東北行
Exif情報
メーカー名 SIGMA
機種名 sd Quattro H
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 18mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/30sec.
絞り値 F3.5
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 320
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 3500x1546 (5,077KB)
撮影日時 2019-04-29 03:04:24 +0900

1   kusanagi   2019/6/23 14:02

高速道や自動車専用道なるものを写真の被写体にする方はあまりいないと思われます。それは
鉄道写真を撮る人はいても、自動車交通を写真する人があまりいないのと同じ事情でしょうか。
歌曲をみても鉄道や連絡船、鉄道駅の歌は多々あるのですけど、ハイウェイとか道の駅を題材にした
ものはあまり見当たりませんね。

「JR東海 X'MAS EXPRESS」
https://www.youtube.com/watch?v=zK_eX4Oe5kA
「シンデレラ・エクスプレス JR東海」
https://www.youtube.com/watch?v=VmfSBH1XTJQ
「駅」 竹内まりや
https://www.youtube.com/watch?v=ax2A87M46qw
「別れの朝」 ペドロ&カプリシャス
https://www.youtube.com/watch?v=IknrIKF8wmM&list=RDIknrIKF8wmM&start_radio=1

しかし探せばあることはあるんです。ほぼロック系に限定されますか。

太陽へ続くハイウェイ 長渕剛 XV1900A ROADLINER S
https://www.youtube.com/watch?v=CwjRLIX1c9U
俺らの旅はハイウェイ 長渕剛 30th PREMIUM of the ARENA TOUR
https://www.youtube.com/watch?v=QEsBIjntTQk
氷室京介 TO THE HIGHWAY~ ハイウェイに乗る前に
https://www.youtube.com/watch?v=TJ4-2lNrSes
矢沢永吉~雨のハイウェイ~涙のテディボーイ
https://www.youtube.com/watch?v=AEl6bPN22zA
別離のハイウェイ -男闘呼組-
https://www.youtube.com/watch?v=Uv3j_TOXqqI

まあ、これらは海外、アメリカからの影響でしょう。一般的に日本人は鉄道に絡む情景に郷愁を感じる
ようです。じゃあ、鉄道とハイウェイとくらべて、何が違うかというと、鉄道はお客さんとして乗車して、
移動としての旅自体は人任せであるというか受け手の移動であるということです。
かたやハイウェイの旅は自力で走らなければならないということ。大名気分に浸るわけにはいかない
というわけです。
多分日本人に向いているのは集団移動というか強制移動でもいいんですが、受動的な移動手段や
受け入れ体制ほ好むっていうことでしょうかね。


ところで江戸時代において、高速道はおろか鉄道すらなかった時代です。その当時において、まさに
日本近代文明の礎とでも言うべき海のハイウェイを作った男がいます。
河村瑞賢という人物ですね。
『江戸を造った男』 伊藤潤著 朝日文庫
『男たちの船出』 伊藤潤著 光文社
2冊とも読みやすい小説形式ですので、興味のある方にはお勧めします。
河村瑞賢は幕府の国策的な大事業を手がけているんですね。開運航路整備(東廻り航路・西廻り航
路)や治水(淀川・大和川)、灌漑、鉱山開発まで、とにかく命の尽きるまで働きに働いた人です。

一介の材木商であった瑞賢が大きく飛躍をしたのが江戸を焼きつくしたといわれる明暦の大火でした。
・・・明暦の大火・明和の大火・文化の大火を江戸三大大火と呼ぶが、明暦の大火における被害は
延焼面積・死者共に江戸時代最大であることから、江戸三大火の筆頭としても挙げられる。外堀以内
のほぼ全域、天守を含む江戸城や多数の大名屋敷、市街地の大半を焼失し、死者数については諸説
あるが3万から10万と記録されている。・・・ウィキペディアから

この明暦の大火で瑞賢自身も我が子を失っています。この大火の後始末から幕閣とのコネクションが
でき、以降は江戸幕府のインフラ整備に邁進するという形になっているようです。江戸100万人の台所
を支えた沿岸航路を整備したのは瑞賢と言ってもいいようですね。
簡単に言うと、東北の米を大消費地である江戸に持ってくるということ。その航路の開拓です。船の
建造などもやっているようです。いわゆる千石船です。

米の生産地ランキング
http://www.komenet.jp/faq/ot_kenbetu.html
1位から6位までを北陸・東北・北海道が占めています。お米なんて今の人は関心がないかも知れませ
んが依然として食料の王者であることには変わりありません。私自身も特に米には並々ならぬ関心が
ありますので、新潟を含む東北地方に強い関心があるというのは、基本的に米に関する興味から来て
いると思っています。

ところでモノというものはただ生産するだけではダメです。その物を動かして別の地域、消費地まで
運んで流通させなければ意味が出てこないところがあるんです。それが物流トラフィクとかロジテックス
というやつですね。
これが物凄く大事なことでして、それを整備するのは基本的に国家の役割となっています。
モノを移動させる。人を運ぶということ。江戸期ではこれが近海沿岸航路でしたが、明治は鉄道が加わ
り、昭和は道路や高速道、高速鉄道、航空路も高度に整備されました。平成に入ってからはインター
ネットなどもそうですね。これからの令和時代は高度な移動通信網の時代になるようです。
ちなみにローマ帝国が数百年も続いて覇権を握ったのはローマ街道のお陰といわれています。ローマ
のインフラ整備としては水道とか浴場とかも有名です。

現代のローマ帝国である米国幕藩体制において、新興の中華帝国が挑戦している分野は、南シナ海
やインド洋の真珠の首飾りや、ユーラシアのシルクロード構想、それから5Gインフラとかですね。
中国がただ世界の工場としてモノを作るだけではダメで、それらの流通経路を握ることであると考える
のは当然の成り行きです。
そしてそれをさせまいとして圧力をかけているが米国幕府です。

