メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS 5D Mark III |
ソフトウェア | Capture One 9 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 28mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/128sec. |
絞り値 | F5.7 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1365 (2.76MB) |
撮影日時 | 2022-06-06 20:18:18 +0900 |
少し遠眼にした写真ですが、海浜の公園での、中国の楽器、二胡を演奏されている方です。
色々と楽曲を聴かせて頂き、ついでにお仕事関係の写真もタブレットで見せていただいてと、いつも
のように、さて私は写真を撮りに行ったのか、世間話をしに行ったのか分からないようになりました。(^^ゞ
写真撮影+歩き運動+世間話、というのがどうやら私の写真スタイルのようなものになっています。
この方は高音用と低音用の二台の二胡を持たれていて、その2つの音色を聴かせてもらいましたが、
二胡は小さいので、同じバックに収まるのがミソでした。
なるほどー、これはカメラ2台体制で撮影に臨むというのと良く似ているなと。(笑)
しかし写真はその場で人様を楽しませることは出来ませんが、楽器はやはり圧倒的です。音楽は多く
の人を楽しませ和やかにするする力があります。音楽を楽器を演奏できる人は羨ましいなと感じた
次第です。
音楽は人様を喜ばせることができますが、私の写真はそうではありません。人様や自然から光景として
貰うだけのものですね。そのお返しが全然できていないわけです。一方的に奪うだけというわけです。
そこのところが何とも苦しく不甲斐ないなあって常々思ってます。
写真は密やかな個人趣味なんではありますが、そうは言っても、とにかく私がカメラを持って撮影をする
ことで、その行為、そのスタイルというもので、写真の何たるかを人様に想像してもらえれば良いかなっ
て思うことにしています。
昨今では写真を撮って、その写真を人様にあげたところで、そんなに喜ばれるものではありませんね。
写真はもう誰でも何処でも容易に撮れるものになっているからです。写真や画像は溢れるほどですから。
写真そのものに値打ちはもうあまりなくなりました。
私が最初に写真をやっていた50年前はそうではなく、撮った写真を後で送付してさしあげると喜ばれ
ました。当時は写真をする人は少なくて、ましてやレンズ交換式のカメラは珍しいものでしたから。
しかし今や、何方も所持しているスマホで綺麗な写真を即撮ることができるのが写真です。時代は変わっ
たものです。
一人で黙々と撮影をする。その姿というかそのスタイルが、あえて見せ所というかそれしかないという
感じです。デジイチが出始めた当初は私も人出の多いところで、祭りとかイベントなどで撮影をしていま
したが、今やそのようなところは避けています。もうそういう場所はカメラでいっぱいで、私が出る出番は
ないと思うからです。
デジタルカメラを始めて20年余、この年月でもすらも写真事情は大きく変りました。今はもう人混みを避け
て、出来るだけひっそりと撮影をするだけですね。しかしそれでも現地の人とお話ができるのは有り難い
ことだと思っています。
この時代の、写真や画像が溢れるばかりの世相。もう写真そのものの値打ちなどほとんどないのでは
ないか、というのが現実です。それでも写真を撮影をやっていきたいという、私の密やかな願い。
どんなに時代が変わろうとも写真は続けていけるのだろうか、という疑問もありながらも、カメラマンが
存在する限り写真はなくならないだろうとも思っています。
仰るとおりだと存じます。カメラマンが写真を撮っている限りは写真は無くならないしきっと誰かが写真についてあれこれと頭をひねってくれないかな、そう思っています。