同じようなブームは車でも起こっており、70年代以前の深夜放送対応型トランジスタラジオも90年代にブームになっていました。
しばしば私の話に登場する、無線おじさん(故人)が言うには、無線の世界でもライカに相当するブランド(ただしアメリカ製)があるそうで、それもまた90年代にブームになっており、これは発達しすぎた国産無線機器へのアンチテーゼだと解釈されていました。
トランジスタラジオのブームについては、私や兄たちも深夜放送世代であり、それぞれソニーや東芝の製品を持っていましたが、どこでどう聞きつけたのか、見も知らない人から「あなたが保有のラジオは、当時の評価は低く不人気だったが、それゆえにレアものとして現在価値が出ている、ぜひゆずってくれないか?」と頼まれたりもしました。このあたりの話はまた別枠で。
さて、「カメラをたくさん持っている人ほど写真が下手」については、失礼ながら、kusanagiさんがそれに該当することはよく理解しております(^^)v
が、それは置いといて、周囲にいるそういう種類の人々を見ての、私の理解は、「カメラ機材そのものを趣味の対象としている人は、野外にカメラを持ちだして撮影することを、カメラを損耗する行為として忌み嫌っている」というものです。
嫌いな行為について上達することはありえないですよね。
同じ現象は、楽器や将棋・囲碁などにも見られるようですが、そちらにはつきあいがないので、伝聞程度の情報しかありません。
ところで、youzakiさん以外で、ネット上で野鳥撮影者としてこれはすごいな、と私が思っている人はミラーレス一眼をお使いです。一眼レフとミラーレス一眼で、どう違うか、どのようにメリットデメリットを感じているのか、いつか会話してみたいと思うところです。
こんばんは
コメントを書くのは今日初めてですが閲覧は時々してました。
おや?と思ったお話の流れなのでちょっと書いてみようかなと思いました。
写真を撮るのは(カメラが好き)そして(デジタル画像が好き)と2つに分けられる!という流れがありますように感じました。
肝心なこと抜けてますね。
被写体が好きだからよく知りたくて撮る。
綺麗な姿を写真にしたい!これが一番大事だと思っております。
好きなものを撮っていると時に名画が生まれます。
芸術として撮る方もおられることでしょう。
でも被写体に惚れたショット以外は芸術にはなり難いでしょうね。
稀にタイムリーな偶然ショットが絶賛されて芸術化されることはありえますが。
写真を撮る、撮った行為には多かれ少なかれ被写体に惚れたという気分があったと思います。
それを言うのが…ひょっとして恥ずかしいのでしょうか?
kusanagiさん、GGさん、こんばなな。コメントありがとうございます(^^)v
>kusanagiさん
さて、機材を収集・鑑賞の対象と扱い、実用目的で使用しない人は当然、撮影が得意になることはないのですが、それ以外にも、機材購入の主目的を機材評価とその報告に位置付けている人もまた、「カメラを買うごとに写真がどんどん下手になる」パターンに該当していると実感しています。
観察すると、「現場では撮影よりも機材談義する時間のほうが長い」「カメラ店に入り浸っている(そこで買うとは限らないので店員からは嫌われている)」「機材更新のサイクルが短い(モデルチェンジを追いかけ現用機種は下取りに出す)」などなど。やはり気持ちが撮影に向かっていないこと、また機材評価のための極端な条件の撮影を好むようです。そうした人は、そのような趣味傾向になる以前に撮影した写真のほうがよっぽど魅力的だったりします。
このような人々は、写真ではなく、その談義や論評がアウトプットなので、写真趣味の中でも別ジャンルに進んだ人なのだと考えています。
ところが、機材収集・鑑賞型の人と大きく違うのは、この「機材評価型」の人々はわりと短い期間で「行き詰まります」。(この掲示板でもそれに該当する人がいました)
資金繰りが苦しくなる、体調を崩す、もともと無理をしていたのが限界を超えた、というのもありますが、中には「かなわない人に出会ってやる気をなくしてやめてしまった」という人もいます。
撮影結果重視の場合は、すごい撮影者に出会った場合は、それなりに自信を持っていた人なら、ショックを受けるにしても学ぶか模倣するか、何らかの影響を受けるように思うのですが、機材評価型の人には、心を防御している硬質なガラス壁のようなものがあって、何らかのショックでそれが割れてしまい、内容物(つまり心)が流出してしまうと、2度と修復することができないのかもしれません。まあこれは私の想像で極端化した例えではありますが。
こうした傾向は、カメラ機材に限定した話ではないようで、知り合いのクラシック物品収集家は、雑誌や新聞に記事が掲載されると、必ず「俺のほうがすごい」「お前なんかたいしたことない」という悲鳴のような電話や手紙が届くのだそうです。幸い、その人物はまだ心が折れていませんが、連絡してきた相手はぽっきりいっているのかもしれません(笑)
>GGさん
いや、GGさんでなくてもいいんですよ。捨てハン使う人を総称してGGさんと呼ぶことに決めただけのことですから、まあそこは気にするな。
>好きなものを撮っていると時に名画が生まれます。
>芸術として撮る方もおられることでしょう。
それは違うよ、名画とか芸術とかは後世の人々が残す価値があると感じて初めて成立することだと思う。
「いくらなんでも、それっくらいのことはおわかりだと思うのだが、いかがかな?」
?
>それは違うよ、
全然お解りでないのでしょうか
反論したいから反論しただけ?
