無題
Exif情報
メーカー名 Panasonic
機種名 DMC-GH2
ソフトウェア Capture One 8 Windows
レンズ
焦点距離 23mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/1300sec.
絞り値 F11
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 160
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 4752x3168 (9.79MB)
撮影日時 2010-01-05 23:49:56 +0900

1   kusanagi   2021/10/7 21:22

瀬戸内の穏やかさは、これを見てくれれば一目かと思います。風はほぼ無風(というか何時も風はないん
ですな)です。となりの島まで数キロはあると思いますが、小じわのような小さな波だけであり、その波は
浜に打ち上げる波と変りません。大波が来たとすればそれは大型船の引き波ですね。
遠泳が得意であれば隣の島まで泳いでいけそうですが、しかしそうはできません。画面でも縞模様となっ
て見えていますが、これは潮の流れなのです。この潮目を突っ切るには手漕ぎであればカヌーが必要で
す。大きく流されてしまいますので泳いではいけません。
瀬戸の海を泳いでいると、海水温が急激に低くなったところが潮の境目で、これをよく知っていないと危険
です。

しかし光景としてみる瀬戸の海は、これほど平和であって太陽はさんさんと照り、島影で変化に富んでい
て眺めていて飽きることがありません。自然の海岸線がつづく道路をサイクリングしながら走るのは最高
の心地よさがあります。気候として温暖で日照時間がながく風がなく雨もふりません。夏場は蒸し暑いの
ですが、冬はないと言っても過言ではありません。瀬戸内といえばミカンであり、これは日照時間の長さが
必要で、海面に照り返す日射量がさらにミカンの甘みとなります。ブドウとかオリーブとかもそうです。

瀬戸の海はまた朝焼けや夕焼けも素晴らしい景観を見せてくれます。とくに四国側から見る夕日は絶景
のようて、よく広島県のカメラマンが香川に訪れます。夕日スポットとしては香川の観音寺や、三豊市の
荘内半島が絶景です。愛媛では越智半島の西側から見る夕日でしょうか。ある程度の海の広がりがあり
且つ、島影もあるというのが絶景ポイントとなるみたいですね。(^^ゞ 
もし一点だけ夕日スポットを挙げろと言われれば、荘内半島の紫雲出山の山頂からの眺めでしょうか。
東に北に備讃瀬戸が見下ろせ(讃岐平野も)、西に燧灘と芸予諸島、南に四国山脈の連なりが見えて、絶
景の満載となります。ちなみに此処は浦島太郎伝説があります。もしかすればここは竜宮の地そのもの
かも知れません。
瀬戸内からは外れるかも知れませんが、愛媛県の宇和海も絶景です。奇妙な半島が数多くあり海は美し
いです。

日本列島は一千数百万年前にアジア大陸から分離しました。剥がれ落ちたというのでしょうが、そこで
日本海が生まれ日本列島が誕生したんですね。プレートテクトニクスの大きな作用が働いてそうなったの
ですが、その時の副産物として瀬戸内は同時に生まれたんではないでしょうか。小型の日本列島の中の
さらに小型の部分列島が四国だったのかもしれません。もちろん氷河期には陸地になるほどの深さしか
ない海ですが、このミニチュアのような海は意外と古い歴史があるように思えて仕方がありません。

この瀬戸内は古くは九州を分断する海をも含む長さをもった海だったようで、今の有明海と続いていたの
かもしれません。なお北と南に2つに分かれていた九州はその後の火山活動(阿蘇山や雲仙岳、国東半
島)によって現在はひとつの島となっています。
これは瀬戸内の西側の話ですが、じゃあ東側はどうなっていたのか。と問えば、おそらく近畿を南北に分
断していて、古琵琶湖や伊勢湾にまで連なっていた可能性があります。
そういう古い瀬戸内を想像するのはなかなか楽しいものがあります。(^^ゞ 

つまり九州から中京に到る西日本圏というのは、ダブルの二重線の列島だったのではないですか?
それは中央構造線を見てみれば一目瞭然であり、そのラインの北側が瀬戸内になるわけですから。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E6%A7%8B%E9%80%A0%E7%B7%9A#/media/ファイル:Tectonic_map_of_southwest_Japan.png

こんな感じでして、考えてみれば瀬戸内海はその列島二連構造を今に残す古い地形であるということに
なりそうです。サイトの画像では、中央構造線は最終的には南関東の太平洋にまで延びていますね。
とにかく地形的に見て、瀬戸内とは日本列島最古の地形構造ということになりそうです。ただ正確に言え
ば中央構造線は数億年前に出来たものでして、日本列島がまだ誕生していない頃の話なんですね。(^^ゞ 

ですから瀬戸内は日本列島よりも遥かに古い時代のものなんです。(なので上記の記述の…その時の
副産物として瀬戸内は同時に生まれたんでは…というのは間違いということになります)
大風呂敷を広げてみますと、古代の瀬戸内海は、今の九州有明海から瀬戸内海、古大阪湾、古琵琶湖、
伊勢湾、そして東京湾にまで連なる長大なものであって、この南北列島二重構造の証しとして、今もその
当時の姿を残しているのが今の瀬戸内海ということになりそうです。

日本列島は東西でもダブル構造ですが(フォッサマグナや伊豆半島を入れれば3重構造)、実は南北でも
2重構造であったことになり、この日本列島の生い立ちの複雑さを見る思いがしますね。
( この話は九州から北海道道南までの話しでして、沖縄などの南西諸島孤島群、北海道中央から樺太、
道東から千島列島、伊豆諸島などはまた別の成り立ちとなっています)

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