東北行
Exif情報
メーカー名 SIGMA
機種名 dp0 Quattro
ソフトウェア SIGMA Photo Pro 6.5.4
レンズ 14mm F4
焦点距離 14mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/15sec.
絞り値 F4.0
露出補正値 +0.0
測光モード 分割測光
ISO感度 800
ホワイトバランス オート
フラッシュ なし
サイズ 2704x1808 (6,495KB)
撮影日時 2019-05-01 02:49:46 +0900

1   kusanagi   2019/6/23 13:58

高齢になって車を暴走させる人には、おそらく共通した性質というものがあるだろうと考えます。
それは、アクセルやブレーキを踏む動作が急激で強過ぎるのです。おそらくハンドル操作も
そうでしょうね。つまり若い時から車を飛ばしていた人だろうと思いますよ。飛ばすことが格好良い
と勘違いしていた人達だろうということです。
もともと安全運転でおっとりとした操作をする人は、たとえペダルを踏み間違ったとしても暴走なんか
しませんから。

よく車を飛ばす人や、自分は運転が上手いと思っている人の車の助手席で、その自慢の運転法
を見る時があったりするんですが、殆どの人は車を正しく制御できていません。ただスピードだけが
出ている危険な運転をしているように思いましたね。
とにかくそういう人は運転はしているけれど車に乗せられているような人ばかりです。
そういう自覚がなくて、しかも過剰な自信があり、それでそのまま歳をとって身体能力が落ちると、
大きな事故を起こすのではないですかね。

暴走事故には、オートマチック車とかハイブリット車とか、そういうような要因もあるんですけど、やっ
ぱり基本的に日頃から手荒い操作の運転をしている人が、重大事故を起こすっていうことだろうと
思います。

私のことを言えば、車を所有してから3台目で軽自動車(しかも低馬力の)に乗り換えました。
それまでのスポーツタイプの普通車に比べて、なんと走らないことかと唖然としたのですが、(^^ゞ
よくよく考えてみれば、これまでは車の力で自分が速いって勘違いしていたことに気がついたのです。
そしてこういう非力な車を適切に走らせることこそが、本当の意味での車の運転ではないかと考える
ようになりました。以来ずっと軽自動車のマニュアル車に乗り継いでいます。自分にはこれが分相応と
いうか、これで十分に満足できるわけですし。

しかし私のようではなく、ずっと高性能のスピードのでる車に乗っていたならば、人間、勘違いしたまま
で終わるんじゃないですかね。若い頃は高出力の車を制御できていても歳を取ればそれができなく
なる。
気持ちでは制御できているつもりでも身体能力ばガタ落ちですから。どうも、そういう人達が昨今の
暴走事故を起こしているように思えてきます。

車もカメラも要するに機械やモノです。自分の本当の素のママの力ではないですね。そういう身体の
拡張系であるわけですが、ともすればそれらも自分の力の一部のように錯覚をするのが人間という
ものです。
しかし強力な機械やモノを、自分が本当に制御できているのか。使いこなせているのかと問うと、実際
はそうじゃなくて機械に引きずられているのがリアルな現実であったりするんでしょうね。

「私とMT車(マニュアル車) 」
https://mtsya.hatenablog.com/entry/2017/09/01/113747
https://mtsya.hatenablog.com/entry/2017/11/19/012929
他にも色々とあり、なかなかにしみじみとしたブログで興味深く読ませていただきました。

笑休さんが良くおっしゃっていたのですが、自分の写真に行き詰まった時は、コンデジなんかを敢えて
使うって言ってましたね。つまり高級な高性能な機材ばかり使っていては自ずと限界があるということ
でしょうか。
これはつまり自動車の例と同じで、高性能の車ばかりに乗っていてはダメだよっていうとことと共通
するものがあるのかもしれませんね。
高性能なカメラ機材の使用で、車ではないので取り返しの付かない事故を起こすことはありませんか、
もしかすれば自分が気がつかないだけで大きな不利益というものを被っている可能性があるかも知れ
ませんね。それは自分の能力以上の、過剰な機材性能による不自然さ、ということでは同じだから
です。

もしかすると、高級な機材ばかり使うっていうことは、自分のモノの見方というものが歪められるような
ことが起こるかも知れず、モノごとの真実を正しく見ることができなくなってしまう、ということが起こりう
るかもわかりません。
カメラというものは眼の拡張系です。良いカメラやレンズを使って写真を撮ると、自分の本来の能力以
上の写真を撮ることが可能です。しかしそれが習い性になると、自分の本来の能力の見極めができな
くなるような気がします。

