無題
Exif情報
メーカー名 SONY
機種名 α7R
ソフトウェア Capture One 8 Windows
レンズ
焦点距離 95mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/160sec.
絞り値 F7.1
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 64
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2000x1335 (1.7MB)
撮影日時 2013-01-03 05:11:41 +0900

1   kusanagi   2022/9/7 22:59

最近のカメラはまことに多機能で高機能であり、必要のないものがいっばい付いています。そりゃあ
デジカメとはスマホと同じくコンピューターのひとつなんですから当然かもしれません。
私の使い方はそれらの高機能は一切無視でして、すべてオフにして使いません。自分にとって必要ない
ものは使わない主義です。パソコンのアプリも最低限であり、シンプルこの上ないですね。
この無駄を省く、という行き方が私に性に合っていて、何事もシンプルで行きたいと考えています。
それは無駄に脳味噌を使わないということ。これに尽きます。コンピューターのリソースの考え方と同じ
です。

大昔のカメラ、ニコンFとかペンタックスSPなんかは、シャッタースピードとレンズの絞り、そしてピント
リングくらいしかありませんでした。それで不便だと感じたことはありませんでしたね。(笑)
ほとんどの人間がコンピューターやカメラに負けてしまって、それらを使うのではなく使われているという
のが現実でしょう。カメラにこき使われている。写真の奴隷に成り果てているという具合です。
悲しいかな、多くの人達がそれに気がついていません。そしてとことん行ってしまってのち、写真の奴隷に
なっていることに最後にやっと気がついたとき、人は写真を止めてしまうのです。なんとも後味の悪い去り
方です。

カメラの真実は細部に宿ります。たとえば三脚。レンズフード。ファインダーパーツ。カメラグリップ。スト
ラップ。えーっ、全てアナログでしてコンピューターや半導体は基本入っていません。
こういうちょっとしたものをカメラやレンズに付加することで、いかようにも使いやすくなるというのが写真
の不思議です。それらは人間の眼や手や足の延長であり、その先にカメラやレンズが鎮座していて、
さらに写真という道具があるからなんですね。
写真やカメラから考えるのではなく、ご自分の手足から始めて思いを馳せてみようというわけです。です
ので私はこれらのパーツを大事にして、また自作もしています。

マウントアダプター、最近はスマートアダプターとか言って、これは半導体が組み込まれています。
これがあると例えばソニーミラーレスのカメラボディにキヤノン・ニコン・シグマのレンズがくっ付きます。
確実な撮影を心がけるプロは不安定要素をゼロにしたいので使わないようですが、アマチュアが遊びで
使うのには面白いパーツというか装備ですね。
面白いのはこれでカメラ機材は独特のスタイルに変化するということです。カスタム化するんですね。

キヤノンやニコンのミラーレスカメラ用マウントに、サードパーティ製、つまりタムロンやシグマのレンズが
着くようになるそうです。既にソニーミラーレス、4/3ミラーレス、フジミラーレスなどにはサードパーティ製
レンズが参入を果たしていましたから、まあ、やっとか。という感想ですけど、まずはめでたしです。
純正レンズだけではカメラは面白くない。そう考えている人達は非常に多いはずです。カメラメーカーも
それを知っていますからサードパーティ製レンズ群を排除できません。

世の中にはメーカー純正のものしか使わないとか、カメラをカスタム化するのは邪道とかいって、カメラの
奴隷に自ら進んでなる人もいますが、そういう人は稀です。多くの人達はバライティーを楽しむのです。
様々な選択肢の中から、自分のスタイルを発見すること。自分の写真行為をデザインすることが、今も
昔も変わらないハイアマチュアのやり方なんでしょうね。
とにかく御自分の目線、自分の手足から始まるのであって、それがカメラという機材に及び、最終的には
写真という画像にまで達します。そういうことではないですかね。これを逆転した方向から考えている人
は多そうです。なんでそういう逆転の発想ができるのか、私としては不思議ですが。

この逆転劇には、おそらく知能と人気という2大要素が絡まっているのではないかと最近は考えるように
なりました。知能というのは自分の能力です。自らが開発する能力であり主体は自身です。
そして人気というのは見せる・魅せることであり、相手に自分がどう写っているかが問題なんです。
つまりアプローチが違いますね。大自然相手には魅せる能力というのは役に立ちません。自然に対処す
るには知能がものを言うのです。そして人と人との間の世間や社会の間でしか効力を発揮しないのが
人気とか魅力です。しかし人が2人いれば効果を発揮します。
そう考えると知能型の人間は自分の手足から世界方向に考えるのであり、人気型の人間は出来上がっ
た世間的な写真から自分方向に考えるのではないでしょうか。つまりは鏡ですかね。

この世の中を発展させ文明が勃興し生物が進化するのはあくまでも知能の働きです。これは間違いが
ないでしょう。そして既に築かれた世間の中で我を発揮していくのが人気です。これは自己利益誘導
ともいえます。
写真というのはこの仕組みを容易に暴くところがあって、知能が乏しく、でも人気が大きいという場合に
は、やはり最終的には写真によって自己破綻をするという気がしています。
そして写真の恐ろしさというものがあるとすれば、そういう自分がどのように写真に対してアプローチを
しているかっていうことが如実に試されるということではないですかね。
この考察、かなり難しいところを突いていますので、本当かどうか怪しいところがあります。しかしちょっと
真実の扉を開けかけたところなのかもしれません。
ただ私としては、写真は自力としての知能の発展(知能とは知性のことだけでなく生き抜く能力のような
もの)に使いたいと考えます。写真をすることで得られるノウハウを知能の向上に使いたいということ。
簡単に言うと自力運です。そうすることが写真の理に適っているような気がするんですけどね。

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