溜池遊記
Exif情報
メーカー名 FUJIFILM
機種名 X-E1
ソフトウェア Capture One 7 Windows
レンズ
焦点距離 18mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/156sec.
絞り値 F3.2
露出補正値 -0.7
測光モード 分割測光
ISO感度 200
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2048x1365 (3,131KB)
撮影日時 2018-07-23 03:58:30 +0900

1   kusanagi   2018/8/15 11:01

溜池遊記

2   kusanagi   2018/8/15 12:55

私が主に撮影している被写体と言いますか撮影場所は、いわゆる里山とか里海とか言われる
ところです。もちろん溜池の写真もそうですね。
実はそういう写真、「車」がないと殆ど撮影できません。
狭い香川とはいえ、撮影場所は自宅から数キロ数十キロはあるのであり、それが何百箇所と
点在しているからです。確かに時間と手間をかければ公共交通機関でも辿りつけないわけでは
ないのですが、ほぼ何もせずに行って帰るだけでまる一日以上消費してしまうでしょう。
とにかくどんな車でもいいから、バイクでもいいから、自分の自由になる足が必要なのです。

考えてみれば、撮影で特に自然的な風景や風物の撮影では、その最大の機材は、カメラでも
レンズでもなくて、車ということになります。
自分で車を持っていて常に使っている人は、写真の道具の最大の物が車であると言われても
ピンとこないでしょう。また車を一度も持たれていない人も案外に気がつかないところがあります。

私も撮影は可能な限り自分の足で稼ぐようにしています。できる限り池は周囲を回って歩きたい
と考えていますしね。しかしがらそれが可能なのは、池にたどり着くまでに車で移動して楽をして
いるから、そういうことが言えるわけです。
とにかく、小さなボロ車でもそれがあるから、私は今まで自分の写真の撮影ができていたということ。
これは深く再認識していきたいと思っています。

もし車を使えなくて写真をするとなると、どうなるのか。
電車かバスしか使えないとなると、それはもうきちんとダイヤを調べて、リュックに最低限の機材
を詰め込んで、朝早くから出かけて夜遅くに帰ってこれるのかな?という厳しい撮影になりますね。
しかも撮影地はかなり限られてきます。電車の駅からそう遠くは行けません。
瀬戸の島の撮影がそうでして、港まで車で行くからまだ良いものの、船の便はシビアでこの時刻を
守らないとえらいことになります。早朝に出かけて夜に帰宅ということになります。まる一日が
空いていないと出来ない撮影なので、最近は島撮影から遠ざかっています。

もっとも時間とお金に余裕があれば何泊などもして県外にも足は伸ばせますが、それでも誰もが
行く観光地レベルの撮影しかできないでしょう。
とにかく車がなければ、私が今やっている里山とか里海の撮影はほとんど諦めざるを得なくなります。

でも車さえあれば、何の計画もせずに思い立った時点で、適当に機材なんかを車に放り込むだけで
出発できます。車中泊の覚悟ならば宿の心配もせずに、ほんとに気軽に何処へでもいけます。
事実、私も東北とか九州の旅はそのようにしたのです。全くの無計画で。準備らしい準備は何も
せずに。

こんなルーズなことで写真が出来るのですから、車というのはほんとに有り難いものです。
最近ではスマホでホテルや交通機関の予約ができるしタクシーだって呼べるしレンタカーの予約
もできるでしょう。しかし自前の車ほど自由ではありません。かなり健脚でないと交通機関を使って
の撮影は移動だけでくたびれます。

県内の撮影であれば午前中に仕事をして、午後から撮影に出かけるなんいうことも可能というか、
実際にやっています。夏場だと仕事帰りの途中で足を伸ばしての撮影ということもありです。
こうい少しの空いた時間でも見つけて撮影ができるのも、自由になる車があるからなんですね。
何の支度もしていなくても思いつきで遠くの撮影場所まで行けるということは、写真撮影に置いて
最大の武器になるわけです。

撮影が遅くなり、夜の深夜に山奥深くの道を走ることがあります。こういう場合はもう自分の車が
命綱そのものです。脱輪でもしたらえらいことですし、絶対にエンコはしないように日頃から整備も
していなくてはなりません。いやガソリンが無くなっただけでも大変なことになります。
しかしながら、そういう山道は車じゃなくて、自分の足で歩くなんてはことは絶対に考えられません。
携帯の電波も届かないのですし助けを呼ぶことすらかなわないのですから。
しかし車さえあれば、もしもの場合でも山中で一晩安全に過ごすことができます。考えてみれば
これは凄いことなんですよね。

なぜこういう話をするかというと、写真というのはやはり道具がモノを言うのですし、そして何よりも
被写体への自由な選択肢があるかどうかでも大きく違ってくるからなんです。
それぞれの個人の事情は、みなさん全員異なります。
写真はこうしてネットなんかで写真を見せたとしても、見る人は自分の都合でしか見ることしかでき
ません。また見せる側も自分の事情がどんなものなのかの客観視もできていませんしね。
とにかく写真は独り歩きしてで広がっていくのですが、撮影にまつわる事情は誤解に次ぐ誤解でしか
ないというようなところがあります。

インターネットというのは、考えて見れば車よりも高速で距離も無限大のところがあります。画像と
文字という情報しか運べませんが、それゆえに最も誤解の生じやすいところがあります。
とにかく車を道具としている人と、そうではない人との間には、かなりの写真に対する温度差がある
んじゃないかなって思う時がありますね。

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