無題
Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 EOS 5D Mark III
ソフトウェア Capture One 9 Windows
レンズ
焦点距離 38mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/197sec.
絞り値 F7.0
露出補正値 +0.0
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2048x1365 (4.14MB)
撮影日時 2023-04-24 01:23:52 +0900

1   kusanagi   2023/5/1 21:58

私kusanagiの話が面白いという方は極めて稀です。大体は何を書いているのか全然分からん、
というのが通り相場だからです。一般常識とはかなり違っていて、話についていけない人がほとんど
です。しかし現在の科学の最先端は、常識をひっくり返すものばかりでほぼオカルトのようなものなん
ですよね。しかし現実にその恩恵を受けて我々は日常を生きています。
量子コンピューターとかAI人工知能なんていうのは正にそれ。我々はブラックボックスの時代の中で
生きているのです。
弘法大師空海さんは、人は生まれてきた意味も生きている意味も死んでいく意味も何も分からずに
今を生きている、それが人間であると言われました。1200年前でもそうだったわけです。

私の占星術的思考は自分の精神の中枢にいて全ての思考はそれを鑑みて組み立てられています。
こういう人間はほとんどいないでしょう。それで占星術の9割は嘘ですね。妄想です。それらを排して
自分の思考を組み立てていくのですが、常にそれが正しいのかどうかの検証をし続けなければなり
ません。それに何十年と要しています。
この自分の占星術的思考の根幹にあるのは、占いに行く前に続けていた写真であるのではないかと
感じています。20歳代の末まで写真をやっていて(当時は自家現像黒白写真)、それをやめて占星術
に行きました。以降、消長はあったものの占星術は続けています。

写真と占術の類似点はあるのかな?と考えると全然ないような気もしますね。(笑)
ただ写真も占星術も言葉・言語を弄する思考法ではなくて、画像中心の思考であるという点で共通し
ています。
言葉というのは高度にスリム化されていて、まあ高速処理が可能なデジタル思考みたいなものです。
しかし現実の目前の目の前にあるリアルで複雑な思考を紡ぎだすには不得手なところがありますね。
言語はそもそもステレオタイプ化されていて、どうしてもリアルさ、現実感に乏しくなるという弱点があ
ります。

そういう点では写真も占星術も極めて原初的思考力を求められます。つまり直観力ですかね。
また普通の言葉の思考というのは簡単明瞭に処理するする都合上、1次元や2次元の思考法みたい
なものです。つまり平板です。しかし写真や占星術は3次4次元のより高度な次元を対象にしています。
写真が3次元であるというのは直ぐに分かるでしょう。また写真とは光ですので刻々と変わってまいり
ますし、被写体というのは常に動きで変化しています。それで写真をやっていますと自然と高次元の
世界というのが身につくんだろうと思いますよ。つまり自然や事象をよく観察するようになること。

そういう写真への思考法というものが身につくのは、やはり若い時期にやっていないとなかなか難しい
ところがありそうです。お歳をとられてから写真をやっても、やはりその写真は平板的になってしまう
ところがあるみたいで、それで何だか模倣的な写真になるんですね。せっかくの眼前のリアルを見逃し
てしまうようです。
いや撮影中は無意識に気がついているんでしょうけど、最後に写真として纏めると平凡な言葉の
世界に閉じ込められてしまうではないですかね。
写真の上手な人は多くいます。この掲示板でも皆さんお上手です。しかしながら精神として写真の
思考法を身につけられていないような気がします。写真=美学として平凡な言葉の思考法のままに
終わってしまうようです。ここのところがすごく残念ですね。

余談が続きましたが、話を元に戻しますと、こういうのは右脳左脳というのでよく知られています。
両利きの人間は両脳思考が出来るという具合に。
しかし人間は社会的動物ですので個人の直観力だけでは生きていけません。言葉という他者と会話
ができる思考法への変換がスムーズでないといけないのです。
四角い箱を見て、それを平面の展開図にすばやく翻訳できるような能力が必要というわけです。それ
が言葉本来の役割であるというものかもしれませんね。
空中を素早く飛ぶツバメは驚くほどのスピードで3次元4次元を見て処理できる能力を持っています。
人間には真似のできないことですが、人間の能力とはそれらの世界を言葉に変換し、仲間に伝える
ことができるということ。さらに文字化して後世にも、また会ってもいない人にも伝えることができると
いうことでしょう。この大脳の働きこそが人類をして動物界の覇者たらしめた事実なんですね。
もうひとつは直立して自由になった前足の手で道具が作れるようになったこと。

しかし動物達が持っているこの世界を丸ごと処理していける能力というのは極めて大事です。
写真をすることで、その能力を忘れずに維持でぎるというのは素晴らしいことであって、ともすれば
言葉に頼り言葉に押し込めらる人間社会では大事なことだろうと考えますね。
現代の我々の人間社会は農耕社会が基本であって、皆が同じように考え動いて文明が成立すると
いう具合でやってきました。工業化社会、高度情報化社会になってもそれは同じことです。
農耕文明以前は、狩猟採集文明でした。写真を撮影するということはこの石器時代の狩猟採集時代
に立ち返るということではないですかね。人類の歴史時間のほとんどはこの狩猟採集文明であって、
そもそも人間の身体の仕組というのは、最近の農耕文明には対応していなくて、長かった狩猟文明
時代のままで形作られています。それから一歩も進化していません。

写真が好きだ、写真を趣味としてやっていきたいという方は、本らい画像認識が得意な方です。
口で言うよりも絵を見ろ、というわけです。そうであるからこそ、写真として学ぶ画像力というものを、
それだけで終わらせずに言語化することが大事だろうと考えています。
人が生きる上において個人の此処の一瞬の現場では画像認識で処理できているのですが、大きな
生き方を決めているのは言葉言語です。それが社会圧となつて人間の考え方や生き方を統御して
います。ワードというのは不思議なものでシンボリックな言葉をプロパガンダされますと大勢の人は
よく考えもせず言葉のイメージに流されてしまうのです。この社会は言葉の力学で動いていて、CM
などはその典型です。言葉を連呼すれば内容の如何に関わらず人は動かされてしまうのです。

例えば私はよくカメラの電磁波被害を言うのですけど大概の人は電磁波を全てひっくるめてイメージ
していて、カメラの電磁波と携帯の電磁波などもごっちゃごちゃにしています。何も考えずに何も知らず
に言葉のイメージだけで流されてしまうのですね。
この世界の事象は人間が想像できないほど複雑であり言葉で簡単にイメージできるほど簡単なもの
ではありません。人は病気になりますが、その病気の原因を自分で考えて見つけて対処できる人は
ほとんどいません。いったん病気になれば治らないというか治せないのです。それはこの世界の
事象をよく見て深く考えないからそうなるのですね。そもそも自分の病気を自分で治すという発想すら
ない人が大勢です。

写真で培った現実をリアルに見て、この世界は複雑でありそれを紐解いていくという、そういう画像の
認識する能力を高めつつ、同時にそれを新たに自分の言葉で言語化する。その言葉を自らの生きる
指標とすることをやっていくべきだと思っています。
社会が放つイメージの言語に流されずに、自分の言葉は自分で作るということ。それにはこの世界
に直に接して直接見る必要があります。それが写真だと思うのです。自分の眼で世界を発見していく
ということですかね。
とは言いながらも、ことはそう簡単ではなくてとてもじゃないですが個人でできるものではありません。
そこで手助けになるのが有識者の著書です。読書といういうことになります。著作には多くの方の
見方考え方が秘められていてそこにこそ正しい意味での言語の力があります。

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