庄内 大山池の夏
Exif情報
メーカー名 SIGMA
機種名 SD1 Merrill
ソフトウェア Capture NX 2.3.2 W
レンズ
焦点距離 8.0mm
露出制御モード 絞り優先
シャッタースピード 1/125sec.
絞り値 F10
露出補正値 -0.7
測光モード 中央重点測光
ISO感度 100
ホワイトバランス ""
フラッシュ なし
サイズ 1091x1555 (759KB)
撮影日時 2012-08-18 09:54:09 +0900

1   zzr   2012/8/21 00:06

蓮を撮りにいったのですがもう終わってました。
この子は自由研究の水棲生物を獲りに来てた少年です。

ここでとれる菱の実の味が栗にそっくりな事、食用蛙が食える店がある事、ラムサール条約、この池の生態系や外来種の事。そして観光客のマナー。。
色々教えていただきました(^_^)

2   詠伊順   2012/8/21 06:51

おはようございます。北国の春は、ある日突然・ブウァっとやってくる。と岩手の人が昔、言ってました。春になるのは遅くても、寒くなるのは早い・・それだけ季節感が研ぎ澄まされてるのでしょうね。

3   kusanagi   2012/8/23 22:37

庄内鶴岡市大山上池
ttp://kankolog.jp/shonai/db/p0040.html
ttp://ameblo.jp/shonai-airport/entry-11278132313.html
http://hotoria-tsuruoka.jp/nature.html
・・・江戸時代に治山治水の水害対策と農業用水の貯水池として築造
とあります。人工の池であり自然の湖ではないのでずか、東北山形の
大自然の豊かさには、つくづく圧倒されますね。

溜池と言えば瀬戸内地方は溜池農業と言っても過言でないほどに膨大な
数の溜池群があるんです。とくに溜池と近世の新田開発とは切っても切れない
間柄ですね。
山間部に谷を塞いだダムのような溜池を造り、自然の川に一旦放流して、
下流でその水を再度取り込むようにして二つ目の貯水池も造るという、
現代でも通用するような高度な治水設計を持つ大型の溜池もかなり数あります。

おそらくこの写真の溜め池も、上池と下池にその機能を分散させて造られた
溜池ではなかろうかと思います。
江戸期の新田開発と言えば、沼地や海岸の遠浅を埋め立てた新田形式も
ありますね。この形式は明治以降、つい昭和まで行われていました。
有名なのは八郎潟干拓ですね。こちらでも岡山児島湾干拓は教科書に出るほど
の大規模干拓です。

今は野鳥保護とか自然保護とか言って、できるだけ自然を改造しないやり方
に時代がなっていますけれど、それは日本が豊かで貿易によって世界中から
食料や資源を購入できるからに他なりませんね。
しかしそういう恵まれた時代がいつまでも続くとは限りませんから、たとえば
地熱発電なんかは日本は積極的に開発して行かなければならないでしょう。
(原発に代わるべきものとしては日本では地熱発電がメインになると考えて
います。地熱は自然界の地中の核分裂の熱で生成されているのですから、
まあ良く似たものだと言えます)

日本の自然環境は回復可能な豊かさを持っているわけであり、この溜池でも
ハスがあればレンコンが食えるし、ヒシも蛙も食用となります。山に入れば
有用な植物が豊富にあるわけでしょう。(^^;
そういう自然の恵みを、抽象的(情緒的)な保護論ではなく、現実的に飯が食える
再生可能経済として捉えるようにしていかないと、そのうちに本当の自然保護
すら出来なくなるだろうと思っています。
その意味でも溜池っていうのは歴史的な水資源の再生可能経済のひとつなんです。

日本の高度成長の最初の原動力となったのは、実は国内産の石炭なんですね。
今の中国でも、そこら辺の事情はまったく同じです。
ドイツもアメリカも本命は石炭なんですよ。
日本がエネルギーを石油にシフトしてからも高度経済成長は続きましたけど、
石油が割高となってからは、もっぱら省エネルギー技術でもって日本は食っている
といってもよいでしょうね。
やはり資源エネルギーを全輸入するんではなく自前のものを何割かは持たなくて
はならないと考えます。

抽象的情緒的感情っていうのは日本人の特質なのかどうかは知りませんが、
これでもって原発即時廃止っていうのは通用しませんね。
それと同じように日本人のアマチュア写真というのも情緒一辺倒なんてすよ。
その花鳥風月の情緒一辺倒写真をなんとかしない限り、アマチュア写真の発展は
ないだろうと考えています。写真も発展しないし、撮影者も美学的写真依存症から
抜け出せないっていうことですか。

諌早湾干拓と有明海異変
http://www.isahaya-higata.net/isa-ariake/index.htm

4   詠伊順   2012/8/24 06:58

おはようございます。石油精製工場でコーヒーミルの巨大化したような、石炭粉砕機で粉にして、送風機で配管を風とともにボイラーに送り込みタービンを回して発電していました。まだまだ・石炭も現役でつかわれています。
原発は危険か???安全性を充分確認して稼働させる、と言われていますが。日本のような、テロリスト入り放題国家では、飛行機で爆弾かかえて、稼働中の原発に突っ込む、もしくは、工作員が爆破する・・、これを同時に日本全体でやれば、日本は壊滅・住めなくなります。こんな危ないものが稼働することは即座にやめたほうがよいと思います。

5   zzr   2012/8/26 21:11

こんばんは。
最近また月山に通ってます。夜は夜で去年までやってなかった祭り通い。
写真て楽しいですね(^_^)

