無題
Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 EOS 5D Mark II
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 40mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/128sec.
絞り値 F7.0
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 1800x1200 (2,060KB)
撮影日時 2013-11-09 15:21:31 +0900

1   玉藻   2013/11/30 22:28

男木島

2   kusanagi   2014/1/1 22:15

それにしても、写真の手法は、昔とちがい随分と変わりましたね。
デジタルカメラだけでなく、インターネットの投稿は写真の文化を
ガラリと変えてしまいました。
以前の写真屋さんでのカラープリント文化と違い、デジカメ+ネット
の威力は段違いのパワーを写真文化に付与することになりました。
グーグル・アース・パノラマなんかを見ていると、これからもっともっと
変わっていくのじゃないかなって考えています。

ネット写真に慣れてきますと、自分の撮った写真と人様の撮った
写真の根本的な違いなどなくなっているということに気付かされます。
この滝の写真も、私が行けなかったから代わりに写好さんが代わりに
撮ってくれたものだと、そういう風に考えることだって出来るのです。
ネットから表示した高画質の写真と、自分のデジカメから表示した
写真の根本的な違いなどあまりないわけですから。

そういう不思議な感覚に慣れてきますと、じゃあ、自分がわざわざ
写真を撮りに行くのは何が目的なのか、そのことの意味を強く意識
するようになります。
私が行きたかったところも誰かが撮ってくれているし、私が欲しかった
カメラも誰かが既に使ってくれている。そういう写真をネットで見るに
つれて、だんだんと自分自身の写真撮影の目的というものが、
それは結果としての写真そのものではなくて、もっと別なものなのかも
知れないという、そういう結論に至るようになるのです。

私はカメラマニアだったのですが、それで種々のカメラを自分で使う
ことが楽しみでした。しかしネットで容易にそれらのカメラで撮った
写真を見るにつれて、別にそのカメラを態々私が購入必要もないわけ
だと気付きました。イオス6Dで撮った写真を見たければ写好さんの
撮った写真をネットて見れば良いだけの話で。(^^;
ただまあ、そのカメラの手に持った感触というものは、さすがにネット
だけでは得られないのですが。

そういう私のカメラ熱は、ネット写真に親しむに連れて徐々にそして
完璧なまでに薄れていったということです。
ではもう一つの写真撮影熱はどうなのか。様々な撮影手法などは、
これも多くの人が試してくれていて、あえてもう私がやる必要を感じ
なくなっているということです。色んなテクニックを使って多種の表現
をしてくれているわけですから。ああ、そうなんだということで終わって
しまう。(またそのテクニックの収得もネット時代は容易になりました)

そうなってくると最後に残されたものは、自分で新たな被写体、撮影
場所を見つけて、誰も撮っていないだろうという撮影をするしかなくな
ってくるようです。
観光地などの有名所はすでに誰かが撮っているから行く必要はない。
それで誰もが見向きもしないところこそが私の撮影に行く場所であり、
そのようなところは、実は自分の周囲にも無限にあることを再発見する
わけです。誰もが撮りに行きたくなるような有名地はただの点だった
ことを知るわけです。

それと平行して感じたことは、撮影とは自分の足で歩くこと。
それは自分の足でコツコツと歩かなければ、面としてあまねく偏在する
被写体を自分で探し出すことができないということ。
車でピューと目的地まで行って撮るのは、ただ点としての被写体しか
得られないということに気づくのです。(車で使うのはよいのですが、
さらにそこから自分の足で歩かなけれはなりません)

遠くへ行って撮影する必要などないのですし、そのようなものはとっくに
誰かが撮られています。遠くへ行って撮影するほど、点としての撮影
しか出来ません。
既に誰かが発見してくれている写真を再度撮ることよりも、自分が
こま目に歩いて発見する被写体写真の喜びのほうがよっぽど充実感
があることに気づきます。

もちろん有名写真家が撮った写真とそっくり同じに撮れたことに喜びを
見出す人もいるでしょう。それはカメラを使うのに技術が必要だった
時代での名残です。
いまはどうでしょう。この滝の撮影もエクシブ情報どおりの設定で撮れば
写好さんの写真と同じように誰でも撮影することができます。

カメラとネットの想像を超えた発達によって、もう人と同じような写真を
撮っても仕方がない、それでは創造的な写真の満足感は得られない。
そういうような時代になっているのが現在の状況のような気がします。

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