違うと断言するなんてどなたにもできないかなあ。
・カメラが好き。
・画像が好き。
そう大別された意見が違和感たっぷりなので先ず『被写体が好き』だから撮る。
と追加しただけです。
>気にするな
命令ですか、失礼で傲慢ですね。
いきなりの無礼(笑)以後コメントいたしませんのでご安心を。
鳥写好さん、こんばんは。初めまして
自分も長く写真の趣味やっているつもりですが
>先ず『被写体が好き』だから撮る・・・まさにこれが一番です。
2番はレンズ 3番はカメラ 4番はこのXPサイトの有効活用です。
ここに君臨する諸氏たちの一部は、先入感が強く知られたペンネーム
でないと容易に受け付けてくれません。
せっかくなので、こちらのXPサイトは25のジャンルがあり閑古鳥状
態なので良ければ参加ください。
上の10番の方。ちょっと曲解をなされているようです。(^^ゞ
私が書いたのは写真のスタイルのことですね。被写体が好きだから写真を撮る・・これはアマチュア
の方ならばごく当たり前のことではないですか。また、好きでなくても撮って写真にしているうちに
だんだんと好きになるということもあるでしょう。
しかし、この好きずきというのは、私がここで語っている写真の大まかな分類のスタイルとは関係が
ないと思いますよ。話の論旨とはズレているということですかね。
私がここで書いたのは、写真には大きく分けて、撮影行為を主体にして写真をするということと、
撮った写真画像を練って、それを作品化、もしくは展示化するという、この2つの傾向が写真趣味人
にはあるのだという、そういう当然のことを言っています。
ついでを言うと、撮影主力のカメラマンは、画像主力のカメラマンに比べれば、カメラ趣味人が多いと
いうことですかね。そりゃあ手に持つカメラはひとつのファッションにもなるわけですからね。(笑)
そして写真の画像に大きく注力する人間はそういうことに関心がないから、あまりカメラには凝らない
真っ当な人間だろうということもね。
おそらく鳥好きさんは、おそらく鳥の撮影くらいしかやられておらないので、こういう話は分からない
のではないでしょうか。野鳥撮影の流行は写真そのものの歴史に比べれば極めて短くて、そのブーム
は、デジタル一眼レフ時代のほんの一瞬のことなんですね。私はそう捉えていて、デジイチがなくな
れば野鳥撮影ブームは終わると考えてます。勿論、本当に野鳥が好きな人はフィルム時代から撮影
してますし、またミラーレスカメラになったとしても撮り続けるでしょう。
しかしこのスレの話の流れとしては、ブームとは何か?ということから始まりました。そのブームから
カメラ趣味とか、また野鳥撮影ブームとかいう話の流れになっているんですね。
そういう話の進み方を考慮してコメントをしませんと唐突にその話の進行の腰を折ることになります。
鳥好きさん、いや鳥写好さんですか。鳥の撮影が好きというのは分かりましたが、写真というのは
鳥だけではありません。猫もウサギもいるじゃないですか。いや、ポートレートやスナップでも、また
風景でも天体撮影でも、何でもあるのが写真の世界です。
ついでに言うと好きだら撮る、というのは初心者から一歩も出ていないように思いますよ。その延長
線上で、好きだからマナーを外れて撮ってもよいのか、ということも世間では大いに問題なっている
わけです。これはご存知ですよね。
私の知り合いで、昔からの野鳥趣味の人ですが、写真は撮らないという人がいます。双眼鏡や
スコープのみですね。昔は撮影もしていたようですが、最近の野鳥撮影ブームに嫌気がさしている
のかもしれません。
S9000さんの野鳥写真は、これまでの野鳥撮影好きの方とは一味違いますね。鳥を知らない人でも
コメントを読んで鳥のことが分かるようにされてます。以前の鳥写真は、ただ単に鳥好きの人だけが
自己満足で上げているような写真ばかりでした。その違いは大きいんです。
この掲示板の進歩は確実に進んでいて、昔とはぜんぜん違っていると思いますね。
もう今の時代は、ただ好きだから・・というのでは通用しなくて、写真行為にも社会性が求められる
ようになっています。常識的に一般人として世間に通用しないような人は、どんなに写真が上手くて
も(上手く見せようとも)駄目なんです。
それから、この掲示板では常習的に長らく捨てハンで暴言を吐かれていた方がいて、それでコメント
だけを投稿される方に対して、皆さん神経質になっています。また性懲りもなく捨てハンが出たか、
という具合ですね。(笑)
また、誰が世間の常識に外れて掲示板を撹乱させているのか、そういうことを見抜くのも、実は写真
の能力のひとつなんです。掲示板はフェイク投稿に満ちていて、昔とはもう時代が変わってます。
昔のように牧歌的な時代ではないんですよ。しかしだからこそ、本当に写真というものをやっていこう
という人間にとっては良き試練の時代になってます。まさに鬼滅の時代とでも言うべきか。(^^ゞ
こんばんは。
野鳥ブームの話からいろいろな話に及びましたが、野鳥のブームを調べてみると、野鳥の会会員数や探鳥会の参加人数では80年代から90年代にかけてピークがあったようです。
バードウォッチャーと野鳥写真家の志向の違いは、どうも写真を撮るかどうかだけではなさそうですよ。またスレッドをかえて続けましょう。
私の野鳥写真投稿の目的には、youzakiさんに報告し、いろいろな知見を教示いただくことにかなりのウエイトを置いてます。野鳥識別アプリより、youzakiさんの判定が正しいのですから(^^)v