メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS-1Ds Mark II |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 20mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/10sec. |
絞り値 | F2.8 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 中央重点測光 |
ISO感度 | 1600 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1500x1000 (1,033KB) |
撮影日時 | 2012-03-10 18:21:34 +0900 |
東北大震災、そして福島原発の終わりの始まりから、ちょうど1年が
経ちました。
「小説・震災後」福井晴敏著(小学館文庫)に、あれから日本人は
こころに闇を抱えてしまったとあります。
本当のことを言えば、もともとあった闇にやっと気づいたということなん
でしょうけど、その闇は日増しに大きくなっている。そういう気がして
います。具体的には放射能という暗闇ですかね。
ところで、この「小説・震災後」に、
・・・これは行ってみて分かったことだが、被災地入りしている
ボランティアの内訳は7割が関西人、1割が東京人、2割がそれ以外と
いう印象だった。・・・
という下りがあります。今日本を動かしていると自負する東京は、
東北ならずとも日本そのものを見捨ていると言われても仕方がないような
印象を持ちます。
むろん関西の人は神戸大震災での経験があるわけで、それで高比率
になるわけなんでしょうけど、すくなくともこのエネルギーが大阪維新
に繋がっているのじゃないかなっていう気がいたしました。
東京人(抽象的な意味で、東京仕切りに従う人達と言う意味)はもはや、
日本ではなくなっているのかもしれません。