無題
Exif情報
メーカー名 OLYMPUS IMAGING CORP.
機種名 E-M1
ソフトウェア Capture One 8 Windows
レンズ
焦点距離 21mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/60sec.
絞り値 F8.0
露出補正値 +0.0
測光モード 分割測光
ISO感度 200
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2700x3600 (7.79MB)
撮影日時 2014-02-05 07:12:43 +0900

1   kusanagi   2021/9/26 12:05

オリンパスのレンズの松竹梅で述べたように、メーカーが販売するレンズには使用途によって段階的
なクラス分けがなされているようです。価格とスペックでかなり明確にされていて、ユーザーが一目で
分かるようになされていますね。
それはレンズだけでなくカメラボディもそうなんですが、やはり分かりやすいのはレンズです。同一ボディ
に同じミリ数のレンズで、スーパーハイクラス・ハイクラス・スタンダードの各レンズを付け替えて撮り比べ
てみれば、レンズにおける描写の違いというものが良く分かるというものです。

そうすると最も現実の描写に近いのがスーパーハイクラスのレンズになります。とくに絞りが開放値に
近くなればなるほど顕著です。良いレンズは、まず抜けがよくて透明感があります。中間色が豊富に出
で発色が優れています。コントラストはあってもそれが汚くないです。つまり柔らかい描写をするので、
画像処理で自在にコントラストを強めたり弱めたりしても画像が崩れません。
そして当然ですが各収差は抑え込まれていて画面のどの部分をみても綺麗です。ピント面はシャープで
ボケ部分もなだらか。F値が明るいので光量の少ない状態でもISO感度を抑えて撮影できます。画質も
荒れないということです。

このような性能を達成するために、レンズは大きく重くなります。場合によってはAFができないレンズも
存在します。そして価格はうなぎのぼりとなりますね。視力と体力と財布に自信がある方はそういう超
高級なレンズを買うのも悪くはないでしょう。
それではそのような高価格のレンズがユーザーにとって、どのようなものをもたらすのか。どんな結果
となるのか、ということを考えて見たいと思います。
それから高級レンズを試すにはそれなりのパソコン環境というものが求められます。そんなにハイスペッ
クでなくともよいのですけどPCもモニターもそれなりのものが必要です。

高級レンズを使われている(いた)方々は、この掲示板でもそうですが様々な方がおられました。ただ撮
影する対象としては主に身近なものを対象物として選んでいたように感じます。取り立てて特別の対象
物を追いかけるということはされていなかったように感じますね。
ごく普通の視点で、ものごとや光景を見ていたという気がしてます。言わば日常の延長での視点だった
というところでしょうか。その日常的な視点を追求してその結果として高級レンズを求めた、という気が
してくるんですね。

ハレとケという言葉があるんですが、これはハレ=改まった特別な場や日や対象物、祭りとかイベントと
か旅行とかですか。そういう日常とは明確に区別できる特別な空間です。
そしてケというのは、我々が日々すごしているありふれた空間です。
そういうふうに我々の眼の視点というものを考える時、ハレの写真は小型で機動力のある機材でよく、
とにかく写っている対象物が写真としての勝負になります。
ケの方はこれはありふれた日常の視点ですから、我々が無意識に過ごしている空間であり、とにかく見
過ごされやすい視点の写真ですかね。特別に何かを撮ったとかいうのではなくて、言うなれば雰囲気、と
いうものが持ち味です。そういう写真の場合は、やはり特別なレンズでなければ表現できないもの、と言
えるのかもしれません。

この2つの写真に対する視点は、実はものすごく大きいのではなかろうか、という気がしています。
それは写真に対する根本的な考え方の違いがあるように思えるんですね。ケの日常的な写真を撮る方
は内省的であり、自分のものの見方こそが大切であり、写真として何かを押し出そうとは考えていないの
かも分かりません。
私も少しばかり優れたレンズを試してみると、その描写力により何でもない光景が生き生きと語りかけて
くるのが分かるような気がするんです。これは質的な感覚ですかね。うまく表現できませんが。

よく言われるように、レンズにはレンズ沼というものがあるそうです。これは深くディープにはまっていくと
いう感覚ですが、言うなれば質的なものでしょう。これと反対に位置するのが量的なものであって、次々
と数多くの撮影をこなしたいという欲望です。こちらは領土拡大欲のようなものかも知れませんが。
ひとつだけ確かなものがあって、それはレンズは無限ではないということです。つまり高級なレンズには
限りがあって、その最高級なレンズを手に入れてしまえば、自分の探求というか、つまりは沼の底に達す
るということです。最深部でも最高峰でもいいんですがそこに物理的な限界があるということです。

私の場合は標準ズームや20ミリまでの広角レンズで十分なのですけど、その範囲でレンズをさがして
みると案外に対象となる高級レンズは少ないということです。超望遠や超広角など何でもかんでもという
と限りがなくなりますが、メーカーを限定して自分の求めるレンズを見てみると、そんなに多くはありませ
ん。ということは目指すレンズを手に入れてしまえば満足するということでしょうね。
レンズ沼なんて言うと底なし沼のイメージがありますが、けっしてそんなことはなく、出費は強いられます
が無限に落ち込んでいくというのではないのです。ここのところが案外に知られていないのではないでしょ
うか。
例えばツァイス・オータスレンズの場合ですが、これよりも上の描写をするレンズは各メーカーをみても
存在しないようです。ニコンとキヤノン、コンバーターを介せばソニー、の各メーカーで使えるのですが、
どれかひとつの高画素カメラがあれば十分であり、(ボディの違いはさほどないというか、そこまでに高め
られたレンズです)、私の場合は準望遠には興味がなく、広角28ミリか標準55ミリがあればそれで終わり
なんですね。もっともこのレンズ、私には使える能力がありません。

ハイグレードなレンズの話をしてきましたが、そういうレンズを使うっていうことにどんな意味があるのか
なって私なりに考えて見ました。もしかするとハイグレードレンズは質的に自分の写真をセーブする働き
の意味が大きいように思えますね。
それからハイグレードスペックレンズは、ただ一本だけあればよいように思います。後は普及レンズで
十分です。
それは画質という写真の深度を知る指標になるだけでよく、その精神的なセーブの力でもって他のスタン
ダードレンズを精神的に制御できると思うからです。撮影はやはり小型のスタンダードレンズが機動性が
あり、歩きを稼げるので理にかなっていますから。そして安くて数を揃えられますし。

※写真はオリンパス14-45ミリF3.5-5.6。フォーサーズ登場初期のスタンダードレンズです。今やジャンク
レンズと言ってよいでしょう。画質は物足りないのですがそれでもちきんと写っているわけです。
この狛犬さんは子持ちですね。(^^ゞ けっこう名の知れた彫士さんが作られたようですが、私としては
様式化された普通の獅子像のほうが好きです。

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