実は今回の東北行で、シグマsdクワトロHでは廉価レンズを着けて撮影しました。それで同時に持参し
たdpクワトロ0/2と比べれば画質はかなり落ちます。写真はあまり綺麗ではないのですね。
dpクワトロには良いレンズが最初から付いていますね。レンズ固定専用機ですから当然です。一方、
sdクワトロHは、良いレンズも良くないレンズも着けられるのですから、dpクワトロに匹敵させようとすれ
ば18-35とか24-105とかのレンズを装着しなければならないのです。

しかし今回の撮影は、敢えてそういう廉価レンズを着けての撮影でよいということでやりました。自分の
撮った写真に満足していてはいけないような撮影行になるだろうという予感があったからです。
つまり良い写真(良い画質の写真)ばかり撮っていてはダメなんじゃないかなっていうことなんです。
もちろん全て低画質のLOW-RAW写真で撮ったというのも同じ理由によるものです。

もしかすれば良い写真とは、人間の想像力を無くしてしまう可能性があるのではないですか。
写真撮影はきっかけに過ぎず、本当はその被写体について自分なりに思いを巡らし考えるということ
が大切なのですが、綺麗な写真を撮ってしまうとそれだけで人間は満足してしまい、それ以上の考えを
しなくなるように感じられるのです。つまり思考停止です。
ビジュアル情報は人間の思考をスポイルさせる。これは昔から私が感じていたことですが、しかし今の
世の中はほぼそのような事態に陥っていますね。つまり写真を撮ったり見たりすると思考力(認知・理
解・記憶)の減退になるということなのかもしれません。

人間の正常な思考力をスポイルさせるということでは、オンラインゲームなんかも言われていますね。
特に成長期の子どもがゲーム依存症に罹ってしまうと大変なことになります。ゲームも写真も高精彩な
ビジュアル画像です。もしすれば現在のカメラというのは、人間の能力の限界に来ているのではない
か、という気がしています。

2   kusanagi   2019/7/3 22:42

週刊現代の6月22/29日発行の記事で、16年12月、80歳の男性がスーパー駐車場内で事故
を起こしてしまったというのがあります。被害者は50歳代の主婦、命に別状はなかったものの、
脚に障害が残ってしまいました。
男性は駐車をしようとしてアクセルとブレーキを踏み間違って、車は車止めを乗り越えて建物の
壁に激突。その時に女性を巻き込んでしまったわけですね。急いで降りると車の後部が潰れて
女性が倒れていたとのことです。本人はブレーキを踏んだつもりだったそうです。

この男性ドライバーというのが、運転時は健康そのもの。免許更新時の認知機能検査でも問題
なし。免許はずっとゴールド免許だったそうです。19歳で免許を取って以来、対人対物事故は
皆無。スピード違反で切符を切られたこともなったそうです。
まあ、模範的なドライバーだったようですね。しかしそういう人でも加齢によって、こういう事故を
起こしてしまうんですね。

ただ、私としては気になることがあります。駐車入れをする場合に、殆どの人は後ろからバックで
入るでしょう? しかし私は頭から入れます。こっちの方が絶対に安全だということを知っている
からです。前進で駐車して後退で出る。私は原則、これです。
それからバックする場合は、左側に振り向いてバックします。よく右側に窓から顔を出してバック
する人を見かけますが、あれは危ないんですよ。身体がねじれてしまい、気づかないうちに、間違っ
てブレーキのつもりでアクセルを踏むということがしばしば起きます。トラックなんかで荷物を積み、
振り返っても後ろが見えない場合は両サイドのミラーで確認しながらのバックとなりますが。

ですからこの男性は、駐車入れに関して、2つの過ちをしていたわけだと思います。これまでは
そういう間違ったやり方をしていても大丈夫だったわけですが、それはたまたま運が良かっただけ
ですね。ひとつの事故の背後には数十件のヒヤリハットがあると言われていますが、ただ真面目に
交通ルールを守っているだけでは、車は安全ではないということを知らなかったのでしょう。

歳を取ると勘違いということがままあります。今乗っている車ではなくて随分以前の車の運転癖が
出てくる場合があるんです。新しいことは忘れて大昔のことを思い出してしまうというやつです。
ふと妻の名前を呼んだのだが、それは離婚した前妻の名前だった、とか。(^^ゞ

それから車はバックの方が強力な駆動力を持っているのをご存じですか。それは今の車の殆どは
FF方式でフロントにエンジン、駆動輪も前輪であるということからきます。車の重心がフロント側に
移動してしまうのでバック時の駆動力は強力なんです。
それからハイブリット車の場合、アクセルをドバッと踏みますと、モーターの駆動力が最大となり
これまた高トルクで走るんですね。酷い人の場合はアクセルを全踏して、ニュートラルからいきなり
リバースにシフト(前進のつもりが間違って)する人がいます。そういう事故が実際に身近で起きました。

