メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | GR |
ソフトウェア | Photoshop Lightroom 6.14 (Windows) |
レンズ | 18.3 mm f/2.8 |
焦点距離 | 18mm |
露出制御モード | 絞り優先 |
シャッタースピード | 1/100sec. |
絞り値 | F2.8 |
露出補正値 | -2.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 560 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1987x3000 (2,580KB) |
撮影日時 | 2018-11-22 23:11:47 +0900 |
善光寺と松本市を結ぶ国道19号、その中ほどに、長野市信更地区(旧更級郡信更村)があります。
旅人の訪れる理由は皆無の、静かな集落。そこに建つ「長勝寺」に、おそらく信州最高齢の仁王が住んでいます。
鎌倉時代中期頃の作と言われていますから、かの東大寺の仁王と比べても100歳差まではありません。
善光寺の仁王が、ある意味色気さえ放つ豪壮流麗な姿であるのに対し、
この、一般住宅の物置でさえもう少しまともな造りだと思われる様な仁王門に住む、身の丈六尺五寸の仁王は、
虫に喰われ、随所にカビさえ浮かぶ姿ながら、門をくぐる者に凍るような殺気を放っています。
時の支配者たちが権力をめぐり血で血を洗った、わが国有数の混沌とした時代の、まさに申し子のような姿です。
なぜ、これほどの仁王(「これほど」という表現は全く過言ではありません
奈良や京都にでさえ、この境地に達した仁王像はそう滅多に無いと思います)が、
当時はまともな文明があったのかさえ怪しいこの地に?
歴史の深淵と言えます。
この鬼気迫る感じは、子供が見たら泣き出しそうです。それか夢に出てきて夜泣きか。
心をえぐられそうな怖さ、邪心があったら思わず「ごめんなさい」と言ってしまいそう。
そう思わされるってことも、どこまで計算されていたのか分かりませんが凄いことです。
明暗の表現も、殺気マックスの描写で、そちらも凄いです。
善光寺に仁王に比べて随分と傷んでいる像ですが、迫力においては決
して負けていませんね。
この像に着眼して生き生きとした作品に仕上げるのは流石の流石で
す。
筋肉が盛り上がっている腕と胸に程よい光が当たってそのほかの個所
は闇の中に隠している。きっとこの光の時間帯を待ったのかと思いま
す。
うっすらと見える仁王の表情には鬼気さえ迫りますね。
寺社を守るために仁王門に置かれ、風雨にさらされる事が必然とは言え
ここまで痛んでも
尚、悪霊を寄せ付けまいとする気迫が感じられます。
私の心象ですが、この像の表情からは怒りよりは、
悲哀 悲しみを感じさせる表情に見えますが何故かな。。。?
ポゥさん、こんばんは。
一連の作品、ポゥさんの「カメラの眼」が捉えた感情が表現されていますね。
自分はこのような彫像を撮ることが少ないのは、色や光の重なり合いに美意識を求めることが多いからかも。
一方、ポゥさんのお写真からは、被写体が放つ光(力であったり、動きであったり、意志であったり)を表現しているように感じます。
皆様、コメントをいただきありがとうございます。
怖いものはどうして怖いのか、美しいものは何故美しいのか。
感銘を受けた光景を、第一印象を基軸として作品として昇華させようと試みる。
人を撮ることも、仏像を撮ることも、風景を撮ることも、その模索において一致していると思います。
唯一そこから脇道に反れる可能性があるのが、スナップというジャンルでしょうか。
>自分はこのような彫像を撮ることが少ないのは、色や光の重なり合いに美意識を求めることが多いからかも。
それは、ジャンルにとらわれることは無く何でも撮ってみたいから、
という理由が一番大きいと思います。
メジャー市場である「光」を撮りたいときもあれば、
ニッチ市場である「精神的なもの」を撮りたくなるときもある、という。
その時の気分や季節感で、対峙したくなるものが変わってくる、っていう、
ごく単純な動機です。