メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS 6D |
ソフトウェア | DxO PhotoLab 4.1.1 |
レンズ | EF70-300mm f/4-5.6 IS USM |
焦点距離 | 105mm |
露出制御モード | 絞り優先 |
シャッタースピード | 1/166sec. |
絞り値 | F4.6 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 1600 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1067x1600 (196KB) |
撮影日時 | 2013-11-25 00:15:42 +0900 |
ハロウィーン以降、どうもダークサイドに
陥っているような...
画像が暗めになるのは、おそらく視神経が疲れているからかも知れませんね。私自身も以前、
そのようなことがあったように思います。しかしアンダー気味の表現ってそうは悪くないですよ。
なぜならば、これは自然治癒力、自己快復への道程だからです。
私はニュートラルを是としているのですが、少しアンダー気味の方も好きですね。
ところで管理人さんの、自宅サーバ再構築というのには、正直言って驚きました。
その理由はただひとつだろうと考えてます。投稿するRAWソフトによって不具合が出る問題を
解決するには、これまでのようなクラウドサーバ方式では如何ともし難いからだろうということです。
自宅サーバーは、これを維持するのはほんとに大変です。そこまで苦労をして金銭もかけて、
この掲示板を運営していく必要があるのかどうか。私には決してそのようには思えません。
確かに管理人のおっしゃるように、デジタル一眼レフ写真の創成期の記録としては、写真史的に
みても価値があるというのは分かります。私もそのことを以前に書いたような気がします。しかし
それはそのデータを後世まで保存しておけば済むことですね。そして折を見て公開すればよい
だけの話です。
その歴史的意義の問題と、これからも掲示板を運営していくというのとは別問題だと思うのです。
既にこの掲示板は死に絶えつつある掲示板ですね。だいたいもう投稿者がいなくなっています。
ごく限られた人だけ投稿してますね。中にはもう満身創痍という方もおられますし。また過去にも
死屍累々の投稿者の屍の道だったのではないでしょうかね。
なぜ、そうなるのか。それがデジタル写真の属性に絡むことだろうと私は考えているのですが、
そのマイナス部分を取り除いて、本来の写真の道に軌道修正するのは、もう至難の業だろうと
考えています。それほどの難問が抱え込まれているのが、デジタル写真の現実だろうと思ってま
すから。
私やKazさんは若い時から当時の黒白フィルム写真をやってきた人間です。そしてその後に続く
カラーフィルム写真の時代、そして20数年前から始まったデジタル写真の時代。このすべての
時代を見知っている人間。それはそんなには居ないわけですね。
長く写真をやってきていると、やはりこのデジタル写真時代を見て、私には何がしかの見えてくる
というものがあります。しかしながら現在のデジタル写真の時代しか知らないという人は、ほんとう
に何も見えていないというのが現実だろうと思います。
例えば捨てハンを使い、本ネームで書く綺麗事と、捨てハンの暴言との落差というものがもたらす
意味すら分かっていないのですね。それはモラル違反とかそういうレベルではなくて、もっと深刻に
写真の否定であり、すなわち真実を見ないことであり、自分の生き方すら壊してしまうことでもある。
と、いうことも理解できていないのではないか、と感じてます。
それからデジタル時代になってから、きちんとモノを見て理解し、文章を読んで思考を巡らすことも、
もう出来なくなっているという気がしています。猛烈な思考力の減退が見られるのです。
もうここまで来てしまっているのに、まだ掲示板をやるというのですか?管理人さん。という気分で
いっぱいなんですが(笑)、しかし管理人さんは本当に善意の人であり真面目に物事を考えておられ
る人なんですね。そして自己犠牲も厭わない方です。まだ写真には突破口があるはずたと思って
おられるのかも知れないですし、時間が解決することもあるだろうと願っているのかもしれません。
実は私は、もうこの掲示板から離れようと考えていました。
私自身は別に掲示板がなくても写真をやっていける人間です。撮影そのものに意義があり、それで
十分に楽しめていけるタイプなんですね。そもそも写真は一人でやっていくものであって、過去も
ずっとそうしていたわけですから。私が掲示板で書いていることなんて、興味本位でやっている情報
力学での余録でしかありません。そして最近は写真ではなく歴史民俗地理地学の方に関心が向い
ていまして、写真は記録だけになってます。
純粋に言って、写真を正しくすることで何かの力が付くというのはあるのではないかと、私は昔から
考えています。そういう純粋な作用というものがあるのが写真かもしれないと。それは写真の実学
というか利益作用とでもいうものですかね。それは突き詰めていけば、目前にあるものをきちんと見る、
というだけの単純で基本的なものです。それが現実であれ、写真媒体そのものであれです。
そういう有用なフォースとでもいうものを、十代二十代の若い時に、黒白写真をすることで得られた
ことは大変に幸運なことだったかと考えています。しかしこのような力は、実は年齢には関係がない
だろうと思います。むろん若いというのは有利でしたが。
写真というものを本当にきちんとやれば、何歳になっても写真というものを通して貴重な能力を得ら
れる可能性があるということですかね。そして、このような考えは、写真がデジタルになったからと
言って決して失われるものではないということなのです。いや、それを期待したいと思っていますね。
写真に限らず、デジタル時代というのは、能力を加速できる人間と、逆に退行する人間のふたつに
分かれるんではないかと、何故か、ふと思ってしまいました。
かの御仁は善悪の判断ができず、常識にも欠けてる。
人間として、ああいうのにはなっちゃいかんと言う
見本がカメラを担いで徘徊してるようなもんですね。
自分の悪行を他人のせいにして言い分けの連続。
反省することも無く同じような嫌がらせの続行。
それを見抜くことができず掲示板上の存在を許す、
そんな人が存在してることにも驚き。
フォトコン板はこれで終わりの始まりだな。