私は車の運転はあくまでマニュアルミッションにあると考えています。例えば先程のバックの場合、
マニュアル車はクラッチも踏まなければならないので、自然と左振り返りの姿勢になるんです。
それから駐車入れでバックから入るというのはパワステがあって操作が楽だからなんですね。昔の
ようにパワステがない場合は頭入れが普通ですから。
そういう具合で、車の操作が機械に置き換わって楽になってしまうから、ついついルーズな運転を
してしまうのです。そういうわけで車の装備はますます自動化しているわけで、そうなるとドライバー
はますますルーズで危険な運転をしまくるようになるんです。

クルーズコントロールというのは便利ですね。高速道の場合だと、もう運転しながら熟睡できるほどに
便利な装備です。車検時に車屋さんに、この車(私のはマニュアルミッション車)で高速道を3000キロ
走ってきたと言いますと、そりゃあミッション車だと大変だったでしょう?と言われましたが、これは
マニュアル車の場合はクルーズコントロールがないからですね。
それでずっとアクセルペダルを踏んでいなくてはならないんですが、これにはコツがあって、厚底の
大き目のシューズで、ペタルをつま先ではなくて足の底全体で押すようにペタルを踏めば楽ちんなん
です。もっともこれはアクセルペダルが吊り下げ式の場合に有効なんです。マツダのようにオルガン
式ペタルだと難しいんですね。
アクセルペダルの踏み方には自由さがあって良い。そういうことをスバルの広報誌に書いてあった
んですが、それでスバルはオルガン式ではなく吊り下げ式にしていると言うことらしいです。私の
高速道のやり方はまさにそれでしたね。

マツダの話がでたので話を引きずりますと、ロータリーエンジン。今はないですが、私もこのロータリー
を一時は買おうかなって思ってた時があります。しかし先輩のサバンナRX7を翔ってみて、気になった
のはアクセルオフでエンジンブレーキが効かないことに不満があったんですね。これって危ないん
じゃないかっていうことだったんです。それで安く譲ってくれる話は止めました。
エンブレが効きづらいというのはAT車全般にありますし、最近のCVTなんかは特にそうです。
CVT車なんかはアクセルのオンオフにタイムラグがあって、自分で車を操作しているという感覚に
乏しいですね。まあ昔と比べれば今の車は大分よくなりましたが。

ブレーキが効きにくい、独特であるというのはハイブリット車がそうらしいです。私の考えとしては車は
ブレーキこそが命であって、エンブレから始まってフットブレーキ、さらには自由に使えるワイヤー式
サイドブレーキなんかもそうであって、とにかくブレーキシステムをないがしろにしている最近の車は
失格だと感じているのです。
マニュアル車のニュートラル、AT車のニュートラルも動力を切断できるということで広い意味でもブレー
キ・システムのひとつです。ニュートラルに入れづらい最近のパネル式シフトレバーは危険ですね。

車は、「止まる、曲がる、走る」という基本の操作感が大事なんですが、昨今の暴走事故を見ておりま
すと、もう自由な車の時代は終わったのかもしれないと感じます。

3   kusanagi   2019/7/7 23:53

●『認知症ドライバーの事故で「家族は崩壊する」』
https://president.jp/articles/-/20720?page=2
>認知症ドライバーは、事故寸前でも「ヒヤリもハッともしない」
Mさんによれば、認知症の兆候が出ていても、それを自覚していない人がほとんどだそうです。
厚生労働省の発表によれば、65歳以上の高齢者の7人に1人が認知症患者とのこと。(ちなみに
国民の4人に1人は65歳以上)
>つまり……、周囲が今すぐにも免許を返納してもらいたいと思っている肝心の認知症ドライバーは、
ほとんど含まれていないのではないか、とMさんは言うのです。
「私が見てきた認知症の疑いがあるドライバーは例外なく自分を客観視できず“オレは大丈夫だ”と
思い込んでいました。また、プライドが高く、弱みを見せられない、人の指図は受けないという意識が
強い。だから、何の逡巡もなくクルマの運転を続けるわけです」
>自動車保険 認知症は「保険金が全額出ない可能性」

