無題
Exif情報
メーカー名 OLYMPUS IMAGING CORP.
機種名 E-M1
ソフトウェア Capture One 8 Windows
レンズ
焦点距離 29mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/400sec.
絞り値 F11
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 200
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 4608x3456 (9.03MB)
撮影日時 2014-02-13 02:33:11 +0900

1   kusanagi   2021/10/7 21:20

瀬戸内の魅力のひとつに、と言いますか、そもそも海の魅力のそれには、船に乗る、というのがあると
思います。海は眺めるものではなくて渡るものなのですね。(^^ゞ それは山を眺めるのではなく山に分け
入る・登るということと、とてもよく似ていると思います。
本土から海や島を眺めるのは風景でありますが、船に乗って海を渡り島に入れば、それは自分がその
風景の中に入ってしまった、というようなことになるはずです。もちろん山もまたそうですね。
ですから本当に海を知ろうとすると、また感じ取ろうとすれば、やはり島にいかなければなりません。しか
し大きな島や賑やかな島だと、淡路島とか小豆島や直島なんかだと、あまり島とか海とかを感じずにすん
でしまいます。やはり過疎の島が、島らしいですし、海を身近に感じることができます。

過疎の島にはほんとうに何もありません。自動販売機すらない島もありますから。ないと言ったら本当に
ないのです。でも船はあるんですね。(^^ゞ 車はなくても船はあるのです。そもそも船がなければ島に
渡れませんし、漁船も多くあります。
この撮影は小型のフェリーから撮影していますが、写っている船は小型のチャーター船ですね。このよう
なタイプの定期客船も運航しています。小型なのでスピードが出て、車並みのスピードは出るでしょう。
瀬戸の海と島を巡る旅の、その大きな魅力のひとつが、この小さな船旅であるのは確かです。乗船した
瞬間に、私は海にでた、海に入ったという情感が強く湧き出でくるのです。船の振動と揺れと潮風の匂い
と、巻き上がる潮で顔が塩っぼくなり、そして空にもカモメが舞います。

小さな過疎の島は、常に海が視界に入り、海の存在を一時たりとも忘れることがありません。そよ風は
常に潮風であり、自分が立つ陸地の小ささを意識せざるを得ません。島に住めば必然的に海の人である
ことを意識させてくれるのでしょう。
しかし海は船さえあれば陸地よりもスムーズに移動する人ができ、その積載量は陸のそれの比ではあり
ません。この瀬戸内の海は多くの船主たちを生み出しました。海運業であり造船であり、瀬戸内は今でも
それらが強いです。
日本の歴史を見ていても不思議に、海人たちや水軍たちの話があまり出てこないんですね。これは恐らく
戦後史観の特徴なのかもしれません。左翼知識人の頭の中はひとえにソ連とか中共とかの影響が強く、
彼らは大陸の人々であるからです。海に縁がない国々です。
海から眺めた本当の日本史観を是非とも構築して欲しいものです。

そういう海からの眼で瀬戸内を眺めてみますと、地味がうすく雨が少なくて貧乏な県ばかりである、という
お話が少しづく覆ってくるんですね。三大財閥といわれる三菱・住友・三井ですが、三菱と住友は四国の
出身です。三井は近江ですか。琵琶湖です。つまり海と大きな関わりがあるんだということです。
なぜ香川県のような小さな県が独立してあるのか、というのも海運の海からの歴史観から見れば納得が
いく話であるわけです。
江戸期の香川の特産物としてあげられるのが、採石と塩業と綿花ですか。それらには全て瀬戸内の海と
深い関わりがあります。石は重いので海際でなければ産業が成り立ちません。綿花は魚肥が必要で燧灘
の鰯が使われました。古くは瓦製造なども香川の特産物でした。花崗岩が風化した粘土が豊富でしたし、
これも重いので海運がなければ成り立たない産業です。
江戸時代、天下の台所の大阪と北陸東北の米どころを結んでいたのは瀬戸内の海運業者が主だったん
です。咸臨丸の水夫の多くは瀬戸内の人々でした。その伝統は今でも続いていて、日本帝国海軍、海上
自衛隊も瀬戸内が本拠であるわけです。潜水艦を造れるのは瀬戸内の神戸だけですし、造船業日本一
の地域は瀬戸内です。そして海の神様の金比羅山は香川県にあります。

そういえば金比羅山というのは実は香川の内陸にある山なんですね。海の神様なのに海際にはない。
これは不思議に思うかも知れませんが、金比羅山のある象頭山・大麻山は香川平野ではどびきり高くて
600㍍あります。他の山が皆低いのでこれでも高いわけです。そして形が台形型をしていて、これは見る
位置によって姿が変わって見えて、それで備讃瀬戸を行きかう船乗りにとっては親しみのある山となって
いるのです。
金比羅詣では伊勢神宮などと並んで江戸期に大流行をしました。今で言う旅行ブームですか。これで
香川は大分潤い、団扇産業なども発達しました。そういえば讃岐うどんなどもそうですね。香川は降水量
が少なく日照時間も長く、平野の地形が緩やかな扇状地地形なので水はけも良くて、麦の栽培に適して
いました。サトウキビ栽培もそうですね。
この小麦と塩業の塩と燧灘のカタクチイワシで讃岐うどんが出来上がるのです。(^^ゞ 金比羅山にお参り
すれば、うどんを食って土産の団扇を買う。そして参拝者達の湊として高松、丸亀、多度津などが潤いま
した。ちゃっかり観光産業もやっていたということです。

この金比羅観光でも、やはり根底には瀬戸の海というものかあるわけで、全国津々浦々の庶民がオラが
村にはない内海という光景に憧れてやって来たものと思われます。
明治期に入って最初に国立公園に指定されたのは備讃瀬戸の海です。正直言って私のように子どもの
ころから瀬戸内に馴染んできて今も此処に住むものには、瀬戸内海の風景のよさというものが分かりま
せんね。(^^ゞ 自然に昔からそこにあるものですから、良いも悪いも判断することができないわけです。
瀬戸内は広いですが、どこに行っても香川の海の光景と同じ雰囲気がします。同じような故郷の感覚で
あるわけです。

私も稀に本州に出かけて北陸や東北を旅して、そして帰りに瀬戸の海を見た瞬間に、我が家に帰って
来たという気持ちが出てきます。山口でも広島、岡山、兵庫でもみな同じ光景と匂いを持っているんです
ね。それは土地という地面ではなく、海というものが醸し出す独特の感覚や特性かもしれません。
考えてみれば金比羅山、伊勢神宮、出雲大社、それらはすべて海と深く関わっています。それらは奈良
や京都の寺とは赴きを異にします。大陸からの伝播文化とは違うものなのでしょう。
この国には、どうやら大昔からの海人の緩やかな文化文明と、そして稲作伝播と国家的大陸文化の大き
な2つの流れがあるように思えてきます。時代の脚光を常に浴びているのは後者の文化文明なのですが
ここにもうひとつ、瀬戸内に代表される海人の長いながい歴史があるように思えてならないのです。

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