メーカー名 | SIGMA |
機種名 | DP1 Merrill |
ソフトウェア | SIGMA Photo Pro 6.2.0 |
レンズ | 19mm F2.8 |
焦点距離 | 19mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/60sec. |
絞り値 | F3.2 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2352x1568 (476KB) |
撮影日時 | 2012-01-02 07:11:38 +0900 |
ここでのペンタプリズムとは象徴的に言っているのであり、それがミラーでもマットスクリーン
でも透視ファインダーでも良いわけですが、金のかかった光学ファインダーがなければ
人は写真をとってもさほど面白いとは思わなくなるのではないか、ということです。
写真は2度見る行為であると昔の人は言いました。1度目は撮影中のファインダー、
2度めは当然、写真にした後のプリントなりデジタル画像です。
この2度見るという行為の落差によって写真の創造力というエネルギーが生まれます。
多分そういうことを古の人は言いたかったのだと思ってます。
光学ファインダーをなくしたカメラ。
EVFとか背面液晶モニターは付いています。それがファインダーの代わりになるわけですが、
哲学的に言えば撮像素子を経由したデジタル情報は既に写真画像と同一であり、それを
ファインダーというのには無理がありますね。それでは上に言った落差のエネルギーが生まれ
ないんじゃないですか。それと、電子モニター類は品質が大いに劣ります。
裸眼は現実、ファインダーは実際、写真画像は虚像です。
ファインダーは現実と写真という虚像の間の橋渡しをしてくれるんです。要素が多すぎで
混乱しがちな現実というものから、ファインダーの適切に現実を切り撮るという作業を通じて、
そして写真という紛れもない純化した高度な虚像を組み立てることができるわけです。
この一連の仕組は簡単そうでいてかなり難しい脳内作業を行っているのであり、いわば
推理思考の積み重ねのようなものかもしれません。
そしてEVFやモニターはいきなり結論を見せる。
逆説にも聞こえるかも知れませんが、背面モニターなんてあまりくっきりと見え過ぎないほう
がいいんです。大体の撮影範囲とピントの中央がここだというのが見えるだけでよい。
そう私は思っているので、現状の見えづらいモニターやEVFで十分だといういうことです。
写真の神様
いつでも目の前にいるように感じている私です。
とても遠慮深く見つけてくれるのを待っているように思います。
石ころに宿る神様見つけたいのです。
武者小路 実篤(むしゃのこうじさねあつ)という作家がおりました。
大好きな作家です。
彼の作品に登場するのは「絵の神様」でしたけれど。
石ころばっかり描いている少し頭の回転が鈍い(今で言うダウン症?)的な画家の話が好きでした。
天才肌の頭脳と絵画の腕を持った方が言うのです。
あいつには美神が見えているのだろうな
見えているけれどちゃんと描けなくて頭ばかり下げている。
石ころに謝ってばかりいる..と羨望を込めて呟くのです。
素敵な話でした。
トイレの神さまというのがあるようで、だったら写真の神様もあって良いだろう。
でもその写真の神様も、光学ファインダーのカメラを使っているから享受できている
のであって、もしミラーレスカメラに変えてしまうと、とたんに写真の神様はお隠れに
なるようです。ミラーレスカメラには写真の亀様しか出てきません。