雑
Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 EOS 5D Mark III
ソフトウェア Capture One 8 Windows
レンズ
焦点距離 24mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/128sec.
絞り値 F2.8
露出補正値 +0.0
測光モード 分割測光
ISO感度 250
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 1365x2048 (2.91MB)
撮影日時 2023-06-04 23:59:57 +0900

1   kusanagi   2023/7/21 21:26

先日、知り合いの20歳代の人から、仲よしグループ4人で連休に県外に旅したという写真群をスマホで
見る機会がありました。ほぼ私がかつて20代に撮った写真と同じ感覚ですね。(^^ゞ だた時代は変わって
カメラが違いますので、そこらへんの事情を除けば、やっぱり変わらへんねっていう印象。
写真ってカメラという外部機器で撮るものですから、ほぼ人間がすることってあまりないのではないで
すかね。

ただ時代は現在と、私が写真を始めた時とは違います。友人や恋人の写真を撮りましたが、主に私が
撮影をしたのは政治色の強い市民運動とかの写真を撮っていました。路上に寝泊りする人たちの写真を
追いかけたこともありました。そういう感覚は今の平和な時代ではあまりなさそうです。
この国の今の時代は、高齢者が牛耳っているといいますか、若い人は総体的に少数派であって、それで
自分たちの意見や考え方が通らない、という気持ちが根強くあるのではないかと思います。
若さは馬鹿さかもしれませんが、そういう若さ一徹の時代に対する貫通力というものが、今は失せ気味
です。それは日本だけでなく、高齢化が進む先進国はほとんどそうなっています。
しかし平和な安定した時代がずっと続くのか、と問えばけっしてそうではありません。この時代が行き詰っ
てくると、そこは若い人の出番です。いつかは若い人たちが時代を引っぱり世界をがらりと変える時が
来るのでしょう。

写真を最初に始めるという、その時期に意味があると考えています。
できれば学生時代、家庭を持つ前の若い時に写真を始めて夢中になって欲しいものです。
社会人に家庭を持ってから写真を知るというのでは遅すぎて(既に常識人になっているので)、若い時
だからこそ身につくという、写真の何かがあるようです。歳をとってからの写真は模倣に終わりますね。
写真という画像に留まるといってもいいでしょう。
若い時期に学ぶのは写真という行為そのものの本質であって、その本質を感じとることであるわけなん
でしょう。それは模倣の写真しか知らない人にとっては想像の他となります。
多くのプロ写真家は例外なく若い時期に写真に入っています。そして趣味写真人の多くは歳をとって
からの趣味芸なんですね。その二つは似たるも非なり.、というわけですね。

写真に、もし撮影という行為がなくなれば、私は写真をしないでしょう。
カメラを持って写真を撮りにいく。この形態は現在も百年前も変わっていません。しかし今後は手ぶらで
ただ眼をウインクすれば、もしくは念じるだけで写真が撮れるという時代がくるかもしれません。
でもそれは多分、写真じゃないです。
とにかく現在でも写真とは、自分の足で歩いて、手にはカメラを持って、それで写真をするということなん
ですね。この歩くこと、持つこと、この二つにも大いに意味があるとするのが、私の考える写真です。

パソコンの前に座って画像をいじるのは写真画像ではあるんですが、写真そのものではありません。
弄くればいじるほど本来の写真からは遠ざかっていきますね。やがてその弄くりはAIがやってくれるよう
になるでしょう。
ですから撮影はしても、その画像をPCで一度も見ることがなかった、というのも写真であるというのが
私の考えなんです。(笑) だいたいどんな写真が撮れているのかは撮影時に分かっていますからね。
カメラの液晶スクリーンを見てのことじゃないですよ。

カメラを手に持って、自分の足で歩き回って写真を撮るというその行為自体に、私は無類の喜びを感じ
ています。よく知りませんが、釣り人が魚を釣ってその後は魚をリリースするうらしいてすが、それと
よく似ているかもしれませんね。
(食いしんぼの私には折角釣った魚を食わないのは合点がいきませんが)
しかしこれは自分にとっての写真は全くの趣味だから言えるのでして、職業カメラマンならば失格です。