●『浦和での高齢ドライバーによる死亡事故 15歳の女子高校生がはねられて死亡』
https://sai001.com/ietuite-urawa-ziko/
>「そのまま壁に向かってうちの娘を押し当てて、5分も6分も10分も降りて来ない。本人は。周りの
人間がダーンと窓叩いて、それでも降りてこない。『何やってんだ!お前、早く降りろ!バックしろ!』。
それでもアクセル踏み潰してた」
「娘が『ギャーー!』って言ってる声がマンションの3~4階まで響いてたってんだから」

上の浦和の事故は読んでいても悲惨でいたたまれない気持ちになります。
しかしこの、「それでもアクセルを踏み潰していた・・・」という下りが重要なんです。
脳に欠陥がある人というのは、脳卒中(脳出血)でも脳梗塞でも、パーキンソンでも、それから認知症で
も同じだと思うんですが、占星術的には共通するものがあるんです。それは第1室の、身体では脳に
当たる部分に土星などの凶星があるんですね。性格的にはシツコイまでの自己主張や自己正当化が
特徴です。とにかく自分の考えを曲げないんです。
それが事故に繋がると、俺の踏んでいるのはブレーキに絶対間違いがないという強迫観念になるん
じゃないでしょうかね。本当は、たとえブレーキとアクセルを踏み間違っても、それに直ぐに気づけば
とんでもない重大事故には繋がりにくいんではないかなとも思えます。ところが自己過信が強過ぎると
何時迄でも間違った操作をし続けてしまい、重大事故に繋がりますから。高速道の逆走もそうです。

ですから第1室に大凶星がない人、ましてや吉星がある人というのは事故を起こさないし、脳の病気
にもならないんではないかということです。交通事故というのは、あっという間に起こるというイメージ
がありますけど、占星術的にはそうではないのです。起こすべき人が起こしているという考えになりま
す。
今回取り上げているのは、あくまでも高齢者による運転の操作ミスなどによる事故の考察なんですけ
れど、これは認知症などの(なにしろ65歳以上の7人に1人がそうですから)、脳の障害と密接な関係が
あるということなんです。
ですから最初から暴力的な人が事故を起こすというのは考察外としています。そういう人は若い時でも
事故を起こす常連ですから。
この高齢者による大事故は、元役人さんなどの位を極めた人でも事故を起こしているという特徴があり
ます。これまで何の犯罪歴もなく事故歴もなく一般市民として問題なくやってきた人でも、脳の障害など
によって事故を起こすという問題なんです。

上にも書かれているように、認知症などの脳の障害というのは自己認識に乏しいということですかね。
自分で認識できないだけでなく、周囲の人も、単にあの人は頑固者というくらいのイメージでしか捉え
られなかったします。
●例えば、東日本大震災の大川小学校のこと。
一番の原因は強弁に間違った主張した自治会長が原因ということになるんですが、あの頑固さ、自己
本位、権威主義、強弁性というのは脳の障害そのものだと言えます。非常に興味深いのは、自治会長
が高台と言ったところは、私が現地で確かめても高台なんていうものではなく、ほんの少しの高まりで
しかなかったという事実です。
しかしながら体力が極度に落ちている人にとっては、その程度でも高台ということになるんでしょう。
占星術で第1室に土星などがあると体力や筋力がなくなります。これは共通していますね。

そういうことで、あの大川小学校の惨事は、昨今の老人の暴走と同じように捉えられてしかるべしだと
私は考えているんです。認知症老人が車で暴走して若い人を巻き込んで大事故を起こす。それと問題
の根っこは同じでしょうね。
もっとも、その老人の暴走を学校側が阻止できなかったのは大問題でして、権限のはっきりした所在を
明確にしておかなければ、これからも同じような事故が多発する可能性があります。
よく世の中には、老人が自治会長などの地域の役職を買って出て偉そうに振る舞うというのがあるん
ですが、そうい人は押しなべて認知症予備軍ではないかと疑ってかかる必用がありそうですね。

脳の働きというのは、基本として、認知・理解・記憶です。
一番大事なのは認知力でしょうか。それで認知症という名前が付いているんじゃないですかね。この
認知力というのは体力や筋力と密接な関係があると考えているのですが、とにかく老人になると筋力
が衰えるのですが、その十分な自覚がなければならないということですかね。

この認知、というの別の言葉で言えば、直感です。最初に脳にインプットする事柄。これが間違って
いれば後の理解力や記憶力というものが優れていても意味がありません。自然界において、この認知
や直感が間違うと命取りになります。それで自然界では老個体というのはいません。
占星術的に言えば、この直感力(認知力)というのは火星が司ります。もしくは第1室とか8室とか。
ここに凶星があるとダメですね。逆に吉星があると優れます。それは生き延びる力と言ってもよいの
ではないでしょうか。自分を大事にはするけれど、自分の考えにはこだわらない、という柔軟な人が
優れているということになります。この反対に、自分の考えに固執し過ぎて自分の命を疎かにする人が
周囲をも巻き込んで惨事を起こすということになりますか。

