メーカー名 | SONY |
機種名 | α7R |
ソフトウェア | Capture One 7 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 50mm |
露出制御モード | 絞り優先 |
シャッタースピード | 1/20sec. |
絞り値 | F4.5 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 6400 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1335x2000 (2,050KB) |
撮影日時 | 2013-01-22 05:17:33 +0900 |
ステッチング雲台、今まではジンバル雲台を使っていたのですが、アメリカ製という
ことで、なんとか日本製で出来ないものかと思い、スリックとベルボンの汎用品を
組み合わせて自組してみました。
下部の三脚・3ウェイ雲台はスリック。バーはスリック。ベルボンの接写スライダーを
2組。スリックのボールヘッドのガングリップタイプ雲台。そして日本製ではないの
だけど、マンフロットのレベラーで組んでいます。(脚と3ウェイ雲台の間に。これは
無くても問題なし)
カメラは前後・左右・上下と微調整が利きますし、大きな移動のセッティングも可能。
もちろん肝心な水平と垂直の首振りも可能です。この程度の重さのカメラならば
搭載可能ですね。
とは言え、大きく重くなりすぎたので、使い勝手はよくないです。(^^;
●ところでフジのカメラ、高画素化したモデルがでましたね。予想通り従来の1600万
画素から、2400万画素へ行きました。
参考までに言うと、APS1600万画素は、2.3倍してフルサイズに換算しますと3700万
画素です。これはソニーの3600万画素フルサイズと画素ピッチが同じです。
それでAPS2400万画素となりますとフルサイズでは5500万画素となります。キヤノン
の5000万画素フルサイズと同じですね。
APSカメラはすでに軒並み2000万画素オーバーですから、時代は完全に超高画素
時代に突入しているということですね。
ところで、写真画像には、2つの原理があって、そのひとつは「水平の画質」です。
これは簡単に言うと画素数を多くして細部を出して高精細にするというやり方です。
超高画素カメラはこの画質を高めようとしています。
そしてもうひとつは「垂直の画質」です。
こっちは1画素当たりの画質を高めて、発色やコントラストを高めるという方法です。
地味なやり方ですが、シグマは垂直画質を高めたいと考えていますね。
この2つの原理は技術的には相矛盾するもので、一方を選べばもう一方は失われます。
両方とも高めようと思えば、センサーサイズ自体を大きくする方法しか基本的には
ありません。
フェイズワンは(業務用カメラです)1億画素カメラを出しましたが、センサーサイズは
フィルム時代の中判645サイズですから巨大です。
またレンズも、高精細と発色は相矛盾して、両方とも高めようと思えば大きくそして
高価になります。
私は今ステッチングに関心が向いていますが、低画素カメラで高精細なステッチング
写真を得ようと思えば、50ミリレンズから準望遠レンズへと上げてやります。そうすると
細部まで高精細に写すことができますから。(こうして撮ったのが原爆ドームです)
この考え方は、中判レンズの考え方と同じですね。
そう考えると超高画素カメラというのは望遠撮影に向くということになります。
フルサイズ5000万画素、及びAPS2400万画素カメラというのは、もう望遠レンズを
対象としたカメラかもしれませんね。遠くのものを細かく見たい、近くのものでも拡大
して高精細に見たいという考え方です。つまり視野は反対に狭くするということ。
それでステッチング写真とか中判カメラというのは、垂直画質を失わずに高精細に
拡大でき、かつ視野も広いままで(水平画質)写真にできるわけです。
ちなみに超小型センサーで超高倍率のコンデジが出ていますが、それも写真視野を
うんと狭くして超望遠レンズに振ったというカメラになります。
●これから多くのユーザーは、垂直画質はある程度諦めて、水平画質の写真の世界に
突入するということになります。
しかし・・・案外に日本人は超高画素カメラにも向いていると、私は考えています。
それは日本人の持つもうひとつの独特な美学がそうさせるようです。
まず、日本人はボケ美をよしとします。
ボケ美とは簡潔に言うと、本来持つカメラの能力を間引いて、情報量を極端に低下
させて、脳に優しい情報量の低い画像とすることです。
これは特に、垂直画質の高いカメラ(フルサイズ2000万画素以下のカメラ)で多用する
やり方です。ボケで大部分が失われてもピントのあっている部分だけは高い垂直画質
を保っているので写真として破綻がありません。
それではこのボケ美テクニックを超高画素カメラでやるとどうなるのか?