                  ※

ところで、仕事というのは何の職業でも一人ではできません。多くの皆の努力の集合として仕事は成り
立っていますね。自分のできないところは人を信頼して任せるしかありません。しかし自分のテリトリーの
ところは間違いなくやり通したいですね。
私も最近は仕事の幅が広くなってきて、それで様々な機械を使うことが多くなりました。それで思うに
機械というのは人を裏切りません。上手くいかないのは機械のせいではなく、機械を正しく操作できて
いない自分せいだということです。それで使う道具や機械を徹底的に見て分析して仕組を知り、そして
改善をしていくと、当初は考えられなかった性能を発揮することを知りました。
おそらく前任者の2倍3倍の効率で今は道具や機械を動かせていると思っています。もちろん品質も向上
させてのことです。こんな具合で自分ひとりでも改善できることは数多くあり、それを日々積み重ねて
いけば、結果として仕事全体に良い影響を及ぼせると思ってます。

人を動かすというのはなかなかできないです。どんな仕事や職場でもそうでしょう。しかし自分は動か
せるし変えることができます。また自分の配下にある道具や機械も変えられます。人が教えてくれと言
われれば喜んで教えますが、人に無理強いはできませんね。
後は時間が解決してくれます。
そもそも人も会社(法人)も、生まれ持った人格というものがあって、彼らには彼らなりの運勢というものに
則って生きています。
例えば東枕が良いというのは人類不変の法則ですが、それを他人(たとえ身内でも)に強制することは
できません。でも本当はそれでいいんですね。なぜならば不運になって始めて人は自分で深く学ぶこと
ができるからです。その学びの機会を他人が奪うことはできないからです。

                  ※

私自身が今、ある程度自分を変えられているのは、やはり健康であるからです。少なくとも病気では
ありませんから。ですから何はなくとも健康維持だけはきちんとやっておきたいと願うのです。
例えばですが、コロナウイルスとワクチンに関しては相当数の著作を読み、週刊誌やネットでも調べ
まくりました。それで健康体であればウイルスは心配ないこと。そして新型ワクチンは危険であるという
ことも分かりました。それで最初からマスクなんか信用していませんし、ワクチンは一度も打っていませ
ん。
周囲の人を見ると、ワクチンを打つたびに体力を焦消耗しあるいは持病が出てきたりとか、そういうのを
見ると、御上や他人を信用し過ぎる(無責任な持たれ合い)ことの危険性が嫌というほど見えてきますね。

写真というのは自尊自律の行為ですね。自分の意思でやってその結果は自分でとります。他人は関係
ないというのがその基底にあります。(水瓶座) しかしそれだけでなくて他律的な愛というのもあるわけ
です。(蠍座) 
ですから他人に褒めてくれることを安易に期待して写真をするものではありません。
私が学生時代に写真部に出入りして、学んだことは正にそれでして、私の撮った写真は最初からケチョン
ケチョンに貶されるだけでした。それでも写真をやりたいやつだけが写真をやればよいのだ。と、そういう
ことを言っていたのだと分かったんですね。

今の写真の時代、互いに褒めすぎなんではないですかね。(^^ゞ もっと貶しあいをしないと写真は上達
しないというか、写真の真実やリアルを知ることはできないだろうと思ってます。

                  ※

「美食地質学」入門 -和食と日本列島の素敵な関係- 巽好幸著 光文社新書
というのがあって、ここにも讃岐うどんについての興味深い考察があります。
ただし多くの人たちは知らないのでしょうが、さぬきうどんの小麦粉はオーストラリア産です。

NHK 讃岐うどん 支える小麦 産地オーストラリアと日本の開発最前線
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230510/k10014062521000.html
「ASW(オーストラリアン・スタンダード・ホワイト)」
https://flour-net.com/column/australia_flour/post.html
 ASWはオーストラリア産小麦生産量全体の約4%程度を占める程度の、西豪州で収穫される、日本向け
 独自仕様の小麦銘柄です

うどん遍路・・・?
西日本放送 https://www.rnc.co.jp/news/udonhenro2/backnumber.php
四国新聞社 https://www.shikoku-np.co.jp/udon/
こういうやつですか。(^^ゞ 
でもやめた方がいいです。糖尿病になりますよ。(笑) 
絶対に蕎麦がいいです。上記の著書には蕎麦の話も載っていますので。

2   シッポ座   2023/7/22 22:04

なんだか絶対にと言われるとへそ曲がりな私はそれじゃあ、と、余計におうどんの食べ歩きをしたくなってしまいます。
生醤油をさあーっとひとかけして薬味をパラパラッ、そそられるんです。。

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