メーカー名 | SIGMA |
機種名 | SD1 Merrill |
ソフトウェア | SIGMA Photo Pro 6.0.2 |
レンズ | 17-50mm |
焦点距離 | 23mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/200sec. |
絞り値 | F5.6 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 3136x4704 (18,696KB) |
撮影日時 | 2014-10-19 13:03:13 +0900 |
速足の 後ろ姿に 師匠なり。
http://photoxp.jp/pictures/146748
このzzrさんの写真で気づいたことがありました。
シグマの超高画素写真は、むしろ最初はピクセル等倍で見るべきで、
鑑賞者はピントの合った見るべき部分をまず確りと把握してから、
(この写真の場合は師匠の姿)、それから余裕があれば、その部分から
広げて行き全体をみれば良いのだということ。
最初からシグマの超高画素画像を全体で把握しようとすれば、それは
混乱のもとになるということ。
要は高画素カメラの鑑賞の仕方であるということです。
他の高画素カメラと違い、シグマのピクセル等倍鑑賞は完全に可能で
あります。ニコンなどよっぽど良いレンズを着けなければ等倍鑑賞は
できませんから。
我々が実際の光景を眼にしている時、視界全体を把握して、それから
部分に行くわけではありませんね。最初に眼前の注目点があって、
それを見てから徐々に周辺へと眼が移動するわけでしょう。
それを同じことをシグマの写真鑑賞でしなければならないということです。
ですから、シグマのカメラは性能として望遠レンズなのであり、そして
同時に、画角は広角レンズでもあるのです。
望遠と広角を一台のカメラで兼ねている。それは人間の眼の働きと
まったく同じであるということ。(老眼になるとやや怪しいが)
そういう全く新しい視点から、フォビオンのエンジニアはこのカメラを作った
のではないかと思えてきます。
考えてみれば超高画素カメラはトリミングなどは自由自在ですしね。
シグマに限らずニコンでもそうですが、超高画素カメラの鑑賞法は、
従来のやり方とは変えなければならない様に思えてきました。
そういうのは、ステッチング写真やパノラマ写真でも、まず部分から
見て次第に他の部分へと視点が移動し、やがて全体に至るという方法
でしたから、超高画素カメラとは、多重撮影カメラを簡単にワンショットで
撮れるようにしたカメラであるということになります。
ステッチング撮影の場合、文字通り、撮影は部分から始まります。
その部分撮影を繋ぎあわせて、1枚の大きな全体写真になるわけです。
そういう撮影の経過がありますから、しかも光学デジイチで撮れば
撮影時の個々のファインダーの記憶も残っているしで、撮影時の
印象と鑑賞時の感想が一致しているんです。
しかし超高画素カメラのワンショット撮影では、撮影時の詳細な記憶
というものがまるっきり乏しいのです。
撮影は文字通りワンショット。速いですね。
まだ光学デジイチならばファインダーが優れているので、まだましなの
ですが、コンデジのDPメリルとなるとファインダーがないので、撮影時の
記憶そのものが無きに等しいということになります。
例えばこの写真の撮影の場合、私は若い女性達の笑顔を姿に注目
してレリーズを押したに過ぎません。多少は背後の光景にも構図的に
注意は払っても僅かなことです。
しかし出てきた画像は若い女性達だけでなく周辺の草木も遠景の
山頂も画像内に鮮明に捕らえられています。
つまり撮影時には意図していないものも、超高画素カメラでは写って
しまうということです。
そこに大きな齟齬感があって、撮影時の記憶と鑑賞時の再確認に
乖離が出てくるのじゃないかなって感じています。
これは純粋に人間の心理的問題なので、超高画素カメラが技術的に
どうのこうのという問題ではないようです。
この、撮影時の記憶と、鑑賞時との齟齬感とか乖離現象というのは、
シグマの超高画素カメラだけに起きる問題ではないことが分かります。
それはファインダーの問題に繋がるからです。
ニコンD800やシグマSD1Mは立派な光学ファインダーを搭載しています。
ですから、比較的この乖離現象が起きにくいのです。
ところがミラーレスやコンデジでは、出てくる画像が凄ければ凄いほど、
自分が撮った写真なのに、自分が撮った気がしなくて違和感があり、
戸惑ってしまうのです。(デジイチでもノーファインダー撮影だとこの
現象がおきます)
それはファインダーとしての性能が落ちるから、そういう戸惑いの現象が
出てくるのだと言えます。
私は今、古いDPを使っていますが、だいたいこれくらいの解像度の
カメラくらいが、ファインダーのないカメラの(だから撮影時の記憶は
ファインダーを通してではなく、フレームのない裸眼での、あいまいな
記憶となる)、限界なのではないだろうかと言うことです。
ファインダーの凄さとその基本的な役割。
そして撮影時の記憶と、鑑賞時の再確認の心理的問題。
さらに裸眼で現実光景をみるということ、それを写真として鑑賞する
場合の決定的相違など。
非常に多くの問題を提示しているのが、この超高画素カメラ、とりわけ
コンパクトなファインダーレスのカメラのDPメリルやクワトロだろうと
思います。
ファインダーレスであり、超高画素であり、レンズもよくてリアルに写り
すぎるということで、一気に盛りだくさんの問題提起をユーザーにして
いるのだと言えます。
ごちゃごちゃと要点を得ずに書いたのですが・・・
手っ取り早く言うと、DPメリルやクワトロの写真は、ピントの合ったところ
のピクセル等倍画像を見ることから始めるべきで、全体像は後回しに
すべきであるということでしょうか。
いや、もっと言えば、ピントの合った注目点だけ見て、後は見なくても
いいんです。全部見るなっていうことです。
一般に、識者はピクセル等倍鑑賞はすべきではない、という意見が多い
ですね。私も従来のカメラや写真手法としては、そう思います。
しかしDPメリルとなると、そういうやり方では通用しないようになっている
と思うのです。
写真を作品して全体鑑賞をする時代から、まるで裸眼で現実光景を
見るように、写真を部分(注目点)から全体へという、そういうやり方に
しなければ心理的に齟齬感が出てくるような、そういう時代になりつつ
あるということです。
グーグル・マップのパノラマ写真は、従来の作品としての写真では
ありません。
それと同じようにDPメリルの写真は、既に作品として鑑賞する写真では
なくなりつつあるのかも知れませんね。
写真を額縁に入れるかのようにして芸術的に鑑賞をするという、そういう
従来の写真観念からはみ出した写真が、その典型が360度パノラマ
写真なのですが、これからの写真の定義は、さらに大きく広がっていく
予兆をみせていますね。
シグマのカメラは、その最先端にいるのじゃないかと思います。