雑文
Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 EOS 5DS
ソフトウェア Microsoft Windows Photo Viewer 6.1.7600.16385
レンズ 24-35mm F2 DG HSM | Art 015
焦点距離 27mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/128sec.
絞り値 F3.2
露出補正値 +0.0
測光モード 分割測光
ISO感度 200
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2880x4320 (4.33MB)
撮影日時 2015-02-06 23:18:23 +0900

1   kusanagi   2023/11/12 20:25


デジタル写真はフイルム写真とは違います。その決定的な相違はなんだろうか、と思いますか?
応えは実に明瞭です。写真にパソコンが介入するか否か、です。もっと正確に申せばモニター・スクリーン
ですね。
そしてこのモニター&スクリーンこそが、キラキラ色イロの正体であるということでもあるのです。
私は長らくデジタルで写真なるものをやってみて、どうしても違和感が拭えなかったと言いました。過去の
フイルム黒白写真とは違うものであったということで、結局、デジタル写真とはパソコン趣味の延長であっ
たのだろうと結論づけました。

つまりデジタル写真、いやデジタル文化というそのものがキラキラ色イロを本質的に内蔵しているという
ことなんだろと思うのです。そしてこのキラキラ色イロとは無論人工的に作られたものであって、現実の
ものではないということです。
パソコンのモニター&スクリーンは当初はブラウン管でしたがそれが液晶になり現在では有機液晶も
取り入れられています。これらはフイルム時代の紙の写真と比べて自己発光しているというのが決定的
に違います。フイルムも印画紙もプリント紙も反射光でもって見える素材ですが、モニター&スクリーンは
それ自体が発光しているものです。

現実光景はどうでしょうか。その殆どは反射光で光景が形作られています。自己発光しているものもあり
ますが、大部分は陽の光の反射光で間接光として認識できるものであるわけです。
キラキラ色イロとは有り体に言えば自己発光、それ自体が発光するのが最も効力があるのです。また
自己発光と同じくらいに反射率が高いものであるわけです。例えばゴールドとか宝石の類ですね。
昔から宝石とか金とか鏡とかは魔力のあるものとして認識されていました。それで為政者はそのような
ものを好み、民衆に向けてその効力を放ったのです。

ここまで書けばもうお分かりだと思うのでずか、パソコンで見るものは全て自己発光であり、キラキラ
色イロの魔力でもって、我々は自己暗示に掛かるだろうということであるんですね。パソコンでもスマホ
でもそうです。モニター&スクリーンという人工光はそれを見るものをして暗示にかからせ、現実感覚を
喪失してしまうというものなのです。
デジタル写真というものは、ゆえにその本質として現実感覚を失わせしめ自己暗示に掛からせてしまう
ものなんです。と、そのように私は考えています。
こういうような認識ができれば、なぜ黒白写真なのか。ということが理解できてもらえると思ってます。
黒白写真はデジタル時代に於いて可能な限り、キラキラ色イロ感を喪失させようとする試みであるという
ことなのです。

このことは単にデジタル写真の文化だけでなく、現在のデジタル世界の文明そのものへの本質的な問い
かけにも繋がっているということでもあります。私は、世界がキラキラ色イロである限り、この文明は現実
感覚を維持することは不可能なのではないかと考えるまでに到っています。
そこまで大げさでもなくとも、写真という文化において、やはり自己発光のキラキラ色イロというものは
写真のその本質を見失しなさしめるものであるとの考えなのです。
皆さんが綺麗キレイと感じているデジタル写真とは、あくまでもモニター&スクリーン上でのキレイという
感覚でしかありません。それは現実とは異なります。

有り体に言えば、そもそも現実感覚というものは人間の心の中、脳内に記憶としか存在しえないもの
です。我々か写真を撮る際に記憶として裸眼の現実光景を心に写しとめるのですが、それこそが現実
だというものでしょう。そして写真として記録されたものはそれとは異なって改変されています。デジタル
写真ではそれがキラキラ色イロとなるわけです。
デジタル写真に於いて、黒白写真化するということは、意識的にこのキラキラ色イロの効力を減衰させる
意図があるということですね。そうすればより現実感覚に近づくのではないかということです。

ここまで書いてきて、この本意が理解できる人は殆どいないだろうということに気がつくのですが、それは
ともかくデジタル写真での黒白写真の立ち居地はそういうところにあるのだろうと考えています。
つまり写真として、デジタルカラー写真よりもデジタル黒白写真のほうがより現実感覚に沿うものであると
いうこと。それこそが写真の本来の役割に近いものであるのではないかということなのです。

最もデジタル写真も紙にプリントすればカラー写真でも問題がないと考えています。なぜならば紙出しは
反射光であるからです。しかしカラープリントをする前に関門としてモニター&スクリーンを通さなければ
ならないのでどうしてもキラキラ色イロから逃れることは難しそうです。

この現実感覚に寄り近いだろうというデジタル黒白写真。その本質性に気がついたからこそ、もうカラー
写真にはもう戻れないだろうという気分になっているのです。
カラー写真よりも現実的な黒白写真。不思議だと思われるかも知れませんが、現代に於いてはそれは
より本質に迫るかもしれないとう、現在という時代の現実感覚だろうと考えています。

当初はやがて飽きてくるだろうとして軽く考えていた私の黒白写真。それが時を追うごとにより強固に
なっていくのですが、このような気分になったことは初めてのことですね。その理由を何とかして見つけ
出したいと願っているのですが、その判明し難い理由というのは、大体こんなところにあるのだろうと
いうことです。
様々な複合的な理由によって起きているというのは確かです。しかし最大の理由としてこのデジタル時代
として、決して通り過ぎることのできないモニター・スクリーンが鍵を握っているように思われてならないの
です。

ペンタックスK3M3モノクロームは、その表示デザインにおいても黒白を徹底しています。メニュー画面で
カラー表示になる場合もあるのですが、背面モニターは通常は黒白での表示です。そこまでしなくても
いいんではないかと思うのですが、設計者は黒白を一貫して貫いているようです。モニターはカラー液晶
なのでこれは意図的です。
設計者は意識的にユーザーが黒白世界に没入するようにしているわけですね。それでこのカメラは
相当に煮詰められて設計されているという気がします。それもある特定の個人が主導権を握って設計
したという感じです。なんというか、この技術者はカラー写真を否定しているのではないかと思うほど
です。
つまりこのカメラはキラキラ色イロを徹底して排除してしまったカメラであるということです。カラーである
のは光学ファインダーだけなんですね。その徹底ぶりに今更ながら驚いています。

この設計者の意図した徹底的な設計思想というものがなければ、もしかすれば私はこれほどまでに
黒白写真に没入しなかったかもしれません。無言で語りかけてくるキラキラ色イロの排除。
それでなのか、私は装着するレンズはシグマのレンズです。シグマレンズは一部ロゴに金字が使われて
いるだけで地味な外観ですね。私はこのレンズがカメラにピタリと合っていると思っていて、純正レンズ
を使わないでいます。バッテリーグリップもペンタ製ではなく自作改造のものを使っています。

このカメラこそが私にとっての玉手箱であったと思ってます。目覚めさせてくれたカメラですね。
もしこのカメラがリリースされなくて、またもしくは自分が手にすることがなければ、私のキラキラ色イロは
まだまだ続いただろうということです。

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