認知症ドライバーは、事故寸前でも「ヒヤリもハッともしない」・・・これは恐ろしいことですね。殆どシャブ
中毒と同じです。何にも怖いものがないから、免許を返納しようかという気にもなれないでしょう。
こういうドライバーが放置されていているのは日本の交通行政の怠慢以外ではありませんね。

高齢者の事故防ぐためには、車の安全装置を強化するのが早道のようです。しかしこれにも限界が
あるというのが本当で、例えば高速道の逆走などは機械で警告・通報は出来ても運転そのものは止め
られません。ブレーキの踏み間違い防止や自動停止装置は、スピードが出ていれば無効となります。
軽度の事故は防げても重篤な事故は防げないというのが現実のようです。
それどころか車は、ますますオートマッチな装備の充実で無自覚なドライバーでも容易に運転できるよう
になって来ています。そういうオートマチック車に慣れたドライバーがこれからも増加するわけでして、
今の若い人が高齢者になった頃は、事故率が急増するのは間違いないでしょう。

『運転のプロが読み解く、高齢者の暴走事故の真相』
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/16085
>高齢のドライバーが最も苦手なのが、急ブレーキ
>急ブレーキを悪と思い込んでいる傾向
>今後の対策として、AT車のアクセルとブレーキの間に、欧州車のようなスペースを設けて、両方の
足を使い、運転せざるを得ないようにすることも※
>現在の検査は、記憶力を判断することに重きを置いているのです。

※『ATのブレーキは、左足で踏むべき!』
https://ameblo.jp/doe136-2/entry-12460276406.html
私も最初の頃は、AT車の左足ブレーキは危険では?と書いてきましたが、色々と調べるうちに左足
ブレーキが良いと思えるようになりました。
参考までに言うと、私の場合はMT車でも左足ブレーキが使えます。また右足でブレーキとアクセルを
同時に踏むことも。若いころ峠を走りこんでいた時の遺産ですかね。(^^ゞ 
ラリー車でスバルを翔っていた選手がAT車でこの左足ブレーキでやっている映像がありました。普通
ラリー車はMT車(シーケンシャルシフトに改造したものもあり)でやるんですがAT車で走るケースもある
んですね。
右足でアクセル、左足てブレーキと分けてしまうと、まず踏み間違うことはないでしょう。ただし、車に
よっては右足ブレーキが出来にくい車もあるんです。そういう場合はちょっと無理ですけどね。

>ブレーキとアクセルの踏み間違えなんて、昔は聞いたことが無い! MTなら100%起こりえない。
と書かれていますが、MT車でも踏み間違うことはあるんじゃないかなって思ったりもするんですが、
実際にはないんでしょうね。でも、なぜたろう?(^^ゞ 
昔は急ブレーキはよく掛けていましたね。意図的にドリフトをする時にもそうてすが、狭い山道で対向車
が来て衝突寸前で止まったりとか。そういう時はクラッチを踏む余裕はなくてエンストです。
長年、MT車を運転してきて、免許取り立ての時からずっと、ブレーキとアクセルを踏み間違ったことなど
皆無ですねー。だふんMT車を運転しているかぎり、踏み間違いをするこはなさそうです。

ちょっと想像するに、それはクラッチを踏む左足の存在自体、が右足の操作の間違いを牽制している
ように思われます。
MT車は左足が生きているから、右足も自然にそうなってくる。しかしAT車は左足が死んでいるから、
仕事をしていないから右足が不安定になるんじゃないですかね。
そうだったらAT車は積極的にブレーキの役目を負わせて活かしてやるのが正しいのじゃないですかね。

人間歩く時は片足ケンケンでは歩きません。両足を使ってあるく。そういうことだとMT車は両足を使って
いるから正常な姿なんですね。ならばAT車も両足を使って運転をすべきでしょう。片足操作のAT車は
カタワ運転、チンバ(ビッコ)運転ということになります。
それなのに日本の車はペタル配置が悪くてカタワ・チンバ運転しかできないのが多いというのは、これは
大問題なのかも知れません。
『意外と知らない…なぜペダル操作は片足で行うのか?』
https://www.kurumaerabi.com/car_mag/list/2048/
こういう意見もまだまだ多いのですが、AT車しか乗らない人であれば積極的に右足ブレーキに慣れて
行くべきではないですかね。

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