ちょっと余談ですけど・・・
中国はよく日本に対して、君たちは米国の属国であるであるのは情けない。米国から独立しなさいと
呼びかけられるのですが、もちろん本音は、米国の属国から正真正銘の中華帝国の属国になるべき
だと考えているわけです。
この甘言に容易に飛びつくのが日本のリベラリスト達というわけです。日本が米国の属国であると
いうのを最初に言い出したのは、そういう中国共産党が最初であるわけですが、それを日本の左翼が
真似て、そして庶民もなんとなくそう考えているというのが日本の米国属国論の本質です。
何事にも言葉には裏があり、それを知っておくことは大切ですね。

そもそもロジテックスという言葉は軍事用語だったのかも知れませんね。ローマ帝国はその整備された
道路網でもって紛争地に軍隊を素早く移動させ、ロジテックスである兵糧も大量に送ることができまし
た。このロジテックスの盤石さがローマ帝国を根本から支えていたというわけです。
そのようなものは現在の米国でも同じです。米国海軍の強力さはどの国も敵いません。空母艦隊スト
ライカー打撃群というのは唯一米国でしか実現されていません。

中国この空母打撃群に対しても挑戦しているようで、とりあえず空母3隻体制に持ってこようとしていま
す。遼寧とあと2艦を建造中でこの3隻体制でもって常備に空母を運用できるというわけです。
よく日本の大型護衛艦を空母だという人がいますが、あんなのは空母だとは言えません。垂直離発着
のできるF35Bを搭載したところで所詮はヘリ空母レベルしかないのですから。
本格的な正式空母というのは艦載機を含めて1隻1兆円かかるそうです。さらに空母を護衛する艦隊も
必用です。そしてそれらの維持費も凄いことになるので正に傾城の軍艦であるというわけです。中国は
それをやろうとしているわけですから、米国としてはやれるものならやってみなはれ、というところでしょうか。

米国が南シナ海において航行の自由作戦なるものを行っているのは、要はロジテックスの問題なんで
すね。また日本ではシーレーンという言葉もよく耳にします。世界中の艦船が世界の海を自由に航行
出来なければ貿易はできず世界の民は干上がってしまいますから。
ちなみに中国が南シナ海を牛耳るようになりますと、海の関所を設けて日本の船から航行料をとるよう
になるでしょう。漁業は中国のもの、海底資源も中国のもの。そして通行料も取れる。また沿岸諸国は
中国海軍の圧力によって中国の言いなりになってしまいます。
南シナ海やインド洋を中国のものにしたい。彼らにとっては当然の目論見となります。

江戸時代においても現在でも、東北を初めとする北日本の食料資源が日本を支えてきたという事実が
あります。江戸100万都市を支えたのは東北にある幕府天領の米ですね。17世紀末には約400万石と
言われた天領からの年貢は幕府の財政を支えました。(他にも鉱山とか貿易港も天領でしたね)
この天領からのお米を江戸に持ってくるという、そのために河村瑞賢が奔走して航路を開いていくとい
うのが伊藤潤の小説の粗筋なのですが、日本の近海の海はけっこう荒れて厳しいんです。
太平洋側の銚子沖とか紀州・遠州の海とか、津軽海峡も。さらに冬場だと佐渡海峡ですか。ここらを
大型船でもって安全に運行できなければ日本のロジテックスは確保できないというわけだったんです。

それらの航路が安全に整備されたのは江戸時代になってからでした。出羽で穫れたお米は日本海を
下り下関から瀬戸内に入って大阪へ。さらに紀州遠州を回って江戸湾に入ったんですね。陸奥の国の
お米は太平洋を南下し伊豆の下田まで行き、それから江戸湾に入りました。
鉄道や道路の時代からは考えられない遠回りをしていたように思えますが、当時の陸路というのは
お話にならない貧弱さでしたから海運に頼る他はなかったのです。

西廻り航路が開発される以前は、出羽のお米は一旦敦賀に陸揚げされ陸路で山越えをして、さらに
琵琶湖北岸から水路で大阪まで来ていたんです。このルートは私も一度車で走りましたが、大変だな
って思いました。大した量は運べないでしょうし。
下関から大阪までは瀬戸内の航路ですが、これもまた大変なんです。座礁の危険性があるんです。
ですから今でも瀬戸内航路は水先案内人が必用です。

なんやかんやで物流に関しては私も関心があります。国内物流だけでも面白いですよね。
江戸の昔は参勤交代というのがありました。それで高知藩なんかはどうしていたかというと、四国の山
を歩いて越えたんですね。これはもうびっくりですね。それで瀬戸内の香川県に来てそれから船で大阪
に。大阪からは東海道を歩いて江戸へ。その四国の山越えのルートには今は高速道が走ってます。
本当は船で一気に江戸まで行ければいいんでしょうけど、幕府がそれを許さなかったわけでしょうね。
香川の高松藩にしても大きな藩船を持っていたんですが大阪までしか利用していません。ここらあたりの非合理性は問題なんですが、こと物を運ぶ物流に関しては、大型船を近海航路で縦横に走らせて
いたということだったのです。

千石船、和船というのは古臭いと思われそうですが、実は明治の半ばころまで使われていたのです。
鋼鉄船に比べて建造費が安いですし燃料も食わない。そして積み荷も結構大きいんです。1本帆です
けどヨットと同じような横風も受けて走らせますしジクザクで向かい風でも行けました。
西洋船のように外洋は無理でしたが沿岸の近海航路では合理的な船だったんですね。こと物流の船
に関しては幕府のトン数などの制限はありませんでした。1本帆の制限もなかったそうです。

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