別子鉱山跡案内板
Exif情報
メーカー名 Panasonic
機種名 DMC-GH2
ソフトウェア Capture One 7 Windows
レンズ
焦点距離 18mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/250sec.
絞り値 F7.1
露出補正値 -0.7
測光モード 分割測光
ISO感度 160
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2048x1318 (1,859KB)
撮影日時 2009-02-11 15:30:06 +0900

1   kusanagi   2017/4/26 22:41

別子銅山 - 失われた空中都市を訪ねて
http://www.tsoftware.jp/douzan/
別子の東平(とうなる)の煉瓦遺跡の写真を見て、東洋のマチュピチュだなんてイメージを
膨らませる方は大勢いらっしゃるのですが、正直言って尋ねるとがっかりなさるでしょう。
あまりにも規模が小さくて、なんだ?これ、ってなるかも知れませんね。
実は東平よりも、もっと規模がスケールが大きくて、これは凄いっていうのはあったのです。
それは東延(とうえん)という場所ですが、上のサイトの旧別子の地図で書かれている場所
でした。
http://www.tsoftware.jp/douzan/pics/map3.jpg
でした・・というのは、それはもうとっくに自然の土砂崩れで破壊されて、もう既に存在しない
からです。
http://h2o.sakura.ne.jp/bessi/Qbessi/33touen/touen.html

私が別子、特に旧別子を尋ねたのは35年ほど前からなのですが、その当時は東延の勇姿
が見られました。ところが以降何度か登山するうちに、東延の遺跡は大規模土砂災害で
なくなってしまったのです。
残念ながら当時は写真趣味を休止していた時期なので、その東延の写真はありません。

別子を訪れる観光客の大半は、上の看板写真で見ますところの、⑤マイントピア別子(端出場)と、
⑩マイントピア東平の2つ、さらに加えて④銅山記念館というところになるでしょう。
④と⑩と⑤は自家用車ですぐに行けます。⑩などは道の駅になっていますしね。
(なお⑤は冬場は閉鎖ですが) 
しかし本当に別子の凄さを知るには、登山スタイルで赤石山系の南側、旧別子の山の中を
歩かなければなりません。

それからこれは残念な、というより本当は喜ばしきことであるわけですが、別子の山は植林の
杉がだんだんと大きく育ってきて、遺跡群そのものを隠してしまいつつあるのです。
別子の山は住友鉱山から住友林業に継承され、そもそも本来は私有地であり、観光というより
も自然に山を返すっていうことが住友側の本道であるわけで、遺跡群が樹木に覆われて
自然化するのは当たり前のことであるというわけですね。
そこのところが、自然放置の住友側と、是非にと観光化を目論む自治体側との違いがあった
わけで、それは35年前の当時から旧別子の役場の担当者が悩んでいたところでした。
自治体側としては別子の持つ観光資源に早くから着目していたようで、住友と折衝して何とか
観光登山に協力してくれないかと折衝をし続けていたようです。

当時は私のように旧別子の魅力を見出していた人間は殆どいずで、別子の資料を見せてほしい
と役場を尋ねた私が珍しかったのでしょう。いろいろとお話をお聞きすることができました。
それにしても東延の勇姿が失われてしまったのは、今思ってもつくづく残念で、あれば健在で
あれば、本当にマチュピチュ遺跡に匹敵するという宣伝コピーがまんま通用したでしょう。
とは言え、今でも別子の鉱山遺跡群は山中に此処かしこに多く点在して見られ、この世界的な
鉱山遺跡群は長く保存すべきであるという、そういうポテンシャルは十分にあります。

私にとって、この別子と早明浦ダムは自分の写真の原点であり、そういう写真のドキュメントと
記録というのは、私の写真哲学の原動力になっています。
私は写真に、ただただ綺麗っていう花鳥風月などは求めませんが、自分の写真には今あるこの
社会の原点とは何かという視点を求めて続けているつもりです。そういう意味で私の写真に対する
考え方は皆さんとは随分と違うでしょうね。

ところで世の中も随分と変化してきて、日本も老大国というような超先進国になってしまいました。
そうなると近隣の若い元気な諸国から学びの観光客を呼び集めることができます。東アジアは
世界で最も大規模な経済発展地域なわけで、今後とも多くの観光客を日本に呼び寄せ続けることが
できます。
東京や京都・大阪にかぎらず、各自治体もオラが国自慢の観光資源の発掘に躍起ですね。
香川県もウドンとアートという看板をもって観光客誘致に邁進していますけどね。(^^ゞ
そういう現代の世界的な視点に立てば、別子の自然回帰の緑化事業こそが本当に意味のあること
なんだということになります。
高野山は海外観光客にも人気ですが、巨大な杉の大木に囲まれた山中の宗教都市は神秘的な
イメージを漂わせていますね。そういう具合に別子の森もそのようになる可能性があるんですよ。

2   zzr   2017/4/28 06:39

大きな鉱山だったのですね。
坑道が700キロってとんでもない長さ。
太陽の光のない穴の中での作業ってキツそう。鉱夫はどんな生活をしてたのでしょうか
先日の岩手鍾乳洞巡りで軽い閉所恐怖症を自覚した私です。

3   kusanagi   2017/4/29 00:21

軍艦島の写真集で書かれていましたが、これから坑道に入っていこうかという時の鉱夫の顔っていう
のは一種独特の緊張感が顔に現れているといいます。何回地下に潜ってもその都度、気の張った顔
をするんですね。慣れというものがないんです。
それほどに坑道っていうのは命がけなんでしょう。戦場に出かける兵士と同じなのかな。どの鉱夫も
もう二度とお天道さまを拝めないかもしれないってそういう覚悟で地上を後にする。
はんばは自分の命を捨ててかからないと鉱夫の仕事はできないでしょう。
世の中には命がけの仕事ってありますよね。まあその分、給料も良いんですがそれでも気合がなけれ
ばそういう仕事はできません。私には絶対ムリですわ。(^^ゞ

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