たぶんあんまり面白くないだろうと思います。それは超高画素カメラは水平画質は
十分にあっても垂直画質は低いからです。
だから肝心のピントの合わせている部分に、従来よりも威力が落ちてくるからです。
それで超高画素カメラではボケ美テクニックはあまり使えないということになります。
それで、日本人にはもうひとつの美意識があるんですね。
それは超高精細な線画テクニックです。木版画とか漫画の世界です。
これは線画の美を追求したもので、発色は薄いか、もしくはモノクロです。
この線画の美学が、実は超高画素カメラに向いているとて思っています。それで
フルサイズ5000万画素というカメラには、発色を薄くしてシャープネスを際立たせた写風
が合うのではないでしょうか。立体感には乏しいかもしれませんが、その超高精細で
2次元的な写真は、これはこれで面白いと考えます。
この線画のテクニックも、水平画質画質の情報量が多くなれば今度は垂直画質情報
を落としてやるという、これまた日本人独特の情報の間引きテクニックを使っている
ことになます。
とにかく情報量の間引きということでは、ボケ美テクニックも線画テクニックも同じです。
本来、フルサイズ5000万画素カメラとか、645中判1億画素とかいうカメラは、プロの
カメラマンが使えば、その性能をフルに発揮した写真を撮るはずです。
超高精細で且つ色もコントラストも両方あるという写真になるのですが、アマチュアの方
が使えば情報間引きの線画風にして、つまりその性能を発揮させない使い方をする
ようです。
ここが面白いところで、アマチュアは、わざと性能を落として自分の身の丈に合わせて
使うわけですね。ここが、仕事のプロと遊びのアマチュアの決定的な違いなんでしょう。
そういうことでは、日本人の美意識、ボケ美とか線画テクニックというのは、性能や情報量
をわざと落としたりして、誰にでも使いやすい、また鑑賞しやすい画像にするということで、
これはこれで簡潔な美学の本筋を行っているという気がしています。
しかし、現実問題として、ボケ美と線画は同じ日本人の美意識ではありますが、長くボケ美
に親しんできた人には、線画の美には違和感があるかも知れませんね。
私はステッチングをやっていますが、これは日本人には向かないテクニックだと考えて
います。高い垂直画質や水平画質を同時に保ったままの膨大な情報量を持つ写真には、
とにかく日本人には向かない写真だと思うからです。
ステッチングやパノラマ撮影は欧米ではわりと盛んですが、日本では殆んど見られません。
ところで、ここでよく日本人は、と私は書きますが、別に日本人だけじゃなくて全世界でそう
なのですが、アマチュアは情報量の高い写真は苦手なのですね。
一方プロの人はこれは仕事ですから情報量の高い高精細で高コントラストな写真を撮ります。
日本のプロカメラマンでもそうです。ボケ多用の薄い発色の写真ばかり撮っていれば多分
仕事はなくなります。
線画のテクニック写真が日本人が好きだというのは、シグマメリルが大人気だったのに、
クワトロに行ってから人気が下火になったということからも、アマチュアは高精細と濃厚な
発色の両方は苦手であるということが伺えます。
メリルは高精細という水平画質をとって、濃厚な発色という垂直画質は捨てたカメラです。
それがアマチュアには返って良かったわけです。
おそらくAPS2400万画素のカメラの画質って、メリルの方向に向いた画質なんじゃないか
なって考えています。もちろん実質解像度はメリルの半分くらいでしょうけど。
ところで、ステッチング撮影をしますと、セッティングが大変なのでショット数はとても少なく
なります。ワンシーンでよく撮って3群ショット数くらい。1群ショットの時もあります。
出来上がった画像は1億画素レベルなのでデータ量も1ギガレベルとなります。これはもう
今までの写真の考え方とはぜんぜん違ってきます。
三脚も大型もしくは超大型でないともちません。撮影対象は限られてきますし、昔で言うところ
の中判大判カメラに相当するのでしょうか。
ということは、水平画質も垂直画質も同時に満足する写真を撮ろうと思えば、撮影枚数は
低下するということですか。これは原則論を言っていますので、シグマがフルサイズクワトロ
のカメラを出せば撮影枚数を低下させずに多数ショットを得ることが可能です。
●とにかく現実的に見て、これからの超高画素カメラ時代は、あまり高画素ということを意識
せずに撮影するのが賢明だろうと考えています。つまりフルに総画質を使う必要はないと
いうこと。つまりピクセル等倍で鑑賞することは止めようということですね。(^^;
発色は薄く繊細になりますが、これは線画の美意識に頭を切り替えていくしかありません。
時代の流れに逆らわずに自分の趣味を永続させていくということ。これが肝心ですね。
この写真のように古い低画素のカメラとフィルム時代のレンズでもって写真を続けていく
というのは、考えてみれば反時代的ですね。時代の流れに逆らっているわけで、あまり
お勧めできるものじゃありません。
ところで「ミニマリスト」という生き方があるそうです。最小限主義者ですか?
