メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS 70D |
ソフトウェア | Digital Photo Professional |
レンズ | 135mm F1.8 DG HSM | Art 017 |
焦点距離 | 135mm |
露出制御モード | マニュアル |
シャッタースピード | 1/332sec. |
絞り値 | F4.0 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2200x3300 (3,383KB) |
撮影日時 | 2018-05-01 01:08:58 +0900 |
こんばんは。
過去の凄い実績と努力に感服しました。
「光を味方につける」シリーズで、「片明かりの人」「少女ルミックス」を並べてみて、また、幼いうちから写真に触れることの良さについてお話を聞くうちに、思い出したことがあります。
私が、雑誌上の写真コンテスト入賞作品について、はじめてしげしげと眺めたのは、1977年頃の「子供の科学」(誠文堂新光社)での「読者の写真コンクール」だったと思います。(正確な年次と号は記憶にない、国会図書館に行けば閲覧できるだろうけれど)
そのときの一席は「夜行列車の旅」。車窓からの風景を眺める女性の横顔。露出は車窓外にあわせてあり、女性の顔は片明かりとなって、瞳にキャッチライト。
「片明かりの人(吉水園の女性)」の、紅葉を車窓外の光景に置き換えて、もっと寄った横構図にしたような一枚。というか、「夜行列車・・」が原風景で、無意識にその写真に寄せていっているのかもしれません。
また、そのときの二席は、「バックネットのある風景」。こちらは、おそらく台風か何かで学校グラウンドが荒れ果てたところに、斜光があたった様子を現像上の処理で、異世界のような風景に仕上げた一枚。そのときの私は、こちらのほうが一席よりすごいのではないか、と感じた記憶があります。
「子供の科学」写コンは、小中学生しか応募できないので、その2枚も、今から40年以上前の小中学生の作品、ということになります。すなわち、今の私と同世代だが、当時は、「少女ルミックス」の少女と同世代ということです。
私のローキー好きはそのあたりから始まったかな。いや別にハイキーも撮りますヨ、ローキー教じゃないっす、しいていうならば「プレートガーターI桁教」(爆)。
「子供の科学」は、毎月読んでいたわけじゃなく、写真コンテストの記憶はその号しかありません。他には、逆立ちした少年の、帽子が落ちた瞬間と、その影がなす造形美をとらえた作品が、佳作くらいに入っていたかな。これも当然、小中学生の作品。
これらの作品の印象が強く、当時、父親がしばしば買っていた写真雑誌に載っている大人の作品が、なんとも煙草くさく感じられてしまいました。
その時代の、大人のコンテスト入賞作品で、記憶にあるのが、例えば「ヨットハーバーのある風景」。これは風景写真ではなく!ヨット柄の水着の女性の、お尻をクローズアップした作品。下品ですが、一部に肌色に近い配色があって、そこが破れて肌がのぞいているように見せるのが狙いらしく、選者のコメントもスケベ調でした。そういう作品しか記憶にないという、こっちがよほどスケベ少年だったのかな。
「ヨットハーバー・・は」おそらく奥さんに協力してもらった作品だが下品と見せてぎりぎりの線で笑わせるものがあったようです。
しかし、その雑誌に載っていた、その他の、モデルに無理を強いていると思われるような作品には、全く魅力を感じませんでした。
で、40年以上が過ぎ去って、「子供の科学」の読者写真コンクールはいまだに続いているそうです。今度、図書館ででも読んでみます。
こんにちは。
いつまでも記憶に残ってる写真はありますね。
歳を重ねるに従って記憶が曖昧になる分、素晴らしい写真だったように感じるのかもしれません。
科学の雑誌に感じる『子供の科学』に写真コンテストがあるのは面白いですね・
皆様こんばんは。コメントありがーとーございます(*^^*)
>裏街道さん
確かに、「記憶の上乗せ」とか「美化」が入っていますね、うんうん。実は、自分が過去に満足した自作や、他の方の作品を久しぶりに見たときに、以前ほど感激しないこともあるにはあるのです。
高校の卒業式、片思いの子を見るのを楽しみに卒業アルバムを開いてみたら、ん?こんな子だったか?と感じたときのように。
ところで、「子供の科学」において、ピンホールカメラが付属品としてついていた号もあったようで、写真は光学と化学、両方の教材になるので、登場頻度は高く、その延長で写真コンテストもあったようです。私が見たのは、もしかすると年間賞の特集だったかもしれませんね。
>yamaさん
あははははは、でやっはっはっはっは(のどちんこ笑い)、それは、まさか、スゴイ実績と努力とは、「水着のお尻をドアップした、おっさんのアホ写真をしっかり覚えていたこと」を指していますか、
ぎゃははははははは。
いや、まあ、うん。そうなんです。その写真もインパクトがありました。その、大人用の、一般的な写真雑誌以外にも、祖父が好んで読んでいた相撲関係の写真グラフ誌も記憶に残っています。「関取さんの肌はとても美しく見えるが、どのような秘訣があるのかとご婦人方が興味深々」という話題とか、「稽古がはねると人気力士は女子高校生がサインを求めて訪ねてくるのに楽し気に応答しているが、そうでない力士はひたすら爆睡」とか、生活実感のあるシーンの紹介が好きでした。
さて、誤解のないように整理しておきますと、1で述べたエピソードは、「私が少年時代に購読者として接した、子供の科学における写真コンテストの入賞作品」のお話であって、「私が子供の科学写真コンテストに入賞した」というハナシぢゃないですよ、うんうん。
私は中学生のときに、親父のカメラを借りて撮影して、大失敗して以来、カメラには興味がわかず、自分のカメラをはじめて買ったのは新婚旅行前です。それまではプライベートはずっと「写ルンです」。
仕事柄、「ビッグジョン」とか「現場監督」などのカメラを使って現場写真や記録写真、立会写真などは何十万枚(ほんとか?)も撮りましたが、その、新婚旅行前に買ったフィルムカメラはメーカーも型番も思い出せませんで、そのうち故障して動かなくなり、粗大ごみの日に供出した(はず)です。
その頃の私はきっと、「写真なんて嘘さ、カメラなんて糞さ、寝ぼけた人がっ、見間違えたのさ♪」という気分だっと思います。
で、やっぱりそれが転換したのが、子供ができてからで、カメラをカタログを見て購入を検討したのも、そのときが初めてでした。
あんまりいい話じゃないですが、同僚とかと子どもの写真を見せあっこする(なんと陳腐な話なのだ)、実家や親せきにはがきにして送りつける、という親ばかフルコースはひととおり経験しました。
そのうち、子供もそうそう写真を撮らせてくれなくなって、だんだん写真は趣味になっていく、というお決まりのルートですね。そういう人はまわりにくさるほどいて、くさらないように回転させるのがたいへんなくらい。