無題
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D3S
ソフトウェア Capture One 8 Windows
レンズ
焦点距離 24mm
露出制御モード 絞り優先
シャッタースピード 1/25sec.
絞り値 F10
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 200
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2048x1363 (3.55MB)
撮影日時 2022-08-22 01:34:54 +0900

1   kusanagi   2022/10/10 19:26

キヤノン板で、信州伊那谷の駒ケ根。
https://photoxp.jp/pictures/221447
masaさんの故郷の大本家のようです。少しルーツを書かれていて好感がもてます。
それで、信州、長野県に関心が芽生えてきて・・・
「伊那谷ウィキペディア」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E9%82%A3%E8%B0%B7
「田切ウィキペディア」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%88%87
「信濃の国ウィキペディア」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E6%BF%83%E3%81%AE%E5%9B%BD
「長野県ってどんな県?(1)
https://55anz.com/blog/nagano-introduction/
「長野県ってどんな県?(2)
https://55anz.com/blog/nagano-introduction2/

こんなところを見てみました。長野県は大きな県でして四国全体ほどではないにしても岩手県くらいは
ありそうです。私としては長野県は行ったことがなく、大昔に松本城や野尻湖を見たくらい。もう記憶は
ゼロです。それから数年前、東北の帰りに糸魚川市から148号線を少し南下して雨飾山を遠望したくらい
ですかね。
日本の屋根と言われていて、北アルプス、中央アルプス、南アルプスに囲まれています。
北信・東信・中信・南信と区分され、中心とては長野市なのか松本市なのかよく分からないところがあり
ます。諏訪湖は有名ですね。とは言えこちらの満濃池と同じくらいの大きさなので大きな湖ではありま
せん。時計のセイコーとかレンズのコシナなども長野県でしたっけ。精密工業は空気が澄んでいなければ
ならないのでシグマの会津なんかと同じ事情なんでしょう。

長野県の県歌である『信濃の国』(しなののくに)はこれさえ熟読すれば長野県が分かろうかというもの。
ちょっとコピーしてみました。
現代語訳(意訳)
1、
信濃国は、10か国の令制国(上野国、越後国、越中国、飛騨国、美濃国、三河国、遠江国、駿河国、
甲斐国、武蔵国)と境を接する広大な国である
当地にそびえる山は遥かに高く、流れる川は長大である
山国ではあるが、松本平、伊那谷、佐久平、善光寺平の、計4つの肥沃な平地がある
海がない内陸県ではあるが様々な物品を産し、物に不足することは無い
2、
四方に聳える山々で著名なものを挙げるなら、御嶽山、乗鞍岳、木曽駒ケ岳
浅間山は活火山として著名である。これら山はいずれも信州の地を鎮っている
澱むことなく軽快に流れる川で著名なものを挙げるならば、北へ流れた末に日本海へ注ぐ犀川に
千曲川。南へ流れ太平洋へ注ぐ木曽川に天竜川。
これら川も信濃の地の基である。
3、
木曽谷にはヒノキはじめ有用な針葉樹が茂り、諏訪湖は水産物の宝庫である。
住民はさまざまな生業に励み、五穀の実らない村落など無い。
そればかりか桑の葉でカイコを飼う、養蚕の技術も広範に広まっている
養蚕は家ごとの零細な家内工業であり、生産された生糸は細くて軽い。しかし、その意味は決して
軽くはない。信州の基幹産業として、さらに日本の重要輸出品として国の命運を繋いでいるのだ
4、
信州の名所を挙げるなら、万葉集の時代から歌枕の地であった阿智村智里の「園原」をぜひとも訪ね
たい。あるいは浦島太郎が玉手箱を開けた地との伝承がある「寝覚ノ床」で一夜の宿を結びたい
旅人の便宜を図り、木曽川の断崖には「木曽の桟」が、犀川の流れには久米路橋が架けられた。だが、
険しい道は心して進みたいものである
奈良時代からの歴史がある筑摩の湯は旅客で賑わう。古今集が編纂された時代より、月見の名所と
詠われた姨捨山。
これら名所は風流人に愛され、和歌や漢詩に詠み込まれて伝えられてきた
5、
源平合戦で都に凱旋し、「旭将軍」と讃えられた源義仲。織田信長の甲州攻めの折、高遠城で対峙し
た仁科盛信。
儒学者として「経済」の語を世に知らしめた太宰春台。幕末の洋学者であり、維新の志士を教育した
佐久間象山。
みな信州にゆかりのある偉人である。
文武両道に優れた彼らを世人は山のように振り仰いで尊敬し、名声を川の流れのように末永く語り
継いでいる
6、
かのヤマトタケルが東国遠征の折、入水した妻・オトタチバナヒメを想い「吾妻はや」と嘆いた。そんな
伝承がある碓氷峠。
中山道の難所だった碓氷峠にも、今や夢に見た鉄道(信越本線)が開通した。26か所ものトンネルが
開削され、苦難の旅路は汽車でひと眠りのうちに通過できる文明開化の時代である。
山中を一直線に貫く鉄路のように、一心不乱で勉学したならば、先人に劣ることがあるだろうか。
古来より美しい山河、自然環境に恵まれた信州。そんな郷土から偉人が輩出されるのは道理である。

歌曲としては・・・
https://www.youtube.com/watch?v=F-VWrBooua8
あまりにもテンコ盛りでケップ、ご馳走様って感じですが良く出来た県歌です。(^^ゞ 
「松本まつもと・伊那いな・佐久さく・善光寺ぜんこうじ 四の平たいらは肥沃の地」とあるのは平野、
全て盆地平野のことですね。
松本は松本城であり安曇野もあります。(中信)
伊那は伊那谷であり、諏訪湖の諏訪市も含むようです。(南信)
佐久は佐久市小諸市上田市。(東信) 
善光寺は言わずと知れた長野市です。(北信)
まあ平野の盆地はもっと複雑なんですがそれぞれ規模は大きく広大な盆地平野なんですが、田切と
いう聞きなれない言葉がでてきました。とくに伊那谷では顕著でして、田切とは地形としては、扇状地
などの緩斜面や台地が、河川により深く侵食された結果、河床の低地や急崖によって分断されたもの
を言う。
とあります。伊那谷の写真を見てびっくり、盆地だから全て平らかというとそんなもんではなく、これで
は田圃を作るのも不便だし何よりも伊那谷盆地の南北の交通路が遮断されます。伊那の「谷」という
のはこれのことかいな、妙に納得でした。しかし写真風景としては美しいですね。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b9/Ina_Basin_and_Akaishi_Mountains_from_Mount_Eboshi_2010-10-11.jpg

masaさんは伊那谷の駒ケ根(現駒ケ根市)で生まれて小学に行くまではそこで育ったようです。お爺さんが
生糸貿易で失敗して没落、という下りはよくある話です。県歌にも蚕の歌詞がありました。とにかくmasa
さんが定期的に農地の写真を載せるのはそういう幼児期の記憶からきているのかもしれませんね。
たしかmasaさんの奥様は岩手県だそうですがやはり田舎で育ったものどうし、気が合うのでしょう。
(私の知り合いで女性は香川出身、男性は沖縄出身で大阪で出会い結婚しました。現在は香川で住
んでいますが。やはり田舎モノどうし、嗅覚で伴侶を探し出すようです)
それにしても山と川で盆地であり、海がないというのは私としては不思議な世界のように感じます。
いつかは行って見たいと思いました。山登りではなく盆地平野の散策で。(^^ゞ 

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