出来る限り物を持たないで生活していく主義ですかね。若い人達の間で流行っているそう
ですが、彼らの部屋はガラーンとして小奇麗です。古いものはどんどんと捨てて、今ある
最低限の最新のモノだけで生活していく。
写真趣味もこれからはそうあるべきじゃないかなって思いますね。古い機材は全部捨てて
身軽になって、時代と共に仲良く生きていく。
シグマのDPメリルやクワトロのようなコンデジが正にそうで、しばらく私もそういう写真趣味
をやってみて、これはこれで良いもんだなあと思いました。
しかし本当のミニマリストは決してデジカメなんか使いません。彼らが持つのはスマホや
モバイルツールです。
しかしさすがにミニマリストもスマホは捨てられないようですね。(^^; だからミニマリストって
単なるスマホ主義者であるだけだということでしょう。
このスマホっていうことですが、要は超高画素カメラって、スマホ的なカメラであるのだと
私は考えています。時代はモバイルが勝利して、それでカメラもスマホの引力に引き寄せ
られているというか、カメラは全てコンデジ化して、画質は超高画素の水平画質になって、
それらは全部、スマホが牽引していることだと思うんですね。
クワトロなんてスタイルからしてスマホじゃないですか。スマホという強いツールになびく
のですね。私は超高画素カメラの本質というのは、スマホの威力にカメラがひれ伏したの
だと思ってますよ。
スマホの画質に出来るだけ近づけようとすれば、これは超高画素カメラになります。
別段我々は超高画素カメラが欲しいとメーカーに望んだわけじゃありませんね。しかしこの
世の中のスマホ主義者が、スマホと同じような画質のカメラが欲しいと無意識に望んで
いるのかも・・・そうかも知れないですね。
メリル搭載の素子は、最初はモバイル用に開発されたものを、そのままカメラにもっていた
だけだと聞いたことがあります。そう、ここでも牽引していたのはカメラではなくスマホなん
ですよ。
だから、スマホって凄いんです。完全にカメラを支配下に下したわけですから。スマホの
センサーに、それをさらに大きくして、大きなレンズを着けられるようにしたのが、現在の
超高画素カメラだっていうこと。
こういうことに気づいている人がどれだけいるのだろうかという気はしますが、それが今の
時代の流れですから、黙ってそれについていくのがまっとうな生き方なのかも知れません。
古い頭のカメラ主義者としては、間違ってもスマホ画質の写真に頭を垂れることは出来ません。
スマホ写真とは、超高画素カメラの線画の美を楽しむことであり、それしか頭にない
ミニマリストでありましょう。
スマホ写真こそ、デジタル時代の初めての写真シーンであるとも考えていますが、つまり
これまでのデジイチ写真というのは古い時代のフィルムカメラの血筋を半分は受け継いで
いたわけですね。
それが完全に古い時代のカメラや写真を払拭してしまったのがスマホ写真だということです。
だから本当のデジタル写真はスマホから新たに始まっているということ。
http://dc.watch.impress.co.jp/docs/news/20160115_739274.html
フジの人は、デジカメ市場の現象は、スマホでは得られない魅力的なカメラが少なくなった
との分析をしていますが、その画質については何も言及していません。きっと画質はスマホ
レベルで十分だと考えているのでしょう。いやスマホと同じ画質でもって、スマホとは違う
クラシックなカメラの外観を求めているようです。
カメラはスマホには絶対に敵わない。ミニマリストもカメラは手放すけれどスマホは肌身離さず
もっているわけだから。
カメラ主義者、フィルム時代から連綿と続くハイアマチュアが、その真の敵がスマホである
ということに理解が届いているかどうか。これはかなり疑問ですが、この認識がない限り、
真のデジダル時代(スマホ時代)のなかで、カメラ主義者写真主義者は青息吐息で息絶えて
いきつつあるということなのです。
写真はスマホ時代となっても生き続けていくだろうけど、間違いなく、カメラの時代は終息を
迎えようとしているのです。
インスタグラム・・・すでにスマホが、デジ1を喰っていますね・・
若者たちは、自分の道具として使いこなしており、知らぬのは、私のような爺でしょう・・・。