闇掴壊
Exif情報
メーカー名 RICOH IMAGING COMPANY, LTD.
機種名 GR
ソフトウェア Photoshop Lightroom 6.14 (Windows)
レンズ 18.3 mm f/2.8
焦点距離 18mm
露出制御モード 絞り優先
シャッタースピード 1/125sec.
絞り値 F2.8
露出補正値 -2.7
測光モード 分割測光
ISO感度 140
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2400x1350 (1,241KB)
撮影日時 2018-11-22 21:52:42 +0900

1   ポゥ   2018/12/2 21:31

この週末は中途半端な季節感だったことから
家族サービスに徹し、作品意図の写真は撮りませんでしたので
在庫で茶を濁します。お許しを。
(実は今日の未明に朝高ボッチに行きましたが、超快晴だったけど、
アクセントとなる季節感が無かったので、一枚も撮らずに帰ってきました)

善光寺の仁王は、阿形吽形ともに、右手が魅力的です
仏像好きな人であれば、この右手だけでご飯十杯はいけてしまいます
今回構図も右上が隠し味です

2   ペン太    2018/12/2 21:47

ポゥさん こんばんは。

 漆黒の闇の中、あちらの世界から
ぬーっと姿を現したような仁王像亜阿形
 畏怖を感じるこの手で掴まれて
怒りを吐き出している開いた口に放り込まれてしまいそうです。
神聖な境内に魔を寄せ付けない為の仁王像
 先人の想像力には敬服の念を持って接する心が欠かせませんね。。。

3   MacもG3   2018/12/2 22:46

そうですねぇ、真っ先に光の当たっている指に目がいきました。
門番みたいなものですから迫力があるのは当たり前ですが、
切り取り具合で迫力倍増ですね。見事なものです。
高ボッチ残念でした。千葉から行くとなると何が何でも撮らずには帰れません。

4   CAPA   2018/12/2 22:57

口を開けているので阿形像でしょうか。
胸が分厚そうで、太い指がリアルで今にも動き出しそうです。
仁王像は仏教を害するものににらみを利かす形相のイメージですが、
こうやって口元、特に前歯辺りを見ると、仏像というより獣のようですね。

5   ポゥ   2018/12/2 23:52

CAPAさん
今日はもう寝ようと思っていましたが、頂いたコメントで興奮しましたので、
お礼を申し上げます。
この撮影のコンセプトは、おっしゃる通り、胸板と指の対比です。
三国志の主役の一人に「張飛」という、筋骨隆々の姿で描写されることが多い人物がいますが
阿形の姿態はどこか張飛的であるな、と前々から感じていたので、
胸板の張り出た様子は是非とも描写したいと考えておりました。
指は、その胸板と相互作用で迫力を出し合う要素でありますので、
元々暗いところからヌッと伸び出してきたかのような存在なのですが
レタッチでさらに指先以外を闇に沈め、印象を強めてみました。
そして、最後に
>仏像というより獣のようですね。
このコメントには本当に驚きました。
私が、皆まで言うのはみっともないと思い最初のコメントで触れなかったところを、
CAPAさんは、そのものズバリ言及下さいました。しびれました。
この写真は、実はトリミング前は目が写っています。
それをあえて16:9でトリミングし目をカットしたのは、
張飛的な、そう、獣的な獰猛さを、闇を噛み砕くかのような前歯だけ伺わせることにより
観てくださる人に感じて欲しかったからです。
本当に感動しました。ありがとうございました。

本日CAPAさんがご投稿の作品にもコメントを今すぐに差し上げるべきところですが、
私もテキトーに見てテキトーなことを言うようなことはしたくありませんので、
明日またじっくり拝見致します。

6   エゾメバル   2018/12/3 18:01

すごい迫力だなあと思いながら拝見していましたが、改めて作者の意図を読み込むと改めて感心します。
意図するところを見せるための光の使い方や構図の撮り方、現像段階で
の工夫など、各段階での作業が積み重なってできているというのがよく
分かります。

7   Ekio   2018/12/3 20:47

ポゥさん、こんばんは。
祭りものなどで大胆に動きを切り取るポゥさん、動いていないものでも切り取りによって動感を強く感じるものだと改めて思った次第です。

8   ポゥ   2018/12/3 21:56

皆様、コメントをいただきありがとうございます。
私の善光寺仁王撮りの経験はこれで三回目となりますが、
その中で一番のコツと思うのは、以前も書きましたが、
「水平ではなく、カッコいいと思う角度で撮る」です。
この写真も、右肩をかなり上げ気味で撮影しています。
グワッと闇を握りつぶすような右手の存在感が、
この角度でこそ映える、と感じたからです。
仁王というのは、その本来の性質上、動感を持たせたつくりをしていますが、
さらにそこに観る側にイマジネーションとしての動を持たせること、
カメラマンとしての使命だと感じています。

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