原発ですか。簡単な話ではないのでしょうが、沢山の知り合いが酷い目にあってるので私は無くした方がいい派です。。

6   kusanagi   2012/8/27 01:08

●この世の中での中毒依存症は多々ありますか、人類史上最大の中毒依存症
物質は間違いなく核・原子力なんでしょうね。
この核・原発依存から抜け出すのは並大抵のことではないわけです。
それに比べれば、写真やカメラ依存症なんてホントに可愛いものです。(^^;
原発、今は博打で動いていますね。上手く行けば今日明日の電力が得られる。
上手く行かなければ・・・詠伊順さんのおっしゃる通りになります。

本当を言えば人類の生存が係っている大問題なのですが、それよりも目の前に
置かれた電力というご馳走に飛びつくのが人類の与えられたDNAなんですね。
宇宙物理学者のホーキンス氏は、高度文明を持つ宇宙人が地球を来訪しないのは、
そういう惑星を改変するほどの高度な科学技術を知的生命が獲得すれば、同時に
災いが自己滅却的に知的生命体に降り注ぐから、宇宙空間を行き来できるほどの
文明のレベルにまで発展し得ない。それ以前に地域生命体は自滅するのだという
ようなことを言っています。

私の想像としては、人類は核物質が地球から採掘できなくなるまで利用しつくすと
思っています。つまり放射線汚染はこれからとどまること知らないということです。
人類史は放射性物質の出現以前と以後に大きく分かれるとして、現在はその
歴史の変わり目にあるのだろうと言うことでしょうか。
これから未来、どのような解決方法を人類が取るのかは不明です。

●庄内の大山池の溢れんばかりの自然の豊かさは、様々な想像を絵がいてくれて、
写真とは本来こうあるべきなのだろうって思いました。
この写真、余計な情緒感を排して素張り克明に撮られています。撮影位置も堤防
の上からなので池の様子がよくわかります。夕焼けとか朝焼けっていう光のマジック
もありません。
そして少年が写っていますね。これで単なる自然描写じゃなく自然と密接な関係
がある社会事象をも含ませているし、堤防の排水バルブもリアルで良いのです。

こういう撮影だと高密度カメラの本来の性能が生かせるんですね。
シグマというカメラはもともと高密度高コントラスト高濃度カメラなんでして、物事を
正確に精密に写すために作られたカメラだろうと思います。それで、もっともっと
クッキリハッキリと見たいという目的の為には最高に向いているカメラだと思います。
このカメラの描写に近い写りをするのはコダック製センサーなんですが、コダックも
シグマセンサーも日本製ではありません。

日本のカメラで比較的クッキリと出そうとしているのは、シグマ以外ではオリンパスと
ペンタックスなのではないかと思うんですが、メジャーであるキヤノンもソニーもニコンも、
どうも情緒的傾向に画質を振っているような感じがしています。
オリンパスなんかは素の画像は高く評価できるんですが、アートフィルターとかで
わざわざ日本的情緒表現を追加しているみたいですしね。

とにかく写真本来の、情緒ではなく理性の表現が出来るカメラっていうのは、少数派
なんだろうと思っています。
特にキヤノンのカメラの画質って言うのが、おそらく最も情緒的表現に向いていて、
それでキヤノンを使う人は無意識に情緒的な表現の写真ばかり撮るようになるのでは
ないかと私は考えているのです。

カメラの画質傾向って、メーカーのエンジニアの美学によって決められると思うんですが、
ユーザーはそういうこともよく考えていないと、自ずと自分の写真そのものも左右される
んじゃないかなって危惧します。
こういうのは理屈でなく無意識のレベルで効いてきますからね。このフォトXP板でも
写真依存症っていう具合になっていそうなのは、キヤノンをお使いの方が多いのじゃ
ないかなって感じますね。
そういえば昔のミノルタなんかもそういう傾向か強かったと思います。それでミノオタ
(ミノルタオタク)とか言われていたように思いますが、今はミノルタはなくソニーになって、
多少はマシにになったかと思います。

個人的に、私はシグマのカメラも、そのレンズも比較的情緒を排した画質表現になって
いると考えています。
カメラなんて関係ないよ、写真はその人の考え方であり撮影の腕だと思っているかも
知れませんが、そのように考えている人はカメラ遍歴の少ない人が多いかと思います。
カメラ・レンズは裸眼につぐ第2の眼なんでして、この選択を疎かにすると自分の見方
や考え方を誤るおそれがあるとも言えます。

zzrさんはシグマとニコンをお使いですが、ニコンはキヤノンほど情緒的でなく、比較的
リアルに、つまり色を乗せ濃度がありコントラストがあるメーカーだと思います。
使用するソフトにも関係しますし、レンズでも違ってきますしね、まあ色々なんですがね。
キヤノンでも昔のカメラはきっちりと色が乗っていましたね。それがだんだんと薄く弱い
発色となって行き、現在ではコンピューターグラフィックかいなって言う具合になってます。

7   zzr   2012/8/28 21:15

kusanagi様、こんばんは。
ニコンとキャノンで撮った写真、どちらが好きと聞かれたら今はキャノン。。かも。
知識が無いのでうまく書けませんがキャノン板を覗くと優しい感じの作品が沢山でいいなー、と思います。人の肌の色とかは特に。

SDは操作性が良くないと思います。
ピント位置の移動がなんで十字ボタンでできないの?とかQSで設定が知らないうちに変わってたりとかAFが鈍いとか。。
あ、バッテリー性能も不満。

色々不便はありますがもう手放せないです(^_^;)

戻る