二万年前の世界
Exif情報
メーカー名 SIGMA
機種名 DP1 Merrill
ソフトウェア SIGMA Photo Pro 6.2.0
レンズ 19mm F2.8
焦点距離 19mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/200sec.
絞り値 F5.6
露出補正値 +0.0
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス オート
フラッシュ なし
サイズ 1568x2352 (2,209KB)
撮影日時 2012-03-04 01:48:14 +0900

1   kusanagi   2015/8/9 23:24

●アサヒカメラ8月号を図書館で見ていて、その中の記事で、小林紀晴の写真があり、
そのタイトルが気がきいている。
「二万年の水流、私は二万年前の石器人」
写真はなんと、シノゴで撮った単なる東京の町並み。(^^;
二万年前の地形図を知れば東京の大部分は海であり波打ち際であって、その視点
から見れば、現代の東京は二万年先の未来の光景を見ているということになる。
写真は過去だけでなく、未来も見ることができるのだというパラドックスというか鋭い
写真家の直感力なのだ。

小林紀晴、なんか聞いたことがあると、ネットで調べると、「アジアンジャパニーズ」の
著作者だったのだ。写真家というよりも作家でジャーナリストで、現在は大学教授なのだ。
http://www.kobayashikisei.com/

ところで、調べついでに行き着いたのが、これ、アサヒカメラ・ネット
http://dot.asahi.com/asahicameranet/
http://dot.asahi.com/asahicameranet/info/topics/2015080400108.html
けっこう記事は充実していて、これがただで読めるという。(^^;

このアサヒカメラネットのタイトルのコピーが、こうだ。
「写真と生きる人の情報コミュニティ」
写真と共に生活する人々の・・・というくらいの意味だろうと思うのだけど、確かにわれわれ
アマチュア写真家は、写真やカメラを友として第二のセカンドライフを送っているともいえそうだ。

キヤノン板で写好さんに、このフォトXP掲示板がなくなれば、どうなるの?と聞いたところ、
写好さんはほんとに正直な人で、それは困ったことになると言ってました。(^^;
つまりは自分の写真ライフでの、その大切な情報サイトの役割をフォトXP掲示板は果たして
いるということになるのです。

●私も写真を10余年前に始めた当時は、同趣味同士の知り合う場として、カメラ屋さんとか、
写真展とか、もちろん撮影場所で知り合ったカメラ同士諸君との交流があったわけですが、
いまはもう、そういう場が殆んど無くなりました。
カメラ屋にはあまり行かず、撮影対象も人が多いイベントなどには足を運ばなくなり、撮影は
一人っていうシーンが多いですからね。
それとやはり、ネットで写真の情報を仕入れることが多くなったということもあります。
今の若い人が、生の人間と情報を分かち合わずにネットで交流するのは、これは同じこと
なのだと言えそうです。(^^;

ネットでの情報収集ばかりとなり、それで良かったなあという点は、機材に対する関心が
薄れたという点です。もちろんネットには機材関係のサイトも多々あるのですが、とにかく
現物を目の前にしていないからイメージが湧かず、物欲までにはいきません。
カメラ雑誌も買わなったことも機材に対する関心がなくなった一因でしょうね。
これで無駄な買い物をしなくなったというのは大きな利点です。
たしかに最近は三脚や雲台が物色の対象になっているのですが、カメラやレンズは捨て置き
です。
三脚はやはりカメラ・レンズとは違います。なんて言うか、機械感覚が強くてカメラ・レンズの
ように期待感や幻想を込めて購入することがない。精密機械ではないので、やっぱりアナログ
な道具なんだなあって思います。

●それで私の写真はあらかた機材から離れて、撮影だけでよいとなったわけですが、この撮影
というのも要は、被写体を求めてのことですから、ほぼ近くの撮影場所は新鮮味を失っています。
かなり遠くまで遠征しないと、撮影対象たる好奇心が湧かなくなっているんですね。
結局、撮影は自分が初めて見るという新規な場所での好奇心に突き動かされているところがあり、
これもいつかは限界に達するということでしょう。(^^;

車を大型のものにして高速を突っ走る時間とお金があれば、もっと遠くまで撮影にいけるの
ですが、それだっていつかは限界がきます。
人様の撮影した写真をみて、自分もそこへ行ってみたいなあっていうことですが、最後には
地球の裏側にでも行かなければならなくなる。まあ、人間の欲望には最果てというものがない。

写真趣味には、機材を使う楽しみと、それから良い写真を撮れたという達成感の2つがある
ようですが、実はもう一つ見逃せない大きな満足感があって、それは撮影場所で得られる、
もしくはそこに至るまでの過程で得られる充足感です。
特にそれは如何に自分の足で歩いて撮影をしたかという、まさに自分の掻く汗の量に比例する
充足感ですね。これがたぶん最高の満足感だろうと私は考えています。
それは自分の心のなかへの旅と言いますか、どんな高価な機材でも大枚の旅費を使っても
得られないものなのです。

これは私だけの考えではないでしょう。おそらく多くのカメラマンが漠然と感じていることであり、
写真は結局、道具でも被写体でもない。もっと深いものがあるのだということを皆知っている
わけですね。ただ知ってはいるのだけどそれを的確に表現することができないでいるだけです。
だから、写真撮影はひとつの脳内トリップ。
ランナーにランニング・ハイという言葉があるように、きっと写真にもそういうものがあるの
だろうということです。
そしてその写真は、写真を撮った者だけにしか分からず、撮影者自身の秘めたる満足感で
あろうということです。それは写真画像のように共有できることではないのですから。

2   kusanagi   2015/8/9 23:48

書き忘れましたが、写真は石鎚山から見た瓶ヶ森です。
東北の山々とは随分違うのですね。中央構造線下にあるので強い圧力で
盛り上がった山です。なお石鎚は大昔のカルデラ火山の一部ということですが、
むろん今では火山ではありません。

3   笑休   2015/8/10 20:12

小林紀晴・・アジアンジャパニーズ、この本を読んだのは何歳くらいだったか覚えていない・・たしか旅の始まりは東京駅発、大垣ゆき夜行列車ではなかったかな・??今どきの、格安航空もないころの、若者の旅で始まって・・
タイまでどうやって行ったのかは、忘れた、若い女の子にはめられて・・ニコンで男をぶん殴って、逃走・・昔のNikonは武器になる。一脚も振り回て退却するのによい武器になる・・と、写真家の誰か、言ってた。
写真紀行文・・藤原新也・・kusanagi氏の長文も、同じジャンルにはいると私は、思う・・嫌いな読者もおられるようだが、私は好き。
写欲・・・近場の撮影は、回数をかさねれば、マンネリして、写欲もおちますね、これは、今の女に飽きて・・べつの女に・・への願望に・これと同じでしょうね、まあ・・飽きても、撮り続ける・・この苦行を重ね・解脱をする。
この境涯まで、上り詰めるのは、無理・・機材を変えて、気分転換・・これが凡人です、カメラ屋が潰れないのは、このサガのおかげです。

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